切なさよりも愛情を

槇村焔

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好きだった、昨日までは

■□9■□

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『やめっ…、こんなの…』
『いやじゃないだろ…?
ずっと、こうされたかったんだろう?
俺に抱かれたかったんだろう?』
『俺…』
『イケよ…
憎まれている男の手でーーー』


「利弥さん…!あっ…」
 悲鳴にも似た己の寝言で、布団から飛び起きる。
ぐっしょりと服は寝汗で濡れてしまっている。
身体は冷え切っていて、小刻みに震えてしまっていた。


視線に広がるのは、見慣れた利弥の部屋。昨日の騒走が嘘のように、いまは部屋は静寂に包まれている。
あんな怒涛の出来事が嘘のような、静けさである。

シーツもきちんと替えられたベッドは、昨夜の名残はなかった。
あれは夢だった。
そう思えてしまうくらい、目の前に広がる光景はいつもと変わらない。カーテンから零れ落ちる日の光も、ベッドの隅に置かれ規則正しく時を刻む時計も、何もかも変わらない。
いつもとなにも変わらない光景なのに、昨夜が夢ではなかったと証明するように在らぬ場所が痛んだ。


「あたま…いたい…」

つぶやく声は、低く掠れている。


昨夜。
利弥は無理矢理菜月を抱いた。
あれだけ望んでいた“抱き合う”という行為は、実際抱かれてみれば、想像と全く違うものだった。
抱き合う腕は温もりはなく、ただただ激しかった。
抱き合うことができれば、二人の距離は近くなるだなんて、幻想もいいところだった。
わかったのは、どれだけ身体を重ねても、心は遠いところにあるという寂しい現実だけだった。
身体を重ねた分、余計に虚しさが大きくなったかもしれない。
身体は繋がっていても、心は凄く遠いところにあった。

(復讐…)
利弥は、復讐だといって、菜月を抱いた。
事実、昨夜の出来事は愛の営みとは程遠く、激しい感情をぶつけるかのような行為であった。
せめて…、とほんの少しくらい愛情の欠片はなかっただろうかと思い返してみても、その行為に一切の甘さはなかった。




だから、今まで抱いてくれなかったのだろうか。
菜月を愛していなかったから。


(かっちゃんが、利弥さんが好きな人、だった。
俺を守ってくれて、事故で死んだかっちゃんが…利弥さんの大切な人で…。かっちゃんが俺を守って死んだから、利弥さんは俺に復讐を?)


『お前が事故にあった日が何の日か知っているか?
香月が死んだ日だよ。
復讐相手に…しかも香月の命日に会うなんて…。
俺の目の前で事故に会うなんて、香月が俺に早く復讐しろと言っているようにしか思えなかった』


利弥の優しさも言葉もすべて復讐からくる嘘だった。
昨夜、利弥は菜月を抱いている最中、そう呟いていた。
それだけではない。利弥は香月のこともこう話していた。
復讐のために、菜月に近づいた、と

「偶然じゃないさ。
俺も香月もおまえに近づいたのは復讐のためだったんだからな。

‘俺は、中川の家に…菜月に復讐するためにいきる、それが、俺の存在意義だから’

それが、香月がよく呟いていた言葉だった。
わかるか、香月はお前が憎くて、お前の家にいたんだ。
復讐する機会を伺うために。
あいつは、おまえに復讐するために、おまえに近づいたんだよ。ずっと、あいつはおまえに復讐する機会を伺っていた」


(なんで、利弥さんだけじゃなく、かっちゃんも…?
俺、なにかしたんだろうか…。
復讐されるほどに、恨まれていた…?
俺は一体二人になにをしたんだろう?
利弥さんだけじゃなくかっちゃんも?なんでかっちゃんも俺を恨んでいた?利弥さんとかっちゃんを繋ぐ接点ってなんだろう?)


復讐されるほどに、憎まれ疎まれていたのだろうか?
香月と利弥の接点は…?
どれだけ、考えても答えは出そうにない。
しかし、考えれば考えるほど自分が好きだった人に恨まれていた事実が重くのしかかって、息苦しいほどに心が痛む。
好きだと頼り切った自分を、はたして香月と利弥は、どんな気持ちで一緒にいたんだろうか。



「俺は散々、忠告してきた。
逃げなかったおまえが悪いんだよ、菜月」
「そう。俺って、こうみえて、とっても、“イイ人”だからね。
だからね、君みたいな、馬鹿で、可愛い純粋な子供にわざわざ忠告してあげているのよ。
あいつにこれ以上、近づくなって。
これ以上、あいつと一緒にいると、馬鹿をみるよ…ってね?」

思い返してみれば、小牧は、散々利弥に近づくのはやめろと言っていた。口は悪かったけれど、あれは彼なりの忠告だったのだろう。
それなのに勝手に好きになって、同居人以上の関係を求めたのは菜月自身である。
利弥も利弥で、言っていたではないか。

「でも…前もっていっておこう。
きっと、君は途中で私との生活がイヤになると思う。

私は…さっきもいったように、“欠陥人間”だからな…」


「私は、もうそんな大事なものを失う感情を味わいたくないんだ…。
だから、切ない感情なんか、二度と感じたくない。もう二度と大切なものなんかいらない。
そんなもの、いらない」

そう、利弥は言っていた。
自分は欠陥人間で、自分との生活が嫌になる、と。
大切なものは、もういらない、と。

(俺が、馬鹿で子供だったから、夢見たのがいけなかった…?
じゃあ、なんで出会ってすぐ復讐してくれなかったんだよ…。そしたら、こんなに好きになることもなかったのに…。もっと突き放してくれたら…そしたら…)

自分がもっとしっかりしていたら、こんな風に好きになることもなかったんだろうか。
そして、こんな風に傷付くこともなかったのだろうか…。
もっとオトナだったら。
小牧のいう、オトナだったなら。
こんな風に、傷ついたりもしなかったんじゃないだろうか。

(利弥さん…)
身体が痛い。
それ以上に、胸が酷く痛んだ。


 このまま自分は、ここにいていいのだろうか。
利弥は復讐と言っていたけれど、昨夜の出来事で彼の心は晴れたのだろうか?あれで復讐は終わったのだろうか。
(小牧さんなら知っているのかもしれない。
俺が知らない、利弥さんのこと)

利弥との関係を止めようとしていた小牧だったら、菜月以上に利弥のことを知っている。
なにせ二人は親友であり、幼馴染なのだ。
利弥がいう“復讐”理由も小牧は知っているかもしれない。
魔法がとける、といっていたように、引き金をひいたのは小牧だ。だったら、真相もきっと知っているはずだ。
真相を知っているからこそ、あんなにも、自分の前に現れてそのたびに忠告してきたはずだから。

 昨夜無理矢理抱かれたというのに、利弥に対しての恋心は消えていなかった。いっそ、嫌いになれたらよかった。
嫌いになりさえすれば、復讐といっていていた彼を思うことなく離れることができ、また利弥のいなかった頃の生活に戻れたのに。
思いは消えることなく、彼の隠しているほの黒い悩んでいる部分も知りたいと思ってしまう。

都合がいいかもしれないが、今は頼るべき人間は、あれだけ苦手としていた小牧しかいなかった。

縋るような思いで、コートのポッケから、ずっとしまっていた小牧の名刺に記載された電話番号に電話をかける。
が、あいにく小牧につながることはなく、おかけになった電話番号は…、と規則正しい留守番電話のメッセージが流れた。
留守番メッセージに利弥のことで会いたいと吹き込んで、電話を切ると、菜月はいてもたってもいられず、コートを羽織り財布を手に取るとそのまま家を飛び出した。
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