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縛り付けるのは血縁の鎖
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しおりを挟む利弥が帰ってきたのは、小牧が出て行ってから、4時間後のことであった。
ただいま、と笑う利弥はいつもどおりで。
小牧の家にこの5日入り浸っていたとは思えないくらい、普段通りであった。菜月に対し、気まずそうにしているそぶりもなければ、遠巻きにしている様子もない。
「利弥さん…、話したいこと、あるんだ…」
菜月の緊張した空気が伝わったのだろう。
利弥も、わかったとだけいって、ダイニングテーブルについた。
「すまないな…仕事が途中で入って…留守を任せてすまなかった。忙しくて連絡もできなかったんだ。心配しただろ?」
すまなそうな顔をして、利弥は詫びる。
普段の菜月であれば、その言葉を素直に信じて、『疲れてない大丈夫?』などと、心配しただろう。
しかし、小牧の出現で、その言葉は利弥の嘘だと気づいてしまった。
(…小牧さんの言葉が嘘だったら、よかったのに…)
ポッケには、利弥に渡したクリスマスプレゼントの手袋がある。小牧が利弥の忘れ物とわざわざ菜月に渡したのだ。
利弥がもっているはずのクリスマスプレゼントを何故、小牧が持っていたか。
答えは…小牧とあっていたからである。
「利弥さん…教えてくれませんか?
あなたの好きな人…。貴方の一喜一憂させる、切ない気持ちにさせる大事なひとのことを…」
「…わたしの…?」
「はい。あなたの好きな人のこと。
俺に話してくれませんか?俺、利弥さんのこと、好きです。
だから教えてほしい。
利弥さんの好きな人のこと教えてもらって、俺なんか、とうてい叶わない人って諦めさせてほしいんです。
もしその人のことで悩んでいるのなら、俺、力になりたいんです」
利弥の口からしっかりと相手のことを聞くことができれば、この思いに諦めもつくのではないか。
自分が到底かなわないと思う相手ならば、すんなりと諦めることもできるのではないだろうか。
「わたしのすきなひと…か…」
ふっと、利弥は笑った。
陰ったその笑みは、どこか虚無的な笑みだった。
「菜月がどう思おうと、力には、なれないよ…。
もう、その人物は、この世にはいないのだから。
私の手が届くことのない、遠い場所へいってしまったね…」
「死んだ…」
「菜月に、病院でいったことがあったな。
大好きな人が車の事故にあって死んだ…と。
以来、大事なものを作るのをやめた、と。
私の家族の話…話したことあったかな…?」
「凄い貧乏で大変だった…って…」
「あぁ。すっごい貧乏だった。
そして、とても歪な家族だったよ」
利弥は、まるで昔を思い出すように瞼を閉じる。
「まるで、細い線のように、不安定ですぐに切れてしまいそうな、そんな家族関係だったよ。
もろく、歪みが生じて、ねじ曲がった…。
だけど、わたしにとっては、大事な家族だった。
私は、家族を大事に思っていたし、“あいつ”も家族同様に思っていた。いや…、それ以上に…、愛していたよ」
「利弥さん…」
「利弥さんの…ご家族はいま…」
「死んだんだよ、みんな。
ある日みんな一瞬にして失ってしまった。
失ってから、しばらく無気力になって過ごしたよ。
ただ何もしないと悲しみに押しつぶされそうになって。
あいつが死んでしまってから、私は…壊れてしまったんだと思う。
人間らしい感情を持ち合わせていない、無感情な人間になってしまった。人間失格だな」
呟く声は寂しげだった。
同じだ、と菜月は思う。
菜月は、実の両親に優しくして貰った記憶はないし、家族を失っても悲しむことはなかったけれど。
あのお兄さんが死んだとき、同じように、悲しみで自分の五感が麻痺してしまった。
(とっても近い存在だから、こんなに惹かれちゃうのかな…。こんなにも、ほっとけないのかな…。
こんなにも胸が痛くなって、切なくなるんだろうか…)
椅子に座ったまま黙り込む利弥に、菜月はそっと、後ろから包み込むように、利弥の体に腕を回した。
「菜月…」
「俺も、一人だったよ。
ずっと…利弥さんに会うまで。
無気力に生きてた。馬鹿みたいにダラダラ過ごして、明日死んでもイイや、なんて思って…。
今まで、毎日やるせなく生きてた。
毎日適当にバイトして、寝てその繰り返しって。
諦めて、逃げ回って、勝手に落ち込んでた。
やる前から、諦めてた。
どうせどうせ…って思いながら。理由をつけて、傷つかない道ばかり選んで。
利弥さんが死にたいって言っていた俺を殴りつけるまで、俺、ほんと馬鹿みたいに全部のこと、諦めてた。
どうせ明日はつまらないから。
どうせ明日も、次の日も、ずっとずっと、毎日同じように過ぎて頑張ったって無駄だって。
駄目な俺がどんなに頑張ったところで、結果は同じだって」
菜月はゆっくりと利弥に語りかける。
利弥は背後を振り返ることなく、ただじっと菜月の言葉に耳を傾けている。
「でも、俺利弥さんに会って、毎日が楽しくなったんだ。
明日、利弥さんがいてくれるから頑張ろう。
利弥さんに笑ってほしいから、頑張ろう…って。
犬扱いでもいいからそばにいたいって。
諦めるだけだった俺を変えてくれたんだ。
利弥さんがいてくれるから、こんな俺でも役にたてないかな?って…諦めるだけだった俺を変えてくれたんだ。
駄目だって、否定するだけだったのを変えてくれた。
俺を生かしてくれたのは、利弥さんなんだよ」
人とのつきあいを遮断し、無気力に過ごしていた菜月に、表情を与え、優しい言葉をかけてくれた利弥だった。
「ただいま」と声をかけられて、あんなに嬉しいものだと気づかせてくれたのは、利弥だった。
事故の日、己を叱りつけ、生きろと生かしてくれたのは、利弥なのである。
「だから…また悲しい気持ちに押しつぶされそうになったときは…俺を好きだった人の代わりにしてくれたら、うれしい。
図々しいけど…俺、利弥さんさえよければ、利弥さんの帰る場所になれたらうれしいんだ」
「菜月…」
「…もし、辛くなったら言ってね。
俺が一緒に泣いてあげるから。
利弥さんが泣けない時は、俺が代わりに泣いてあげるから」
「菜月…」
「なんて…俺にしては偉そうなこと、いいすぎたかな」
へへ…と菜月は自分の言葉に照れたように、顔を赤らめた。
利弥はそれに目を細め、そんな事はないよ、小さくこぼした。
「…君とあの日会えたのは、運命だったかもしれないな」
「うんめい…?」
「菜月と会った事故の日。
私はあいつに会おうとしていたんだ。
死んでしまった、あいつに…」
「っ…」
「勘違いしないでくれ。
死のうとかそんな風に思ったんじゃない。
ちょうど、あの日は、命日だったんだ。だから、柄にもなく苦手な花なんて買っていたんだ。
あいつに…渡すために」
「…あの花は…、死んだその人に、お供えするために…?」
尋ねる菜月に、利弥はこくりとうなづく。
「事故った君をみて、あいつとダブって仕方がなかった。
あいつに似た君を、一人にしたくなかった。
一人にさせられないと思ったんだ…あの日、私は…君を」
「利弥…」
さん…と続く言葉は声にはならずに、利弥の口で塞がれた。
キスしてみたい、と思っていた利弥の唇は、すこしかさついていて。それでいて、熱かった。
突然の口づけの後、静かに利弥の顔が離れていく。
「利弥さん、なんで…」
いきなり、キスを?
視線で問いかける菜月に、利弥は、微笑を返す。
「…菜月に、キスしたいと思ったんだ。
衝動的に…。
たぶん、私も、君に惹かれているんだと思う。菜月のことが、好きになっているんだと、思う」
「すき?俺を…」
「菜月、君はなにがあっても、私のことを好きでいてくれるかな…?けして、私を裏切らず…」
君は…。
利弥は、菜月の頬を両手で包みこんで、顔をのぞきこむ。
「純粋な君は、いつまで私を好きでいるんだろうな…」
「え…?」
きょとりと利弥を見返せば、利弥はまたなにも言わず、口を塞いだ。
二度目のキスも、突然で。
初めてのキスよりも、濃厚で。
「ん…あっ…」
舌先が口内に忍び込み、絡められたキスに、身体が痺れる。
蕩けそうなほど、口づけは甘い。
息があがるほど、長い間キスをし終えた後、利弥は
「君の誕生日まで、お試しでつきあわないか?」とキスで呆けている菜月に囁いた。
「おためし…?」
「そう。20歳になったら…、それまで君が私を好きでいてくれるなら、正式に恋人になろうか…。
それまでは、お試し期間を設けないか?」
「おためしきかん…」
「期間中はキスもするし、それ以上のこともする。
恋人同様に付き合う」
「…じゃあ、恋人なんじゃないんですか?
なんでおためし期間…?」
「菜月は未成年だし…、君も付き合っているうちに私のことが嫌になるかもしれないだろう?だから、お試し。いつでも後腐りなくさよならできるように」
(お試し…でも、一応恋人になるんだよね…?それって…、)
「嫌か…?」
「そんな…い、嫌じゃないです!」
よろしくお願いします、と菜月は、頭を下げる。
利弥はくすりとわらい、こちらこそ、続けた。
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