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さむい、寂しい、会いたい。
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しおりを挟む「日下さん、ごめんね…。
なにからなにまでお世話になって…」
「気にすることはない。
私が好きでやっていることだし、私は迷惑だとは思っていない」
菜月のお礼に、利弥はいつも気にするな、という。
それでも、家賃から生活費、それから風呂や身の回りの世話など何から何まで甲斐甲斐しく世話してくれる利弥には頭が下がるばかりである。
金銭的に余裕があるから…と利弥はいうものの、申し訳なく思うばかりで。
気にしないなど、到底無理である。
感謝してもしつくせない。
日に日に利弥への感謝が大きくなり、このままでいていいのか…という思いも比例して強くなっている。
なにか恩が返せばとは思うものの、経済的な面でも家事もすべて完璧に行う利弥に今更自分が返せるものなどなく、菜月は日を重ねるごとに歯がゆさが積み重なっていった。
「そうだな、一緒に住んでもう数日たったし、もっとお互いフレンドリーな喋り方にしようか?
友達に対するかのような」
「と、友達…」
(親しい友達に対するようなってどんな…?)
利弥の言葉に困っていると、そんなに難しく考えることはない、と生真面目に考え込んでしまった菜月に利弥はわらった。
「年が離れているから友達は、無理か。
では友達が無理ならお兄さんはどうだろう…?
少しばかり年は離れているが…13も離れたお兄さんは嫌か?」
「お兄さん…、それなら、大丈夫かも…」
「では、この部屋にいる間は、私を兄と思ってくれていい。
私も君を…、“弟”のように接することにしよう。
菜月君も…、そうだな、これからは菜月と呼ぼうか。
菜月も私に対してそんなに緊張しないで、思う存分、甘えていい」
利弥はまるで悪戯でも思いついたように、提案する。
「でも、日下さん、あの…」
「いやか?」
「い、嫌じゃなくて…!
でも、そんな、いいのかなって…。
そんなに甘えちゃって…何からなにまで…」
「いっただろ、君を大切の人の代わりにしたい、と…」
「大切な、人…」
「だから、君を甘やかしたいんだ。
そんなに恐縮されると、こっちが困る。
君はペットのように、ただ飼い主の愛情を受ければいい。
私は思う存分、君を可愛がるだけだから」
「ペット…。
でも…俺犬や猫みたいに可愛くないしいやしになんて…。
それに、満足に自分のことひとつ、できやしないし…。
日下さんの為にできることなんて、なにひとつないのに…」
だから、どんなに愛情をくれても、心苦しく感じてしまう。
ペットのように愛らしければ、癒しの一つにでもなるだろう。
けれど、自身はペットのように愛らしい反応も可愛さもない。
顔だちも、到底、綺麗とは言えない造作をしている。
あのお兄さんくらいの顔立ちであれば、男でも観賞用になりそうなものの、あいにく菜月はといえば、男らしくもなく、目を引くような美貌ではない。
性格だって、すぐに暗く落ち込んでしまうし、マイナス思考がちであるし、卑屈がちで話もうまくない。
だから、一緒にいたってちっとも楽しくもないだろう。
しゅん…と落ち込んでしまえば、利弥は菜月の頭をそっと撫でた。
「私の為に、なんて考えなくていい。
私は君がいるだけで、このだだっぴろい部屋に一人でいなくていいのだから。
それだけで、君は役に立っている。
君の世話をして、毎日あわただしい生活も結構気に入っている」
「ほんとうですか…?」
問いかける菜月に、利弥は、唇の両端を少し弓なりに下のほうへ曲げ、笑った。
どこか冷たい鋭利な瞳が、菜月をうつした。
「本当はね、君がくるまで、犬を飼おうかと思っていたんだ…」
「犬…ですか…?」
「ああ、やっぱり、一人暮らしは寂しくてね。
大切な人もいなくなって、生活が寒々しくて。
戯れのように毎晩つきあう友人はいるものの、家に帰ると凄く空しくなって。
だから、なにか支えに…癒しになるものを、と思ったんだ。
独身でこの年まできて、家族もいなかったから。
なにか…一人じゃなく、家族のような…家に帰って私を待ってくれる癒しが欲しかったんだ。
家に帰ってほっとするような、癒しがな。
だから、犬を飼おうとした。
友達には大変反対されてしまったが」
「反対?なんで?あ、なんでですか…?」
ついつい、ため口で返すと利弥はそのままの口調でいいから、といって、リビングのソファに座っていたぼろぼろのウサギの人形を手にした。
そのぬいぐるみは、菜月がきてからずっとソファにおいてあった縫いぐるみで、高級品が並んだ利弥の部屋には不似合いの、薄汚れた縫いぐるみであった。
「どうも、私がその子に愛を注ぎすぎるから、らしい。
私は依存度が高いらしくてね。
いつもはそこまで他人に興味なんかないんだが、一度気を許すと、どこまでも依存してしまうらしい。
時に相手が重苦しくなるほど愛を注いでしまうようだ。
ただ、その依存も自分本位の、身勝手なものでね…。私は一度スイッチが入ると相手の気持ちも顧みなくなるし、友人いわく凄く最低な男になるらしい。
自分勝手で、我がままで、己を通そうとする…。相手のことなどおかまいなしに独占して離さない。ボロボロになるまで愛してしまう。
私の重すぎる愛は、毒だと」
このぬいぐるみのようにボロボロになってしまう、と手にしたぬいぐるみを菜月に見せる。
白い可愛らしいウサギのぬいぐるみなのだが、随分と古いもののようで、くたっとしていたし、色も褪せていた。
「いまだに、子供の頃に買ってもらったぬいぐるみが捨てられないんだ。
大の大人だっていうのにな…」
利弥はそういって、またぬいぐるみをソファーに戻す。
ぬいぐるみはそこが定位置かのように、ちょこん、と座っていた。
「犬なんか飼ったら、犬は忠実だから、主人の愛にこたえようとするだろう?
こたえようとして、与えられる愛の重さに潰される。
もっともっと…と愛を返そうとするし、主人の役に立とうとする。
お前は犬を自分に依存させ、主人第一の健気な犬にして、勝手に幻想を抱いて、その幻想が壊れたらその犬を捨てようとするだろう。
犬は健気にもしっぽを振って主人を慕うのに。
お前は残酷に、そんな犬に別れを告げるんだ。
もういらない、ってね。
愛という毒を与え中毒にしたまま、残酷に中毒死させるとね。
だから、お前には自由気ままな猫がいい。
愛をそのまま受け入れる、女王のようなプライドの高い猫がいい。
ペットを飼うなら、猫を飼え。
愛されることが当然と思っているような猫を。
捨てられても、強く生きていけるような、気品のある猫を、と、そういわれたよ」
「そうなんですか…」
「菜月は、どちらかといえば…犬っぽいのかな?主人の愛にこたえようとする…」
利弥がクスリと笑いながら問う。
菜月は、しばし考えてから、
「犬、ですか…。
そんな犬っぽくはないと思いますけど…。何っぽいとか、考えたことなかったな…。
あ、でも…、野に咲くカスミ草とか、月見草っぽいとは言われました。
俺の…大好きな人に」
と笑った。
「大好きな、人…」
菜月が笑いながら答えた言葉に、利弥の顔は一瞬強張った。
しかし、それはほんの一瞬のことで。
あれ…?と菜月が見返せば、またにこやかな微笑みを向けた。
「そうか…、大好きな人…か。君にそんな人がいるとは知らなかったな…。大事な人なのか?」
先ほど感じた表情はやはり見間違いだったのか。
そう感じるほど、問いかける利弥の表情は優しい。
菜月は少し照れたように、はい、と続ける。
「俺の…一番大切な人です。
誰よりも大事な人」
俺が向日葵なら、お前はカスミソウとか、月見草だな。
太陽に向かって派手に咲くのが俺なら、お前はひっそりと、野に咲くカスミ草。
お兄さんを向日葵みたいだという菜月に対し、お兄さんは菜月はカスミソウか月見草だと例えた。
ひっそりと野に咲く、そんな控えめで気品のある花のようだ…と。
「俺にとって、一番大切で、何よりも大事にしなきゃいけない人なんです」
「そんな人がいるなら、その人の世話になろうと思わなかったのか?
私の元にきてよかったのか?
君が入院して…バイトの店長以外見舞いにはこなかったようだけれど…」
「そうですね…。
あの人のいるところにいきたいとは思いました。事故って目が覚めた時に…。一番最初に、会いたいと思いました」
あのお兄さんのもとにいきたい。
傍にいることができたら、と願った。
そう思った菜月の涙の涙を止めてくれたのは、目の前の男で。
目の前の男がいたから、今、こうして生活ができている。
事故にあってもう嫌だ、と泣いた日。
涙を止めてくれたのは、厳しく叱りつつも優しかった目の前の利弥であった。
今でも、どうしようもない負の感情が起こることがある。それでも、利弥に叩かれた日を思いだせば、お兄さんの元へ行きたいと思う感情も抑えることができた。
こんなダメ人間な自分であるが、利弥はいてもいいと言ってくれたから。
「俺の大切な人は、きっと俺が傍にいくことを望んでいないから。
きっと、俺が傍にいきたいっていったら、怒っちゃうから。
だから、いいんです。
いつかがくる、その時までは…
その時までは、きっと、あえません。
でも、それでいいんです。
会えなくても、俺、ずっとずっと好きでいるから。
これから先も、俺は、あの人のこと忘れることはありませんから」
生きていることが、菜月が誰よりも好きなお兄さんへの恩返しになると思うから。
だから、きっと、己が自然に死んでしまう、その瞬間までは“あえない”
いつか、死んでしまう、その時までは。
会いたくても、あえない。
「飼い主に捨てられても…縋る犬か…」
「…え?」
「菜月…」
ふと、鼻先ほどに近い位置に、顔を寄せられた。
目の前に広がる、利弥の男前で端正な顔。
「く、日下さん…、あ、あの…?」
あまりの顔の近さに、驚き目を丸める。
なにか言おうにも、頭が混乱しているせいで、あの…以外に言葉も出ない。
「君の一番は、その大事な人なのか…?
私は、君の何番目なんだろう…?」
「え…っと…?」
「私が君の一番になる日は…くるか?」
唇に吐息がかかるほどの位置で囁かれ、どきりと胸が大きく跳ねる。
少しずれれば、唇と唇が合わさってしまいそうな位置に、利弥の顔はある。
少しでも動けば、そのまま、キスしてしまいそうな…そんな吐息すらも感じてしまう近距離。
菜月は身体をガチガチに強ばらせながらも、日下さん?と呼べば利弥はしばらく菜月を見つめた後
「なんてな」といって、顔を離した。
「びっくりしたか…?」
「しましたよ、もう…!」
「そうか…悪戯成功だな」
「成功って…」
(キ、キスされるかと思った。
それくらい、距離近かったし…!って、な、なんでキス…?男同士なのに…?というか、なんで俺、こんなにドキドキしてるんだ?走ったみたいに、心臓がドキドキいってる…。なんで…?)
胸のドキドキがすぐに収まってはくれなくて、利弥に対してそっぽをむく。
そんなすねた菜月の様子に利弥はクスクスと笑っていた。
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