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さむい、寂しい、会いたい。
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しおりを挟むピピピピ…チチチ…。
雀の陽気な鳴き声を小耳に、意識が覚醒する。
ごしごしと菜月は寝ぼけ眼をこすりながら、ベッドわきに置いていた目覚ましに手を伸ばした。
「ああ…そんなぁ…」
時計の時刻をみるなり、菜月はがっくりと、落胆の声をあげる。
目の前の時計は8時を指していた。
6時には起きるつもりであったのに、これでは大遅刻である。
(寝ないでおきたままのほうが良かったかな。
でも、俺が寝ないと心配かけちゃうし…。
だから、早起きしようって思ったのに。)
目的の時間に起きられなかったことに、悔しい思いを隠せない。
目覚ましをかけていたはずなのに、offになっていた。
がっかりした気分のまま、リビングへいくと、テーブルには簡単な朝食がおかれており、朝食の隣には一枚のメモが置かれていた。
朝食は、トーストとサラダ、それからウィンナー数本にスクランブルエックとスープがプレート皿に綺麗に盛り付けられていた。
喫茶店の朝メニューにでも出てきそうな朝食に、ぐぅぅ…と菜月のお腹が空腹を訴える。
テーブルに無造作におかれた十センチほどの無地の白い紙に、ボールペンで書かれた少し右肩上がりの字。
"昨日は魘されていたが、大丈夫だったか?
不躾かもしれないが、君の苦しそうな声が聞こえて心配で部屋に入ってしまった。
目覚ましは、止めた犯人は私だ。起こすのは忍びなかったんだ。許せ。
今日も遅くなる。先に食べていてくれ。無理はするな…"とメモには、はしりがきされていた。
急いで書いたのだろう。
字は、けして綺麗な字ではない。
でも、その心遣いだけで、菜月の胸はいっぱいになった。
メモの文字に自然と、頬が綻んでいく。
(日下さん…、おかしいな。
いやな夢見た日はいつもその日は嫌な気分が消えないのに)
菜月は胸にメモをかき抱いて、メモの主を思い、自分でも無意識のうちに胸を高鳴らせた。
*
利弥との生活は、まるで、ぬるま湯に入っているようだった。
冷たくもなく、暑すぎることもなく、ずっとつかっていたいくらいの、ちょうどいい温度。ずっとこのままこの場にとどまっていたいくらい、居心地がいい。
この状態になれてしまうのが怖くて、何度やっぱり世話になるのを辞めようか…と思ったことだろう。
やっぱり出ていこう、そう何度も決意するものの、その決意は大体、利弥から与えられる優しさを前に消え去ってしまう。
菜月がまともに動けない間、利弥は甲斐甲斐しく菜月の世話をしてくれた。
でろでろになるくらい、甘やかして優しくしてくれる利弥に、今更出ていきます、なんて到底言えなくて、甘んじて利弥の世話になっていた。
日下利弥
33歳という若さでありながら、会社を一から起こした、実業家。
怪我をしている菜月は、まともに動けないため、昼間は利弥に借りたパソコンで時間を潰したり、簡単な家事を行っている。
試しにと、利弥のことをネットで調べてみると、ネットでも芸能人さながら検索でhitした。
界隈では、有名人のようだ。
社長といっても大きいものから小さいものまであるが、利弥が経営している会社は大きく有名な部類に入る。
利弥はお飾り社長で、仲間がやりたがらなかったから、責任を押しつけられただけだと笑っていたが。
でも、それは謙遜で、利弥はお飾りの社長ではないと菜月は感じている。
でなければ、ここまで会社は大きくなるはずがないだろうから。
ネットではわからない、利弥のことも一緒に住んでいて知ることができた。
気むずかしそうに見えるものの、真面目、非常に思慮深く、時折子供のように揶揄ったりする。
知識も豊富で、でもそれをはなにかけることもない。
菜月が疑問に思ったことも、的確に答えてくれるし、なにもできない菜月を家においてくれる、包容力もある。
菜月が生活に困らないように、気を使ってくれて、なおかつ、自分のことを厳かにしない。
長身の利弥は、顔も、テレビに出てくる俳優のように整っているし、ふとした瞬間に菜月に見せる笑顔は誰よりもかっこよかった。
凄味がある瞳は初対面だと、臆してしまうかもしれないが、ワイルドで男らしい。
まだ一緒にいて数日であるけれど、菜月は利弥の長所をいくつもいえる自信があった。
菜月と利弥は13歳ほど差があるのだが、どれだけ頑張っても利弥のように落ち着きのある人間にはなれない…と思う。
そもそも、中卒ですぐ働きにでた菜月と、会社社長の利弥を比べられるレベルではないとも菜月は思っているのだが。
(俺と日下さんは…、あの事故がなければ、会うこともなかった運命なんだから…)
けして、交わることのないはずだった利弥と菜月の人生。
そう、あの“事故”さえなければ、今頃はこの空間にいることもなかった。
ただ淡々とした毎日を送っていただろう。
なにも感じず。
迷い子のようにこれからなにをしたらいいのか、人生に迷いを感じていただろう。
「日下さん…」
そっと顔を伏せ、菜月はギブスで固定された動かない右手を見つめた。
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