槇村焔

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9章

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「まって、ください…」

「あ?」



出て行こうと、ドアノブに手をかけた男を呼び止める。

男はめんどくさそうに、俺をみやった。



「なんだよ…」

「…あんたは、本当に駿を愛しているんですか」

「あ?なに…」

「あいつの…駿のこと…。あんたがどれだけ、駿を知っているか…駿が好きか…聞かせてください。いえますか?

俺は、いえます。誰よりも、好きって。

愛してる…って」



自分でも恥ずかしいことを言っている自信はある。

それでも口に出した言葉を撤回するつもりはない。

この男が駿の新しい男、だとしても。





「…は?」



案の定、男はあきれた顔をしている。



「俺は言えますよ。…散々、馬鹿なことして泣かしてしまったけれど。今なら、わかるんです。

離れてしまった今なら。あいつが…駿が俺にとってどれだけ大事か。今ならちゃんとわかるから」





普段は誰とも関わろうとしない駿が、俺に対してはいつも真剣に向き合ってくれたこと。

時に俺を詰り、喧嘩になっても、いつも俺を思ってくれたこと。

それを、誰よりも知っているから。

そして、その愛情を俺が誰よりも欲しがっていること。





「俺は、貴方よりあいつを知っている自信があります…」

「へぇ…?」

「あんたがどれだけ想っていても…。もう一度、駿にあうまでは、俺も引き下がるつもりはありません。ちゃんと話がしたいんです」

「引き下がるねぇ…散々、傷つけてきたのに…か?」

「傷つけてきたから、です。

俺が傷つけた傷は俺が治す…

別の男なんていらないんです…」

「はっ…。勝手にいってろ。

今だって、ちゃーんと女いるじゃねぇか…」



男は傍ら、部屋から出るタイミングを逃し、困惑したままやりとりを見守っていたまりんに視線をうつす。





「彼女とは、そんなんじゃありません」

「そんなんじゃない…ね…。

元カノなのに?」

「ええ。もう、彼女とは終わったんです。きっぱりと。

もう終わったと、彼女とは話し合ってます…」

「へぇ。そうかい。

ま、おまえが彼女と終わってなかろうが続いてようが俺には関係ないけどな…。



駿が俺の元に来たがっている。

おまえと決別して俺と新しく恋を始めようとしているのに、その女はもう関係ないしな…?」



男は勝ち誇った笑みを俺に向けた。



この男と、新しく恋を…。

ぎゅっと拳を握りしめる。



駿の愛情にあぐらをかいた報いだろうか。

もう駿は俺のことなんて…。







「って、言ったらどうする?色男」

「え…?」

「残念だが、俺は駿の男じゃねぇよ…。あんな泣き虫なやつ、あいにく願い下げだ…。

俺の恋人はもっとクールで、健気で可愛い人だからな…」





男は、そういって表情をゆるめた。

この男は駿の恋人ではない…?

その言葉に安堵しつつも、では、この男は一体、何者で何故うちに?という疑問がわく。

新しい男でないなら、何故駿と俺のうちにやってきたのか…。











「なんで…うちに?」

「駿がお前から逃げたいって言ったからな。手助けしてやろうって…」

「逃げたい…」

「そう。もう色々と吹っ切りたいんだとよ。お前みたいな男にこれ以上、つきあってらんねぇってさ。」



男は、そう吐き捨てた。



駿は俺から離れたがっている…。

やはり、もう愛想をつかれてしまっていたのか。



もっと駿の話を聞いてやれば。もっと駿と話し合っていればこんなことにはならなかったのに。

不甲斐無い自分が悔しくて、なにもいえず唇を噛みしめた。

こうなったのは自業自得以外の何物でもないのに。





「駿は、もう俺の元に帰ってこないつもりなんですか…?どうしても…」



「さぁ…。俺は駿じゃないし。

でも…、帰ってこないつもりなんじゃないか?こうして逃げられたわけだし…。

あいつは、あいつなりにこの1週間悩んでいたよ…。

どうしたら、強くなれるかな…って。

どうしたら、これから二人で生きていられるかな…って」

「二人で…」

「そ。

ああ、二人といっても、お前じゃないぞ…もっと別の奴。

今はそいつが駿にとって一番らしい…。誰よりも大切な…、な」



「べつの…?

ほかに、誰かいたんですか…。駿がずっと一緒にいたいと思う人物が…。あなたじゃなく…おれでもなく…」



こわばった声で尋ねた俺に、男はああ、と返事を返した。





「お前でも、俺でもない。もっとべつのやつ。

別の…駿にとって、大きい存在の奴らしい。



そいつの為に強くなりたいんだと。すぐ泣いてぐだぐだする自分を変えたいんだとよ。

…誰よりも大事だからうしないたくないんだと。そいつを誰よりも愛するために、もう弱い自分ではいたくないんだとよ」

「誰よりも…大事な…」

「そいつと…家族になりたいだってよ。愛しあいされる、家族に…だとさ。

それにはお前が不要なの。お前みたいな自分勝手なやつは」



「家族…」



それは、俺もほしかったもの。

自分の帰る居場所。



「いいよな、家族って。あいつもあいつなりに憧れていたらしいぞ。暖かな家庭ってものに。

だから…って…」



男が不意に俺の顔を見つめ、驚いたように目を見張った。

でも、俺は男の言葉にどうしようもないショックを受けていて、





「お前、泣いてるのか…」

男にそういわれるまで、自分が泣いていることもわからなかった。



「泣いてる…」



頬を触ってみれば、確かに熱いものが頬を濡らしていた。

俺はその涙を拭うこともせず、ぼんやりと男を見返す。



「駿は…そんなに…好きな人が…いるんですね…俺でなく。本気で、家族になりたい人がいて…俺から離れたがっているんですね」





ぽつぽつと自分で呟いた言葉に、胸が痛む。

俺より大事にしたい人が、いまの駿にはいる。



だったら、俺は身を引かなくてはいけない。

それが、駿の為…。



そう、離れるのが駿のためなのに…。

別れる、その決断ができない。





「俺は…あいつと別れたほうが…いいのでしょうか…。別れてあげた方が…駿のためになるのでしょうか…」



別れたくない。

絶対に別れたくない。



だけど、それは俺の我が儘で。

俺の我が儘だけで駿を束縛することなどできない。



駿は駿の幸せを見つけようとしているらしい。

それに、俺が今更、どうこういえるのか。



散々、傷つけておいて。

散々、泣かせておいて。



先ほど、男の前では駿をどれだけ愛しているか、誰にも負けないほど語れる自信があるといった。

男が駿を愛していても、駿に俺を思ってくれる気持ちがひとかけらでもあったのならば、奪ってしまおうとも思っていた。



でも…駿の気持ちがもう俺のもとにないのなら…?

どれだけ好きでいても、もう俺の隣が駿にとって苦痛しかないのなら…。



側にいてくれなんて、いえないじゃないか。

これから、俺じゃない別の誰かと家族になりたいと思っている、未来を見据え前を歩き始めた駿に、今更どんな顔していえばいいんだ。

どんな顔で、今までずっと愛していたなんて言える?



迷惑になるだけだ。







「もう…すべて遅いんですね…すべて…。

俺は、馬鹿な狼だから…。

すべて、遅かった…」



うそつきな狼の話では狼は、結局、好きな人に愛を告げることができなかった。

本当に本当に愛していたのに。

タイミングが遅すぎた。

いつだって、いえることができたのに…。

今の居心地の良い関係を壊すのが怖くて、狐が望んでいた言葉を最後まで与えることはなかった。



同じじゃないか…俺も。

嘘を吐き続け、自分の気持ちを偽って、結局去られて…同じじゃないか、すべて。

すべて、一緒だ。



告げたい言葉は、もう相手に届くことはない。

俺の気持ちはあいつには迷惑でしかない。



「あいつのためを思うなら…俺は…」

「あいつのため…ねぇ…。

おお、かっこいいねぇ。かっこよすぎのかっこつけ野郎で反吐がでるわ。



そういって、またお前は逃げているんだろ、結局。

駿を奪われるという現実から。自分がこれ以上傷つかないために。

逃げてんだよ。

そんだけの思いだったんだよ。簡単に諦められるほどの…ちっぽけな、感情だったってわけだ」

「ちがいます…」



そんな、簡単に諦められない。



本当はこれから共に生きてほしい。

一緒に。



番つがいのように死ぬその瞬間まで、俺の隣で笑いながら、ダメな俺を支えてほしい。

もし、もう一度やり直すことができるのなら。

そしたら、今まで傷つけてしまった分、支えてくれた分、今度は俺が駿に返していきたい。



一生をかけて。

もう間違うことはないから。

誰よりも愛すから。





「俺は、駿を愛しています…。」



思いを口にすれば、男は無言で俺の右頬を思い切り拳で殴った。



身体は吹っ飛びはしなかったものの、強靭な男に不意打ちの様に殴られたため、ぐらりと体制が崩れた。

なにするんだと男を見上げれば、不機嫌な顔で俺を見下ろしていた。





「軽々しく愛なんて言うんじゃねぇよ…。優男が…」

「軽々しくなんて…」

「それに…それを言う相手が違うだろう。

俺に愛してるなんて、いうのが違うだろ。

一番に言わなきゃいけないのは、誰だ」



「…え…」



「お前は本気で駿に愛してるなんて言ったのか?駿の言葉に耳を傾けてやったのか?」



愛している…

閨の時、睦言の様に好きだという言葉は告げたことがある。冗談のように好きだ…とも。

でも、本気で面と向かって愛しているなんて告げたことはなかった。

1度も。





「駿を大事にしてやったのか」

「……」

「本気で愛しているといえるほど、駿を大切にしていたのか?」

「それは…」

「駿はお人形じゃねぇんだ。感情だってある。

お前の一喜一憂に振り回されてボロボロになるために生きているんじゃないんだよ」

「お…れは…」



一度だって言えなかった。

いつでもいう時間はあったのに。あとであとで…と後回しにして、言うべき言葉を後回しにしてきた。

ずっと…。



駿の気持ちが見えないからと臆病になって。

俺も駿も言いたいことをなにもいえなくなっていた。



お互いがお互いに目隠しをして、近くにいるのに遠回りをしている、可笑しな恋を続けていた…。

触れ合うことのない、手探りの恋をしていた。





「教えてください…、駿はいま、どこにいるんですか」



「なんだ?別れようって言うのか?だったら言わなくても…」

「ちゃんと言います。自分の言葉で。駿に…

一緒にいてほしい、と。べつの…ほかの誰かがもう駿のなかにはいるかもしれない。でも、いいたいんです。もう、後悔はしたくないんです…。俺は…」



俺は、あいつが…、駿が好きだから。





「はっ…教えるか。ターコ」

男はべっと舌を出すと、話は終わったとばかりに俺から顔を背けた。



「お願いします…、俺は…」

「だから…教えるかって…。勝手に落ち込んで…」

「お願いします…」



その場で、膝をつき頭を下げ、男に対し土下座をする。

最早、見栄もプライドもない。

今、あるのは、ただ駿とこれからも一緒にいたいという思いだけ…。

何が何でも、もう一度会いたい。

ただ、それだけだった。







「俺は…駿…あいつだけを、愛しています…」
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