槇村焔

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9章

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- 仁さん、ただいま。

なんて顔してるの?まったく…仁さんは僕がいないとほんと駄目なんだから…。

仁さんが心配で戻ってきたら案の定だね…。

まったく、駄目だなぁ…。

そういって、また何事もなかったかのように戻ってきてくれないだろうか…。

また、どうしようもない俺の隣にいてはくれないだろうか…。

もし、もう一度この手に戻ってきたのなら、言いたい言葉があるんだ。ずっと言いたくても言えなかった言葉が。

もし、もう一度、俺の隣に戻ってきてくれたら…そしたら、その時は…。



 ピンポーン。

ぼんやりと馳せていた俺の耳に、玄関のチャイム音が聞こえた。



駿…?

駿が帰ってきたんだろうか…?

勢いよく顔を上げ、煙草の火を近くにあった灰皿で消した。

はやる心をなだめるように玄関へと走る。



「駿か…」



勢いよく玄関の扉を開けて…

開けた瞬間に目の前にいる人物を見て落ち込んだ。

玄関前にいたのは、待ち望んでいた人物ではない。まりんだった。





「酷いわね…私の顔をみるなり」

彼女の姿を見るなりあからさまに落胆した俺に彼女は苦笑いを浮かべた。



「あ…、ああ…ごめん…」



謝罪を口にしながらも、沈んだ心はすぐには晴れない。

もしも駿だったら…と期待していた心が落胆し自分でもはっきりと自覚するくらい落ち込んでいるのがわかった。

その落胆は、顔にも出ていたんだろう。

まりんは落胆を隠そうともしない俺に訝しんで



「駿と、なにかあったの?

凄い剣幕で、喧嘩でもしたの?」

と尋ねた。



「ああ…。ちょっと…」

「ちょっと…?」

「あ…うん。ちょっと言いづらい事なんだが…出ていかれたんだ。駿に…」

「え…?出て…?」

「愛想をつかれてしまったみたいで…。俺が駿を蔑ろにしてしまったから…。約束を破ってしまったから出ていってしまったんだ」



出ていかれた、改めて自分の口から出た言葉に自分でショックを受ける。



出ていかれて、いま、この家には俺しかいない。まりんと別れる前に戻っただけなのに…。





お願い、いかないで。

まりんとは会わないで。



そう駿は泣きそうな顔で懇願していたのに。

俺はいつだって破ってばかりで、駿には何も言わなかった。

愛しているも、必要だとも、なにも。



ただ、求められるまま抱き、身の回りの世話をしてもらい…。駿の優しさに甘え、出ていかれた。

約束をやぶった薄情な俺に話し合う時間すら、与えずに、駿はこの家から去ってしまった。





「俺が、どうしようもないくらい、優柔不断だから…」

だから、出ていかれた。

呟けば彼女はあら…と目を見開いた。



「駿が、あなたのそばを…?」

「ああ…」

「駿が…」



神妙な顔で呟いて、しばし逡巡したのち、まりんはあがってもいい?と尋ねた。





「いいけど……俺はもう君とやり直すつもりは…。それに…」

「知ってるわ。この間、貴方にちゃんと言われたもの。

友達ならいいけど、恋人にはもう戻れないって…」

貴方、私には甘かったけど、昔から少し頑固なところがあるから、きっともう戻れないというのなら、一生戻れないのでしょう?と、彼女は昔の思い出を懐かしむような口調で言った。



「だから…あなたが気に入っていた写真立てと指輪を貰いにきたの」

「写真立て…」

「そう。まだ残ってる?

あなたが気に入って、この部屋にずっとおいておくといっていた写真立て。

あれがほしいの。

懺悔みたいなものかしら?あの時の思い出を手元に一つくらいは持っておきたいの」



愛されていたのに、愛されていないと嘆き別の恋に走ってしまった戒めに、俺が残していた写真立てが残っていればそれを思い出として欲しいとまりんは言う。



「今更、いうのは反則かもしれないけれど、あなたとの恋は穏やかで安らげたものだったから。今度、もしまた恋をするときの戒めとして。

だから、もしあの思い出があればと思って…。

それとも、もう残ってない?」

「ああ、残っているよ。あれが最後だった」

「最後?」

「ああ」



あれが最後の品だった。最後の未練だった。

あの写真立てが。まりんとの最後の思い出だった。

あれだけが、ずっと捨てられなかった。





「他は全部捨ててしまったから…。

あ、あがってくれ…。こっちにあるから…」

彼女を家にあげて、写真立てのある部屋へと案内する。久しぶりに女である彼女を家へとあげたのに、昔の様に傍にいるだけでドキドキと胸高鳴らせることはない。

そういえば、付き合っていた頃は、家に誘うのもドキドキしたっけな…なんてどうでもいいことを思い出す。

別れてから、まだ1年ほどしかたっていないのに。彼女の思い出は、もう駿で塗り替えられていた。



 リビングの戸棚の上。

目に入りやすいそこに写真立てはおいてあった。

彼女をリビングに通し、少し埃かぶっていた写真立てを手にする。



別れた当初は、何度も写真立てを眺めていた。

また写真立ての中に映る二人の様に戻れないかと、戻らない時間を嘆いていた。





「俺にとっても君と過ごした日々は、色々あったけど大事なものだったよ。綺麗な君に恋をして、付き合えたときはまるで夢の様に思えた。初めてキスをして、抱き合えたときは本当に嬉しくて…馬鹿みたいに君に恋してた」



初めての恋だった。

本当に彼女を好きだと思っていた。

けれど…。

写真立ての写真はもう、色あせて見える。

あの時のように輝いては見えない。

変わってしまったのだ。俺も、彼女も。駿も。

昔には戻れない。



「…もうあのころとは違う。

この写真を宝物のように思っていたあのころとは…。もう、とっくに終わっていたのに。終わりにしなきゃいけなかったのに。ダラダラして、出ていかれたんだ。もう思い出にしなくてはいけなかったのに…」

「仁」

「君に返すよ。写真立ても、思い出も、心も。もう俺には必要ないものだったから…。

君が俺に指輪を返したように。俺も遅くなったけど、君にこの写真立てを返すよ」



絶対に自分の手で捨てられない。

そう思っていたのに、それはあっさり彼女の手へと手渡せた。

彼女の手に写真立てが渡った瞬間、不思議なのだが肩の荷がおりたような気持ちになった。





 もうこの部屋にあの写真立てはいらない。

とっくにいらないものになっていた。

気付くのが遅すぎた。

こんなにあっさりと、捨てられたのに。

この手から離すことができたのに。

彼女の思い出とさよならできたのに。

ずっと未練がましく持っていて大事なものをなくすなんて…、ホント馬鹿である。





「ごめん…まりん」

「それは…なんのごめん…?」

「ごめん…」



あんなにも好きだった彼女が、目の前にいる。

でも…、クリスマスイヴ以前の様に沸き立つ気持ちもない。あんなにも好きだったのに、今脳裏にあるのは去ってしまった駿のことだけ。

魅力的なまりんが目の前にいても、それは変わることはない。

今は、もう彼女を前にしても何も思わない。

今はもう、俺の心の中に彼女はいない。

いつのまにか、彼女は消えていた。俺の心の中からは。跡形もなく。



「もう君を愛すことはない。絶対に。

友人として付き合っても、愛すことだけはない。どんなに一緒にいても。



昔は家族が欲しかった。俺の血の繋がった子供も欲しかった。

父親がずっと家に居なくて、母親はずっと働き尽くしで。安らげる家に憧れていたんだ。

なにもしなくても、そこにかえるだけで安心できるような、家庭に憧れていたんだ。



でも、今はそんな憧れ以上に大事なものがあるんだ。ずっと欲しかった物以上に、俺の中で大事なものが…





この間、はっきり言えなかった…

俺が優柔不断だったから。

でも、今なら言えるよ。

はっきりと、君とはもう、付き合えないと」



今なら、言える。どんなに彼女が縋っても、家庭を持たないかと言われても。

どんなに何かを言われても、きちんと断ることができる。

今は、何が一番大事か去られて気づいてしまったから。





「優柔不断な男でごめん。

付き合っていた時、俺も君に無理をさせていただろう。

自分の理想を君に押し付けて…なのに、俺は君と向き合ってこなかった。

俺は君に理想を押し付け、対等に扱ってやれなかった。

不満はダラダラと溜まっていたのに、君には口に出さずに、ずっと心の中にしまって…そういう鬱屈が君にはわかっていたんだろう?

だから、君は別の男を好きになった。君と一緒になって、悩んだり怒ったり苦しんだりしてくれる人を。

それをわからずに俺は去った君を恨んだ…」



恋に恋をしていたんだ。俺は。

彼女に恋をしていたんじゃなく。



勝手に自分の想いを彼女に押し付けていた。

自分の理想ばかりを押し付けて、約束に縋って、彼女自身を見ることはなかった。

勝手に理想の彼女を彼女に押し付けて、つきあった気になっていたんだ。





「俺は面白い話ひとつできない、女心もわからない朴念仁のようなつまらない男なのに、それでも君という高値の華を手にいれたことにより、必要以上に無理してた。

君がほかの誰かをみても何もいわず、去られてから、君を恨んだ。君が俺に飽きるのも仕方ない事だったのに」



「…恨まれても仕方ないわ。

それだけのことをしたんだもの



だから、この前貴方が私を許すと言ってくれて凄く嬉しかった。



たとえ、貴方がもう私を想ってなくても」



「…そうか…」



「ねぇ、仁…私…」





彼女は顔をあげ、俺をじっと見つめた。

が…しばらくして、ふ、と口を緩め何か諦めたような笑みを浮かべた。



「駄目か…やっぱり…」

「まりん…」

「ふられちゃったのね…私」



まりんはこうなるとわかっていたのか、ふられたというものの、落ち込んでいるそぶりはない。

きっと、わかっていたのだろう、彼女もこうなると。

再会して復縁しようと迫った時も、この結末になるとわかっていたのだと思う。





「今度こそ、終わりにしよう。有耶無耶に終わった付き合いに。今度こそ、さよならだ」



まりんを愛していた。欲しいと思っていた。けれど…。

今はその手をとれない。

彼女との写真立て。

それはもうこの部屋に欲しいとは思わない。欲しいのはたった1つ。

たった1つだけ。





「ごめん…。

あの指輪は渡せない。あの指輪は…。

好きな人に渡したから。

君じゃない、本当に好きな人ができたから…」



あの指輪は、もうまりんには返せない。

あの日、指輪とともに捨てられた俺を、拾い上げてくれたのは駿で、あの指輪は駿に身に着けてほしかった。

これから、ずっと…。

俺の元を離れていても。



「好きな人…か…」

「ああ」

「貴方の好きな人…なんとなくわかる気がするわ。

…駿でしょう…?」

尋ねているのに、確証をもったような言い方だった。



「なんで…わかるんだ?」



彼女の言葉に驚く俺に対し、彼女はあなたって鈍感ね、と呟く。





「わかるわ。

だって、あの子はずっと貴方の傍にいたがっていたんですもの。



だから、きっといつかあなたが駿といたら…駿に惹かれるのはわかってた」



まりんは、徐に写真立てに視線を移す。

もう戻らない写真の中の恋人たちに、彼女は少し目を細めた。



「貴方の優しさに私が少しでも答えていたら、今この結末は変わっていたのかしら」

「……」



まりんの言葉に少し考え込む。

まりんが少しでも俺のことを見てくれたら…。

俺はいま、彼女と一緒にいたのだろうか。

どうだろう。考えても答えは出ない。

どうなっていたかだなんて。

もう時間は進んでいて。

どんなに戻したいと思っても、すすんでしまった時間は元には戻らないから。

どんなに架空を言ってみたところで、過ぎ去った日々は戻ってこず、現実は粛々と動いているのだから。





「ねぇ、仁。

私、貴方のこと付き合っている時も先生ほどではなかったけれど、好きだったのよ。

最初は、駿が付きまとっていたから気にかけたけど。本当は…」

「…」



何も言わないでいる俺に、彼女は言葉を止めて、ふるふると首を左右に振る。

そして次の瞬間、にっこりと唇に綺麗な弧を描き、微笑んだ。





「もう負けね。私の負け」

「まけ?」

「特別に教えてあげる。

貴方が最初から最後まで一緒にいたいと思う相手を…。

貴方を独占し続けた私と駿の約束を…」



まりんはそういって、話を切り出した。







『――もう、大丈夫』

『もう、大丈夫だよ』



うなされる中、ずっと手を握ってくれたあの温かな手。

俺がまりんだと思って約束した相手が…、彼女ではなかったということを。

俺の唯一と思った相手は、ずっと、駿だったことを…。



あの時離せないと思った手は、今も同じように離せないと思っている駿だということを。
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