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9章
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嘘つき狐と、嘘つきな狼。
ある深い森に、嘘つきな狼が一匹おりました。
狼はとても獰猛で、残忍で、それからとても嘘つきでした。
嘘をついて、獲物をだましては、命乞いする獲物に対し慈悲の心などなくあっさりと殺します。
どんなに狼に泣いてすがったところで狼はそれに心を動かすことはなく、まるで狩りを楽しむかのようにその獲物を殺すのです。
怖がり泣き叫ぶ声は狼にとっては、心を震わせる音楽にすぎませんでした。
生きる為ではなく、時に遊び道具として、沢山の獲物を殺しました。
狼はいつも冷酷に笑って獲物にいいます。
「怖いのか?そうだよな。お前たちは弱いから。弱いから強い俺さまが怖いんだろう。
弱いから俺様を見てガタガタ震えるんだろう。可愛そうになぁ。弱くて可哀想だ」
狼は、誰よりも一番自分が強いと思っていました。誰よりも自分が偉くて、この世界に怖いものなんてないと思っておりました。
狼は常にこの森で1番でした。
だから、自分がこの森を支配する王様だと思っておりました。
「その点、俺は怖いものなんてない。
何一つない。俺は強いから、お前たちみたいにみっともなく泣くこともない」
狼に怖いものなどありませんでした。
だって、狼を脅かすものはなにもなかったのですから。
この森に狼にとって脅威と思うものは、なにひとつありませんでした。
狼に対し、何匹かの動物たちは取り入ろうと近づいたものもおりました。何匹かの動物たちは無謀にも襲い掛かったこともあります。
しかし、狼はそんな動物たちを一匹残らず殺しつくしました。
取り入ろうと媚びへつらう動物すらも、その言葉が信じられずに牙を向けてその身体を動けなくしてやりました。
狼はいつも一人でおり、いつも血に飢えておりました。
狼の周りには、ほとんど血の通った動物はおりませんでした。大体が殺した冷たい躯でした。
狼は今まで泣いたことがありませんでした。
悲しいと思ったこともなければ、苦しいと思ったこともありません。
だから、涙を流し泣く獲物が不思議でたまりませんでした。
弱いから獲物にされて殺される。
それは当然の事柄なのに、何故泣くのだろうと狼は泣きだす獲物に対し、いつも疑問を抱いておりました。
狼の中にある感情は常に楽しいだとか、面白いが大半で、悲しいや苦しいなどはありませんでした。狼自身、そんな感情がないことをなんら、不思議に思ったことはありませんでした。
自分は強いから悲しくもないし、辛くもない。
だから一番強いんだと、そう思っておりました。
狼が住む森には狼以上に強い動物はおりません。狼が一番強く、そして、大きな体をしており知恵もありました。狼は学習する力もあるので、非力な動物が目をつけられれば、たちまち彼の餌をなってしまいます。
どんなに泣き叫び、許しをこいたところで、それは狼には通じないのです。
森にすむものはそんな狼を怖がり、いつも怯えておりました。狼の姿が見えた時には、脱兎の勢いで逃げていきました。
そんなわけで、狼は物心つくときから、いつも一人でした。
いつもいつも一人でおりました。
暑い夏の日も、寒い冬の日も。
恋の季節の春の日も、木枯らしが吹き始め木々が紅葉し美しく彩られる秋も。
いつもいつもたった一人でした。
たった一人で何年も何年も過ごしておりました。
ある日、狼は1匹の狐に出会いました。
金色に輝くつやつやした光沢のある綺麗な毛並みの狐でした。
この森にいる他の狐のように、子ずるかしそうな顔をしておりましたが、瞳は独特の色をしておりました。
狐の瞳は吸い込まれるような深い藍色をしており、まるで綺麗な宝石のようでした。
あまり感情の灯らないその瞳は、光がなく生気がないようにみえ、瞳というよりかは石のようでした。
とても綺麗な瞳だったので、狼はたまらずに欲しいな、と思いました。
綺麗な深い蒼は見ていると、とても落ち着いた気分になったのです。
その深い蒼は森にある大きな湖のようで、見ていると心が洗われるようでした。
苛々とした誰かにあたりつけたい気持ちが、その瞳を見つめるとなくなった気がしたのです。
なので、狼は狐をさっさと殺し、瞳だけを抉ろうと考えました。
「おい、狐。お前を殺してお前の瞳を頂く」
狼は狐が逃げられない間合いまで詰めて、わざと、低い声で脅かすようにそういうと、狐の身体に覆いかぶさり首筋に牙をたてました。
狐は皮膚に食い込んだ牙の痛みで、一瞬顔をしかめたものの、いつも喰らう獲物の様にガタガタと怯える事はありませんでした。
それどころか狼の牙を受け入れるかのように身体の力を抜いて、狼に全てを委ねていました。
狼が身体に牙を食い込ませたのに、狐は震えることなく、その深い蒼い瞳でじっと狼を見つめるのです。
まるで心まで見透かすような瞳に、狼は一瞬たじろぎました。
怖いものなんてない狼なのに、その瞳に少し圧倒されてしまったのです。
「なんだ…。泣かないのか?
俺が怖くないのか…」
狼がそう尋ねると狐は、
「ええ、怖くありません」といいました。
「嘘をつけ、本当は怖いんだろう」
「いいえ、怖くないのです。私は貴方の事など怖くはありません」
あまりに気丈に狐がいうので、狼はむきになって言い返しました。
「俺様を怖がらない動物など、この森にはいないはずだ」
「でも、私は怖くはないのです…。森の中で嫌われ恐れられている貴方を。私はちっとも怖くはありません。今だって怖くないのです」
狐があまりにも飄々というものだから、狼はかっとしてその身体にまた牙をたてました。
それから激情のままに、狐の身体を痛めつけ、沢山血で染め上げました。
それでも、狐は狼のことを恐怖した様子はなく、泣き叫びもしなければ、命乞いすることもありませんでした。
それが、狼には面白くありませんでした。
「私を殺しはしないのですか?」
結局、痛めつけたものの、狼は狐を殺したりはしませんでした。
獲物に対し、狼は初めて殺してもつまらないと思ったのです。殺す興味が削がれてしまったのでしょうか。
血だらけの狐を見ても、興奮することもなければ殺したいと思いもしませんでした。
「泣き叫びもしない獲物をしとめても面白くない。
お前が俺を怖がるようになるまで、お前を殺しはしない。ずっと傍において、とことん怖がらせてやる。せいぜい、恐怖心と闘うんだな。いっそ、早く殺してほしいと願いながら」
狼はそう傲慢に笑い、狐の傷だらけの身体を舐め上げました。
狼は自分を怖くないという嘘をはく狐を生意気だと思い、一瞬で殺さずに長い時間をかけて怖がらせようと考えました。
長い時間をかけて、自分がどれだけ恐ろしい存在か狐に味あわせてやろうと思いました。
ここで殺して終わるのは惜しいと思ったのです。
それから、狐と狼の可笑しな生活が始まりました。
狼は必死に狐を怖がらせようと、沢山の嘘や森での評判を狐に聞かせました。
他の動物たちが聞けば、青ざめてガタガタと震えるだろうこと全て狐に話して聞かせてやりました。
逃げ出し、自分に背中を向けた瞬間にとびかかり喉を掻っ切ってやろうと考えていました。
「お前みたいな狐を俺は何匹も殺したことがある。殺されかけて殺してやった」
「みんな俺を前に震え、泣き叫び、怖がってきた。
まるで恐怖の大王の様に、俺の姿をみただけで、獲物たちはたちまちみっともないくらいに震えて逃げ出そうとした」
しかし、何を聞かせてもどんな言葉にも狐は飄々としておりました。
私は貴方を怖くないのですよ、と。
時に狼に優しく笑って見せるのです。
まるで包み込むような優しい笑みを、狼に見せるのでした。
狼はそれが不思議でたまりませんでした。
自分は怖い狼で恐ろしい存在なのに、目の前の狐は何日たっても狼を怖がらないからです。
それどころか、狼の隣から逃げ出すそぶりもありませんでした。
狐と一緒にいて、幾日かしたとき、思い切って狼は狐に尋ねました。
お前も俺と一緒で強いのか?と。
「いいえ、私は貴方と違いとても弱いのです」
「じゃぁ、何故俺を怖がらない?弱いなら何故怯えないんだ?」
「それは、私が貴方を怖いと思わないからです…。私は貴方とともにいても、ちっとも怖くありません。それどころか、貴方を可哀想だとすら、思います。
弱いものの気持ちもわからない貴方を」
「なに?」
狼は狐の可哀想の言葉にピンと耳をたてて、激昂しました。怖いといわれたことはあれど、可哀想など言われたことがなかったからです。
「何故、俺が可哀想なんだ…」
「だって、貴方は知らないから。
弱いものの気持ちも何故彼らが泣くかも、知らないだろうから。だから、可哀想だと思ったのです。
泣いたこともなければ、悲しいと思ったこともない貴方を、私は可哀想だと思ったのです。
それに、話を聞いていると、貴方はとてもさみしい人だから…」
「寂しい?なんだ、それは…」
一人ぼっちの狼は、寂しいという感情を知りません。知恵は誰よりもあるはずの狼でしたが、言葉は知っているもののその感情を正しく理解できなかったのです。
「きっと、貴方は知らないでしょう?他人のぬくもりを。貴方は知らないでしょう?大好きなものを残しなくしてしまう絶望を。
戻れない日々に絶望することを…。
私は知っている。知っているから、貴方が怖くないのです。
貴方は私が知る絶望よりも怖くない。ただ、寂しい方なだけで…」
そういって、狐は狼の手を取りました。
瞬間、狼はびくりと体を跳ねさせました。
自分から獲物に牙を向けたことは多々あれど、他人に触れられることなど、初めてだったのです。
「暖かいでしょう?これが、生きている手です。貴方が知らなかった温もりです…」
「ぬくもり?」
「狼さん、貴方は確かに賢い。この森一番といっていいほどに。
それでも貴方も知らない感情が、沢山沢山あるのです。この世界には。一人じゃわからない感情がたくさんたくさん、あるのです。
温もりも、そうです。
たった一人ではわからない。
他人の手の柔らかさも、与えられる温もりも。
二人でいて初めてわかることなのです。
貴方は誰よりも強く賢い。きっとこの森で誰よりも偉くて1番だ。
でも、本当は他人の温かみも知らない。優しさも愛しさも知らない。なにも知らない嘘つきな、ただの傲慢な王様だ」
狐の言葉に、狼の顔がくしゃりと歪みました。
しかし、狐は構わずに言葉をつづけます。
「私はそれを可哀想だと思うのです。
狼さん。
貴方は確かにたくさんの同胞を殺しましたが、貴方には他に誰もいなかった。
貴方を愛してくれる方は誰ひとりいなかった。
殺すしか自分を守るすべがなかった。
私はそんな貴方が、とても可愛そうに思うのです。
私を生かすというのなら、私は貴方にその感情を教えて差し上げます。貴方の隣で、貴方が理解するまで」
狐はそういって、狼の手を握って微笑み
「嘘つきな貴方に、私が愛を教えて差し上げます」
狼の口を舐め上げました。
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