槇村焔

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3章

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「胃袋を掴めば、恋心もゲットできるーなんて、あの恋愛スペシャリスト言ってたけど嘘っぱちだね。だって毎日作ってるのに、全然仁さん僕にラブラブになってないしさ」

グルグルとお玉をかき混ぜながら呟く。
仕事先から帰って、洗濯物を取り込んですぐに台所へ。
今日の夕ご飯はスープと、ハンバーグ。
スープは、野菜たっぷりの僕の自慢の一品だ。

 実家では、食事がないことも多かったから、自然と小さい頃から一人で自炊をしてきた。
ただ家を出たいという一心で飲食店のバイトをしてきたけれど、今ではやっていて良かったと思う。
仁さんに少しでも美味しい料理を振る舞えることができるのだから。

 仁さんがもし倒れなかったら、本当は僕は家を出て、今後いっさいこの町には戻らないつもりだったし、仁さんを想いながらも姿を現さなかったと思う。

この町は、僕を排除した人間が多くて、苦い思い出が多すぎるから。
居心地の悪いこの場所から逃げ出すつもりだった。
でも、結局、僕は僕が嫌いな街に居続けている。仁さんが、ここにいるから。


「…あつっ…、」

指先に強烈な熱さを感じ、急いで手を引っ込める。
少しぼぉっとしていたようだ。
作りかけのスープは火を消す勢いで、溢れていた。

急いで火を消して鍋に蓋をする。
幸い早めに気づいたので、中のスープはあまりこぼれずにすんだようだ。
良かった。
今夜の料理がパァにならなくて。

「はは…、ドジだなぁ…」
「まったくだ…」
「…っ」

背後にかかる予期せぬ、声。
ばっと振り返ると、そこには相変わらずちょっと不機嫌そうな顔をした仁さんがいた。
壁に寄りかかりながら、腕を組んで僕を見ている。
突然の登場に混乱し、言葉がすぐに出てこない。

「えっと、たまには天才料理人の僕もミスすることはあるんですよ…。
お、おかえりなさい…、仁さん」
「……」

ただいま。その言葉は、ない。
いつものこと。
でも…

「出張、お疲れ様。
今日は、早いんだね、まだ6時だよ」

いつもより、仁さんの帰宅が早かった。
仁さんは僕がここに居着いてから、そんなに早く帰宅することはなかったと思う。

僕に会う時間を減らしたいのか、帰ってくるのは12時とか、そんな真夜中だった。
こんな早めの日が落ちたばかりの帰宅なんて今までなかった。
具合でも悪い?
そう思って、顔を覗けば、仁さんの顔色は悪くなかった。
ちょっとむすっとしているから、機嫌は良くないかもだけど。

「…たまたま…早めに帰って来れたんだ」
「そう…なんだ」
「そうだ…別にお前のためじゃない…。たまたま、だ…」

たまたまでもこうして帰ってきてくれたことが嬉しい。
こんな時間に帰ってきてくれたって事は、少しでも長く仁さんといられるから。
一緒にいられるだけで、イイ、なんて僕って乙女だなぁ。
じわじわと、笑みが顔に広がる。
きっと、いま、変な顔してる。うわわわーって叫んで床をごろごろ転がりたい気分である。
仁さんの顔がまともに見れない。


「えっと、あの、ごはん、まだできてないんだ。
出来上がるまでビール飲んでる?それともお風呂、入る?お風呂はもう沸かしてるんだ」

仁さんの顔をみないよう背をむけて早口でまくし立てた。

「風呂にする」
「わかった。じゃあ、上がる頃に冷えたビール出しとくね…」
「…ああ」
言葉を返すけど、いつまでたっても立ち去る気配がない

「仁さん…?」
おかしいな、と思って振り向けば。
仁さんは、寄りかかっていた壁から、僕の近くまで距離をつめていた。

「駿」
「あ…」

火傷した右手をとられた。
今まで、仁さんは頑なに僕に触れてこなかったのに。
突然のことに気持ち悪いくらい、ドキドキと胸が早鐘のように鳴った。

ただ手をとられただけ、なのに。
もっとすごいこと、仁さんとやったのに。
仁さんから触れられただけで、こんなにも動揺する自分がいる。


「手、火傷兵器か」
「だ、大丈夫。すぐ冷やしたから」
「…大人になっても、ドジは治らないんだな」
「う、うん…」
「きちんと冷やせよ、傷残ったら嫌だろ」

うん。そんな簡単な返答もすぐに返せない。
喧嘩腰に詰る言葉にはすぐにキャンキャンと言葉を返せるのに。こんな言葉ひとつで、仁さんは僕を動揺させる。

 仁さんは、硬直する僕を残したまま風呂場へと向かった。

仁さんが立ち去っても、ぐるぐると仁さんの言葉が頭を駆け巡る。

冷やしとけよ、なんて…。
心配してくれているみたいだ。あんなに邪見にしていたのに。めんどくさそうに小うるさい僕に言うか、怒ってばかりの顔をしていたのに。

 昔は、ドジばかりする僕をみてよく心配してくれたけど、いまの僕はあのときと違う
ドジばかりして泣いている僕じゃない。
仁さんのあとばかりを追っていた僕じゃないんだ…
仁さんにとって意地の悪いことばかり言っている。こうるさくきゃんきゃんと噛みついてしまっている。
ただ慕っていた子供のような僕とは違う。
今の僕は悪魔だから。


「いまの僕は…、あの頃とは違うから」
呟いて、あの純粋に慕っていた頃には戻れないんだ…と思い直す。

ただ、仁さんを慕っていたあの頃。
仁さんが実のお兄ちゃんみたいで、追いかけていたあの頃。

もうあの頃とは、違う。
僕も仁さんも。
あの頃と違って、大人になってしまった。

純粋に、慕うということさえも難しくなってしまった。
じんさん、凄いね、じんさん、勉強教えて。じんさん、ずっと一緒にいてくれる?
子供の頃に無邪気にいえた言葉も、今は絶対にいえない。


「これ以上…、好きにならせないで…くださいよ…」
そっと、右手人差し指につけた仁さんの指輪にキスをする。
呟いた言葉は、仁さんに聞かれることもなく、静かに部屋に落ちた。



「あ、仁さん、あがった!?
はい、ビール! 置いておくね!」
お風呂上がった仁さんに、先程の宣言通り冷えたビールをテーブルにだす。グラスも冷やしているし、おつまみも用意済みだ。
手際よくテーブルにおいて、夕飯もセッティングする。仁さんに動揺を見抜かれないよう、いつも以上にニコニコと笑みを浮かべて料理を用意する。


 仁さんは無言でテーブルについた。
肩にはタオルをかけていて、髪はまだちょっと濡れている。濡れた黒髪はいつもより長めにみえて、ちょっとセクシーだ。
ワシワシ、と髪をかき混ぜながら、リモコンを手にパチパチ、とチャンネルを回していた。


「えっと…、今日野球ないんだけど…」
「そうか…」
 野球好きで縦縞ユニフォーム球団のファンの仁さんは、少しつまらなそうな顔でテレビの電源をきった。
途端シン、と静まり返る室内。
バラエティなどごちゃごちゃと五月蝿いものは仁さんは好んで見ない。
野球やニュースがないときはいつもテレビを切っていて無音だ。

こんなときは、いつも僕だけが、喋ることになる。

「今日はハンバーグとスープにしてみたんだ…あ、この野菜スープはもちろん、僕の自慢の一品です!
ハンバーグもこねたし…。それから」
「手は…」

不意に、黙っていた仁さんが視線をあげた。

「ちゃんと冷やしたのか?」
いつもと違う、仁さんからの問いかけにまたも、反応が遅れる。

「駿」
「ひ、冷やしたよ…」
「見せてみろ…」

やけどした手をとられる。
幸い、すぐに水につけたから、酷いやけどにもならず少し赤みかかっているだけだった。

「平気だってば…」
そういうのに、仁さんは手を離してくれない。
僕の差し出した手をとりながら、親指で僕の指輪をひとなで撫でして。
恥ずかしすぎて、僕は自分の背中に手を隠した。

「ちゃんと…冷やしたし…。
やけどくらい平気だよ…」
「…」
「それより、早く食べてよ!今日のは自信作だから…!あ、もちろんいつも自信作だけど…!今日はとくに!」

取り繕うように、夕飯を食べてもらうよう促した。
 仁さんはしばらく無言でいたが、僕が夕飯に手をつけているのをみて、箸をとった。

 いつも、仁さんが最初の一口を口にするときはつい、口元に視線がいってしまう。
小動物がちゃんと餌を食べているか確認する子供のように、じっと口元に運ばれるまでみいってしまう。

「あ…」

バチリ、と見つめていた視線があってしまった。

「あ、の…、美味しい…ですか…?」
緊張して、敬語混じりに尋ねる。

「あぁ…、旨いよ」
「ほ、ホント…」
「嘘いってどうする…」

ぶっきらぼうに仁さんは呟く。

「じゃあ、ホントのホントに美味しい?」
「あぁ」
「ホントーに?」
「あぁ。」
「ホントのホントー?」
「あぁ…だから何度も」
「良かったぁ」

ほにゃり、と、顔が崩れる。

「仁さんに、美味しいって貰えて…良かった。
初めて…、美味しいって…言ってくれたから…」

この1ヶ月。
仁さんは食卓についてくれるものの、いつもむすっとしながらご飯を食べていたから。
いつも無言で食べてくれるけど何考えているかわからなかったから。
仁さんの口に合わないのかな…って、毎日がむしゃらに品数変えて、味も変えたりしてみた。
栄養バランスがいいものを食べてほしい、なんて思っても結局は独りよがりだったから…不安だった。
仁さんの口に合わないものを無理に食べさせているんじゃないかって。

「美味しいって、言ってくれて、ありがとう」
「……」
「これからも、頑張るね…」

嬉しくて微笑めば、仁さんは息を呑んだ。
「仁さん…?」
「…どうして…」
「?」
「どうして、お前はーー」

小さく呟かれた言葉。
それ以上、仁さんはなにも言わず、ただ何かを考えるように黙って夕飯を口にしていた。

数分後。
仁さんは夕飯を綺麗に食べ終わり、席をたつ。
部屋に戻るんだろう。
いつもだったら、僕の顔も見たくないからすぐに夕飯が終われば部屋へと戻る。
僕といれば、またお小言でも言われるから…と逃げるように部屋に帰るのがいつもの日常で。
でも、今日は違った。

「駿」
席からたって僕の名を呼ぶ。僕の顔をみずに。

「なに…」
「ごちそうさま…」

たった一言。
仁さんは僕にいい、部屋へと戻っていった。

「ごちそう…さま」

初めてもらった言葉を復唱する。
綺麗に食べられた皿の上。
少し戸惑ったように、仁さんの口からでた言葉。

「初めて…だ…」
ごちそうさま、も美味しいの言葉も。
初めてもらった。

「ありがと…」
こぼれ落ちていった言葉を、きっと仁さんは知らない。

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