槇村焔

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3章

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『私は、あんたが嫌いなの。いつもウジウジした目でこっち見て。気持ち悪いのよ』

可愛いと世間で言われているまりんの顔が醜く歪む。
ヒステリックに、気持ち悪いと叫びながら、そこらへんにあったモノを投げつける。
無垢な天使と言われる顔が、般若のようにおそろしかった。

『気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い』

気持ち悪いと吐き捨てながら。
彼女は叫び続ける。

『どこかへ行ってよ、私が見えない場所へ。どうしてここにいるの?どうして、生まれてきたの。
どうして、貴方はーーー』

どうして生まれてきたの?なんて、僕だってわからない。
僕だって、できるならまりんのように綺麗に生まれたかった。
誰か一人に愛されたかった。
誰かひとりでいいから、ずっと傍にいてくれるような、そんな愛が欲しかった。


『気持ち悪い』

まりんに対する僕の対応は、〝無関心〟が多かった。
両親と違い、僕を除け者にはしない。
ただ何もない。僕を無として扱っていた。
関心がないのだ。僕という弟がいたとて、彼女の目にははいらない。

ただ、たまに何度か…まりんは癇癪を起こすことがあって僕を罵倒したことはあったけれど。
基本的には無視と無関心だった。

 両親も、周りも、そして仁さんの愛さえも持っているまりん。
人を振り回すだけ振り回すまりんは、悪魔みたいな女だ。
まりんのようには、なりたくなかった。
自分勝手な人を振り回すような人間にはなりたくなかった。

でも、僕は大嫌いなまりんの代わりに仁さんの傍にいる。
好きだよ。
その言葉も言えないままに。
まりんのように、振り回している。
僕も、まりんのように本当は悪魔なのかもしれない。
仁さんが欲しいからと、どんどん落ちていく悪魔。
身勝手で自分勝手な悪魔なんだ。

『貴方、男が好きなのね…?』
『―いいわ、約束してあげる。その代わり…』

まりんとの約束とある約束をした。
仁さんは知らない、僕とまりんの約束。


―貴方が笑ってくれるなら
その約束さえ、黙って受け入れられた。
貴方が笑ってくれるなら、
悪魔になることでさえ、正しいものだと思えた。



 心地よいまどろみの中、目を覚ます。
眠気眼のままに、テレビをつけると、最近はまっている恋愛バラエティと同じ局の朝ニュースがやっていた。
今日もお天気おねえさんがブラウン管越しに笑顔を振りまいていた。
お姉さん、スキャンダルが出たばかりなのに今日も笑顔だな…とそんな下世話なことをぼんやりと思う。
しっかりとした覚醒もままならないまま、珈琲を飲もうと習慣的にポットの電源を押す。

 仁さんの家に無理やり居候するかたちで押しかけて一ヶ月が過ぎた。
僕と仁さんの仲は、相変わらず。
追い出されないだけましなのかもしれないけれど、あまり僕が家にいることを良しとは思っていないようだった。
いつもむっすりとしている。
ニコリともしてくれない。会えば喧嘩ばかり。
仁さんから、僕に話しかけたことなんてないだろう。

 いつも不機嫌そうな仏頂面をしていた。
時折、困ったように顔をよせて、モノ言いたげに僕を見ていた。

 ただでさえ、口数少ない仁さんなのに僕が脅すかたちでここに来てからはあまり世間話もしてくれなくなった。家の中では不機嫌さを隠さず僕に接する。
同棲したばかりのときは無視ばかりだったけど、ここ最近は口喧嘩が多いかもしれない。


『まりんには手を出すな…。別に、まりんの幸せなんて願っての事じゃない。俺はそんなお人よしじゃない。もうあんな女なんてーー好きじゃない。あるのは捨てられた恨みだけだ』

あるとき、早くまりんのことを忘れろという僕に仁さんは、顔を歪め言ったことがある。
もう自分はまりんなんか興味ない…そう吐き捨てるように。

『嘘つき。ちゃんと顔見て言ってる?』
その虚勢は僕から見ればバレバレで。

『仁さんはさ、まだグダグダ思ってるんだよ…恨んでる、憎んでる…なんていって、まりんが頭を低くして可愛く謝ればきっとすぐ赦しちゃうんだよ。

指輪を捨てたってそう。きっとまた新しいの買っちゃうんだ。
古い傷を見ないふりして、新しい傷をつけるんだよ。
その証拠に、仁さんは指輪以外、なにも捨てられないじゃないか』

修復しない傷をそのままにして、大丈夫だと嘘を付く。
休むこともせず、自分を傷つけることを望んで。
確かに、その眼はまりんと別れ、まりんを溺愛するだけの瞳だけではなくなった。
そこにほの暗い感情が混じることがあって、そんなとき、仁さんはイライラと煙草を吸ったりものにあたることが多かった。

もう傍にいないから憎むことで、まりんに自分から縛られているようだった。
彼女を愛しつづけているのも嫌だけど、憎んで思い続けるのも嫌だった。
仁さんを必要としない彼女には、仁さんの心の一片だってやりたくなかった。


『それに、まりんは…僕の〝大好きなもの〟奪ったから…、
仁さんといるのは、まりんから返して貰うためだよ』
『大好きなモノ?』

それは、貴方の笑顔だよ。だけどその言葉は言ってあげない。
彼の笑顔が戻った時、その時初めて告げられる気がする。
仁さんの笑顔が戻った時、それが僕が仁さんから去る時だと決めているんだ。



 僕をまりんの代わりにして抱けとは言ったけれど、ここ1ヶ月仁さんは僕に指一本触れていなかった。
仁さんはまりんしか見えていなかったし、元々生真面目だから僕を性欲処理にすることすら嫌悪感湧いちゃうんだろう。

僕もあれ以来仁さんを襲うような真似していない。身の回りの世話をするだけだった。

 仁さんは不可抗力であれ、僕を抱いたとき後悔していた。
僕がどんなにいいといったって、気軽に寝るなんて考えられないんだろう。
仁さんって真面目だから。
真面目だから、必要以上に考えてしまうんだ。

もうまりんに愛はないといいながら、憎んでるっていいながら、愛し続けている。


『まりんには、手を出すな…』
そういって、仁さんはよく僕を牽制した。
僕がまりんに何かするなんて、絶対ありえないことなんだけどね。

一応まりんは女だけど、あれほどしたたかな女もいないだろう。彼女にかかれば、彼女の親衛隊のような周りの人間が僕を返り討ちにすることなんてたやすい事だろう。それに、僕にまりんがなにかすることがあるというなら、狙われるのは仁さんだ。
まりんは、僕が一番仁さんのことで傷つくことを知っているから…。


本当は僕はまりんなんかに手を出すことなんてできない。
でも、仁さんに言ったところで信じてくれないだろう。
仁さんにとってまりんはか弱い愛しい女で、僕はそんなまりんを嫌っている嫌な弟なんだから。


 最初仁さんは用意したご飯も食べてくれなかった。食材を何日も無駄にした。

「僕の料理食べないなんて損だよ、仁さん。お客さんに絶賛された天才料理人なんだから…。騙されたと思って食べてみてよ。ね」

しかし僕が寝ずに仁さんが食事をとってくれるまで待っていれば、流石の仁さんも1週間ほどで根負けし、一緒に夕飯をとってくれるようになった。

夕飯だけじゃなく、朝ごはんも仕事前にとってくれる。
 

家に帰って、用意された食事をして、くだらない口喧嘩して、怒って怒鳴り合って、また仕事へ行く。
そんな毎日の繰り返し。
そんな繰り返しが、なにより幸せだった。


 僕が仁さんの健康管理も行っているせいか、仁さんが同居後倒れるということはなくなった。
眠れないことはあるみたいだけど、きちんと食事をさせているし、できるだけ夜遊びをしないよう、言いくるめた。

僕がいることで、仁さんが少しずつ健康な状態に戻ってきている。
仁さんに邪見にされようと、仁さんは少しずつ回復している。
それだけで、この押しかけるように仁さんの家にいついて良かったなと思った。

昔、今と同じように仁さんが倒れた時がある。
仁さんの母親が死んでしまい、倒れたとき。
その時は今以上にふさぎ込み、仁は気落ちしてなかなか元気にはならなかった。

仁さんが本当につらかったとき。
あの時は傍にいられなかった。本当はあのときも傍によって、「大丈夫だよ」って支えたかったのに。あの時の僕は、弱くてそれができなかった。実行するだけの力も行動力もなかった。


でも…今はあのときとは違う。
あの時は近くで支えることができなかったけれど、今は仁さんの傍にいる事ができる。
どうしようもない生活を続ける仁さんを叱り、見守り支える事ができるのだ。

『行動すれば、良かったな…。あの時も…』
あの時、仁さんが辛かった時期にもう少し隣にいることができたら…ここまでまりんを思うことはなかったかな。僕のまりんの忠告を少しは聞き入れてくれたかな…。

 いや、無理かな。
仁さんは、病気が治ると寂しさを埋めるようにまりんばかり追いかけていたから。

 まりんに手を出すよ…なんて脅して、密かに仁さんを支えてる。仁さんにとって、こんな僕はどう映るんだろう

 この居候生活は、僕の自己満足。
今の状態が、まるで砂でできた海辺のお城のようにとても脆い状態だと理解していた。
まりんという波がくれば、あっというまに築いたものは崩れるだろう。綺麗に綺麗に長い時間かけて作った僕が夢見るお城は、まりんという高波がくれば一瞬で崩れてなくなってしまう。
そんな脆い関係なのだ。

しおらしくまりんが謝れば、険しく寄せていた眉は困ったはの字になって、きっとまりんをそのまま抱きしめるのだ。
今はどんなにまりんを愛していないと言っても、仁さんの部屋は、まだまりんが居た頃から時が進んでいないんだから。

〝まりん〟の気まぐれでこの生活はあっという間に壊れる。

 願わくば、まりんの気まぐれがずっと続きますようにと願うだけだ。
まりんとその子供と、まりんの相手との幸せが続きますように、って。

「…子供…か…」
ふと呟いて、お腹に手を充てる。
ふたなり、だから子供ができない訳でもないらしい。
でも、普通の女の人よりも生殖機能としてはとても弱いようだ。
女のようになりたいわけではない。
僕はふたなりだけれど精神的に男なのだから。
でも…


「…もし、僕が仁さんの子できたら…仁さんはなんていうかな…」

まりんを想ったまま、父親になってくれる?
それとも、おろせなんて言う?いや、仁さんだったら、おろせなんて絶対言わないよね…。

そんなこと言える仁さんじゃない。
まりんがもし相手と一緒にならなかったら、腹の子は違っても一緒に育てそうだったし…きっとお腹の子供が自分の子供じゃなくても、子育てしていいパパになると思う。

あわあわと慌てながら子育てをする仁さんを妄想し、つい笑みを浮かべてしまう。
もし、仁さんが。
万が一、仁さんと僕の子供ができたら、どれだけ溺愛するだろうって。
妄想するだけでも、楽しい。
しかし、視線の先、穏やかに微笑む仁さんと、甘えるように腕を組んでいたまりんの写真立てが目に入り、楽しく妄想していた気持ちがぐっしゃりとくだけだ。
穏やかに、幸せそうに笑う仁さんと、そんな仁さんに甘えるように腕を組み離さないまりん。

これが、普通の幸せなんだ…と思ったら、胸がずきずきと痛んだ。

幸福なんて、とっくのとうに諦めているつもりなのに。


鏡に映る自分は、まりんのように愛らしくもない。
可愛い言葉のひとつもはけなければ、甘えることもできない。
ただ仁さんに小うるさくつきまとっているだけ…。全然、釣り合うこともない。

 暗くおちそうな思考に首を振り、立ち上がる。
いつまでも、ぐだぐだしていられない。
こんなことでくよくよしていられない。

「やるぞーおー」
はたきを持って、自分にかつを入れる為に拳を握り大きな声を出し自分に喝をいれた



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