上 下
8 / 35

8. ラッセラード男爵家 余話

しおりを挟む

「何だ気持ち悪いな……」
 応接室へ戻った私は兄のそんな言葉に表情を戻した。知らず緩んでいた頬に手を当て、気を抜けばまたにやけそうになる顔を引き締める。
「それほどに……」
 呆れるように息を吐く兄に肩を竦めてみせた。

「はい、ぞっこんなのです。兄上、承諾して下さりありがとうございます」
 にこにこと笑うと兄は眉間を揉んだ。

「神殿勤めも階位が上がれば権力となる。信心など持ち合わせていないお前には無理だと思っていたからな、私は素直に喜んだんだ。それなのに良縁を紹介しても必要無いの一点張りで……遣いに出したフェンリーが腹を抱えて笑っていたぞ。お前の恋に浮かされた馬鹿面が見られたと」

「……ほお」
 甥の台詞を心に留め置いていると兄が首を振った。
「間違いではあるまいよ。詳しく聞いて別れさせようとした私は親切心の塊だろう。まさか人妻にうつつを抜かすなど」
 腕を組んで溜息を吐く兄に渋面を作る。
「付き合ってはおりませんでしたよ」
「……待て、何故残念そうに言うのだ。何かあったら、お前も夫人も、ただでは済まなかったんだぞ」

 まあそうではあるが……
 それでも何度も早まりそうになるのを思い留まった。彼女の方はそれどころではなかったから、こちらの気持ちなんて知る由も無かっただろうし、それをもどかしく感じもしたけれど。だがそんな事より、

「兄上、レキシーはもう夫人ではありません」
「……」
 表情を無くす兄の反応を諾と受け取り、淹れ直されたお茶に手を伸ばす。
 神職も階位が上がれば所作もはったりとなる。
 この辺も手を抜かないよう心掛けて来ていたので、貴族との対面に臆する事も無くなった。だからこんな一言も付け加えておく。

「邪魔しないで下さいね」
「……せんよ」
 おやと思う。
 この兄は男爵家の繁栄を望んでいる。その為に利用出来るものは何でも使いたいだろうに。高位の神職なら嫁ぎたいと思う貴族令嬢はやぶさかではないのだが……

「フェンリーの話ではいまいち分かりにくかったが、お前の意思が固い事は認めよう。無粋な真似はしないと誓う」
「そうなんですか……」
 また何を言われるかと覚悟していた分、拍子抜けした。兄が男爵家の為に心血を注いでいる事を良く知っているから。

「お前が神官にまでなった事が、それほど僥倖だったという事だ」
「……」

 神殿の力は流動的なところもあるが、その歴史は古く、既に民から切り離す事は不可能だ。人から神を取り上げる事ができないのと同義でもある。
 特に今の王族は信心深い者が多いので、ある意味王家の後ろ盾を得ている状態だ。

 今のセセラナ教の力は強い。
 けれど兄は神官として成り立つ私がラッセラード家の縁戚であるだけで良しとしたようだ。
「ありがとうございます、兄上」
 機嫌よく礼を言えば兄の方は何だか読みにくい表情をしているけれど。

「……その努力をレキシー殿の為に積み重ねたと言われれば、頷かざるを得ないというだけだ。……会った印象も悪く無かった」

 ──そもそも一部でも金が返ってくる事に驚いた。察するに差し出せる額ほぼ全額を提示されたように思う。
 誠意も悪くない。そんな人物であるなら今後、我が家に従順であるだろうという目論見もある。というのが男爵の心情だ。

「いいですか、兄上」
 そんな兄の内心をあっさりと見抜いたイーライはにっこりと告げる。
「レキシーが従順であるのは、私に対してだけでよいのです。ラッセラード家に従うよう言い含めるつもりはありません」

「……そうか」
 何だか遠い物でも見るような眼差しで兄は続ける。
「お前、その本心だか本性だかは、無事結婚式が終わるまで隠しておいた方がいいぞ。……レキシー殿に逃げられても知らんからな」

 ここまできてそんな失態をするなら、とても自分を許せたものでは無いが……
「ご助言頂きありがとうございます、兄上。仰せの通りレキシーを困らせない距離感を保つ事にします。それにいい加減、私の気持ちも伝えなければ……」

 馬鹿な家族のせいで、また機会を逃してしまった。レキシーは暫くフェンリーの婚約者を探すので忙しいだろうし、このタイミングでは追いつめ、最悪断られてしまうかもしれない。

 ぶつぶつ呟き出した弟に微妙な顔を向け。男爵は、そうかと言って頷いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

聖女は友人に任せて、出戻りの私は新しい生活を始めます

あみにあ
恋愛
私の婚約者は第二王子のクリストファー。 腐れ縁で恋愛感情なんてないのに、両親に勝手に決められたの。 お互い納得できなくて、婚約破棄できる方法を探してた。 うんうんと頭を悩ませた結果、 この世界に稀にやってくる異世界の聖女を呼び出す事だった。 聖女がやってくるのは不定期で、こちらから召喚させた例はない。 だけど私は婚約が決まったあの日から探し続けてようやく見つけた。 早速呼び出してみようと聖堂へいったら、なんと私が異世界へ生まれ変わってしまったのだった。 表紙イラスト:San+様(Twitterアカウント@San_plus_) ――――――――――――――――――――――――― ※以前投稿しておりました[聖女の私と異世界の聖女様]の連載版となります。 ※連載版を投稿するにあたり、アルファポリス様の規約に従い、短編は削除しておりますのでご了承下さい。 ※基本21時更新(50話完結)

男と女の初夜

緑谷めい
恋愛
 キクナー王国との戦にあっさり敗れたコヅクーエ王国。  終戦条約の約款により、コヅクーエ王国の王女クリスティーヌは、"高圧的で粗暴"という評判のキクナー王国の国王フェリクスに嫁ぐこととなった。  しかし、クリスティーヌもまた”傲慢で我が儘”と噂される王女であった――

【完結】指輪はまるで首輪のよう〜夫ではない男の子供を身籠もってしまいました〜

ひかり芽衣
恋愛
男爵令嬢のソフィアは、父親の命令で伯爵家へ嫁ぐこととなった。 父親からは高位貴族との繋がりを作る道具、嫁ぎ先の義母からは子供を産む道具、夫からは性欲処理の道具…… とにかく道具としか思われていない結婚にソフィアは絶望を抱くも、亡き母との約束を果たすために嫁ぐ覚悟を決める。 しかし最後のわがままで、ソフィアは嫁入りまでの2週間を家出することにする。 そして偶然知り合ったジャックに初恋をし、夢のように幸せな2週間を過ごしたのだった...... その幸せな思い出を胸に嫁いだソフィアだったが、ニヶ月後に妊娠が発覚する。 夫ジェームズとジャック、どちらの子かわからないままソフィアは出産するも、産まれて来た子はジャックと同じ珍しい赤い瞳の色をしていた。 そしてソフィアは、意外なところでジャックと再会を果たすのだった……ーーー ソフィアと息子の人生、ソフィアとジャックの恋はいったいどうなるのか……!? ※毎朝6時更新 ※毎日投稿&完結目指して頑張りますので、よろしくお願いします^ ^ ※2024.1.31完結

絶対に離縁しません!

緑谷めい
恋愛
 伯爵夫人マリー(20歳)は、自邸の一室で夫ファビアン(25歳)、そして夫の愛人ロジーヌ(30歳)と対峙していた。 「マリー、すまない。私と離縁してくれ」 「はぁ?」  夫からの唐突な求めに、マリーは驚いた。  夫に愛人がいることは知っていたが、相手のロジーヌが30歳の未亡人だと分かっていたので「アンタ、遊びなはれ。ワインも飲みなはれ」と余裕をぶっこいていたマリー。まさか自分が離縁を迫られることになるとは……。 ※ 元鞘モノです。苦手な方は回避してください。全7話完結予定。

悪役令嬢に転生したら病気で寝たきりだった⁉︎完治したあとは、婚約者と一緒に村を復興します!

Y.Itoda
恋愛
目を覚ましたら、悪役令嬢だった。 転生前も寝たきりだったのに。 次から次へと聞かされる、かつての自分が犯した数々の悪事。受け止めきれなかった。 でも、そんなセリーナを見捨てなかった婚約者ライオネル。 何でも治癒できるという、魔法を探しに海底遺跡へと。 病気を克服した後は、二人で街の復興に尽力する。 過去を克服し、二人の行く末は? ハッピーエンド、結婚へ!

どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~

涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

夏菜しの
恋愛
 幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。  彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。  そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。  彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。  いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。  のらりくらりと躱すがもう限界。  いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。  彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。  これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?  エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

どうして別れるのかと聞かれても。お気の毒な旦那さま、まさかとは思いますが、あなたのようなクズが女性に愛されると信じていらっしゃるのですか?

石河 翠
恋愛
主人公のモニカは、既婚者にばかり声をかけるはしたない女性として有名だ。愛人稼業をしているだとか、天然の毒婦だとか、聞こえてくるのは下品な噂ばかり。社交界での評判も地に落ちている。 ある日モニカは、溺愛のあまり茶会や夜会に妻を一切参加させないことで有名な愛妻家の男性に声をかける。おしどり夫婦の愛の巣に押しかけたモニカは、そこで虐げられている女性を発見する。 彼女が愛妻家として評判の男性の奥方だと気がついたモニカは、彼女を毎日お茶に誘うようになり……。 八方塞がりな状況で抵抗する力を失っていた孤独なヒロインと、彼女に手を差し伸べ広い世界に連れ出したしたたかな年下ヒーローのお話。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID24694748)をお借りしています。

処理中です...