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番外編 五百年前の話
14. 舞踏会
しおりを挟むエトス公爵家の家紋入りの馬車は優先して通される。
煌びやかな王家の舞踏会。
それ以外にも毎日出仕し、ここで戦ってきた。
ギラつく野望と浅ましい欲望に塗れたこの場所で……
「アシュトン、久しぶりだな」
「はいテリオット国王陛下」
息子と二人頭を下げ、臣下の礼を取る。
「ふむ、本当に爵位を譲るのだなあ……私がまだ現役なのだ。お前もまだまだ若いだろうに」
兄はあの時の父の歳を越え、けれど未だ若々しい姿を維持する様は血筋だろうか。前王と違わぬ美丈夫っぷりは未だ妙齢の令嬢から熱い視線を向けられている。
「有難いお言葉ですが、私はもう充分働きましたので」
「そうか、残念だ。……シリルと言ったか。父に代わり私と王国の為に尽くし役目を果たせ」
「は、仰せのままに」
そう答えるシリルに甘い声が降ってきた。
「ねえ陛下、シリル様っておいくつですの?」
隣で身体をくねらせる寵姫の髪を撫で、テリオットは相好を崩す。
「お前より二歳程上だったか」
「まあ、私の甥っ子になるのに歳上なのね! 不思議だわあ!」
そんな発言の娘を許し、テリオットはだらけた顔をしている。周りは冷や汗を掻いているのにも気付かないようだ。
あれから兄は五人の寵姫を召し上げた。
国内の混乱に乗じ、差し出された娘を欲しいままに受け取った。
今一番のお気に入りはこの十六歳の少女らしい。
この兄に好みがこういう女だと、臣下には知れ渡っており、メイドや侍女の手配にもいちいち気を使ったものだった。
それでもこちらの隙をついて送り込んでくるのだから、辟易とする。
公にしていないところで関係を持った相手は更にいるのだから余計にそう思う。
何故一人を愛せないのだろう。
愛らしい花に酔いしれる兄に代わり、執政の多くを担っているのは王妃である。
彼女は前宰相である侯爵の娘であり、自身もまた父のように己の立場を見出し振る舞う事に長けていた。
しかしそんな彼女に兄が関心を示す事は無く、二人はなかなか子に恵まれなかった。
この国で王位継承権が与えられるの正妃と側妃が産んだ子のみ。そして寵姫となるには子が成せない処置が義務付けられる。だが兄は利権の絡みそうな女には興味を示さず、結局あれ以来側妃を持つ事に同意をしなかった。
しかしこのままでは寵姫に産ませよと言う声も上がるだろう。
仕方なく寵姫制度を廃すると半ば兄を脅し、ようやっと正妃との間に後継に恵まれた。その後二人が心を通わす事は無かったが、政略結婚なのだから折り合いがつかぬ場面もあるだろうと諦めた。
本当は正妃を大事にして欲しかったが、兄は自分が気に入った者しか視界に入れない。
王妃の優秀さを、可愛げがないとしか見られなかった兄には無理な話だったようだ。
結局彼女も密かに愛人を囲い出したので、そっちにも後継問題で注意を払う必要が出てしまった。
避妊薬の精製に、最も大変だったのが後継の遺伝子検査。
これはかなり難航したものの、他国の技術を取り入れ改良を重ね、高い精度の結果を齎すようにまで漕ぎ着けた。
おかげで我が国の医療水準は爆上がりである。
血筋が守られても、王家の信頼は地に落ちそうな状態だったが、だからこそアシュトンが動きやすい状況でもあった。
──そんな呆れるような情け無いような王家の実情を息子に渡す事が気恥ずかしく、申し訳ない気持ちになる。
隣を見れば冷ややかない眼差しをした息子が国王と寵姫を眺めていた。その少し離れた場所には王妃と彼女の手を握る騎士。
そっと溜息を吐く。
ここの仕事は誰かの尻拭いばかりだ。
けれど誰かがやらねばならない。
……二十年前のあの時、兄が王になる流れは止められなかった。
我が国では第一王子が王位を継ぐ。
この順位を覆すには正統な理由を求められるが、あの時点で兄の宣誓は民衆の支持を得てしまった。
父の遺志を継ぎ、獣族との和平に尽力する。
アレアミラの名はカレンティナとすげ代えられ、兄は父から受け取った遺産として、禍根のあった獣族の娘を娶ったのだから。
しかしあの時カレンティナが身籠もった子などいない。
彼女が正式に医師の診察を受けたのは騒動の随分後だった。
まさか懐妊など無かったなどと、あの馬鹿そうな女がそんな狂言を言う筈もないと、そう思い込んでいた自分の青さが身に染みた。
『腐ったものでも食べたのでは?』
そう呆れる医師にカレンティナは目を丸くした。
『でも月のものがずっとこないのよ?』
『慣れない環境でまともな食事もなく過ごしていたと聞いていますよ。生き物とはとてもデリケートに出来ているんです。生理不順が起きても仕方ないでしょう』
『そんな……』
『いいじゃないか、カレンティナ。子供ならこれから沢山作ろう。時間なんて沢山あるんだから』
アレアミラが命を懸けたと伝えた直後、そんな話をしていたという報告を受けてから兄の幸せなんて願わなくなった。
それから直ぐに兄に取り入る為に、娘たちが送り込まれるようになり、いつしかカレンティナは離宮から出て行ってしまった。離宮の警備兵で行方の知れない者がいると聞いたから、まあ押して知るべし。
カレンティナは来る者拒まずなようだったが、来ない者に与える情はないようだった。……一方で兄は自分を肯定してくれるなら誰でも良いのだろうか。
薄っぺらい言葉に浮かれてはそれを愛と信じる兄を不憫に思う事もあったけれど。
それが兄の「仕合わせ」なのだと望みも期待も断ち切る事にした。
カレンティナが今どこで何をしているのかは知らない。
集落に戻ったという噂も聞いたが、アレアミラが彼女を庇って死んだ事は伝えてあった。
彼女が族長の処罰から勝手に逃げ出した事も、側妃となった事も、男と逃げた事も。勿論アシュトンは伝えてある。
その全てを受け入れて、彼女を歓迎する者がいたのかは知らない。ただあそこにカレンティナはいないとだけ聞いている。
遅すぎだろうとアシュトンは思う。暫くは獣族への歩み寄りなどは考えられなかった。
それでもアレアミラの行動を讃えたくて、離宮に彼女とその共を買って出たセヴランの像を建造した。
ここに来る度に自分の未熟さを噛み締める事が出来ただけで、結局ただの自己満足に終わったけれど……
今まで作り上げてきた虚像に背を向けて、アシュトンは舞踏会会場を見上げた。煌びやかなシャンデリアから降り注ぐ光は眩しくて、悪酔いしそうだ。
もうじき兄の子は十五歳、立太子する。十二歳で成人と見なされるこの国ではままある事だ。
それと共に現王の側近は解散し、世代交代と共に権力を譲渡をしていく。
その為の種まきも終え、やっと一息つくことが出来た。
支えるべき家臣は育ち、やがて彼らも家督を継ぎ主君の周りを強固に築き上げていくのだろう。
(兄上があそこに座るのもあと僅か)
その後彼に何が残るのかは知らない。
会場を見渡せば端に控えていたセレンが感極まって泣いているのが見えた。隣に立つシリルに目を向ければ、そんな彼女の姿に恥ずかしそうにしながらも、頬を緩めている。そんな息子を見てアシュトンも眼差しを和ませた。
(……本当に、良い子に育ってくれた)
自分にも他人にも厳しいが、それでも愛情深く育ってくれた事が本当に嬉しい。
二人でセレンの元に向かえば、泣き顔をハンカチから上げ笑顔を見せてくれた。
「旦那様、本当に今までお疲れ様でした。それに……」
シリルと目を合わせ、セレンはふわりと笑う。
二人でどこか悪戯めいた視線を交わしてから、シリルがゆっくりと口を開いた。
「それはそうと父上、母上にはいつ会いに行かれるのですか?」
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