35 / 42
番外編 五百年前の話
12. のこったもの
しおりを挟む「お姉様!」
カレンティナの前に身体を滑り込ませたアレアミラの背中に、エミュエラが剣を突き立てた。
「きゃあ!」
カレンティナは驚きにテリオットにしがみつき、そのまま二人は倒れ込むアレアミラから後ずさる。
剣を手放したエミュエラはガタガタと震えながらアレアミラを見下ろし、憎しみを募らせていく。
「この! 邪魔をして! 獣風情が!!」
足を振り上げるエミュエラにアシュトンが声を張った。
「エミュエラ嬢を拘束しろ! 裁判前の参考人を傷付けた! それから医師の手配だ! 早く!」
セヴランが駆け寄りアレアミラを抱き起こす。
「アレアミラ……ミラ!」
アシュトンはアレアミラの近くには寄らなかった。
そもそも影が縫い取られたように動かなくなった足からは感覚が無くなっている。立っているのが不思議な程に……
背中はびっしょりと汗を掻き、それでも頭の芯は冷めているゆうな、夢の一幕を垣間見ているような。目の前の現実味の無い光景が、アシュトンの頭に昨日の父の最期を浮かび上がらせた。
(迂闊な真似をしてはいけない……)
指先がぶるぶると震え出す。
(……僕まで獣族に気があるのだと気取られては、いけない)
唇はカサカサに乾いていて、口の中もカラカラだ。
(動転している時こそ冷静に、側からもそう見えなければ、ならない……)
必死にそう言い聞かせて、言う事を聞かない足を引き摺るように後ろに下がった。
その姿をセヴランが鋭く射抜いているのを黙殺する。
「きゃあ! いやあ!!!」
「アシュトン! ここは任せる! カレンティナの胎教にも良くない! 私は城に戻る!」
血を見て怖がるカレンティナを抱え、テリオットは近衛を引き連れ立ち去っていく、そんな二人にアシュトンは拳を強く握った。
(アレアミラはあなたを庇ったのに……でも……)
「アシュ……」
「……っ」
聞き慣れた声と共に、僅かに向けられた視線を横顔に感じながらも。アシュトンはそちらを向けなかった。
(今が……今こそ転機なんだ……)
ここまでしでかした公爵の力を削ぎ落とさなければならない。
父の遺志。使命。そんな言葉で揺れる心情を必死に抑える。
けれど自分の態度に込み上げてくる失意は拭えない。
(人の事なんて言えない。僕もあいつらと同じだ……)
逃げる兄とその恋人の背を見送ってから、アシュトンは歪みそうになる顔を取り繕い、静かに面を上げた。
「公爵、あなたも拘束させて貰う。ご息女の沙汰を妨害される訳にはいかない」
冷静に口にするアシュトンに、公爵もいつもの調子を取り戻した。
「いやしかし、宜しいのですか? 確か殿下はあの獣族の娘に関心をお持ちでしたでしょう? 早く治療に専念した方が良いのでは……?」
「……私に医療知識は無い。それより今起こった事を整理する方が先だ。公爵、私たちはアレアミラを暗殺犯だと疑ってここにきた訳だが、この状況。果たしてその見解は合っているのだろうか? 吟味の余地があるかと思わないかな?」
鋭い光を讃える公爵の眼差しを拳を作り受け止めていれば、エミュエラが喚きながら引き摺られて行くのが聞こえた。
それをチラリと目で追い、再び公爵に視線を戻せば彼は苦虫を噛み締めたような顔をしていた。
「そうですな、場が乱れすぎましたかな。改めて公平な判断が必要なところでしょう」
公爵を相手にするにはまだ早い。
けれど今できる事はある筈だ。
「ああ……」
アシュトンはしっかりと頷いて握りしめた拳を解いた。
◇
翌朝、侍従からアレアミラが息を引き取ったと報告があった。
やる事が沢山ある。
「分かった」
そう返し、事後処理についての調整の為、宰相を呼び寄せるよう伝える。執務室を出る侍従の背中を眺めながら、アシュトンは背もたれに身体を預けた。
離宮とは言え公爵令嬢が起こした刃傷沙汰は王城に瞬く間に広がった。
国王崩御に加え、筆頭公爵家の不祥事。
更に次期国王が獣族を側妃を迎えるという発言まで重なり、城内は不安に揺れている。
公爵の盤石な地盤を崩せるチャンスでもある。
今なら兄はあの獣族の娘に盲目的で、上手く転がせば余計な口は挟んでこないだろう。
不良物件の監督責任を問えば、獣族側も口を噤む筈だ。
そう握りしめた拳にポタポタと涙が零れた。
「失ったものが大き過ぎる」
濡れた拳で頬を拭い、肩を震わせる。
国の為だと分かっている。
でも一人でやっていける気がしない。
味方を見極めなければならないこの状況に、恐怖が勝つ。いっそ兄のように平和な未来しか見えない頭だったら、最後まで幸せでいられたかもしれないのに。
執務室で一人啜り泣くアシュトンに低い声が掛かった。
「……安心したよ」
そう声を掛けられてびくりと肩が跳ね上がる。
慌てて拭った顔を上げれば、どこからどう入ったのか、セヴランが窓枠に腰を掛けてこちらを眺めていた。
逃げてきたのだろうか。
あの騒動のどさくさでそれくらい、彼なら出来そうな気がする。
「大局とやらの為に目の前の個人を切り捨てるのかと思った」
冷たいセヴランの眼差しに、アシュトンは心の籠らない声を返す。
「……でもそれは為政者に必要な事だ」
出来ないから悩んでいるのだ。
馬鹿な頭で、命を軽んじる愚者になりきれないから。
「なんだ、それでいいじゃないか」
セヴランは肩を竦めて執務室へ足を踏み入れた。アシュトンは僅かに身を引いた。
離宮で近くにいたのとは違う。今は警戒が必要だ。
そもそも彼が何を考えているのか、アシュトンにはさっぱり分からないのだ。
「アレアミラは……」
けれど続くセヴランの言葉にアシュトンの心は揺れた。
聞きたくない。
今聞いたら受け止めきれず執政の判断を誤るだろう。そう顔を歪めたアシュトンに、セヴランは溜息を吐いて首を横に振った。
「逃げ続けちゃ駄目だと思うぞ。少なくともアレアミラは最後まで逃げなかった。彼女の行動は高潔だ。誰にでも出来る事じゃない。お前まで否定するな」
「そんな、事は……僕は……」
彼女がいなくなるのが怖いだけだ。
目の前だけでなく、心からもいなくなってしまうのが。
首を横に振るアシュトンにセヴランは肩を竦めた。
「アレアミラはお前の事を心配していた。きっとカレンティナを庇ったのは、自分なら処理しやすいと思ったからだろう。……あの場にいた獣族の花嫁は一人だけだった。巻き込まれたのは、誰でも無い。侍女の一人とでもすれば良い。その為の必然だったんだ。アレアミラを無視するな」
無視なんてしていない。
もういないものとして扱うのが無理なんだ。
アシュトンは机の上に拳を握り、固く目を閉じた。
「アレアミラはお前に感謝していた」
そう言ってセヴランは机に何かを置いていく。
薄らと目を開ければそこには彼女の遺髪があった。
詰まりそうになる声を飲み込んでそれに手を伸ばす。
『綺麗な髪だ』
伸ばすと言っていたそれは短いままで……
「じゃあ俺はもういくよ。俺の事も上手い事言い繕っておいてくれよ」
後手に手を振るセヴランを意識の端に、アシュトンはアレアミラの遺髪を指先で触れてから、丁寧に撫でた。
2
お気に入りに追加
531
あなたにおすすめの小説

だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです
秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。
そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。
いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが──
他サイト様でも掲載しております。

追放された令嬢は英雄となって帰還する
影茸
恋愛
代々聖女を輩出して来た家系、リースブルク家。
だがその1人娘であるラストは聖女と認められるだけの才能が無く、彼女は冤罪を被せられ、婚約者である王子にも婚約破棄されて国を追放されることになる。
ーーー そしてその時彼女はその国で唯一自分を助けようとしてくれた青年に恋をした。
そしてそれから数年後、最強と呼ばれる魔女に弟子入りして英雄と呼ばれるようになったラストは、恋心を胸に国へと帰還する……
※この作品は最初のプロローグだけを現段階だけで短編として投稿する予定です!

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

二度目の婚約者には、もう何も期待しません!……そう思っていたのに、待っていたのは年下領主からの溺愛でした。
当麻月菜
恋愛
フェルベラ・ウィステリアは12歳の時に親が決めた婚約者ロジャードに相応しい女性になるため、これまで必死に努力を重ねてきた。
しかし婚約者であるロジャードはあっさり妹に心変わりした。
最後に人間性を疑うような捨て台詞を吐かれたフェルベラは、プツンと何かが切れてロジャードを回し蹴りしをかまして、6年という長い婚約期間に終止符を打った。
それから三ヶ月後。島流し扱いでフェルベラは岩山ばかりの僻地ルグ領の領主の元に嫁ぐ。愛人として。
婚約者に心変わりをされ、若い身空で愛人になるなんて不幸だと泣き崩れるかと思いきや、フェルベラの心は穏やかだった。
だって二度目の婚約者には、もう何も期待していないから。全然平気。
これからの人生は好きにさせてもらおう。そう決めてルグ領の領主に出会った瞬間、期待は良い意味で裏切られた。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる