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番外編 五百年前の話

05.「お義母さま」

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「おい、お義母様」
 そう声を掛けられて、アレアミラは驚きに顔を上げた。自分の事だと思った訳ではない。ただ声を掛けられた事に驚いたのだ。

「え……」

 あれから一週間。
 離宮にぽつんと放られて、アレアミラは中庭で一人途方に暮れていた。
 少し離れたところで佇んでいるセヴランは暇そうで、どこか苛立っているようにも見える。
 まあ当然か、何の成果もあげられていないのだから。

 そんな彼とアレアミラとの間に均等に距離を取り、腕を組んだ少年が不遜な態度でこちらを睨みつけている。黒い髪に青灰色の瞳。歳は十五、六。アレアミラはその面差しに思い当たる人物を口にした。

「……もしかして、アシュトン第二王子殿下でいらっしゃいますか?」
「ふうん?」

 口の端を少し上げ、第二王子アシュトンはアレアミラをじろじろと眺めた。

「頭の中まで獣では無いようだな。いかにも僕はアシュトン──この国の第二王子だ。お前たちが疵者にした第一王子の弟だよ」
「疵者……」
 思わず口にするとアシュトンは何だよと唇を尖らせた。

「皆そう言ってるんだぞ。……純粋な兄上を誑かせた悪者たちだって」
「そうなんですか……」
 第一王子は十八歳、確かこの王子の年は十六歳だったと思う。
 負けん気の強そうな顔でふんぞり返る様からはガキ大将の印象を受ける。なんというか、背もアレアミラと同じくらいな上、子供っぽくいせいか、怖くはない。

 それにしてもやはり彼らの獣族への印象は良くないようだ。
 出来るだけ早くこの環境を打破し、セヴランを国に帰してやらないとならないのに……

 俯き黙り込むアレアミラにアシュトンは首を傾げて一歩近づいた。その動作にびくりと身体を強張らせるとアシュトンは楽しそうな顔をする。

「何だ、皆獣族を怖がっていたけれど大した事など無いじゃないか。どう見ても弱そうで、少しつつけば泣き出しそうだ」
「……泣き」
 本当にガキ大将みたいな物言いをする人だ。
 ぽかんと目を丸くしていると、その間に距離を詰められ顔を覗き込まれる。
「何が僕たちと違うんだ?」
「えっ、? と……」

 アレアミラは両手を胸に抱き思案した。
 獣族は獣と人とどちらの姿も持つ。
 人はそれを化かすと呼ぶけれど、どちらかというと獣族にとって獣化は本質に近く、他者に晒すものではない。人は一つの器に自分の全てを収めているけれど、溢れ出る感情とどう折り合いをつけているのか、こちらこそ不可解で仕方がない。
(……て、それを言って伝わるのかしら?)
 おろおろと頭を悩ませていると、隣から優しい声が掛かる。

「獣族は優れた身体能力と愛情深い性質を持っております」

 そう告げたのはセヴランだ。
 いつのまにか近づいた彼をアシュトンはじろりと見上げ、鼻を鳴らす。
「あと甘ったれだな。どうして問われた本人が答えない?」
「……あ、その……ごめんなさい。上手く話せなくて……」
「……本当に聞いていた話と随分違うんだな。いいか、僕がお前を監視してやる」
「えっ」
 びしりと指を指すアシュトンにアレアミラは目を丸くした。
「お前たちのせいで兄上は傷ついているんだ。それに、ここの者たちを懐柔しようと画策しているみたいだけれど、僕の方でよく言い含めてあるからな。期待するなよ」
 口元を引き結ぶアシュトンにアレアミラは恐々と口を開いた。

「私、ここでやっていかないといけないのに、誰とも話せないの?」
 平和に過ごす事で、和平を印象付ける事ができると思っていた。そのきっかけを取り上げられては困る。

「……何でそんな必要があるんだ?」
 探るようなアシュトンの眼差しにアレアミラは怯まず両手を握りしめる。
「だって、和平の証なのよ? 閉じこもっていたら何の進展もしないじゃない」

 アシュトンはすっと眼差しを細めた。
「お前が下手に動けば和平どころか戦が始まるのにか?」
「えっ」

 アレアミラは驚きに目を見開いた。
「お前、馬鹿じゃないのか?」
「ば、馬鹿……?」
「そうだぞ。父上はお前たち獣族の力を国に取り込む為に婚姻という形を取った。でもそれだけじゃなく、自身の妻に設けたのは兄上の派閥からお前を守る為だ」
「……ええ?」
 アレアミラは僅かにのけぞった。
 
「兄上の派閥は古参の頭の固い糞爺が多い。所謂保守派だな。あいつらは獣族を軽んじているし、国内に優良種を招き入れる事で、自分たちの利益が削がれる懸念を抱いているんだ。だから兄上が獣族の娘に関心を抱いたと聞いてその進展を阻止したし、国内に悪感情を煽った」

(それがもしかして王子殿下を誑かす……という話なのかしら……)

「今は兄上自身、悪辣な噂に肯定的で、あいつらに取り込まれてる状態だ。お前が王城に姿を見せても良い方向には向かわないだろうよ。むしろ糞爺共に第一王子暗殺の疑いでも掛けられて立場を悪くするだけだ」

「そんな……」
 ぽつりと声を落とす。

 どうやら国王グレイスと国の重鎮で意見が対立しているらしい。
 重鎮たちは国に攻め入るつもりだったのだ。確かにアレアミラに悪感情を持っていてもおかしくない。
 カーフィ国と獣族の集落は大きな峠を一つ挟んだ場所にある。山で方向を間違えれば割とあっさり辿り着ける距離。お互いが煩わしいと感じる位置であるとも言えるけれど……それでも長年諍いなく過ごせてこれた。

 でも人族にしたら集落のある場所が拓ければ、国土が広がる。その先にある、交易にも結びつけやすくなるだろう。集落とは言え、獣族が占有している土地はその行動範囲の広さから大きなものだからだ。

「でも、それだと私は困るの。集落の期待に答えないといけないのに……」
 胸に拳を当てて話せばアシュトンは僅かにたじろいだ。
「……こういうのにはタイミングが必要なんだよ。今動かない方がいい。てかさ、……」

 そこでアシュトンは言葉を区切り、じろりと上目で睨んでくる。
「言っておくが父上はお前を正式な妻にするつもりは無いからな」
「……はい?」
 きょとんと首を傾げれば、アシュトンは慌てて言い募った。

「し、初夜が無かったんだろう?! これからも無いからな! 父上とお前は『白い結婚』だ!」
 アレアミラはああと声を漏らした。
「……そうね、分かっています。……この結婚はお互いの利を求めた契約でしたから」

 分かっているけれど眉は下がる。
 愛され体質の姉を見て育ったから、……本当は結婚には憧れがあった。真の夫婦の絆はなくとも、夫という響きに少なからず夢を見ていた。
 だけど無条件で妻の味方になって貰うには、やはり契約では駄目なのだろう……

 白い結婚という言葉は聞いた事が無いが、前後の発言から察するに、無干渉……みたいな意味だと思う。

「だからあなたが私を見張るのですか?」
 国王陛下の代わりに……
 そう問い掛ければ何故かアシュトンは顔を真っ赤に染めた。

「ち、違……僕は別に、そういう意味で言った訳じゃ……!」
 もにもにと口籠るアシュトンを不思議に思って眺めていると、遠くから噴き出す声が聞こえてきた。
 首を巡らせればセヴランが肩を震わせている。
「いや失礼。大変初々しくていらっしゃる。見ていて微笑ましいですな」

 ムッと顔を顰めるアシュトンに何だか申し訳なくなり、アレアミラはセヴランを咎めてしまった。
「やめて下さい、お義兄様」

 つい、いつもの口調で。
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