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おまけ
エリーシャ第四王女 後
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「兄上から君は(存外)優秀だから上手く使うように言われていてね」
そう口にすればアレクシオは驚いた顔で固まってしまった。
(道具扱いした物言いにも怒らないのだなあ……)
エリーシャは成る程と兄の見解に得心する。
不機嫌顔の側近は扉の前で待機させている。
(……あれはここに来る前、この国への悪感情を散々植えつけられていたから、仕方ない事だけれど)
「リンゼル殿下が……ですか?」
躊躇いがちに口にするアレクシオにエリーシャはこくりと頷いた。
「そうだよ。そうでなかったら、私がここに輿入れする事に賛成などしなかったさ」
実際姉たちには反対されたのだ。
国を再生させる仕事なんて滅多にお目にかかれない役どころだからと、けれど説得するのが大変だった。
「私も気概がありそうだと思ってホッとしているよ」
そう言えばアレクシオは罰の悪い顔をして俯いた。
「買い被りです……」
「そうか?」
側近の淹れたお茶に顔を寄せ香りを楽しんでいると、アレクシオから漂う悲壮感が増した気がした。
「お茶は嫌いかな?」
「いえ、そういう訳では……」
「だったら……ああ、もしかして……すまないな。聖女を君の正妻にする事は無理そうだ」
「……は?」
驚き固まるアレクシオにエリーシャは急いで言葉を続ける。
「愛し合う者を引き裂いて申し訳ないが、この政略は覆せない。その代わりと言っては何だが、人目を偲んだ逢瀬なら許すよ。ただあまり大っぴらにされると私の面目が──」
「ち、ちょっと待って下さい!」
両手を前に突き出して固まるアレクシオにエリーシャは目を丸くした。
「どうかしたか?」
「それはこちらの台詞……あ、いえ……殿下との婚姻は、理解しているつもりです。ですから、その……私は……愛妾など……」
エリーシャはおや、と首を傾げた。
「……そうなのか? それは何だか申し訳ないな」
「は、はい?」
何故か困惑が増すアレクシオにエリーシャは苦笑する。
「すまないな、私は帝国で不出来な第四王女と言われているんだ。女性らしいものは美しさから儚さまで何一つ持ち合わせていない」
「……は?」
「……君、さっきからそればかりだぞ」
はっと空いた自分の口を抑えるアレクシオに苦笑してから、エリーシャはお茶を一口含む。
「君と婚姻は結ぶが、私とでは息が詰まる生活となるだろうから、愛ある生活を外に望んでも良いと思ったんだが……男は女に癒しを求めるものなのだろう?」
「……それ、は……」
途方に暮れたような表情を向けるアレクシオにエリーシャは小さく笑い掛けた。
「気にしなくていい、分かっているつもりだ。政務は辛く厳しく、使命感だけでは乗り越えられないだろう。支えが必要だ。だから──」
「お、お待ち下さい!」
「ん、何だい?」
額に手を置き思考を巡らせるアレクシオにエリーシャは首を傾げた。様子もおかしいし、何やらぶつぶつ言っているようだが、上手く聞き取れない。
「その、恐れながら申し上げます……殿下は、とても美しい淑女であらせられます……」
その言葉に今度はエリーシャが目を丸くした。
吹き出しそうになるお茶を飲み込んで、ヒラヒラと手を振って応じた。
「ははっ、気を使わなくてもいい! 私の姉たちに会えば分かるよ。皆天女もかくやという美女たちなんだ」
「あの、いえ……そう、なのですか……? ですがそれは別に……いずれにしても、私はもうエアラと会うつもりはないのです。帝国から縁談が持ち込まれて、彼女とはもう話し合いを済ませましたから……」
「おや、そうなのか」
エリーシャは眉を顰めた。
(そうか、とっくに引き裂いていたのだな……)
そのまま頭をすっと下げる。
側近から剣呑なものが漂ってきたが、気にしないでおく。
「すまなかった」
「っな、何故謝るのです!?」
「だって君たちを引き離してしまったから……」
政略結婚を正しく理解したとして、追いつかない気持ちというものはある。もっと早く話を通すべきだったかなとエリーシャは密かに悔いた。
「それは、そんな事……あなたのせいではないでしょう! いえそもそもどこにも悪い要素などありません!」
「……えっと。そう、なのか?」
エリーシャは子供の頃から理想の王族を追い求め、特に性別に拘りがなくなってからは、男女の機微については疎くて思考がついていけない。
けど、他に思い人がいるのに政略で引き裂かれただの、望まぬ結婚だのと、不満は聞こえてきたものだ。聞いてた話と違うなとエリーシャは首を傾げた。
「あ、当たり前です! ……それより、あなたこそ嫌では無いのですか? 私と、結婚などと……」
そう言って瞳を曇らすアレクシオにエリーシャはにっこりと笑った。
「大丈夫だ。どんな因業じじいでもどんとこいと思っていたからな」
ついでに言葉の通り胸を叩いてみせると、アレクシオは何とも複雑な顔をした。
「因業……」
「大丈夫、愛など期待していないよ」
「……」
今度はアレクシオの表情が再び暗く沈む。
(あれ、ダメだったのか?)
エリーシャは自分の失言に思い至り、思わず口走る。
「あっと、でもな、……私は家族は大事にしたいんだ」
「……え」
それは本心だけど密かな思いで……
謝罪を込めて自分の大事な部分を少し見せようと、零れた言葉に何だか気恥ずかしくて照れてしまう。
「その……家族だけは、……私を愛してくれたから」
カップをソーサーに戻しながら、エリーシャはあの時オフィールオに言われた言葉を思い出す。
これは自分の居場所が分からなくなった時のおまじないだ。
「大切な人からの思いがあれば、自分を大事にできると教えて貰った。自分が幸せでいないと、その人たちも傷つけるのだとも。……私に必要な力なんだ。自分の為に生きる為。……だから、いずれ君との間に子を設けなければならないけれど、その時は家族として、義務や責務だけでなく、一人の人として向き合って絆を育んでいきたいと思っている」
「エリーシャ殿下」
「……すまないな。一方的な婚姻を申し渡し、君をこんな形で巻き込んでしまって」
思わず眉が下がる。
エリーシャでは愛のない結婚しか叶わない。知っているからこそ、きっと望めぬ事は辛いだろうと思う。
(……この分野には自信がない)
「謝らないで下さい、どうか……」
そう言うとアレクシオはソファから降り、その場で膝をついた。
「恐れ多くも、あなたの王配に選んで頂き栄誉を賜ったのは私の方なのです。私こそ、例えあなたに愛を与えていただかずとも、あなたを支え共に歩む許しを乞う者なのですから」
「待て、何故そうなる?」
悲痛なアレクシオの表情にエリーシャは益々慌ててしまう。元気にしたくて言ったのに……
「私は……私も、……自身の幸せを見出すのに、一人では力不足なのです。願わくば……」
「……うん?」
「別の誰かではなく、……あなたがいい。私を厭わず気遣って下さる……あなたの為……幸せを願い、生きたい」
エリーシャは目を見開いた。
『あなたはあの方々を見ておりましたか?』
頭をよぎったオフィールオの言葉に息を飲む。
(……いいや、見ていない)
見ようともしていなかった。
夫となる相手に、愛などないと決めつけていた。
共に生きる未来を描いてもいなかった。
「はは……そうか。そうだよな……」
くしゃりと前髪を握りつぶす。
驚いた様子のアレクシオに、頷きながらその言葉を落とし込んだ。
「一番身近な存在を幸せに出来ぬのなら、意味はないよな……夫婦となるのだ。まず私たちがお互いを知り歩み寄らないといけないのに、私も気弱だった。よろしく頼む、アレクシオ殿下……私と国を支える礎となり生涯を共にして欲しい。……叶うなら、家族として……夫として……」
そう言ってエリーシャは手を差し出した。
その手を恭しく取り、アレクシオはそっと口付ける。
その柔らかな感触にエリーシャは僅かに身体を強張らせ、自分の手の甲をまじまじと見つめた。
(そういえば、こんな風に傅かれたのなんて、いつ振りだろう)
子供の頃に忠誠を誓ってくれた騎士が、こんな風に畏まってくれたけれど……
エリーシャの手を取る者なんて家族以外いなかったから……なんだか胸の奥がそわそわした。
◇
「ねえ、本当に良かったのですか?」
「しつこいな、……大丈夫だよ」
侯爵夫人となった妹に詰め寄られ、リンゼルは耳にタコが出来そうだなと内心で溜息を吐いた。
「あの子は真面目過ぎるだけなのです。なのに王族としての自覚もないような、簡単に浮気に走る輩に嫁げだなんて……!」
「怒るなよ、アレクシオ王太子には何度か会っているんだ。希少だぞ。この一年の私たちの圧力に耐え抜いた気力に胆力。ただの優男かと思ったらそれだけでは無かった」
「──ですが!」
「それに、」
勢い込む妹の発言を目線で止め、リンゼルは思う。
(案外、お似合いだと思うんだよねえ……)
「エリーシャこそ戻れと言ったところで納得しないだろう。国内で甘んじる事を嫌っていたんだ。王族としての自覚の強い子だったから、ここで見出せるものが無いなら、縛り付ける方こそあの子が不憫だろう」
「あの子、は……」
まだ言い募る妹にリンゼルは纏う空気を変えた。
「そこにいるだけでいいなどと言うなよ。愛玩動物じゃないんだ。『国の為に役立つ』そこから目を背けてでもまだ言いたい事があるならここから出て行け。これ以上聞く話はない」
「──……っ、いいえ……失礼致しました」
冷静さを取り戻そうとする妹から視線を逸らし、リンゼルは肩の力を抜いた。
「傷一つ無いまっさらな器などないよ、ラドリーヌ。私だってそうだ」
リンゼルこそずっと人では無かったのだから。
自分を人として生まれ変わらせてくれたのはレナジーナだ。だけど、そうなるまでは沢山の人を傷付けてきた。
「お兄様、そんな……」
「その通りだろう? でもお前はレナジーナを可哀想だと思うのかい?」
「お、思いません。お兄様はお義姉様を愛していらっしゃるではありませんか! 過去は……」
言い淀む妹に兄らしい眼差しを向ける。
昔はそんな事も出来なかったけれど、今は自然と情が湧くのだ。それも自分が変わった証拠で……
「見ない振りでも口を噤むでも無くて、手を取り合って乗り越えるべきだろう。夫婦なんだから……」
「それは……そうですが……」
「乗り越える壁は高いかもしれない。けどね、見守ってやるのも愛情だよ。別にもう会えなくなる訳ではないし、婚約期間を一年設けているんだ。……それにエリーシャが辛いなら、相手の首を変える手段などいくらでもあるのだから……」
「……」
勿論相応しくないというのは|それ(・・)だけでは無いだろうけれど……
妹に幸せになって欲しい。
エリーシャは自分に似合わないからと、綺麗なドレスも煌びやかな装飾も受け付けず、着飾る事をしなかった。
美しさの基準など、誰が言い出したのか知らないが、あの子のどこにそれが無いと言うのだろう。
女性らしい楽しみから目を逸らすようになってしまって、悔しい思いをしているのはラドリーヌだけではないというのに……
(エリーシャはとっても可愛いのに……)
髪を短く切り男の真似事をしているあの子は確かに異端に見えただろうけれど……
真っ直ぐな心と瞳を持っている。
(柔らかな小麦色の髪にほっそりした、けれど健康的な体躯も……年相応の令嬢らしく美しく育っているのに)
馬鹿な噂を流し、純粋なエリーシャの耳に入れた者たちには相応の対価を払って貰っているが、思い出す度に温かったと歯噛みしている。ラドリーヌは今でもそいつらの首根っこを捕まえて片っ端から踏みつけてやりたいのだ。
「分かりましたわ……」
「そうか、良かったよ」
静かに微笑む兄へ、交わす視線で訴えるのは「やはり分からない」だ。
けれどもしアレクシオが期待外れであるのなら、その首を落とすのは誰でもなく自分だと──ラドリーヌは固く誓った。
◇
テゼーリス帝国を語るのに、欠かせないのは隣国のカーフィ国である。
帝国の発展と繁栄に多くの貢献を行ったとされる彼の国は、およそ五百年の昔は取るにたらない小国でしかなかった。
転機は帝国の末姫の降嫁。
歴史に名を連ねる賢王アレクシオは、第四王女エリーシャの才能に触れその本領を発揮するようになった。
二人は生涯仲睦まじい夫婦であったとされているが、ここで一つ議論が生まれる。
二人は想い合った上での恋愛結婚だったとされていたが、ある手記の発見により、その始まりが疑問視されるようになったのだ。
そのきっかけこそアレクシオ王自身の手記。
彼の手記は晩年のもの以外は自ら全て処分しており、今回のおよそ二十歳頃のそれは、歴史的発見ともいえる。
それによると、当時のカーフィ国では王室の失政により国力が低下。その隙をつき帝国から属国への圧力と共に王女が降嫁したとある。
しかしこれに研究者たちは首を捻るばかりだ。
既に発見されている彼女の姉の手記によると、兄姉たちが末姫を愛している事、離れ暮らす事を嘆く記述が見つかっている。
カーフィ国が落ちぶれていたとなると、その頃の帝国が乗り出す旨味は無かったのではなかろうか。
覇王と呼ばれた兄、リンゼルの策略── 彼の腹心の暗躍や、アレクシオ王に縁のある女性の影など、あらゆる議論が持ち上がったが、いずれも根拠に乏しく推論の枠を出ない。
そもそもリンゼル王もまた愛妻家として知られており、妹に望まぬ婚姻を押し付ける意図が押し測れない。
最愛の妹を手放す本意はどこにあったのか……
それは歴史家の中でもロマンス好きな者たちの議論を活発化させた。
しかし残されたアレクシオ王とエリーシャ妃の肖像、それにその子供たちの成長録を見る限り、アレクシオ王は婚前にマリッジブルーだったのではないかという見解に落ち着く事となる。
後世にそう思わせる程、二人の絆は強く歴史に刻まれているのだから。
結果、彼の手記はその意外な内面を含めた彼の人となりを探る、新たな鍵となったようだと。今尚、幸せそうに微笑む彼らの肖像画を前に、多くの研究者たちはそう結論付けた。
そう口にすればアレクシオは驚いた顔で固まってしまった。
(道具扱いした物言いにも怒らないのだなあ……)
エリーシャは成る程と兄の見解に得心する。
不機嫌顔の側近は扉の前で待機させている。
(……あれはここに来る前、この国への悪感情を散々植えつけられていたから、仕方ない事だけれど)
「リンゼル殿下が……ですか?」
躊躇いがちに口にするアレクシオにエリーシャはこくりと頷いた。
「そうだよ。そうでなかったら、私がここに輿入れする事に賛成などしなかったさ」
実際姉たちには反対されたのだ。
国を再生させる仕事なんて滅多にお目にかかれない役どころだからと、けれど説得するのが大変だった。
「私も気概がありそうだと思ってホッとしているよ」
そう言えばアレクシオは罰の悪い顔をして俯いた。
「買い被りです……」
「そうか?」
側近の淹れたお茶に顔を寄せ香りを楽しんでいると、アレクシオから漂う悲壮感が増した気がした。
「お茶は嫌いかな?」
「いえ、そういう訳では……」
「だったら……ああ、もしかして……すまないな。聖女を君の正妻にする事は無理そうだ」
「……は?」
驚き固まるアレクシオにエリーシャは急いで言葉を続ける。
「愛し合う者を引き裂いて申し訳ないが、この政略は覆せない。その代わりと言っては何だが、人目を偲んだ逢瀬なら許すよ。ただあまり大っぴらにされると私の面目が──」
「ち、ちょっと待って下さい!」
両手を前に突き出して固まるアレクシオにエリーシャは目を丸くした。
「どうかしたか?」
「それはこちらの台詞……あ、いえ……殿下との婚姻は、理解しているつもりです。ですから、その……私は……愛妾など……」
エリーシャはおや、と首を傾げた。
「……そうなのか? それは何だか申し訳ないな」
「は、はい?」
何故か困惑が増すアレクシオにエリーシャは苦笑する。
「すまないな、私は帝国で不出来な第四王女と言われているんだ。女性らしいものは美しさから儚さまで何一つ持ち合わせていない」
「……は?」
「……君、さっきからそればかりだぞ」
はっと空いた自分の口を抑えるアレクシオに苦笑してから、エリーシャはお茶を一口含む。
「君と婚姻は結ぶが、私とでは息が詰まる生活となるだろうから、愛ある生活を外に望んでも良いと思ったんだが……男は女に癒しを求めるものなのだろう?」
「……それ、は……」
途方に暮れたような表情を向けるアレクシオにエリーシャは小さく笑い掛けた。
「気にしなくていい、分かっているつもりだ。政務は辛く厳しく、使命感だけでは乗り越えられないだろう。支えが必要だ。だから──」
「お、お待ち下さい!」
「ん、何だい?」
額に手を置き思考を巡らせるアレクシオにエリーシャは首を傾げた。様子もおかしいし、何やらぶつぶつ言っているようだが、上手く聞き取れない。
「その、恐れながら申し上げます……殿下は、とても美しい淑女であらせられます……」
その言葉に今度はエリーシャが目を丸くした。
吹き出しそうになるお茶を飲み込んで、ヒラヒラと手を振って応じた。
「ははっ、気を使わなくてもいい! 私の姉たちに会えば分かるよ。皆天女もかくやという美女たちなんだ」
「あの、いえ……そう、なのですか……? ですがそれは別に……いずれにしても、私はもうエアラと会うつもりはないのです。帝国から縁談が持ち込まれて、彼女とはもう話し合いを済ませましたから……」
「おや、そうなのか」
エリーシャは眉を顰めた。
(そうか、とっくに引き裂いていたのだな……)
そのまま頭をすっと下げる。
側近から剣呑なものが漂ってきたが、気にしないでおく。
「すまなかった」
「っな、何故謝るのです!?」
「だって君たちを引き離してしまったから……」
政略結婚を正しく理解したとして、追いつかない気持ちというものはある。もっと早く話を通すべきだったかなとエリーシャは密かに悔いた。
「それは、そんな事……あなたのせいではないでしょう! いえそもそもどこにも悪い要素などありません!」
「……えっと。そう、なのか?」
エリーシャは子供の頃から理想の王族を追い求め、特に性別に拘りがなくなってからは、男女の機微については疎くて思考がついていけない。
けど、他に思い人がいるのに政略で引き裂かれただの、望まぬ結婚だのと、不満は聞こえてきたものだ。聞いてた話と違うなとエリーシャは首を傾げた。
「あ、当たり前です! ……それより、あなたこそ嫌では無いのですか? 私と、結婚などと……」
そう言って瞳を曇らすアレクシオにエリーシャはにっこりと笑った。
「大丈夫だ。どんな因業じじいでもどんとこいと思っていたからな」
ついでに言葉の通り胸を叩いてみせると、アレクシオは何とも複雑な顔をした。
「因業……」
「大丈夫、愛など期待していないよ」
「……」
今度はアレクシオの表情が再び暗く沈む。
(あれ、ダメだったのか?)
エリーシャは自分の失言に思い至り、思わず口走る。
「あっと、でもな、……私は家族は大事にしたいんだ」
「……え」
それは本心だけど密かな思いで……
謝罪を込めて自分の大事な部分を少し見せようと、零れた言葉に何だか気恥ずかしくて照れてしまう。
「その……家族だけは、……私を愛してくれたから」
カップをソーサーに戻しながら、エリーシャはあの時オフィールオに言われた言葉を思い出す。
これは自分の居場所が分からなくなった時のおまじないだ。
「大切な人からの思いがあれば、自分を大事にできると教えて貰った。自分が幸せでいないと、その人たちも傷つけるのだとも。……私に必要な力なんだ。自分の為に生きる為。……だから、いずれ君との間に子を設けなければならないけれど、その時は家族として、義務や責務だけでなく、一人の人として向き合って絆を育んでいきたいと思っている」
「エリーシャ殿下」
「……すまないな。一方的な婚姻を申し渡し、君をこんな形で巻き込んでしまって」
思わず眉が下がる。
エリーシャでは愛のない結婚しか叶わない。知っているからこそ、きっと望めぬ事は辛いだろうと思う。
(……この分野には自信がない)
「謝らないで下さい、どうか……」
そう言うとアレクシオはソファから降り、その場で膝をついた。
「恐れ多くも、あなたの王配に選んで頂き栄誉を賜ったのは私の方なのです。私こそ、例えあなたに愛を与えていただかずとも、あなたを支え共に歩む許しを乞う者なのですから」
「待て、何故そうなる?」
悲痛なアレクシオの表情にエリーシャは益々慌ててしまう。元気にしたくて言ったのに……
「私は……私も、……自身の幸せを見出すのに、一人では力不足なのです。願わくば……」
「……うん?」
「別の誰かではなく、……あなたがいい。私を厭わず気遣って下さる……あなたの為……幸せを願い、生きたい」
エリーシャは目を見開いた。
『あなたはあの方々を見ておりましたか?』
頭をよぎったオフィールオの言葉に息を飲む。
(……いいや、見ていない)
見ようともしていなかった。
夫となる相手に、愛などないと決めつけていた。
共に生きる未来を描いてもいなかった。
「はは……そうか。そうだよな……」
くしゃりと前髪を握りつぶす。
驚いた様子のアレクシオに、頷きながらその言葉を落とし込んだ。
「一番身近な存在を幸せに出来ぬのなら、意味はないよな……夫婦となるのだ。まず私たちがお互いを知り歩み寄らないといけないのに、私も気弱だった。よろしく頼む、アレクシオ殿下……私と国を支える礎となり生涯を共にして欲しい。……叶うなら、家族として……夫として……」
そう言ってエリーシャは手を差し出した。
その手を恭しく取り、アレクシオはそっと口付ける。
その柔らかな感触にエリーシャは僅かに身体を強張らせ、自分の手の甲をまじまじと見つめた。
(そういえば、こんな風に傅かれたのなんて、いつ振りだろう)
子供の頃に忠誠を誓ってくれた騎士が、こんな風に畏まってくれたけれど……
エリーシャの手を取る者なんて家族以外いなかったから……なんだか胸の奥がそわそわした。
◇
「ねえ、本当に良かったのですか?」
「しつこいな、……大丈夫だよ」
侯爵夫人となった妹に詰め寄られ、リンゼルは耳にタコが出来そうだなと内心で溜息を吐いた。
「あの子は真面目過ぎるだけなのです。なのに王族としての自覚もないような、簡単に浮気に走る輩に嫁げだなんて……!」
「怒るなよ、アレクシオ王太子には何度か会っているんだ。希少だぞ。この一年の私たちの圧力に耐え抜いた気力に胆力。ただの優男かと思ったらそれだけでは無かった」
「──ですが!」
「それに、」
勢い込む妹の発言を目線で止め、リンゼルは思う。
(案外、お似合いだと思うんだよねえ……)
「エリーシャこそ戻れと言ったところで納得しないだろう。国内で甘んじる事を嫌っていたんだ。王族としての自覚の強い子だったから、ここで見出せるものが無いなら、縛り付ける方こそあの子が不憫だろう」
「あの子、は……」
まだ言い募る妹にリンゼルは纏う空気を変えた。
「そこにいるだけでいいなどと言うなよ。愛玩動物じゃないんだ。『国の為に役立つ』そこから目を背けてでもまだ言いたい事があるならここから出て行け。これ以上聞く話はない」
「──……っ、いいえ……失礼致しました」
冷静さを取り戻そうとする妹から視線を逸らし、リンゼルは肩の力を抜いた。
「傷一つ無いまっさらな器などないよ、ラドリーヌ。私だってそうだ」
リンゼルこそずっと人では無かったのだから。
自分を人として生まれ変わらせてくれたのはレナジーナだ。だけど、そうなるまでは沢山の人を傷付けてきた。
「お兄様、そんな……」
「その通りだろう? でもお前はレナジーナを可哀想だと思うのかい?」
「お、思いません。お兄様はお義姉様を愛していらっしゃるではありませんか! 過去は……」
言い淀む妹に兄らしい眼差しを向ける。
昔はそんな事も出来なかったけれど、今は自然と情が湧くのだ。それも自分が変わった証拠で……
「見ない振りでも口を噤むでも無くて、手を取り合って乗り越えるべきだろう。夫婦なんだから……」
「それは……そうですが……」
「乗り越える壁は高いかもしれない。けどね、見守ってやるのも愛情だよ。別にもう会えなくなる訳ではないし、婚約期間を一年設けているんだ。……それにエリーシャが辛いなら、相手の首を変える手段などいくらでもあるのだから……」
「……」
勿論相応しくないというのは|それ(・・)だけでは無いだろうけれど……
妹に幸せになって欲しい。
エリーシャは自分に似合わないからと、綺麗なドレスも煌びやかな装飾も受け付けず、着飾る事をしなかった。
美しさの基準など、誰が言い出したのか知らないが、あの子のどこにそれが無いと言うのだろう。
女性らしい楽しみから目を逸らすようになってしまって、悔しい思いをしているのはラドリーヌだけではないというのに……
(エリーシャはとっても可愛いのに……)
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「分かりましたわ……」
「そうか、良かったよ」
静かに微笑む兄へ、交わす視線で訴えるのは「やはり分からない」だ。
けれどもしアレクシオが期待外れであるのなら、その首を落とすのは誰でもなく自分だと──ラドリーヌは固く誓った。
◇
テゼーリス帝国を語るのに、欠かせないのは隣国のカーフィ国である。
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転機は帝国の末姫の降嫁。
歴史に名を連ねる賢王アレクシオは、第四王女エリーシャの才能に触れその本領を発揮するようになった。
二人は生涯仲睦まじい夫婦であったとされているが、ここで一つ議論が生まれる。
二人は想い合った上での恋愛結婚だったとされていたが、ある手記の発見により、その始まりが疑問視されるようになったのだ。
そのきっかけこそアレクシオ王自身の手記。
彼の手記は晩年のもの以外は自ら全て処分しており、今回のおよそ二十歳頃のそれは、歴史的発見ともいえる。
それによると、当時のカーフィ国では王室の失政により国力が低下。その隙をつき帝国から属国への圧力と共に王女が降嫁したとある。
しかしこれに研究者たちは首を捻るばかりだ。
既に発見されている彼女の姉の手記によると、兄姉たちが末姫を愛している事、離れ暮らす事を嘆く記述が見つかっている。
カーフィ国が落ちぶれていたとなると、その頃の帝国が乗り出す旨味は無かったのではなかろうか。
覇王と呼ばれた兄、リンゼルの策略── 彼の腹心の暗躍や、アレクシオ王に縁のある女性の影など、あらゆる議論が持ち上がったが、いずれも根拠に乏しく推論の枠を出ない。
そもそもリンゼル王もまた愛妻家として知られており、妹に望まぬ婚姻を押し付ける意図が押し測れない。
最愛の妹を手放す本意はどこにあったのか……
それは歴史家の中でもロマンス好きな者たちの議論を活発化させた。
しかし残されたアレクシオ王とエリーシャ妃の肖像、それにその子供たちの成長録を見る限り、アレクシオ王は婚前にマリッジブルーだったのではないかという見解に落ち着く事となる。
後世にそう思わせる程、二人の絆は強く歴史に刻まれているのだから。
結果、彼の手記はその意外な内面を含めた彼の人となりを探る、新たな鍵となったようだと。今尚、幸せそうに微笑む彼らの肖像画を前に、多くの研究者たちはそう結論付けた。
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