【完結】婚約破棄された悪役令嬢は、元婚約者と略奪聖女をお似合いだと応援する事にした

藍生蕗

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エリーシャ第四王女 前

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 エリーシャは第四王女だ。

 美しく聡明な第一王女は平和条約の証として他国へ嫁いだ。
 姉の評判はここにも度々届いてくる程、国家を問わずその評価は高い。

 第二王女は明るくて人当たりが良く、また男女を問わず好かれる質であったから、貴族との調和を望まれ、侯爵家に降下した。

 第三王女は身体が弱かった。
 王族なのに己の役割を満足に果たせないと泣く彼女に、エリーシャも姉たちも心を砕いた。
 彼女は伯爵家当主に下賜される事となった。
 彼は事故から王を守り、その褒章として王女を望んだ。
 けれど彼の持つ領地は穏やかな気候で王女の身体に良い環境だったし、何より元近衞騎士でもあった当の伯爵が王女を愛していたから。
 
 王女は三人とも王族としての役割を果たした。
 エリーシャは姉たちを誇らしく思い、自分もまた彼女たちのように、国の礎となってみせると未来に臨んでいた。

 

 けれど十三歳の頃に知った。エリーシャは、自分が美しくないのだと。
 
 美しく、たおやかで、儚く……女性の美を詰め込まれたような姉たちが持ち合わせているものを、エリーシャは何一つ産まれ持って来なかった。

「男であれば良かったのに」

 誰かの言葉をそのまま口にする。
 そうすれば兄の予備となり、補佐が出来、国の為に生きる事が出来た。

 今のエリーシャに出来る事は何だろう。
 エリーシャに望まれるのは貴族との縁作り。王家の地盤固め。
 けれどそれは第二王女のように貴族と王家の緩衝材となる事や、第三王女のように優秀な貴族へ下賜される事では果たされない。
 
 エリーシャは美しくないから、求心力が足りない。
 エリーシャでは王族の権威を、いいように使われてしまうだけだ。

 王族だけど女だから、貴族の輪に混ぜて貰えねば生きていけない。
 でも女としての価値が自分には乏しくて……

 自分などそんな瑣末な存在だったのだと、エリーシャが思い知るのに大した時間は掛からなかった。



「兄上! 私に剣術を教えて下さい!」
 
 そんなエリーシャの言葉に兄のリンゼルは目を丸くしていたけれど。何か言いたそうな顔をしながらも、騎士たちの訓練に混ぜて貰えるようになった。

 剣を振り馬術を習い必死になっていると、エリーシャを取り巻く噂は、男の真似事をしている風変わりな王女と変わっていった。

 けれど剣や馬術は思いの外エリーシャに合っていた。
 励めば励むほど結果が出るし、身体を動かすのはとても楽しい。

(どんなに淑女を取り繕ったところで埋められない美貌とは違う)

 けれど結局、所詮自分は女なのだと思い知る事になる。

 力が全く違う。
 弾き返される剣の重さが腕に響く。
 十三歳に始めた男の真似事から二年が経った。
 子供で許されたものに制限が課せられていく。
 女のくせにという視線が強くなる。
 どんなに努力したとて……
 
 当たり前だが男にはなれなかった。

 

「私は男にはなれなくて、女として求められていない。人として生きるのに性別が必要なら、王族にもなれないのではないか?」

「何を馬鹿な事を……」

 皮肉を込めて笑うのは、ゼレイトン侯爵の嫡男オフィールオだ。彼は爵位継承を放棄し、姉夫妻に明け渡す手筈が進んでいる。一時ではエリーシャの降下先に選ばれていたのだけれど……

『お断りです』

 そう言われて爵位放棄を宣言されたのだから、余程自分が嫌なのだろうと思っていた。
 
「……俺が嫌なのは貴族社会です。あなたを娶ったら生涯窮屈な世界に身を置く事になる」
 すげないものいいは彼の常らしい。
 最初は驚いたが慣れると気にならないものだ。むしろ裏表もなく話せる珍しい貴族で、エリーシャは彼を気に入っていた。

「いや、いいんだけど……君に嫁したりしたら令嬢たちからの視線が益々厳しいものになる。それに君なら相手など選びたい放題だろう。何も私を貰う必要などない」

(獣族だけれど……)
 獣族と王族との婚姻。
 それは確かに歴史的な一歩ではあるけれど。
 先に兄上が獣族と婚姻を結んだ今、正直意味がない。むしろエリーシャまで獣族と結婚すれば、バランスを崩したと不興を買う事になるだろう。

 結局また、役立たずな自分……

 表情を無くすエリーシャにオフィールオは器用に片眉を上げてみせた。
「俺の話を聞いていましたか?」
「聞いていたよ」
「……ああ、聞こえていたけれど聞いていなかったようですね」
(だから聞いていたと言ってるのに)

 お互いイラッとした空気を纏っていると、オフィールオは呆れたように首を振った。
「外部の話を真に受けすぎです。あいつらは人の粗を探すのが生き甲斐という奴らなのに。ご丁寧に根も歯もない噂話に付き合う必要なんてありませんよ。馬鹿馬鹿しい」
 エリーシャは唇を尖らせた。

「必要あるよ。私は王族なんだから。私の存在が醜聞になるようでは王家に迷惑が掛かるじゃないか」
「……まあ気になるなら仕方ないでしょうけどね」
 面倒臭そうに会話を切り上げられ、オフィールオは立ち上がった。

 婚約を断った理由をわざわざ告げにきたらしいけれど、断られた事に変わりはないのだから何か意味があったのだろうかとも思う。
 口を引き結んで黙っていると、オフィールオは小さく息を吐いた。

「あなたの二番目の姉上が噂の出どころを叩き潰たのはご存知ですか?」
「……えっ」
「三番目の姉上は週に一度は手紙を送ると聞いています」
「あ、ああ……良く知ってるな……」

「どうも。俺にあなたの事を頼まれたのはリンゼル殿下です。周りに振り回されずに勝手に振る舞う俺を見れば、あなたも少しは気付くだろうと思ったのでしょう」
「兄上が?」

 何にだろうか……?
 自分に足りないもの? 責務? 自覚? 資質?
 オフィールオはゆっくりと頷いた。

「あの方たちはあなたを愛しておられる」
「っ?」
「あなたが何を求めようと、どう変わろうと、どんなあなたでも大事なのでしょう」

 だから、葛藤していたエリーシャを見ていたからこそ、止めなかった──

「ですがあなたはあの方々を見ていましたか?」
 責めるような物言いにエリーシャははっと顔を上げた。
「当然だ! 見ていた! 姉上たちのようになりたくて、私は……」
「同じ人間は二人いません」
「……っ」

「いらないと言っているのではなく……必要がないのです。似ていても違う。違う個性に価値があるのですから。だからあなたの真似事に意味はない」
「……」
「殿下たちは、あなたが自分の幸せを見出す手助けがしたかっただけです。真似事に付き合っていたのではなく、あなたの成長を見ていたのです。……愛しているから」

「愛……」
「美しいだの何だのは愛があるから口に出来るのです。それ以外は無責任な言葉。戯言です」
「戯言……」

 ふっと口元が緩んだ。
 この男の口から愛などという単語が出てきた事には驚いたが、そう言えば獣族は総じて情深い種族だった。
 オフィールオは0から1になる対象が極小のようだが……
 
「お前、それはいい過ぎだろう。だが……」

 少なくとも何に重きを置くか、オフィールオはちゃんと分かっている。

(気にかけるべくは他者の無責任な暴言ではなく、大事な人たちの愛情だったんだな……)

「俺をあなたの伴侶にどうかと仰った殿下は姉君方に張り飛ばれたそうですよ。……エリーシャ殿下はご兄姉たちに大事にされているのですね」

 ふっと緩むオフィールオの眼差しに恥ずかしさが込み上げる。

「お、お前だって、……何でそんなに自己評価が低いんだ? 優秀だと聞いているのに、爵位放棄だって……何で……」
「あなたには関係ありませんが……そうですね。私にとって大事な人たちの為、といいましょうか」
「……」

 ラーシャの夫は身分の低さを軽んじられていると聞いている。優秀なのに、その機会が与えられなかった人物なのだと……

「それに、俺は俺の性に合った生き方を選んだだけです。誰かの為だけではありませんから」

「自分の為、か……」

 きっとエリーシャに足りないのはそれなのだ。
 何だか肩の力が抜けたような気がする。焦っていた自分を見つめ直せるようにも。

「ありがとうオフィールオ……」
「お気になさらず。俺も医師の端くれ。王女殿下の一助となれたのなら本懐とも言えましょう」
 オフィールオはいつものように、誰にでも公平な無関心な眼差しで淡々と口にする。
「……そうか」
「それでは失礼します」
「ああ……」

 振り返る事もなく立ち去るオフィールオに苦笑が漏れる。

 本当に、自分本位で。
「私に興味が無いのだな」

 少しだけ、自嘲が溢れた。


 ◇


 エリーシャがカーフィ国に着いた時、出迎えた貴族の顔触れは、兄たちが訪れた頃と同じであったようだけれど……その面差しは皆憔悴しきっていた。

「大変だったな」

 謁見の間で思わずそう零せば微妙な反応が返ってくる。
(まあ仕方ない)
 噂以上とも言える。

「けれど、まだまだこれから先を考えなければならない」
「──国の為、ですよね」
 血色の悪い顔で告げるのは王太子のアレクシオだ。
「そうだ。この一年で君たちも知っただろう。支配と保護に甘え、閉鎖的な世界で甘んじていた環境が、どれ程危険な泥舟であったかを」
「……」

 当初は獣族からの追求を逃れる為に、輸出入に関する不自由を受け入れたのだろうけれど。
 存外居心地のよいその力を都合良く解釈し、続けてきたのは怠惰だろう。

「お前たちはどうしたい?」

 そう問えば困惑した顔が見て取れる。

「今迄……必死で……」

 そう答えたのはこの国の宰相だ。
 エリーシャは口の端を吊り上げた。
「頑張ってきたのは保身の為か?」
 はっと息を飲む声が聞こえる。

 貴族社会で安寧に過ごし、そして他国で厭われる者となった彼らに、ここを出て生きていく術などない。
「保身というのなら……死んででも逃げておりました」
 この場の多くのものが、そう項垂れ震え出した。

(一人で楽になりたいと、そんな考えが頭を掠めるのも当然だ)
 実際帝国としてもその方が介入しやすかっただろう。けれど、彼らは誰も欠ける事なく生きてきた。それはきっとそれぞれに大事なものがあるからだ。

「成る程な、己の本分を全うしてきた訳だ」
 手を取り合って必死に国を回してきたのだ。
 この状況で、環境で……

「今迄よくやってきたな」

 澱んだ空気が僅かに張り詰めるのを感じ、エリーシャは続けた。
「けれどまだまだこれからだ。国も、お前たちの顔色も良くなるべく善処し、邁進していこう。その為にお前たちの力が必要なのだと、くれぐれも肝に銘じておけ。私からは以上だ。細かい話は追って詰めていく事にしよう」

 踵を返すエリーシャを先導するのは帝国から連れてきた側近だ。
 向かうは王妃に与えられる居室。
 既に先方に話は通してあるし、そこを使おうと思ったのは、その方が仕事がしやすいから。

 聖女エアラは怪我の後遺症により病床に伏せ、神殿預かりとなる──と決まった。
(けれどまあ、念の為に面談は必要かな)
 放置しておけないようなら、隔離に適した場所へやらなければならない。
(できればアレクシオ殿下の近くに置いてあげたいものだけど)

 二人が恋仲である事は聞き及んでいる。
 帝国の圧力でその仲に亀裂が入りつつある事もだ。
 エリーシャは決定的に二人を引き裂く悪者になる。
(難しいよな……)

 側妃にするのも愛妾にするのも無理なのだ。エリーシャが許容できるのは秘密の恋人だけれど、間違えれば王妃を軽んじられる可能性もある。
 元々国の乗っ取りのような形なのだから、見つかれば益々やりにくくなるだろう。色々と気が重い。

「ご遠慮なさる必要は無いかと……」
 先導する側近がこちらの内心を見透かしたように口を挟む。
「まあ、そうなんだけどさ」
 やる事は沢山ある。
 ここに来る時は、レナジーナを筆頭にこの国を叩き潰せと迸る怒りを向けられてきた。
「でもさ」
(あんな姿を見てしまったらなあ)
 思わず頬を掻いてしまう。

 今尚自分たちの矜持を振り翳す馬鹿ならエリーシャも遠慮はしなかった。帝国が怖いから、言われた通りにしてきたのだと一言でも訴えられでもしたら……

(見限ってたけどね)

「でもさ、良く知らないし」
 結局はそこに尽きる。
 
 お膳立てされて来た自分の言い分なんて勝手なものかもしれないけれど、こっちにも国の立て直しという使命があるのだ。
 大望を掲げた以上、個人の禍根に振り回されるつもりはない。
 


「待って下さい!」

 後ろから掛けられた声に足を止める。
 先に振り向いた側近の眼差しで誰かは察せた。

「何だろうか……アレクシオ殿下」

 思った通り、そこには先程の顔色の悪い男が立っていた。

(……もしかしたらリンゼル兄上から尊厳やら威光などを削ぎ落としたら、こんな風に色褪せたものになるのかもしれない)
 多くを失った姿。
(こんな感じになるんだな)
 少しだけ哀愁を感じる。
 まあ、体調が優れなさそうという感想も、一概に間違いではないだろうけれど。

「あ、あなたは私たちをどうするつもりなのです?」
 焦るアレクシオにエリーシャはゆっくり首を傾げた。
「どう、とは……?」
「私たちは帝国の圧力の中で国力を保つ努力をしてきたのです。これまでの価値観を捨て一から生き直すのは決して簡単ではありませんでした。ですから……」
「待て待て、お前たちの力が必要だと言っただろう? 何を恐れているんだ?」
 そう言うとアレクシオは視線を彷徨わせてから口を開いた。

「私たちは何度も、これをやり遂げれば……許されるのだと……この苦難も終えるのだと……そう思ってきたのです。なのに……」
「ああ……」
 それはオフィールオの嫌がらせだろう。
 たった一年で随分振り回してくれたものだ。
 エリーシャはこっそりと息を吐き出した。

「こちらの伝達に不備があった事は謝ろう」
「あ、いえ……そういう訳では……いえ……」
「うん?」
 何かの決意を目に宿し、アレクシオは再びエリーシャに向き直る。
「我が国の国力をこれ以上低下させい為にも、臣下たちへの配慮をお願いしたい」

 真っ直ぐな眼差しを受け止め、エリーシャはにやりと笑った。
「お前、帝国が怖いくせに随分思い切った意見を言うのだな」

 そう言うとアレクシオはぎくりと身体を強張らせた。
「ひ、必要な……事だからです。過信では無く、彼らはとても優秀ですから」
 狼狽えた様子のアレクシオにエリーシャはうんうんと頷いてみせる。

「成る程、なあアレクシオ殿下」
「……何でしょう」
「良かったら一緒にお茶でもどうだい?」
 腕を組み、エリーシャはにっこりと笑って見せた。
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