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後編
13. テゼーリス帝国の動向
しおりを挟む「珍しいな、君が王宮に出仕するなんて?」
そう首を傾げるのは帝国の宰相──ウォルゼットだ。
この国に三人いる宰相の一人で一番若く、オフィールオやラーシャの幼馴染である。
飾り気の無い執務室にはところ狭しと書類が積み上げられている。メイドが仕事をしないのでは無い、彼が職場をいじられるのを嫌うのだ。
掃除のし難いこの空間を、いつか徹底的に磨き上げてやるのが、城勤めのメイドたちの一願であるのは、彼らの預かり知らない話であった。
そんな部屋にある応接スペースも、到底寛げる場所とは程遠い。
まあそんな長いするつもりは無いのだけれどと、オフィールオはテーブルの端に出されたお茶を見つめながらぼんやりと思う。
「君は侯爵位を姉夫婦に譲ってから、社交にも一切顔を現さなくなっただろう? 改まって珍しいな。どんな用だい?」
それはもう五年近く前の事、オフィールオが二十歳の頃だ。
「……お前の事だから、どうせあらかた予想はついているんだろう?」
何から話すべきかと空を見て、オフィールオはそれだけに留めた。ウォルゼットはそうだな、と楽しそうに顎を摩る。
「カーフィ国から連れ帰った令嬢の国籍かい? それとも先に式でも挙げたいのかな? あ、もしかしてもう子供でも出来たのかい?」
「……そんな訳無いだろう」
お茶を口にしていなくて良かった。
だが思った通り、この知り合いはこちらの事情を概ね把握しているようだ。
オフィールオは撫然と告げた。
「カーフィ国が獣族から遠巻きにされているとは聞いた事があったけれど、うちの領地からは遠くてな。縁もゆかりもないから今まで知らなかったよ。しかしそれでは済まないだろう。……俺たちにとって、無知は罪だ」
──貴族なら、権力者なら、知らなかったと責任逃れはしてはいけない。
オフィールオは爵位こそ継いでいないが、姉夫婦の意向で貴族籍から抜けていない。貴族というには中途半端な存在ではあるけれど。
「何だ、歯切れが悪いな。どうしたいんだ?」
「あの国へ贖罪を、求めたい……」
強い眼差しを対面へと向け、オフィールオは低く告げた。
「……ほう、一部の獣族の悲願だな」
ウォルゼットは腕を組み首を捻る。
「ただ直系が直接手を下せばやり過ぎるきらいがある。帝国としては別にカーフィ国を滅ぼしたい訳ではない。小国とは言え民が路頭に迷えば少なからず影響が出るだろうしな。……端的に言えば面倒事はごめんだ」
そこでにやりと口の端を吊り上げる。
「でも君が理性的に鉄槌を喰らわせてくれるなら有り難いかな。五百年も続いた確執を、これで終わりにできるかい?」
「……無茶をいうな。俺に出来る事なんて精々奴らに煮湯を飲ませるくらいだ。ついでに思い上がった鼻っ柱をへし折って、積み上げてきた自尊心が何の根拠もないゴミ屑だったと思い知らせてやるくらいはするけれど」
「それだけやりゃあ充分でしょ」
ウォルゼットは楽しそうに両手を合わせた。
思いがけず良い駒が手に入ったようだ。
それに……
久しぶりにやる気を見せる幼馴染の動向を楽しませて貰おうと、ウォルゼットはいきいきと身を乗り出すのだった。
◇
テゼーリス帝国の王太子妃であるレナジーラは不満だった。
兄がカーフィ国の貴族令嬢の亡命に手を貸すと耳にしたからだ。
そしてその場に無理に立ち会う為に、自分が今そこへと足を向けている事が不満なのである。
しかし見て見ぬ振りはできない。
レナジーラは帝国の四大公爵家の一つの出身であり、獣族の家系だ。
国民の半数が獣族であるこの国では、種族による差別は愚という感情が根付いている。確かに過去にはあったが、今では見る影もない。
しかし国内が差別の壁を乗り越え平穏に過ごせるのは、一重に過去の暗い歴史に向き合い、皆が反省の心を抱いているからだ。
……それなのにカーフィ国は、獣族の圧力に耐えきれないという理由で妻を迎え、挙句蔑ろにした。その上歴史から目を背け、自国に都合の良い内容しか後世に残していないとは、帝国が放つ耳目により把握している。
王太子妃としてレナジーラは歴史上、そんな不遇の目に合った女性に同情を禁じ得ない。
他国に孤独に嫁ぎ、夫に相手にされず、国から蔑ろにされたその女性に胸が痛んだ。どれ程心細かっただろうと……
国の為にその身を犠牲にした女性は、けれど決して故郷に助けを求めなかったそうだ。
何故ならそれをすれば必ず戦が起こった。そしてその最大の犠牲者はカーフィ国となると、彼女は知っていたからだ。
獣族の多くは身体的に人族より優れた者が多い。
命を散らす程ではないと、自身の待遇に彼女は耐えた。
それを知った故郷の獣族も、カーフィ国に手を出さずに彼女の意志を尊重したというのに。
それなのにあの国の彼女への仕打ちは酷過ぎるではないか。
それでいて対外的には聖女だなどと謳い、耳障りの良いお伽噺で誤魔化すなどと……
レナジーラのカーフィ国への印象はとても悪い。
勿論、王太子妃という自分の立場を自覚している。
公平でなければならない事も。
けれど、それ以上にレナジーラに根付いた感情が、あの国を許せないと叫ぶのだ。
だからレナジーラは今迄カーフィ国へは無関心を貫いた。気に掛ければ悪感情が勝ってしまい、あの国の不利を望んでしまう。それなら関わってはいけない。
そう、レナジーラは必死に自制してきた。
しかしそんなカーフィ国から貴族令嬢が亡命してくると耳にしては、とても冷静ではいられない。
聞けば元公爵令嬢というではないか。
冗談ではない。
あの国の王族に準じる立場の者など、信用ならない。
(どうせ我が国に貴族籍を置きたいとでも陳述して来るのでしょう。厚かましい事)
レナジーラは決して受け入れはしないと、決意を目に灯し王宮の応接室へと向かった。
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