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5. 無かった事に出来ない事が他にもある
しおりを挟む「三上さん!」
笑顔で手を振る河村君には、そろそろ遠慮して貰いたい。
何とか口元だけは笑みを浮かべているものの、私の目は既に死んでいる。
(そういえばこの人、こんな人だったかも……)
どちらかというと物静かな智樹とは違って、能動的というか、物怖じしない人だったなあ……
私は人見知りする方だったから、分け隔てない変わらないこんな態度を、ありがたいと思った時も、そういえばあったっけ。
元カレの事もあって忘れる努力をした人だったけど……
「お疲れ様です」
──とはいえ今は仕事中。
気持ちは切り替えていきましょう。
両手に抱えた書類に力を込め、会釈を返し書庫へ向かう。
踵を返すタイミングでちらりと視線を送れば、嬉しそうな美夏が目に留まった。
(美夏は研修担当だったのね)
この研修では新人同士で教え合わせる。
教える側のアウトプット目的と、新しい視点……初期の頃に抱いた感想をぶつけられ、どう回答を導き出すかが課題となっている。
これは、ベテラン社員を研修に参加させると、仕事のクオリティが下がるから。と苦情があった為らしい。
(まあお陰で二人に接点が出来たわけだし、一緒にいる時間が増えれば勝手にアプローチするでしょう……けど。ああ、嫌だなあ……)
私の中で、元カレを彷彿とさせるのに、河村君なんて最悪な人材だった。
◇
書庫での作業を黙々と終え、ぽんぽんと手を軽く払いよし、と一息つく。
そのままドアへ踵を返すと、そこには美夏が思い詰めた顔で立っていた。
「……美夏? どうしたの?」
「雪子……あんた……」
はあ、と溜息を吐いて顔を背ける。
「え、何?」
急いで近寄れば美夏にびしりと片手を突き出され、拒絶の姿勢を取られた。
「いいの! 本当は言って欲しかったけど、いいの! せめて早めに知れて良かったわ! じゃあ!」
「え、何? 何の話……? ちょっと美夏?? おーい」
扉の向こうに消えた背中を追いかけて廊下に出れば、笑顔の河村君が立っていて背中が強張る。
「か、河村君? 研修は?」
そう問われてにこりと笑いながら首を傾げる仕草はまあまあ様になっている。が、今は憎らしい。
「麻倉さん十五時から急な来客が入ったらしくてさ、代打を三上さんにして貰っちゃった。三上さんと麻倉さんは同期だし仕事も同じ内容だもんね。もちろん課長の同意も得てるから」
げっと口から出そうな悪態を何とか飲み込み、代わりに必死の抵抗を示した。
「い、嫌よ! 河村君と二人なんて……前科があるでしょ!」
はっと息を飲む。
慌てて自分の口を押さえて後退った。
「あ、やっぱ覚えてた?」
にこにこ笑いながら出口を塞いで迫ってくる河村君には恐怖しかない。ぐっと掴まれた手首に身体が強張った。
「ねえ三上さん、以前俺とキスしたよね」
「……」
私は唇を噛み締めた。
あれは……事故だ……
◇
『サークルの飲み会、三上さんもおいでよ』
『そうだね、おいでよ』
大学卒業の半年程前の事。
にこにこと声を掛けてきた河村君に釣られて同じサークルの女子部員の亜沙美さんにも誘って貰った。
たまに顔を出すだけなのに、いいのかなあ……なんて思いつつ。やっぱり嬉しくて、うんと返事をしたんだけど……
『参加するけど、その日は早く帰るから送れない』
眉根を寄せる智樹を見て、やっぱり断ろうかと思い直した。
『じゃあ、あたしが送ったげる! 三上さん同じ電車だしね!』
少しばかり重くなった空気を振り払うように、亜沙美さんが元気に申し出てくれて。
押し黙る智樹よりも、明るく受け入れてくれた亜沙美さんの誘いを断りたくなくて、私は飲み会に参加したのだ。
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