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「初めまして、廉堂 翔悟です」
そのたったの一言で、翔悟は部内の女性を魅了していた。
(あらお得。いいわね。営業向きじゃない)
見上げる程に高い身長。その上には形の良い小さな頭が乗っていて、中の造作も完璧だ。
少し色素の薄いサラサラとした髪に、同じ色合いの瞳。若干日に焼けた肌はすべすべと艶やかだ。
綺麗な顔に気品ある笑顔、姿勢もいい。
去年の新人の女の子は少し引っ込み思案だった。今回はなかなか堂に入っているではないか。
(流石、期待の新人君)
華子は上向く気持ちを抑え込み、出来るだけ平静を装い挨拶を口にした。
「初めまして教育担当の仁科です。マーケティング部でリーダーをしてます。一ヵ月間よろしくね」
まっすぐに翔悟を見据え、華子はきびきびと返した。
華子は職場ではあまり親しげな対応はしない。
これは華子が自身に課した取り決めである。
特にアラサーとは悲しくも難しいお年頃で、華子は小さいながらも役職持ちだ。
本来ならフレンドリーな挨拶をするべきかもしれないが、会社から渡された微妙な肩書きに、それは許されないと言われている気になる。
加えて友達のような関係で仕事を進めてしまうと、後々難しくなるのも経験済みだ。
なので華子は職場では「ちょっと近寄り難い仁科さん」で通している。
まあ少し寂しくはあるが仕方ない。同期との関係は良好なので、対等に話せる相手とは区別して付き合う……というスタイルでいる。
教育担当だと紹介された翔悟にそんな当たり障りの無い挨拶を返し、華子は首を捻った。
(……あら?)
綺麗に取り繕われた翔悟の表情が僅かに歪んだというか緩んだというか──崩れたような気がしたのだ。
でもそんな一瞬の違和感は瞬きの間に綺麗に消え失せていて。華子は気のせいかと気を取り直した。
◇
(……くっ、話には聞いていたけど……優秀ねっ)
それも相当に。
触れ込み通り、翔悟は期待の新人だった。
実際に彼の能力を目の当たりにして、華子は一層目を丸くしていた。
一聞けば十理解する。
そんな言葉を聞いた事はあるが、体感するのは初めてで。段々と自分の方が追い詰められていくような、妙な焦燥感に駆られつつある。
(負けたく無いっ)
入社七年の自分が、入ったばかり──どころか新社会人にやり込められる訳にはいかない。華子はふんすと気合いを入れ直した。
「──仁科さん、ここの数字の取り方を教えて下さい」
「ああ、ここは──」
「こっちの数字を使うのはダメなんですか?」
「うん。この資料にはここの分が混ざってるから……」
負けじとせっせと指示を出す。
しかしそんな華子の奮起にも、翔悟は介さず食い下がってくる。
そんな翔悟とのやりとりに、華子はやりがいを見出し、モチベーションを昂らせていった。
「もー。仁科さんったら、やりすぎですよ? 廉堂君、大丈夫ー?」
「あっ、ごめ……」
翔悟とのやりとりにのめり込んでいた華子はハッと我に返った。同じように緊張が解けたらしい翔悟は首を傾げ、笑っている。
「そうですか? 僕には仁科さんの指導、有り難いです。凄く勉強になりますから」
「……っ」
(ちょっ、それ反則)
いつもの笑顔に色味が差して、凄みが増している。
そんな翔悟の心からの賞賛に、華子は思わず照れてしまう。
(上司を立てる事も忘れないなんて、どこまで完璧なのかしら)
内心ででれでれしていると、結芽がキャッと手を叩いた。
「廉堂君エライー、真面目だねえー。よしよしお姉さんがご褒美にお昼を奢ってあげるー」
「あはは、嬉しいです。ありがとうございます」
はしゃぐ結芽に翔悟は笑顔と応じている。
頭が優秀なだけでなく、人付き合いや対人関係にも問題なさそうだ。
(本当、隙のない子だなあ……)
華子はそのスペックに舌を巻いた。
「仁科さんも……」
そう振り返る翔悟に華子は手を振って遠慮した。
「私は少し用事を片付けたいから、お二人でどうぞ?」
結芽の応援をする訳ではないが、隙間時間に片付けたい仕事がある。
困ったように眉を下げる翔悟と満面の笑みを浮かべる結芽に笑いかけ、華子はデスクに向き直った。
……研修期間、華子は上司に状況報告をする義務があるのだが、そんな上の期待に充分応えられるだけの結果を、翔悟は残してきた。
指導者の贔屓目なしに、翔悟はよく頑張ったと思う。
力が入った華子の指導にも、厳しい態度にも動じずついてきてくれた。
──だからつい、その日の仕事終わり、声を掛けてしまったのだ。
研修期間も残すところあと一週間。そんな最後の金曜日だった。
(お昼を一緒に取る時間は無かったから)
勿論翔悟に予定があれば遠慮したし、上司と飲むのが気疲れなようなら無理強いするつもりなど無かった。
(部のお別れ会は来週あるけど……)
一杯くらい、一時でも上司だった自分が労ってもいいんじゃないかと。
直向きに頑張る彼に、そんな気持ちが湧いたのだ。
「嬉しいです、仁科さん」
そう言って笑った翔悟の顔は、いつもの綺麗な笑顔ではなくて、不思議と蕩けるように見えた。
目の錯覚かなとは思ったものの。喜んでくれた事が素直に嬉しかったし、どうやら自分の指導ぶりも中々だった訳だな、なんて自惚れつつ納得した。
そのたったの一言で、翔悟は部内の女性を魅了していた。
(あらお得。いいわね。営業向きじゃない)
見上げる程に高い身長。その上には形の良い小さな頭が乗っていて、中の造作も完璧だ。
少し色素の薄いサラサラとした髪に、同じ色合いの瞳。若干日に焼けた肌はすべすべと艶やかだ。
綺麗な顔に気品ある笑顔、姿勢もいい。
去年の新人の女の子は少し引っ込み思案だった。今回はなかなか堂に入っているではないか。
(流石、期待の新人君)
華子は上向く気持ちを抑え込み、出来るだけ平静を装い挨拶を口にした。
「初めまして教育担当の仁科です。マーケティング部でリーダーをしてます。一ヵ月間よろしくね」
まっすぐに翔悟を見据え、華子はきびきびと返した。
華子は職場ではあまり親しげな対応はしない。
これは華子が自身に課した取り決めである。
特にアラサーとは悲しくも難しいお年頃で、華子は小さいながらも役職持ちだ。
本来ならフレンドリーな挨拶をするべきかもしれないが、会社から渡された微妙な肩書きに、それは許されないと言われている気になる。
加えて友達のような関係で仕事を進めてしまうと、後々難しくなるのも経験済みだ。
なので華子は職場では「ちょっと近寄り難い仁科さん」で通している。
まあ少し寂しくはあるが仕方ない。同期との関係は良好なので、対等に話せる相手とは区別して付き合う……というスタイルでいる。
教育担当だと紹介された翔悟にそんな当たり障りの無い挨拶を返し、華子は首を捻った。
(……あら?)
綺麗に取り繕われた翔悟の表情が僅かに歪んだというか緩んだというか──崩れたような気がしたのだ。
でもそんな一瞬の違和感は瞬きの間に綺麗に消え失せていて。華子は気のせいかと気を取り直した。
◇
(……くっ、話には聞いていたけど……優秀ねっ)
それも相当に。
触れ込み通り、翔悟は期待の新人だった。
実際に彼の能力を目の当たりにして、華子は一層目を丸くしていた。
一聞けば十理解する。
そんな言葉を聞いた事はあるが、体感するのは初めてで。段々と自分の方が追い詰められていくような、妙な焦燥感に駆られつつある。
(負けたく無いっ)
入社七年の自分が、入ったばかり──どころか新社会人にやり込められる訳にはいかない。華子はふんすと気合いを入れ直した。
「──仁科さん、ここの数字の取り方を教えて下さい」
「ああ、ここは──」
「こっちの数字を使うのはダメなんですか?」
「うん。この資料にはここの分が混ざってるから……」
負けじとせっせと指示を出す。
しかしそんな華子の奮起にも、翔悟は介さず食い下がってくる。
そんな翔悟とのやりとりに、華子はやりがいを見出し、モチベーションを昂らせていった。
「もー。仁科さんったら、やりすぎですよ? 廉堂君、大丈夫ー?」
「あっ、ごめ……」
翔悟とのやりとりにのめり込んでいた華子はハッと我に返った。同じように緊張が解けたらしい翔悟は首を傾げ、笑っている。
「そうですか? 僕には仁科さんの指導、有り難いです。凄く勉強になりますから」
「……っ」
(ちょっ、それ反則)
いつもの笑顔に色味が差して、凄みが増している。
そんな翔悟の心からの賞賛に、華子は思わず照れてしまう。
(上司を立てる事も忘れないなんて、どこまで完璧なのかしら)
内心ででれでれしていると、結芽がキャッと手を叩いた。
「廉堂君エライー、真面目だねえー。よしよしお姉さんがご褒美にお昼を奢ってあげるー」
「あはは、嬉しいです。ありがとうございます」
はしゃぐ結芽に翔悟は笑顔と応じている。
頭が優秀なだけでなく、人付き合いや対人関係にも問題なさそうだ。
(本当、隙のない子だなあ……)
華子はそのスペックに舌を巻いた。
「仁科さんも……」
そう振り返る翔悟に華子は手を振って遠慮した。
「私は少し用事を片付けたいから、お二人でどうぞ?」
結芽の応援をする訳ではないが、隙間時間に片付けたい仕事がある。
困ったように眉を下げる翔悟と満面の笑みを浮かべる結芽に笑いかけ、華子はデスクに向き直った。
……研修期間、華子は上司に状況報告をする義務があるのだが、そんな上の期待に充分応えられるだけの結果を、翔悟は残してきた。
指導者の贔屓目なしに、翔悟はよく頑張ったと思う。
力が入った華子の指導にも、厳しい態度にも動じずついてきてくれた。
──だからつい、その日の仕事終わり、声を掛けてしまったのだ。
研修期間も残すところあと一週間。そんな最後の金曜日だった。
(お昼を一緒に取る時間は無かったから)
勿論翔悟に予定があれば遠慮したし、上司と飲むのが気疲れなようなら無理強いするつもりなど無かった。
(部のお別れ会は来週あるけど……)
一杯くらい、一時でも上司だった自分が労ってもいいんじゃないかと。
直向きに頑張る彼に、そんな気持ちが湧いたのだ。
「嬉しいです、仁科さん」
そう言って笑った翔悟の顔は、いつもの綺麗な笑顔ではなくて、不思議と蕩けるように見えた。
目の錯覚かなとは思ったものの。喜んでくれた事が素直に嬉しかったし、どうやら自分の指導ぶりも中々だった訳だな、なんて自惚れつつ納得した。
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