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「──それでその人が……凄くカッコよくて……」
部内の女子社員のお喋りに耳を傾けながら、華子は先週末の母の言葉を思い起こしていた。
『そろそろどうなの?』
それは適齢期と呼ばれる女性への、親からの期待──「結婚」の催促である。
『どうもこうもないってば』
そして毎度、返す言葉にはこうして棘が含まれてしまう。
『あなた、今年の夏にはもう三十歳になるのに……』
(すみませんねえ……)
そんな母からの止めの一撃で、その日も華子は撃沈しベッドに沈んだ。
一体いつになったら諦めて、放っておいてくれるのか──
適齢期に、結婚を考えた恋人から振られたせいかもしれない。
まあでもそれは、彼は違っていた、というだけだ。
元彼とは二十八歳の時にお別れしている。彼は四歳も歳下で、当時二十四歳だった。
華子は落ち着いた容姿のせいか、年下ばかりに声を掛けられる事が多かったのだが……
『結婚するなら可愛いお嫁さんがいいんだ』
酔って吐いた彼の本音にポカンとした。
自分が可愛い系でない事なんて百も承知だ。
肩より少し長い真っ黒な髪に、平均より高めの身長。
染髪も手の込んだ化粧も面倒で、容姿も性格にも色気は無い方だと自負している。
褒め言葉は「日本人形」だが、恐らくその心は「こけし」だと踏んでいる。
華子は思わず俯いて、酒の勢いのまま紡がれる彼の言葉に耳を傾けた。
『華子はさ、隙が無いんだよな。それに……』
それから彼は延々と心境を吐露してくれた。
元々自分自身に自信がなくて、甘えやすそうな華子に声を掛けただけ。……華子の事は特に好みじゃない、とまで吐き出してくれた。
(あー。二年間、無駄にした)
それでもそう思えるまでは、それなりに時間が掛かった。
華子なりに彼の事が好きだったから。
今から思えば、あれは彼の「結婚する気はない」という予防線だったのだろう。或いは遠回りな別れ話だったのかもしれない。
その一年後に彼の結婚が決まったと人伝に聞き、その考えに間違いは無かったんだなー、なんて少しだけ自嘲したけれど。
(別れたいってはっきり言ってくれた方が良かったよ)
そんな風に思い返しては溜息を吐いていた。
まあ流石にもう、元彼の事なんて引きずってはいないけれど……
「──……いいなあー、仁科さん」
ふと掛けられた声に華子の意識が浮上する。
「えっと、何……?」
聞いているようで聞いていなかった後輩たちのお喋りに、華子は首を傾げた。
「だからぁ」
じれったい華子の反応に部内の若手女子、観月 結芽が身を捩る。
「今年の新入社員No.1ですよ! イケメンの!」
「あー……うん、そう。情報が早いわね」
キラキラと目を輝かせる結芽に、華子は素直に頷いた。
結芽が羨ましがっているのは、華子が担う「新入社員の教育担当」という立場である。
華子の会社では新入社員は二週間の総合研修の後、各部に実施研修を割り振っている。
それが入社して七年。マーケティング部で小さな肩書きを持つ華子にも、いよいよ白羽の矢が立ったのだ。
そしてその彼が女子社員たちの期待の新人──
華子は手元の資料を確認した。
確かに写真でも分かるくらい整った顔をしている。加えて総合研修の評価もとても高い。
(凄く期待されてるみたい……)
確か入社試験の成績も一番だったらしく、華子としても気が引き締まる思いである。
「その人がうちの部に研修にくるだけで嬉しいのに! 仁科さん教育係ですよ、マンツーマンですよ! 分かってるんですか?!」
「うーん。まあ眼福よね、きっと」
嫌いな顔立ちではないけれど、顔は全てではないと華子は思う。とは言え結芽の気持ちも分からなくはない。
(まあ、それも仕方ないか)
彼女は今年二十五歳。
まだまだ若く溌剌とした一女子社員なのだ。
明るく染めた髪に流行りのアクセサリー。愛らしい容姿は垢抜けているし、素敵な男性に胸をときめかせるお年頃だ。
そんなウキウキとした心境は、その年頃の華子にだって覚えがある。
とはいえ華子は教育担当になるのだ。結芽と同じようにはしゃく訳にはいかない。
「……うーん。でも、去年もいたじゃないカッコいい人とやら。……ていうか毎年いるわよね? 一昨年もいたし……?」
そう濁せば結芽はキッと眼差しを強めた。
「そんな昔の話! そもそも去年はうちに研修に来たのは女の子だったじゃないですか!」
「あー。うん、まあそうだけど……」
「そういえば彼ら、出身大学も同じらしいですよ。いいなあーハイスペックな男子が多い大学なんて。はあ~、お近づきになりたい」
両手を組んでうっとりと天井を見つめる結芽に華子は苦笑を漏らした。
「でも観月さん、何だかんだで仲良くなっちゃうじゃない?」
華子の会社は社内恋愛は自由である。
行事の手伝いには部署を跨いで駆り出されるし、そういった繋がりで社内の恋愛率はそこそこ高い。
なので。
確か結芽は去年のNo.1とも、しっかり縁を繋いでいた筈だ。
すると結芽は腰に手を当てて頬を膨らませた。
「もー、そんな昔の話。去年の人は受付の子が持って行っちゃったんですよー。やっぱり秘書や受付は強いですね。でも今年はマーケティング部も負けてませんよ! スタートダッシュが違うんですから!」
結芽は何やらめらめらと燃えているが、華子としては仕事に差し障りがないならまぁいいか──と思ったところでふと思い立つ。
そうだ、イケメン到来で部が浮ついた雰囲気になっても困る。
「分かった分かった。分かったから仕事はしっかりね。新入社員に先輩として失望されないように、手本となる一ヵ月を心掛けて下さい。はい皆さんもよろしくね!」
パンパンと手を叩き声を張る。
この話題を「イケメン楽しみ」なだけで終わらせてはいけない。既存部員の士気も上げて貰わないと。
華子は上司の顔で場を締めた。
「しっかり者より甘え上手な方がいいに決まってるー」
そんな結芽の呟きは、聞こえなかった事にした。
部内の女子社員のお喋りに耳を傾けながら、華子は先週末の母の言葉を思い起こしていた。
『そろそろどうなの?』
それは適齢期と呼ばれる女性への、親からの期待──「結婚」の催促である。
『どうもこうもないってば』
そして毎度、返す言葉にはこうして棘が含まれてしまう。
『あなた、今年の夏にはもう三十歳になるのに……』
(すみませんねえ……)
そんな母からの止めの一撃で、その日も華子は撃沈しベッドに沈んだ。
一体いつになったら諦めて、放っておいてくれるのか──
適齢期に、結婚を考えた恋人から振られたせいかもしれない。
まあでもそれは、彼は違っていた、というだけだ。
元彼とは二十八歳の時にお別れしている。彼は四歳も歳下で、当時二十四歳だった。
華子は落ち着いた容姿のせいか、年下ばかりに声を掛けられる事が多かったのだが……
『結婚するなら可愛いお嫁さんがいいんだ』
酔って吐いた彼の本音にポカンとした。
自分が可愛い系でない事なんて百も承知だ。
肩より少し長い真っ黒な髪に、平均より高めの身長。
染髪も手の込んだ化粧も面倒で、容姿も性格にも色気は無い方だと自負している。
褒め言葉は「日本人形」だが、恐らくその心は「こけし」だと踏んでいる。
華子は思わず俯いて、酒の勢いのまま紡がれる彼の言葉に耳を傾けた。
『華子はさ、隙が無いんだよな。それに……』
それから彼は延々と心境を吐露してくれた。
元々自分自身に自信がなくて、甘えやすそうな華子に声を掛けただけ。……華子の事は特に好みじゃない、とまで吐き出してくれた。
(あー。二年間、無駄にした)
それでもそう思えるまでは、それなりに時間が掛かった。
華子なりに彼の事が好きだったから。
今から思えば、あれは彼の「結婚する気はない」という予防線だったのだろう。或いは遠回りな別れ話だったのかもしれない。
その一年後に彼の結婚が決まったと人伝に聞き、その考えに間違いは無かったんだなー、なんて少しだけ自嘲したけれど。
(別れたいってはっきり言ってくれた方が良かったよ)
そんな風に思い返しては溜息を吐いていた。
まあ流石にもう、元彼の事なんて引きずってはいないけれど……
「──……いいなあー、仁科さん」
ふと掛けられた声に華子の意識が浮上する。
「えっと、何……?」
聞いているようで聞いていなかった後輩たちのお喋りに、華子は首を傾げた。
「だからぁ」
じれったい華子の反応に部内の若手女子、観月 結芽が身を捩る。
「今年の新入社員No.1ですよ! イケメンの!」
「あー……うん、そう。情報が早いわね」
キラキラと目を輝かせる結芽に、華子は素直に頷いた。
結芽が羨ましがっているのは、華子が担う「新入社員の教育担当」という立場である。
華子の会社では新入社員は二週間の総合研修の後、各部に実施研修を割り振っている。
それが入社して七年。マーケティング部で小さな肩書きを持つ華子にも、いよいよ白羽の矢が立ったのだ。
そしてその彼が女子社員たちの期待の新人──
華子は手元の資料を確認した。
確かに写真でも分かるくらい整った顔をしている。加えて総合研修の評価もとても高い。
(凄く期待されてるみたい……)
確か入社試験の成績も一番だったらしく、華子としても気が引き締まる思いである。
「その人がうちの部に研修にくるだけで嬉しいのに! 仁科さん教育係ですよ、マンツーマンですよ! 分かってるんですか?!」
「うーん。まあ眼福よね、きっと」
嫌いな顔立ちではないけれど、顔は全てではないと華子は思う。とは言え結芽の気持ちも分からなくはない。
(まあ、それも仕方ないか)
彼女は今年二十五歳。
まだまだ若く溌剌とした一女子社員なのだ。
明るく染めた髪に流行りのアクセサリー。愛らしい容姿は垢抜けているし、素敵な男性に胸をときめかせるお年頃だ。
そんなウキウキとした心境は、その年頃の華子にだって覚えがある。
とはいえ華子は教育担当になるのだ。結芽と同じようにはしゃく訳にはいかない。
「……うーん。でも、去年もいたじゃないカッコいい人とやら。……ていうか毎年いるわよね? 一昨年もいたし……?」
そう濁せば結芽はキッと眼差しを強めた。
「そんな昔の話! そもそも去年はうちに研修に来たのは女の子だったじゃないですか!」
「あー。うん、まあそうだけど……」
「そういえば彼ら、出身大学も同じらしいですよ。いいなあーハイスペックな男子が多い大学なんて。はあ~、お近づきになりたい」
両手を組んでうっとりと天井を見つめる結芽に華子は苦笑を漏らした。
「でも観月さん、何だかんだで仲良くなっちゃうじゃない?」
華子の会社は社内恋愛は自由である。
行事の手伝いには部署を跨いで駆り出されるし、そういった繋がりで社内の恋愛率はそこそこ高い。
なので。
確か結芽は去年のNo.1とも、しっかり縁を繋いでいた筈だ。
すると結芽は腰に手を当てて頬を膨らませた。
「もー、そんな昔の話。去年の人は受付の子が持って行っちゃったんですよー。やっぱり秘書や受付は強いですね。でも今年はマーケティング部も負けてませんよ! スタートダッシュが違うんですから!」
結芽は何やらめらめらと燃えているが、華子としては仕事に差し障りがないならまぁいいか──と思ったところでふと思い立つ。
そうだ、イケメン到来で部が浮ついた雰囲気になっても困る。
「分かった分かった。分かったから仕事はしっかりね。新入社員に先輩として失望されないように、手本となる一ヵ月を心掛けて下さい。はい皆さんもよろしくね!」
パンパンと手を叩き声を張る。
この話題を「イケメン楽しみ」なだけで終わらせてはいけない。既存部員の士気も上げて貰わないと。
華子は上司の顔で場を締めた。
「しっかり者より甘え上手な方がいいに決まってるー」
そんな結芽の呟きは、聞こえなかった事にした。
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