上 下
60 / 71
3章 解かれるものと結ばれるもの

58. 兄弟② ※ ロアン視点

しおりを挟む

 ロアンはふと息を吐いた。
 父のようにはなるなと、言い含められていた兄は、真面目な男であったのに。
 けれど、それゆえ彼は脆かったのかもしれない。

 ロアンと兄は三十も歳が離れているから、物心ついた時はもう兄は大人で。歳が離れすぎて祖父のような父よりもずっと、父親のような頼もしさがあった。

 けれどやはり、と言うべきか……兄の結婚は遅かった。
 国内では父王の臣下たちがよく言い含めていたのだろう、気安く兄に近づく女性はいなかった。
 兄もまた、女嫌いだったのだと思う。
 ロアンが物心ついた頃でもまだ、彼は結婚どころか婚約者すらいなかったのだから。



 けれどある時、国としてどうしても断りきれない縁談が他国から舞い込んだ。
 ようやっと兄は結婚をし、その時初めて、ずっと遠ざけてきた女に触れて───それが多分、良くなかった。
 元父の臣下たちがそれを持って引退した事も重なり、

(妃はやりやすかっただろうな……)

 兄の周りに女はいなかった。
 けれど近付く理由が公的なものなのだ。
 夫婦として仲良くしようと言われれば、断る理由などなかったのだから。

 第一妃に何と吹き込まれてきたかは、聞いていなくとも思い当たってしまう自分が嫌になる。

『私はあなたの味方ですわ、ロアン様』

 ティリラがよく口にしていた、分かったような科白。

『あなたの辛さを癒やして差し上げたい』

 一体何様なのかと思って不快を覚えたのは、恐らくティリラに兄の妻たちが重なって見えたから。
 甘ったるい表情で誑し込み、隙を作って誘い込もうと、けれどその目の奥は爛々らんらんとしている。
 ロアンにはそう見えたというだけで、実際はどうだは分からないけれど───

 ロアンは一人だったから。
 ロアンの母は離宮に召し上げられたものの、直ぐに辞去した。
 他の愛妾たちに追い出されたと言っても過言では無い。
 父王に見染められ囲われた母の年齢は、王位を継いだ父と大して変わらなかった。

 箱入りだった母には辛い環境だっただろう。年齢的にも、まだ幼さの残る彼女では、戦い抜く力など無かったのだ。

 だからロアンは一人、残された。



 背を向けられる事に慣れすぎて、近づいてくるものには警戒か威嚇しか出来なかった。そんな中で、
 大丈夫大丈夫と声を掛けながら伸びてきたティリラのあの手は、自分を犬猫のように飼い慣らそうという卑しさしか感じられず……

 自分の傍にいる女性と言えば、乳母のエンラや侍従の娘や弟妹たち。
 兄と同じようにロアンの周りの女たちも皆、ロアンに色を見せないように教育されていた者ばかりだった。
 婚約者のナタリエでさえ、そうだったのだ。

 けれどそれが普通だと思ってもいた。
 恋の一つでも……と、嘆くエンラには申し訳無かったが、ロアンは、ロアンこそが父や兄のようになる事が御免で、怖かったのだ。
 
(だから……)

 背後でこちらを見守っているであろう気配に意識が取られる。

 だからもし、自分が妻に望む事が許されるとしたら、その相手は庇護欲をそそるでも、心を癒してくれる人でもなく、共に立ち向かい、乗り越えようとする誰かがいいのだと───

 そんな考えを振り払うべく首を横に振り、意識を目の前に向け直す。
 今はそんな事を考えている時では無い。
 同じく背後にある、強い意志で立つ隣国の王弟の気配が、何かを察したように揺らいだのが感じられて。
 思わず漏れそうな苦笑を噛み殺し、ロアンは呆然と自分を振り仰ぐ兄王を、改めて見下ろした。


 父は女に溺れ、兄は女の傀儡となった。
 どうせ第二妃第三妃の選別も、行ったのは第一妃。

 男児が産まれないが為に皇室から出た要望を逆手に、彼女は自分の有利に事を勧めたのだろう。
 子を成せない事を理由に、涙ながらに自ら側妃を選ぶ姿は、さぞ兄の同情を誘ったに違いない。

 幼い頃から厳しく躾けられ、王たる器たれと、臣下たちから多くを求められてきた人───
 そんな兄に彼女のその姿がどれ切なく甘く響いたのかは、想像だに硬く無い。寄り添う存在。そんな人の有り難みを、ロアンだって分からなくも無い。

 ロアンは兄を憐れんだ。
 何故なら結局、人は、身近に誰かがいても、いなくても、脆く堕ち易い。或いはそこにへたり込んでいたのは、自分だったのかもしれないのだから。

 何かを辿るように視線を彷徨わせる国王を見据えた。

 ふと兄弟の視線が絡む。
 互いの眼差しの中で、嫌悪と、僅かに灯る兄弟の情。
 けれどそれを遮るようにロアンはきつく目を閉じた。
 過去はいらない。

「もう結構です、兄上。話し合うのは今までの事では無く、これからの事です」

 ロアンは進むと決めたのだから───





 イルム国の要人に危害を加え、内乱に巻き込み世界遺産を破壊した行為。
 そしてそれを妃が軽んじていたという事実───妃教育を放棄する事を許し、甘やかしてきた王。

 目の前に突きつけられた刃に退位と崩御のいずれかを迫られ、王は肩を落とし前者を選んだ。
 何かを言いたそうにしては口籠る王を、ロアンは一瞥もくれずに無言を貫きやり過ごす。





「陛下! こんな茶番に付き合う必要はございませんわ!」

 いつからいたのかは分からないが、妃の一人が声を張り上げた。三人の妃たちに、侍女も合わせて十人程の女性たちが、皆揃って不遜な態度でロアンを睨みつけている。

「あなた方は陛下の退位と共に離宮への幽閉が決まっている」

(とりあえずの処置として、な)

 静かに告げれば第一妃は目を剥いて吠え出した。

「ふざけるな! お前如きが我らに何を命じられると思っている! 自惚れるのも大概にせよ!」

 気の強い事で、彼女たちは誰一人ロアンに屈服する素振りも見せる様子は無い。

 ロアンを侮っている。
 少し押せば転げ落ち、あっさりと視界から消えた、ただの弱者。
 だから逃げも隠れもしなかったのかもしれない。
 この場に似つかわしく無い妃たちの煌びやかな衣装が、彼女たちの心情を物語っているように見える。
 彼女たちにある、驕りと慢心が……

「悪いがこれ以上、話す事は何も無い」

 連れて行けと暗に示唆するロアンに応じ、騎士たちが妃たちを引き摺っていく。その様を王は呆然と見送っていた。

 彼女たちはまだ信じていない。
 自分たちがこれから罪に問われ、裁かれる事を。
 ロアンを嵌めた罪に始まり、違法薬物の所持使用。国宝の建築物の崩壊。殺人に手を染めなかったのは、それが他国でも「犯罪」だという認識があったからだろうか……

 ならば不貞はどうなのだろう。
 妃たちが国を牛耳る勢いで城を制覇していると、当然彼女たちの母国は知っていた。
 国を乗っ取るなど、簡単なのだ。
 血を混ぜてしまえばいい。
 そしてそれを正当なものとして国に立たせてしまえば、後から全て奪うのは容易いだろう。
 既に城を牛耳る者は皆、異物なのだから……

 乱暴な考え方だが、先代の臣下たちには考えつかなかったようだ。まさかそんなやり方などありえない。国を制するなら戦だろう、と……そんな無骨な考えの者しかいなかった。
 それもまた、父王が女に溺れたが故の人選だったのだろうけれど。

 高い確率で兄の息子はこの国の王家の血を継いでいない。
 この国では犯罪だが、妃たちの国にとっては「正当」な行為だったのかもしれない。
 彼女たちもまた、母国の傀儡なのだから。
 いずれにしてもその「何故か」は裁判で後に彼女たちが語るだろう。

 ロアンは兄を見た。
 王位を奪われ、縋ってきた妃たちは捕らわれ、やっと授かった息子は他の男の子───
 けれど今の哀れなその様は……

「その今のあなたの姿が、この国の現状なのです、兄上」

 その言葉に王ははっと身動ぎをした。

「彼らは全て奪われ打ちひしがれ、今城外でこの国の元凶が排除される事を望んでいます。願わくば……」

 せめて最後は王として

 静かに口にするロアンにノウル国王はがくりと頭を下げた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】いいえ。チートなのは旦那様です

仲村 嘉高
恋愛
伯爵家の嫡男の婚約者だったが、相手の不貞により婚約破棄になった伯爵令嬢のタイテーニア。 自分家は貧乏伯爵家で、婚約者の伯爵家に助けられていた……と、思ったら実は騙されていたらしい! ひょんな事から出会った公爵家の嫡男と、あれよあれよと言う間に結婚し、今までの搾取された物を取り返す!! という事が、本人の知らない所で色々進んでいくお話(笑) ※HOT最高◎位!ありがとうございます!(何位だったか曖昧でw)

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

愛するつもりなぞないんでしょうから

真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」  期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。    ※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。  ※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。  ※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。 ※おまけ更新中です。

愛するあなたへ最期のお願い

つぶあん
恋愛
アリシア・ベルモンド伯爵令嬢は必死で祈っていた。 婚約者のレオナルドが不治の病に冒され、生死の境を彷徨っているから。 「神様、どうかレオナルドをお救いください」 その願いは叶い、レオナルドは病を克服した。 ところが生還したレオナルドはとんでもないことを言った。 「本当に愛している人と結婚する。その為に神様は生き返らせてくれたんだ」 レオナルドはアリシアとの婚約を破棄。 ずっと片思いしていたというイザベラ・ド・モンフォール侯爵令嬢に求婚してしまう。 「あなたが奇跡の伯爵令息ですね。勿論、喜んで」 レオナルドとイザベラは婚約した。 アリシアは一人取り残され、忘れ去られた。 本当は、アリシアが自分の命と引き換えにレオナルドを救ったというのに。 レオナルドの命を救う為の契約。 それは天使に魂を捧げるというもの。 忽ち病に冒されていきながら、アリシアは再び天使に希う。 「最期に一言だけ、愛するレオナルドに伝えさせてください」 自分を捨てた婚約者への遺言。 それは…………

悪役令嬢に仕立てあげられて婚約破棄の上に処刑までされて破滅しましたが、時間を巻き戻してやり直し、逆転します。

しろいるか
恋愛
王子との許婚で、幸せを約束されていたセシル。だが、没落した貴族の娘で、侍女として引き取ったシェリーの魔の手により悪役令嬢にさせられ、婚約破棄された上に処刑までされてしまう。悲しみと悔しさの中、セシルは自分自身の行いによって救ってきた魂の結晶、天使によって助け出され、時間を巻き戻してもらう。 次々に襲い掛かるシェリーの策略を切り抜け、セシルは自分の幸せを掴んでいく。そして憎しみに囚われたシェリーは……。 破滅させられた不幸な少女のやり直し短編ストーリー。人を呪わば穴二つ。

傷物令嬢シャルロットは辺境伯様の人質となってスローライフ

悠木真帆
恋愛
侯爵令嬢シャルロット・ラドフォルンは幼いとき王子を庇って右上半身に大やけどを負う。 残ったやけどの痕はシャルロットに暗い影を落とす。 そんなシャルロットにも他国の貴族との婚約が決まり幸せとなるはずだった。 だがーー 月あかりに照らされた婚約者との初めての夜。 やけどの痕を目にした婚約者は顔色を変えて、そのままベッドの上でシャルロットに婚約破棄を申し渡した。 それ以来、屋敷に閉じこもる生活を送っていたシャルロットに父から敵国の人質となることを命じられる。

【1/1取り下げ予定】本当の妹だと言われても、お義兄様は渡したくありません!

gacchi
恋愛
事情があって公爵家に養女として引き取られたシルフィーネ。生まれが子爵家ということで見下されることも多いが、公爵家には優しく迎え入れられている。特に義兄のジルバードがいるから公爵令嬢にふさわしくなろうと頑張ってこれた。学園に入学する日、お義兄様と一緒に馬車から降りると、実の妹だというミーナがあらわれた。「初めまして!お兄様!」その日からジルバードに大事にされるのは本当の妹の私のはずだ、どうして私の邪魔をするのと、何もしていないのにミーナに責められることになるのだが…。電子書籍化のため、1/1取り下げ予定です。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

処理中です...