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15.
しおりを挟む「まずは子供の頃の私の愚かな行動を謝罪したい」
そう言ってシェイドは深く頭を下げた。
綺麗な形の頭を見下ろす形になり、リエラはオロオロしてしまう。
「お顔を上げて下さい。……そんな、子供の頃の話ではないですかっ」
言いながら自分もその話を引き摺っていた事に思い至り、言葉が途切れる。
「許しを得るまで頭は上げられない」
「許すもなにも……いえ、許します! わかりましたから!」
そう叫べばゆるゆるとシェイドの頭が持ち上がる。その表情は眉が下がり、今にも泣き出しそうな子供のようだった。
「ありがとう」
「……そんな。私の方こそ、謝って頂いて、ありがとうございます……」
正直とても詰れる気にはならないし、こうして謝って貰えてリエラは素直に嬉しいと思った。
自分が悪かったと思っていても、ぶつけられた態度や言葉に子供心に傷ついていた。
シェイドの言葉で、そんな頑なだった心が解れたような気がする。リエラはふぅと息を吐き、胸に手を当てた。
自分だけではままならなかった心。
友人たちと一緒にいても、両親に甘やかされても、持て余したままの心の片付け方は分からなかった。
そんな心の隅で埃を被ったまま、行き場の無かったそれをシェイドは手に取ってくれた。
(……嬉しい、な)
気付けば溢れる思いと共に、ポロポロと涙が零れていた。慌てて指先で抑えると、シェイドが焦ったように手をバタつかせた。
「す、すまない。泣かせるつもりは……!」
「いえ、違います。嬉しくて……」
「……っ」
慌てる姿が何だか可愛らしくて、泣きながら思わず笑ってしまう。シェイドが躊躇いながらハンカチを出し、そっと目元を拭ってくれた。
「その……リエラ嬢」
シェイドの声に伏せていた目を向ける。
「良かったら、庭園を案内させて貰えないだろうか」
それは子供の頃の二人の唯一の思い出だ。
苦いものだったそれが、心が解れた今、やり直しを受け入れる。
「はい、嬉しいです。よろしくお願いします」
シェイドはホッと息を吐いて、エスコートの手を差し出した。そこに指先を乗せ彼に続く。
十年前のあの時は逆だった。
リエラが彼を案内していた。
王宮の見事な庭園を歩きながら、シェイドは逸話や見頃を丁寧に教えてくれた。その時間は飽きないように、疲れないようにという気遣いに満ちている。
ラベンダーの良い香りが鼻腔を擽り、ホッと気持ちが安らいでいく。
楽しい時はあっという間で、終わりを告げる刻の鐘が聞こえた時は、名残惜しくて堪らなかった。
指先をそっと放す。
手が離れる間際、シェイドの手が僅かに強張ったように感じた。
「……女性のエスコートなんて、した事が無かったから。至らなかったら申し訳ない」
すまなそうに笑うシェイドにリエラは首を横に振った。
「そんな事ありません、とても楽しかったですわ」
シェイドのエスコートはスマートで、横顔は相変わらず素敵だった。そんな感慨に耽っていると、シェイドは目元を和ませリエラを眺めた。
「あなたは凄かったんだな……」
「はい?」
思わず首を傾げる。
「たった十歳の女の子だったのに、あの頃の君のエスコートは既に完璧だった」
「えっ、」
八年も前の話を持ち出されて、思わずリエラの顔が赤くなった。
「それは、その……張り切ってしまったのです。見頃の庭園を自慢したくて……」
シェイドに良いところを見せたくて。ただそれだけだった。
けれど十一歳の男の子に花なんて興味は無かっただろうと今なら分かる。あのチョイスは独りよがりだった。今更ながら恥ずかしい。
「そんな事ない。凄いよ。たった十歳の女の子があれだけの花を頑張って覚えてくれて、一生懸命教えてくれた。……俺はあの時、本当に勿体無い事をしてしまった」
火照った頬を抑えていると、悔恨の滲む眼差しを伏せるシェイドが目に入った。
(ああ……)
立ち止まっていたのは自分だけじゃ無かった。
そんな思いが込み上げる。
シェイドもまた、ずっと後悔していたのだ。
きっと彼のあの時の態度は本来のものでなかったのだろう。だからこそ気になって振り返って、悔いている。
「……気にしないで下さい。もう済んだ事です」
「いや、それは……そうかもしれないが……」
そう声を掛ければシェイドは悲しそうに眉を下げた。
「私はシェイド様に良いきっかけを頂きました。あの頃の自分に、褒められるところなんて無いと思っていましたから。けれどおかげでこれから自信を持って一歩踏み出せそうです」
苦手だからと目を背けていたものに向き合う勇気を貰えた。
両親や兄に掛けていた心配も、きっとこれから改善に向けて進んでいける。だから、
「シェイド様にお会いできて本当に良かったです」
心からそう思う。
幼い自分がこの人を好きになった事は間違いでは無かったのだ。やっとそう、思えるようになった。
溢れる気持ちに釣られ自然と微笑めば、放していた手が再び繋がれた。
その感触にぴくりと反応しシェイドに視線を向ければ、俯きかけていた彼の顔が真っ赤に染まっているのが見えて驚いた。
「え? シェイド様? お顔が真っ赤です……よ?」
熱? 風邪? ウォム医師のところに戻るべきだろうか。
リエラはおろおろと辺りを見回したが、残念ながらどこにも人影は見えない。
誰か呼びに行った方が良いだろうかと、繋いだ手を外そうと力を込めれば、それ以上の力で握り直された。
「あの……?」
「リエラ嬢」
困惑に声を上げればシェイドの真剣な眼差しとかち合って思わず口を噤む。
「こんな事を言うのは厚かましいと分かっています。だけど、やり直したい。お願いだ。もしあのお茶会で俺が間違いなく振る舞えたなら、今この関係がどうなっていたのか……俺はずっとそればかり考えていた。今更なのはよく分かっている、けれどどうか、その未来を望む事を、どうか許して貰えないだろうか?」
えっ。
シェイドの真剣な眼差しに辛そうな切なそうな思いが滲んで見えて、リエラは喉の奥が詰まるような感覚を覚える。
「そ、れは……」
罪悪感でしょうか?
そんな言葉が頭を掠めては、目の前の切実な眼差しに向き合い首を横に振る。
こんな真っ直ぐな気持ちを否定するような事を思ってはいけない。
「……後悔とか、罪悪感とか、そういう感情が無かった訳ではありません」
心を見透かしたような発言と、その場で膝をつくシェイドに困惑する。
膝をついて未婚女性の手を取った姿は求愛のポーズだ。誰に見られるか分からないのにと内心で焦りながら、けれど視線をシェイドから逸らせられない。
「あの? 立って下さい……シェイド様……」
「立ちません。……最後まで言わせて下さい」
「で、ですが……っ」
シェイドはそのまま手の甲に額を押し付けてきたので、リエラの鼓動は益々早まった。
「あなたに惹かれたのは、あなたが貞淑で思慮深い人だと知ったからです。あなたに会うまで俺にとって貴族女性は皆己の望みを押し付けるだけの、煩わしい存在でしかなかった。自分の思惑と違えば、飽きれば、直ぐに代わりを漁りに行く。……あなたもその内の一人だと疑わなかった」
リエラはハッと固まった。
シェイドの心情──
少し考えれば分かった事だったろうけれど、誰にも相談できないまま時を過ごしてきたリエラには、想像もつかない事だった。
クララもベリンダも、シェイド様の顔に心を奪われていた。十一歳の子供が、あんな風に常に秋波を送られていたら、気が滅入ってもおかしくないのに……
彼はずっと、子供の頃から辛い思いをしていたのだ。
「……いえ、私もまた嫌がるあなたに言い寄ったのです。他のご令嬢たちと同じですわ……」
リエラは項垂れた。
シェイドの嫌がる事をしてしまったというなら、自分だって同じだから。
けれどシェイドはリエラの手をきつく握り直し、きっぱりと否定した。
「いいえ違います。あなたはずっと誰のものにもならなかった。あなたなら、なろうと思えばなれた筈です。学園でも令息たちに声を掛けられていたでしょう? でもあなたはそうしなかった。だから……あなたは本当に一途に俺を望んでくれたのだと……嬉しくなりました」
「っ」
かあっと顔に熱が上がる。
物は言いようだ。引き摺っていただけなのに。
流石に恥ずかしくなり自由な方の手で顔を覆った。
「し、しつこくてすみません」
「いいえ嬉しかったです。同時に自分の愚かさを呪いました。ずっと待ってた人に気付かずに、俺は……」
そう声を詰まらせるシェイドを指の隙間からそろりと見る。眉間に皺を寄せるその表情に胸が軋んだ。
「その、何度も言いますがお互い子供だったのです。もうお気になさらないで……」
シェイドはホッと息を吐いた。
「ありがとうございます。その、リエラ嬢は……まだ俺が嫌いですか?」
「嫌いなんて!」
一度だって思った事はない。
後ろめたくて、申し訳なくて……それでも幸せになって欲しい気持ちを捨てきれないでいた。
手を握る力に導かれ、改めてシェイドに視線を向ける。
「俺は愛しています。だからどうかもう一度チャンスを下さい。もしあの時あなたと次の約束をしていたなら……その先を望む機会を、俺に下さい」
「な~~~っ」
揺るぎない眼差しに息が止まりそうになる。
愛?
思わず膝から崩れ落ちた。まさかそんな台詞を誰かから告げられる日がくるとは。それもよりによってシェイドだなんて……
座り込んだ私の目線がシェイドと同じ高さになる。
それでも彼が手を握る力が緩む事は無く、真剣な瞳が揺らぐ事も無い。
「わ、私……ウォーカー様がおっしゃられたような淑女じゃありません……」
慌てるリエラにシェイドは柔らかな笑顔で首肯した。
「確かに先程は大人しいだけではないとは思いましたね」
「うう……」
「でも好ましかったです。不思議ですね」
(うう……)
お互い視線を逸らせないまま。リエラは口を開いては閉じて、シェイドの揺らぐ事のない眼差しに射抜かれて、悩んだ挙句ごくりと息を呑みこんだ。
「はい」
俯くように頷いた。
──だって。
こんな風に気持ちをぶつけられて躱せる程、リエラの恋愛スキルは高くない。淑女教育で習った、穏やかに微笑む余裕も根こそぎ奪われ、教育の成果は発揮できない……
リエラには蹲って何度も頷くのがやっとだった。
※ 次話最終回です
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