【完結】初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが

藍生蕗

文字の大きさ
上 下
7 / 39

07.

しおりを挟む
 本能がやばいと告げ、じりっと後退した背後から、バタバタと憲兵が現れた。
 それを見てリエラはぎょっと身体を強張らせる。
 
「ウォーカー様! 騒ぎがあると通報を受けて来たのですが、これはどういった状況なのでしょうか?」
 そう言って憲兵たちは涙を流しシェイドに縋るクララを見てから、訝しげな眼差しをリエラに向けた。
(……あ、終わった)

 うるうるした生き物には敵わない。
 世間は皆、小動物の味方。しかもリエラはつい先日王族を醜聞に巻き込んだ。その悪名は既に城内にも届いている事だろう。

 チラッと未だ伸びたままのアッシュに目を向けて、ここは令嬢らしく自分も気を失う場面だろうかと画策する。

(よし)
 ちょっと頭を打ち付けてしまうかもしれないが、もうここは覚悟を決めるべきだろう。ぐっと拳を握り、固く目を瞑った瞬間に、シェイドが憲兵に向け声を張った。

「ああ、この平民女とそこで伸びてるセドリー令息を不法侵入で逮捕しろ!」
 リエラがハッと目を開けるのと、憲兵がシェイドに敬礼を返すのがほぼ同時で、リエラは思わず周りをキョロキョロと見回した。
(え、無罪? 私、無罪ですか?)

 呆然と喜ぶリエラとは対照的にクララが涙を称えつつ怒気を放った。
「ちょっと! どういう事ですか? 私は被害者だって言っているのに!」
 そんなクララにシェイド様訝しげな眼差しを向ける。

「……平民が許可なく貴族の身体に触れるなど許されない。市井にいる者なら常識だろう。知らぬとは言わせない」
 今尚添えられた手を怪訝な顔で見下ろして、シェイドは嫌そうに身を引いた。

 ……そう、確かにリエラも戸惑った。
(それくらい貴族と平民の間には高い身分差があるというのに……)

 確かにクララはアッシュから良い服を与えられているようだが、それでも、少なくとも城内で彼女と貴族と思う者はいないだろう。それ程に貴族女性とは洗練されているものなのだ。言葉遣いや所作一つとっても、彼女を貴族と見まごう者はいない。

 シェイドはもしかしたら寛大な心で対処してくれるかと思ったけれど、やはり常識的に許されなかったようだ。……少しだけ意外だけど。

「でも! 私はアッシュの──!!」
 そんなシェイドの沙汰に不満を爆破させ、クララは尚も言い募る。……ああ不敬が重なるのに。なんだか意識が遠のいていくような気がする。

「……恋人だとして何だ? お前が平民である事に変わらないだろう」
 そこでクララの表情が変わった。
 うるうるした小動物の顔が様変わりし、牙を剥き出した獣のように顔を歪ませる。

「何よ! アッシュは王族なのよ!」

 は?

 という顔をしているのは憲兵だ。
 だってアッシュは王族ではない。
 その血も引いておらず、勿論王族の誰かと婚約関係にある訳でもない。

 憲兵には平民も含まれているけれど、正直それくらい常識の範囲内だ。だから彼らのような反応は、城に関わる者だとより顕著に表れる反応なのだろう。

 何だコイツという彼らの反応に、何故かリエラの方が居た堪れない気分になってしまう。
(顔見知りってだけなのに……)
 そんなクララにシェイドが呆れたように溜息を吐いた。

「勘違いして貰っては困るが、彼は王族ではない。まして現状王家から正式に謹慎が言い渡された身でありながら、王城でのこの騒ぎ。……伯爵次第ではあるが、決して軽く無い沙汰が言い渡されるだろう」

 淡々と話すシェイドに流石にクララは青褪めた。
 リエラも思わず固唾を呑む。
 綺麗な顔から表情を無くすと、逆に迫力が出て怖くなるものだ。指先が冷えるような感覚に、ぎゅっと両手を組んだ。
 
「っ、だからそれは誤解で……」
 クララは縋るようにシェイドに手を伸ばしたが、届く間も無く両脇から憲兵に拘束され身動きが取れなくなった。

「放しなさいよ! 私は未来の王子妃なのに! 気安く触らないで!」
「王家への侮辱罪も追加しておこう」
 シェイドの冷え切った眼差しに力強く頷く憲兵に、クララは益々顔を青褪めさせた。
「何で? 嫌よ! 私は何も悪い事なんてしていないわ! むしろ被害者で……そうよ、そこの女よ、その女が悪いの! アッシュを殴ったの、私見たもの! 私にも言いがかりをつけてきて……」
 
「……セドリー令息の手を払ったのは私であって彼女ではない。仮にリエラ嬢の手が当たったのだとしても正当防衛の範囲内だと私が保障する。──連れて行け」
 きっぱりと告げるシェイドに憲兵が礼を返し、リエラにも目礼をしてくれた。
 ホッとした瞬間、クララの泣き声に身体が縮こまる。
「いやあ! 嘘でしょう?! 私の話を聞いてよ!」

 叫ぶクララとアッシュを容赦なく引き摺って、憲兵たちは立ち去った。
 ……まるで嵐が去ったような脱力感が訪れる。

 彼女に勝手な事を吹き込んで誤解を生んだのはアッシュ。だからクララは確かに被害者とも言えなくはない、けれど……

 それでも彼女が自分の立場を都合よく解釈して、貴族と王族に無礼を働いた事には変わらない。
 通常平民は、貴族に関わり、あらぬ誤解をされないようにと距離を取るものだ。彼女の場合、アッシュの近くにいすぎてその感覚が麻痺してしまったのだろうけれど……

(多分、百叩きくらいの刑だと思うのよ)
 
 温情で半分に減らされるとか、手加減して貰えるとかはあると思うので堪えてほしい。流石にリエラも少なからず迷惑を被った身として、無罪放免は看過できないと閉口した。
 ──なんて一息入れていると、直ぐ傍から落ち着いた声が降ってきた。

「……アロット伯爵令嬢」

 びくりと身体が跳ね上がる。
 一難去ってまた一難。
 ああ、今度は何を言われるのだろうか……
 リエラはびくびくと振り返った。
 
「……えっと」
「大丈夫ですか?」
「あ、はい……」
 ちらっと視線を上げると気遣わしそうなシェイドの眼差しとかち合った。

(久しぶりにこの顔を見るわ)
 子供の頃は同じくらいの高さにあった顔が今は上から見下ろしてきているのが、何だか感慨深い。
 ……昔は頬はもっと柔らかな曲線を描いていて、桃色に色付いていた。

 今はシャープになった面差し、広くなった肩幅に男らしくなった骨格……
 襟ぐりから見える喉仏が何だか不思議で、あれから本当に八年も経ったんだなあと、改めて年月の長さを思った。

「大丈夫です……」
「……良かったです」
 そう目元を和らげるシェイドも、少し変わったように思う。八年で随分大人っぽくなった。
 そんな思いで眺めていると、シェイドが徐に胸ポケットから眼鏡を取り出して装着した。
 それを見てリエラは何となく気になっていた事を口にしてしまった。

「あの……それ。もしかして……度が合っていないのではありませんか?」

 ぴくりと反応するシェイドの表情は読めないけれど、そのまま固まった彼の反応から、やっぱりそうだったんだと思い至る。
 けれど、

(……ま、またやっちゃった!)
 さぁっと自分の顔が青褪める音が聞こえた。
 シェイドの反応を見るに、触れてはいけない事だったのだ。
 リエラの頭は真っ白になった。
しおりを挟む
感想 55

あなたにおすすめの小説

ひとりぼっち令嬢は正しく生きたい~婚約者様、その罪悪感は不要です~

参谷しのぶ
恋愛
十七歳の伯爵令嬢アイシアと、公爵令息で王女の護衛官でもある十九歳のランダルが婚約したのは三年前。月に一度のお茶会は婚約時に交わされた約束事だが、ランダルはエイドリアナ王女の護衛という仕事が忙しいらしく、ドタキャンや遅刻や途中退席は数知れず。先代国王の娘であるエイドリアナ王女は、現国王夫妻から虐げられているらしい。 二人が久しぶりにまともに顔を合わせたお茶会で、ランダルの口から出た言葉は「誰よりも大切なエイドリアナ王女の、十七歳のデビュタントのために君の宝石を貸してほしい」で──。 アイシアはじっとランダル様を見つめる。 「忘れていらっしゃるようなので申し上げますけれど」 「何だ?」 「私も、エイドリアナ王女殿下と同じ十七歳なんです」 「は?」 「ですから、私もデビュタントなんです。フォレット伯爵家のジュエリーセットをお貸しすることは構わないにしても、大舞踏会でランダル様がエスコートしてくださらないと私、ひとりぼっちなんですけど」 婚約者にデビュタントのエスコートをしてもらえないという辛すぎる現実。 傷ついたアイシアは『ランダルと婚約した理由』を思い出した。三年前に両親と弟がいっぺんに亡くなり唯一の相続人となった自分が、国中の『ろくでなし』からロックオンされたことを。領民のことを思えばランダルが一番マシだったことを。 「婚約者として正しく扱ってほしいなんて、欲張りになっていた自分が恥ずかしい!」 初心に返ったアイシアは、立派にひとりぼっちのデビュタントを乗り切ろうと心に誓う。それどころか、エイドリアナ王女のデビュタントを成功させるため、全力でランダルを支援し始めて──。 (あれ? ランダル様が罪悪感に駆られているように見えるのは、私の気のせいよね?) ★小説家になろう様にも投稿しました★

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~

瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)  ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。  3歳年下のティーノ様だ。  本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。  行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。  なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。  もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。  そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。  全7話の短編です 完結確約です。

【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく

たまこ
恋愛
 10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。  多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。  もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】 男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。 少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。 けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。 少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。 それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。 その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。 そこには残酷な現実が待っていた―― *他サイトでも投稿中

【完結】愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を

川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」  とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。  これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。  だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。  これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。 第22回書き出し祭り参加作品 2025.1.26 女性向けホトラン1位ありがとうございます 2025.2.14 後日談を投稿しました

処理中です...