上 下
2 / 39

02.

しおりを挟む
 ……一瞬、思わず表情が抜け落ちた。

 燻んだ金の巻き髪に淡い緑の瞳。白磁の肌に整った顔立ち。
 細身のせいか背は高く見え、役者のように舞台映えしそうな容姿が際立って見える。
 そんなお見合い相手の彼──アッシュ・セドリー伯爵令息は、今まさに舞台の上にいるような大振りの動作で滔々と語る。

 リエラが待ち合わせ場所に着くと、そこには恋人同士で、糊付けしたように張り付いた二人がいた。思わず呆然と立ち竦むリエラを睨みつけ、男の方が吐いた台詞がこれである。

(何これ……お兄様、酷くない?)

 とは言っても問題はリエラにもあった。
 リエラはサボっていたのだ。つまり婚活を。
 妙齢の令嬢たちは皆、理想の相手に自分を良く見せる為に頑張ってアピールしていた。

 好きな相手、気になる相手、高嶺だろうが孤高だろうが、唯一の花を掴みに這い上がっていく猛者たち。それがバイタリティ溢れる妙齢の令嬢たちの二つ名とも言えよう。

 何故なら貴族女性は結婚で人生が左右される程に立場が弱い。
 夫に従う事を全とされ、離婚や、不仲ですらも醜聞となるくらいだ。
 だから愛人を囲うような冷え切った仲であろうと、表向きは仲良くする夫婦が多くいる。
 つまり、結婚とは女性にとって人生を賭けた一世一代の勝負なのだ。

 ……しかしリエラはとは言うと、望まぬ相手に声を掛けられた時の異性の反応を知ってしまっているせいか、臆病だった。

 痺れを切らした兄に、何度も「婚活をサボっている」と叱責された。
 リエラとしても、そんな事は分かっているのだが、結局一歩踏み出せないままでいた。
(十六歳のデビュタントでは何とかパートナーを引き受けてくれたけれど……)

 これ以上はもう無理だろう。
 当面、パートナーが必要な夜会に参加する予定は無いが、もう引き受けて貰えるとは思えない。
 そしていい加減、痺れを切らした兄に片っ端から見合いを申し込まれそうになっていた。
 
「お兄様、私の事は政治利用していただいて構いませんから」
「それが甘えているっていうんだ! 自分の将来の相手なんだぞ! 一生の話を何故もっと真剣に考えられない?!」
「……」
 正論すぎて返す言葉もない。

 けれど、真っ直ぐに歩けば目的地に辿り着ける人たちに、自分の気持ちなんて分からないでしょうとも思ってしまうのだ。

「知ってるか、従妹のリサは侯爵家の嫡男と婚約を結んだんだぞ!」
「存じております」
「モニカは近衞騎士との結婚が決まった」
「花形ですわね」
「メイミは隣国の公爵家に見染められたんだ!」
「ドラマチックですわ」

(親族が皆ハイスペック過ぎて、余計に肩身が狭いわ……)

「なのにお前ときたら……」

 リエラはげんなりした。
「お兄様に任せますわ。適当に選んで下さいませ」

 また説教が始まると、リエラはこの話を早々に打ち切った。



 そのせいかしら。
 そのせいなのかしら?
 目の前のこの惨状は??



 現実に引き戻されれば茶番はまだ続いており、二人は未だリエラに向かって真実の愛のなんたるかを叫んでいる。

(ああ、我が兄の目は節穴だった……)
 由緒ある伯爵家は、兄の代で潰れるかもしれない。

 そんな思考が頭を掠めるも、死んだ目をしたまま笑顔を貼り付け、この場をどうやり過ごそうかと思案した。

「申し訳ありませんが……!」
 大きく息を吸いこんで、リエラは目の前でがなりたてる男──セドリー伯爵令息に向かい声を張った。
 
「この縁談はセドリー伯爵家とアロット伯爵家が纏めたものですので、意に沿わぬというなら、まずお互いの家に申し開きをするべきではありませんか?」
 
 訝しげな目を向けるセドリー伯爵令息の隣には、目をうるうるさせている女性。
 さき程からつらつら話していた内容からすると、彼女は平民で、二人は運命的な出会いをして結ばれた恋人同士らしい。
 眩い金髪に海のように真っ青な瞳が美しい、愛らしい女性だ。
 更にその容姿はアッシュに飾り立てられ、きらきらと輝いている。
(確かに可愛いけれど……)

 しかしセドリー伯爵が二人の仲を認めず、貴族の妻を望み息子に縁談を持ちかけた。そしてこの場をすっぽかせず断れないようにと、王族に頼み込み、見合いの場の予約店に御名を使わせて貰ったのだそうだ。

 セドリー伯爵家には王妃殿下の妹御様が嫁されているので、それくらいの融通はつくのだろう。

『君はなんて浅ましいんだ』

 それで仕方がないから来たけれど、そこまでして自分と結婚しようとするリエラに対して向けた言葉がこれであった。
(……言葉が過ぎるわ)
 リエラは思わず半眼になった。

(どうして私がご自分と結婚したいと熱望する事が前提なのかしら。伯爵ももう彼らの仲を認め、ついでに息子を見限ったらよろしいのだわ)

 先程からの勝手な言い分に、つい辛辣な言葉が頭を過ぎる。
(お兄様に任せた私も馬鹿だったのだけれど)
 どうせセドリー伯爵に王族の名前を出されて安心したのだろう。
 確かに王家の名前を持ち出されたら断れないけれど、事前にどんな相手なのか知っていればこっちだって心構えくらい出来たのだ。
 釣書を見て何も期待しないで来たけれど、結果は散々。期待しなかっただけマシとも言えない。
(はあ)

 だから婚活を頑張らなければならないのに。けれど逃げているのは自分だ。もしかしたらこの場はそんな兄からの激励の意味が込められたもので──
(そんな訳ないわね)

 上がり掛けていた兄の評価をばっさりと否定する。
 あの単純な兄が。
 ないないない、とリエラは内心で首を横に振った。
 自分もまあまあ酷い妹である。

「それでは失礼しますわ」

 時間にして十五分程のやりとりだっただろうか。
 その間立たされたままだったリエラは、するりと踵を返した。
 その様子を顰め面、無言で見送るセドリー令息と、その隣に張り付いて、まだうるうるしている女性にちらりと視線を向ける。
(私もうるうるする生き物が好きだから、気持ちは分かるわ。犬とか猫とか、可愛いものね)
 リエラはふっと口元を綻ばせた。
 
「私はそちらの方のようにはなれませんから」
 そう口にすればセドリー令息は満足そうに口元を歪ませた。
「ふ、ふん。そうか……」
 けれどそう勝ち誇った顔の令息に、リエラは内心で舌を出す。
(当然、私は犬猫のようには生られません)

 けどまあ、犬猫にも劣ると言われたらぐうの音も出ないけれど。どうせそんな可愛らしさを持ち合わせていない事は、とっくの昔に存じ上げているのだ。

 フンと内心で悪態をつき、リエラはさっさとその場を後にした。

 そして翌日から醜聞に巻き込まれた。
しおりを挟む
感想 55

あなたにおすすめの小説

死に役はごめんなので好きにさせてもらいます

橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。 前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。 愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。 フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。 どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが…… お付き合いいただけたら幸いです。 たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!

【完結】大好きな幼馴染には愛している人がいるようです。だからわたしは頑張って仕事に生きようと思います。

たろ
恋愛
幼馴染のロード。 学校を卒業してロードは村から街へ。 街の警備隊の騎士になり、気がつけば人気者に。 ダリアは大好きなロードの近くにいたくて街に出て子爵家のメイドとして働き出した。 なかなか会うことはなくても同じ街にいるだけでも幸せだと思っていた。いつかは終わらせないといけない片思い。 ロードが恋人を作るまで、夢を見ていようと思っていたのに……何故か自分がロードの恋人になってしまった。 それも女避けのための(仮)の恋人に。 そしてとうとうロードには愛する女性が現れた。 ダリアは、静かに身を引く決意をして……… ★ 短編から長編に変更させていただきます。 すみません。いつものように話が長くなってしまいました。

【完結済】政略結婚予定の婚約者同士である私たちの間に、愛なんてあるはずがありません!……よね?

鳴宮野々花@軍神騎士団長1月15日発売
恋愛
「どうせ互いに望まぬ政略結婚だ。結婚までは好きな男のことを自由に想い続けていればいい」「……あらそう。分かったわ」婚約が決まって以来初めて会った王立学園の入学式の日、私グレース・エイヴリー侯爵令嬢の婚約者となったレイモンド・ベイツ公爵令息は軽く笑ってあっさりとそう言った。仲良くやっていきたい気持ちはあったけど、なぜだか私は昔からレイモンドには嫌われていた。  そっちがそのつもりならまぁ仕方ない、と割り切る私。だけど学園生活を過ごすうちに少しずつ二人の関係が変わりはじめ…… ※※ファンタジーなご都合主義の世界観でお送りする学園もののお話です。史実に照らし合わせたりすると「??」となりますので、どうぞ広い心でお読みくださいませ。 ※※大したざまぁはない予定です。気持ちがすれ違ってしまっている二人のラブストーリーです。 ※この作品は小説家になろうにも投稿しています。

ごめんなさい、お姉様の旦那様と結婚します

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
しがない伯爵令嬢のエーファには、三つ歳の離れた姉がいる。姉のブリュンヒルデは、女神と比喩される程美しく完璧な女性だった。端麗な顔立ちに陶器の様に白い肌。ミルクティー色のふわふわな長い髪。立ち居振る舞い、勉学、ダンスから演奏と全てが完璧で、非の打ち所がない。正に淑女の鑑と呼ぶに相応しく誰もが憧れ一目置くそんな人だ。  一方で妹のエーファは、一言で言えば普通。容姿も頭も、芸術的センスもなく秀でたものはない。無論両親は、エーファが物心ついた時から姉を溺愛しエーファには全く関心はなかった。周囲も姉とエーファを比較しては笑いの種にしていた。  そんな姉は公爵令息であるマンフレットと結婚をした。彼もまた姉と同様眉目秀麗、文武両道と完璧な人物だった。また周囲からは冷笑の貴公子などとも呼ばれているが、令嬢等からはかなり人気がある。かく言うエーファも彼が初恋の人だった。ただ姉と婚約し結婚した事で彼への想いは断念をした。だが、姉が結婚して二年後。姉が事故に遭い急死をした。社交界ではおしどり夫婦、愛妻家として有名だった夫のマンフレットは憔悴しているらしくーーその僅か半年後、何故か妹のエーファが後妻としてマンフレットに嫁ぐ事が決まってしまう。そして迎えた初夜、彼からは「私は君を愛さない」と冷たく突き放され、彼が家督を継ぐ一年後に離縁すると告げられた。

【完結】アッシュフォード男爵夫人-愛されなかった令嬢は妹の代わりに辺境へ嫁ぐ-

七瀬菜々
恋愛
 ブランチェット伯爵家はずっと昔から、体の弱い末の娘ベアトリーチェを中心に回っている。   両親も使用人も、ベアトリーチェを何よりも優先する。そしてその次は跡取りの兄。中間子のアイシャは両親に気遣われることなく生きてきた。  もちろん、冷遇されていたわけではない。衣食住に困ることはなかったし、必要な教育も受けさせてもらえた。  ただずっと、両親の1番にはなれなかったというだけ。  ---愛されていないわけじゃない。  アイシャはずっと、自分にそう言い聞かせながら真面目に生きてきた。  しかし、その願いが届くことはなかった。  アイシャはある日突然、病弱なベアトリーチェの代わりに、『戦場の悪魔』の異名を持つ男爵の元へ嫁ぐことを命じられたのだ。  かの男は血も涙もない冷酷な男と噂の人物。  アイシャだってそんな男の元に嫁ぎたくないのに、両親は『ベアトリーチェがかわいそうだから』という理由だけでこの縁談をアイシャに押し付けてきた。 ーーーああ。やはり私は一番にはなれないのね。  アイシャはとうとう絶望した。どれだけ願っても、両親の一番は手に入ることなどないのだと、思い知ったから。  結局、アイシャは傷心のまま辺境へと向かった。  望まれないし、望まない結婚。アイシャはこのまま、誰かの一番になることもなく一生を終えるのだと思っていたのだが………? ※全部で3部です。話の進みはゆっくりとしていますが、最後までお付き合いくださると嬉しいです。    ※色々と、設定はふわっとしてますのでお気をつけください。 ※作者はザマァを描くのが苦手なので、ザマァ要素は薄いです。  

(完)婚約解消からの愛は永遠に

青空一夏
恋愛
エリザベスは、火事で頬に火傷をおった。その為に、王太子から婚約解消をされる。 両親からも疎まれ妹からも蔑まれたエリザベスだが・・・・・・ 5話プラスおまけで完結予定。

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!

高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。 7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。 だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。 成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。 そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る 【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】

【完結】名ばかり婚約者だった王子様、実は私の事を愛していたらしい ~全て奪われ何もかも失って死に戻ってみたら~

Rohdea
恋愛
───私は名前も居場所も全てを奪われ失い、そして、死んだはず……なのに!? 公爵令嬢のドロレスは、両親から愛され幸せな生活を送っていた。 そんなドロレスのたった一つの不満は婚約者の王子様。 王家と家の約束で生まれた時から婚約が決定していたその王子、アレクサンドルは、 人前にも現れない、ドロレスと会わない、何もしてくれない名ばかり婚約者となっていた。 そんなある日、両親が事故で帰らぬ人となり、 父の弟、叔父一家が公爵家にやって来た事でドロレスの生活は一変し、最期は殺されてしまう。 ───しかし、死んだはずのドロレスが目を覚ますと、何故か殺される前の過去に戻っていた。 (残された時間は少ないけれど、今度は殺されたりなんかしない!) 過去に戻ったドロレスは、 両親が親しみを込めて呼んでくれていた愛称“ローラ”を名乗り、 未来を変えて今度は殺されたりしないよう生きていく事を決意する。 そして、そんなドロレス改め“ローラ”を助けてくれたのは、名ばかり婚約者だった王子アレクサンドル……!?

処理中です...