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第一章 予想外の婚約破棄

第31話 サナの花

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 糸人形にでもなった気分だ。

 ぎくしゃくと身体を動かして、我が家のささやかな庭園を二人で歩く。
 先程家令が四阿でと言っていたが、こちらの方が視界が開けているので問題はなさそうだ。

「リヴィアは何が好きなの?」

 思考を飛ばして気を紛らわせていると、アーサーから声を掛けられて現実に引き戻された。

「魔術……です」

 唯一即答できる質問が来て良かったあ、とほっとしていると、一瞬だけアーサーが止まった。
 なんだろうと顔を上げると、先程と変わらぬ笑顔のアーサーから、他には?と追撃が来た。

「えーと」

 リヴィアは目を泳がせた。

「好きな食べ物とか」

「ああ、パンケーキが好きです」

 そう言うと、アーサーは目を丸くしていた。

 どうしたのかとリヴィアが首を傾げていると、アーサーは申し訳なさそうに笑った。

「ごめん、君は何ていうか、甘いものは好まないような気がしていたんだ。悪い意味じゃなくて……」

 似合わないと言いたいのだろうか。

 アーサーの口元がふっと綻んだ。

「かわいいなと思って」

 リヴィアは今度こそ息を止めた。

 立ち止まったアーサーの斜め後ろで放心しそうになる。
 意識を保つのに必死になっていると、アーサーがぽつりと呟いた。

「珍しいな」

「?」

 くるりと振り向いたアーサーは、花壇の一角で静かに揺れているサナの花を指差した。サナは薄い水色の小ぶりの花だ。
 それを見てからリヴィアはアーサーを振り仰いだ。

「この花は国を一つ跨いだ先の高山地域が生息地なんだよ。国花とされているから有名だけど、輸入して取り寄せる程この国ではポピュラーでは無いからね」

「そうなんですか」

 流石皇子、知識の造詣が深い。
 うちの庭師の趣味だろうか。国花とされるだけあって気品のある綺麗な花だ。
 色々感心していると、すっとアーサーの目が細まった。

「私の執務室にも用意しようかな。君に見られているみたいで嬉しいから」


  ポカンと固まるリヴィアの手を取り、アーサーは再び歩を進めた。
 確かにリヴィアの目は水色だけれども……
 横顔を振り仰げば笑いを噛み殺したような顔をしているので、揶揄われたのだと悟り、むっと頬を膨らませた。

「良かった、やっとそんな顔が見れた」

「え……」

「ちゃんと君を知りたいんだ」

 真剣な眼差しで、けれど口元には笑みを刷いて、リヴィアの緊張をほぐそうとしているのだろう。

 古代魔術の調査

 元婚約者への訪問

 婚約者の振り────しかも皇族の

 いくら貴族令嬢とはいえ、許容オーバーな案件だ。

 きっと多少の不作法はおおらかに見逃してくれるだろう。

「わかりましたわ、殿下」

 リヴィアは一つ頷いてアーサーを見た。

「良かった。それから私の事は名前で呼ぶように」

「か、畏まりました。アーサー様」

「様もいらないよ」

「……それは、おいおい……」

「いいよ、分かった」

 ふふ、と笑って歩くアーサーは楽しそうだ。その手が先程から繋がれている事が胸に温かく響き、リヴィアもふわりと微笑んだ。

「あと……話しておきたいんだが……」

 アーサーは少し迷ってからリヴィアと目を合わせた。

「ライラの事だ」

 その名にリヴィアはひゅっと喉が鳴った。

 ……アーサーはライラが好き……

 あの夜会で本人が口にしていた言葉だ。

 そんな状況で、別の女性と婚約者の振りをするなんて……
 リヴィアは顔を俯けた。

「リヴィア、誤解しないでほしい。私たちは確かに幼なじみで結婚も考えていた。けれどもう今は別の道を歩いているんだ」

「……ですが……」

 アーサーの気持ちはどこにあるんだろう。何故かそんな事が気になるのだ。

「君には変なところを見せてしまって、恥ずかしく思うよ。ライラの名前を都合良く使っていたのだから……けれど、これくらい許されるだろうと、あの頃の私は当然のように考えていて……」

 ふと口調に影を落とすアーサーにリヴィアは首を振った。

 そんな考えを持つ事自体おかしいし、深く入り込むべきでもない。感情に支配されず役目を全うするべきだ。

 リヴィアはアーサーの目を見て口を開く。

「アーサー殿下に一つお願いがあります……」

 そう言うとアーサーは驚いた顔をした後、嬉しそうに笑った。
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