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東琴子・六

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 二回目のクラス遠足が行われたのは、暖かくて穏やかな日だった。集まった頭数は以前水族館に行ったときよりかなり少なかった。遠足や何やという名称をつけるまでもない、こぢんまりとした集まりだ。バスから降りて砂浜までの道、琴子の視線の先には四人に囲まれた梨枝がいて、そのうちのひとりが唯果だということに気がついた。
琴子はひとりで歩いていた。隣に綱島が追いついてきて、ひょいと琴子の法を見た。
「東さんは? 誰か誘わなかったの?」
「……ええ」
「東さんは、ひとりでいるのが好きなんだね」
「別に、そういうわけじゃ……」
 琴子は首を振った。ひとりが気楽だと思うときもあるが、積極的に好きだというわけではない。気づけばひとりで歩いているだけだ。そう綱島に言い、そして琴子は肩をすくめて苦笑した。
「だから、こういう病気みたいになっちゃうのかなって思いますけど。」
「それは関係ないんじゃないかな」
 言って、綱島は首をかしげて琴子の顔を覗き込んできた。少年のようなその顔は琴子をどきりとさせる。琴子はとっさに視線を逸らせ、防波堤の向こうに見える海を見た。
「あんまり、人いませんね」
「まだ季節が早いからね」
 梨枝たちが手招きし、琴子は綱島とともに駆けた。歩道と砂浜の境目には板が張ってあって、足もとの悪いそこを通るとき、綱島が手を貸してくれた。
 病気に関する云々は、もうかなりどうでもいいことになっていた。今まであまり積極的に人づきあいをしてこなかった琴子だが、自分を人嫌いだと思っていたのが実はそうではないのだということを知った。相手にしてくれる存在が嬉しい。琴子は喜んで、綱島の手を取った。
 遠く広がる海は、わずかな風に煽られて波が白く泡立ち、模様を作っている。それは大きな魚のように見えた。波を横切って沖を泳ぐ白い魚の背中だ。幾匹も沖を横切り、海の中に沈み、そして浮き上がる。それに琴子は目を奪われた。
「……あ」
 胸に手を置いた。波の中に飲まれていく白い魚の形に何かを喚起したような気がした。それは波間に泳ぐ魚のようで、琴子はそのように見え隠れする魚の姿をどこかで見たような気がしていた。
「大丈夫?」
 綱島が心配そうに覗き込んできた。琴子は慌てて首を左右に振る。
「大丈夫です。あの、なんでもないんで」
 しかし綱島はなおも心配そうな顔をしている。彼を安心させようと、琴子は懸命に笑顔を作った。ふたりに向けられた声が聞こえる。向こうでは梨枝たちが琴子たちを呼んでいて、琴子は綱島と一緒に波打ち際にまで歩き始めた。
 靴の先が打ち寄せる波に濡れる。それはほかのメンバーも一緒だったらしく、足を濡らしてしまった男子たちが子どものように水遊びを始めた。
「まだ寒いのに」
 綱島は呆れたように言い、琴子は苦笑して海に足を浸すみんなを見やった。
「ちょっと、着替えとかないんだからやめてよ!」
 母親のような声を上げたのは唯果だった。男子たちは唯果とも仲がいいらしく、楽しげな声を上げて水を跳ね返した。それに声を上げて逃げるのは梨枝で、琴子と綱島以外の参加者は、皆まだ冷たい春の海と戯れ始めた。
 そんな光景を、琴子は少し困った笑顔とともに見ていた。混ざるにはきっかけがないし、特に一緒に遊びたいわけではないのだが、かといって見つめているだけというのもどうかと思う。
「先生、早く!」
 誰かが綱島を呼び、綱島は寒いだの冷たいだの言いながらも、結局は応じた。走っていく彼の後ろ姿に琴子は戸惑い、遊ぶみんなをぼんやりと見ていた。その中には綱島の姿も混ざり、そうやって見ると誰が学生で誰が教師なのかもわからない。琴子は思わず頬を緩ませてしまう。
 唯果が琴子の横にやってきて砂浜に座った。なぜわざわざ琴子の隣を選ぶのだろうと、いささか居心地悪く琴子は唯果から一歩離れた。海に入るつもりなのだろう、唯果は紐をほどいて靴を脱ぎ始める。そしてちらりと琴子を見上げた。
「ねぇ、東さんって綱島先生が好きなの?」
 突然唯果が上目遣いにはっきりとそう言ったので、琴子は驚いて妙な声を上げてしまった。
「な、何……」
「だって、さっき先生が行っちゃったら残念そうな顔してたもん」
「……してた?」
 思わず琴子が自分の頬に触れると、唯果は唇を歪めて笑った。それは明らかに皮肉を孕んだ笑みで、目のつり上がった美人だけにそのような表情には凄みが増す。責められているのだと気づいて、琴子は思わず肩を引いた。
「東さんがあんな顔、することがあるなんて思わなかった」
「え?」
 どういう意味だろうか。琴子が首をかしげると、唯果はなおも皮肉な笑みのまま言った。
「東さん、いっつも私たちを見下してる感じだからね」
「……え」
 琴子は目を見開いた。そんな琴子に向けられる唯果の表情からは笑みも消えた。普段思っていたことを吐き出すとでもいうように、微笑を歪めて琴子を睨む。
「なんか、いやな感じなのよね。バカにされてるって気になるし」
「私、別にそんなこと……」
「思ってない? 別にバカにしてるわけじゃないって?」
 琴子は何度も首を縦に振った。そんな琴子を少しすがめた目で唯果は見て、そして笑みを作った唇のまま立ち上がって言った。
「そうだとしたら、ますますいやな人ね。それだったら本当にバカにしてるほうがいくらかまし。心の奥で何考えてるかわからない人って、すごくいやな感じ」
 唯果はなおも笑顔のままで言ったので、声が聞こえなければふたりがどんな話をしているのか見当はつかないだろう。
「琴子、唯ちゃん。なにしてるの? こっちおいでって!」
 向こうから梨枝の声がして、唯果はぱっと梨枝を振り返った。そして琴子に向けていた表情など嘘だったのではないかと思うほどの朗らかな表情で梨枝に手を振った。
 そして琴子の方は見ずに砂浜を蹴った。唯果の蹴り上げた砂がふくらはぎに当たって、それに少し痛みを感じた。唯果はすぐに梨枝やほかの学生たちと混じってしまって、どこにいるのかわからなくなった。梨枝が琴子にも手を振るので、そちらに向かって歩いていく。しかし唯果に聞かされた言葉が琴子の足取りを重くする。
 見れば梨枝とほかの学生たちとともに綱島もいて、ひとり波打ち際に取り残された琴子のことなど忘れてしまったかのように見えた。それが唯果の言葉と重なって、琴子はにわか、耐え難いまでの孤独に襲われた。
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