秘密

玉城真紀

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ご主人の話

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とりあえず、時間も遅いのでミヨにご飯を急いでやると俺は風呂へと向かった。浴槽の湯は温泉には程遠いブルーの色をした湯だった。勿論旅館だけあって広さは申し分ないのだがミントの匂いが浴室に充満し、蒸し暑い夏にはピッタリかもしれないが、旅館に来ているという情緒はない。
それでも、風呂に入れば身体も気分もすっきりする。
鼻歌交じりに旅館の浴衣に着替えた俺は機嫌よく部屋へと戻った。
「あれ?」
「ははは。だいぶ長湯でしたな」
時間はもう9時を回り、てっきり布団が敷かれているかと思いきや布団ではなく庭にいたご主人が、テーブル前に座りにこやかに俺を出迎えた。
テーブルの上には栓の開いていないビール瓶が4本とタコのキムチ和えとほうれん草の胡麻和え。韓国のりやスルメなど、酒好きが好むつまみが二人分置いてある。
「あの・・・」
「まぁまぁ、座って。お客さんが来た時はいつもこうやって付き合ってもらうんですよ。私がちゃちゃっと作ったものだからお口に合うか分かりませんが、どうぞどうぞ」
目尻の皺を深くしながら手招きをする。
「はぁ・・」
俺は戸惑いながらもご主人の向かいに座った。見ると、ミヨがご主人の膝の上で気持ちよさそうに眠っている。犬の方が好きだと言っていたみたいだが、大丈夫なのか?
「いやね、3年前に肝臓を悪くしちまってから嫁さんが五月蠅くてね。やれ酒は駄目だ。やれ甘いものは駄目だって。そんなギシギシに生きてたら息が詰まってしょうがねぇ。お客さんもそう思うでしょう?」
「はぁ」
顔がほのかに赤い。ご主人が座る隣には空になったビール瓶が1本ある。待ちきれなかったようだ。
「人間ね、この世に産まれればいつかは死ぬ。それは決まり事なんですよ。誰にも変えられない。なら、その生きている間は自分の好きな事をした方がいいと思いませんか?」
そう話しながら、ビールの栓を開けにかかる。
「はぁ」
「ん・・こりゃ固いな・・あ、開いた。ささどうぞ」
「あ、すみません」
栓を抜いたビールを俺のコップに注いでくれる。勿論自分のコップに注ぐのも忘れない。
「お客さんは東京から?あそう。東京は若い時に住んでたことがあるが、空気が悪くてね。私には合わんかった。ここは、私の爺さんの代から始めた旅館なんだけど、こんな辺鄙な場所でも意外にお客が来てくれるんですよ」
「ゆっくり出来そうですからね」
お風呂は温泉の素だけど・・・
「そう。都会のしっちゃかめっちゃかした場所に疲れた人達の憩いの場・・なんてイケてる言い方しちまったな。はははっは!!」
「は・・はは・・イケてる・・」
俺は愛想笑いをすると同時に、思わずご主人の口元に目がいった。上の前歯が2本ない。失礼かと思い咄嗟に頭の方へと視線を移す。庭で会った時は麦わら帽子を被っていたのでよく分からなかったが、黒々とした艶のある髪をしている。皺は多いが、どんぐりのような可愛らしい眼をしている。真っ黒に焼けた肌は、毎日庭に出てあの大輪に咲くアジサイ達の世話をしているのかもしれない。
その後、父親が亡くなり自分の代になってからの旅館経営の苦労や女将の愚痴などを酒を酌み交わしながら話してくれる。子供の話はでなかったので、いないのだろう。
「まぁそんな訳で、田舎とはいえ自分が生まれ育った村だからね。若いときゃ無鉄砲に東京なんて場所に行っちまったが、やっぱり帰って来るもんさ」
気分がいいのか酒の進みが速く、呂律が回らず目がトロンとしてきた。
「三代に渡って守ってきた旅館ですか。建て替えとかも大変だったでしょう」
「建て替え?いんや。そんなもんしないですよ」
節くれだった手を自分の顔の前で横に振る。
「建て替えしてないんですか?じゃあ、ここは築何年・・・」
「あ~・・・・確か300年は近いんじゃないかな?」
「300年!!??」
流石にそれは言い過ぎだろう。酒の勢いというものか?
「俺はこの旅館で産まれたんですよ。昔は村に産婆がいてね。自宅で産んだんだ。それからずぅ~っと住んでる。東京に行っている期間はあったが、立て替えをしたなんて事聞いてないですね」
私から俺に変わる。大分酒が入ってきたようだ。
「へぇ~凄いですね」
俺は改めて室内を見渡した。
300年という耳を疑う数字を聞いた後に見る部屋は、柱のくすみや傷も天井にある至る所のシミも、襖の端っこに穴が開いているのも全てに歴史を感じてしまう。
「ふん」
思わず大きく鼻から息を吐く。
「この村はね、昔から木材加工がとても盛んな場所だったんですよ。自分の家なんかその家の男達と大工の親方がいればパパっと建っちまうぐらいにね」
「それは凄い。あ、だから玄関に木で出来た置物が沢山あったんですね?」
「ん?ああ。あんなもんは子供の玩具程度よ。子供でも簡単に作っちまう。俺の爺さん達の世代が作った最高傑作の写真見なかったかい?」
かなり酔いが回って来たのか、喋りが大分砕けてきた。
「見ました。橋の写真ですよね?何処かで見た事があるんですよね。何処だったかな・・・あっ!」
思い出した。

ご主人はそんな俺の顔を見てニヤリと笑うと
「凄いだろう。あれこそ最高傑作さ。名前は未帰橋みかえりはし
と、小鼻を膨らまし胸を張りまるで自分が造ったように自慢気に言う。
「未帰橋・・見返り美人みたいな名前ですね」
「いやいや違う。その見返りじゃない。こう書くのさ」
ご主人は、テーブルの上を指でなぞる。
「ああ、未帰橋・・」
「そう。今は、町の土木何とかっていう奴らが調査に入って余計な橋脚をつけちまったが、昔はそんなもんはない。色々と試行錯誤の末、そんなもん付けなくても崩れない橋が出来上がったんだ。あんなもん付けちまったお陰で最高傑作に傷がついちまった」
面白くなさそうに勢いよく酒を煽る。
「橋脚がない。そういう橋は造るのが難しいんでしょうね」
「難しかっただろうな。何て言ったかな・・・え・・・と・・・あ、そうだ。桔木だ」
「はねぎ?」
「そう。昔親父に設計図を見せてもらった事があって、その時に教えてもらった事がある。何でも、太い木材を両岸から少しずつはね出して最後にはね出しの先端を水平にしてそれを繋ぐんだ。山梨県にある猿橋や富山県の黒部川の愛本橋もそうだ。アレを造るのは並大抵のものじゃなかっただろうな。でも、それを造り上げたんだ。たいしたもんさ」
主人は韓国のりをバリバリと食べながら満足そうに言う。
「それが今でも残っているなんて・・この村の人達は、あの橋を渡って隣町へと行くんですね?」
「そう。あの橋がなかったら、ここは孤立してしまう。でも、なるべく村のみんなはあの橋を使わないようにしているんだ。なぜなら、あの橋は神聖な橋でね。「サイの子」だけが渡る橋なんだよ」
「サイの子?」
「そう。御地家の子祭りに出る子供の事さ。村をぐるりと周った後、最後にあの橋のてっぺんに立つ。そして・・」
その時、パシンと勢いよく襖が開けられた。
「ちょいと!あんたは又お客さんにかこつけて飲んでるんだね?全く!」
女将だった。
もう休もうとしていたところだったのか、頭にピンク色のカーラーを付け、俺と同じ着物の上に袖なしのベストを着ている。派手な化粧は落とされ、愛嬌のあるすっぴんが現れている。
「な、なんだ?!お前・・お客人の前でそんな恰好・・・」
一気に酔いがさめたような顔をした主人は、持っていたコップを置きたじろいだ。
「なにがお客人だよ。間違っちゃいないがお客様と言いな!すいませんねぇ。お客さんが来るとコレが出来るもんだから。いつもこうやって迷惑おかけするんですよ」
女将は、手でお猪口をクイッと飲む仕草をした。
「はぁ。でも、私も浩二さんのお陰で楽しくお酒が飲めましたよ」
ご主人ではなく、親しみを込めて先程聞いたばかりの名前で呼んだ。腰が引けてる男に同情したのかもしれない。
「ほ、ほら見ろ。お客人も喜んでらっしゃる。お、お前はいつもそうやって頭ごなしに何でも・・・」
「黙らっしゃい!!!」
まるで、黒い雲の隙間から突然落ちる雷のごとく女将は吠える。テカテカとした顔が赤く染まり、まるで赤鬼のようだ。
その声に驚いたミヨが、窓際へと走り非難した。
「今何時だと思ってるんだい!この前の健康診断で先生から一滴もお酒は飲んじゃだめですよって言われたばっかりだろう?一滴も!!それをあんたは!」
「わ、分かったよ」
ご主人は、いたずらを叱られた犬のように頭を垂れ女将さんに近づかないよう・・警戒しながら部屋をすごすごと出て行った。
「はぁ~。すみませんねぇ。とんだ恥ずかしいところをお見せしちゃって。いえね、あの人の祖父ちゃんも父親も酒で肝臓悪くして亡くなってるんですよ。酒好きは遺伝するんですかねぇ。本当にお騒がせしました。あっ、お布団はそこの押し入れに入ってますからね。じゃ、ごゆっくり」
「は・・はい」
俺が返事を返している間に、女将はもう襖を閉めていた。もしかしたら、これから改めてご主人に雷を落とすのだろうか。
折角の美味い酒も、ご主人にとっては苦い酒になったようだ。
「にゃふ」
いつの間にか俺の側にミヨが来ている。
「ミヨ。俺はしばらく独身でいいかな」
「にゃふ」
その方がいいと言っているかのように、ゆっくりと瞬きをしながら鳴く。
「それにしても聞けば聞くほど不思議な祭り・・・いや、村だな。御地家の子祭りは明後日だから、明日はこの村を歩いて色々見てまわろう。何か分かるかもしれない」
「にゃふん」
その後、テーブルを脇に寄せ自分で布団を敷き横になる。
勢いでこの村に来てしまったが、これで本当に良かったのか。来たことで地蔵達の呪いが解けるのか。それとも更に悪化するのか。それは分からない。第一何をどうすればいいのかさえも分かっていない。
「どうすりゃいいんだ。手を合わせて謝ってくればいいのかな。それで許してくれるだろうか。なぁミヨ。どう思う?」
隣で丸くなっているミヨに声をかける。
寝ているのか、暗がりに丸いクッションのシルエットにしか見えないミヨは黙っている。
「はぁ~」
様々な事をぐるぐると頭の中で考えていたが、取り合えずご主人に庭のアジサイを分けてもらってそれを持って神社に行こうと考えたところで眠気がやってきた。
心地のいいまどろみの中ふと気が付いた。
ルナは?

次の日は、朝からどんよりとした鼠色の厚い雲が空を覆っていた。
朝食は8時からと聞いていたので、支度を整えミヨと一緒に食堂の方へと向かう。ギシギシと軋む廊下を歩いていくと、味噌汁のいい匂いが漂ってくる。
「あ、おはようございます」
テーブルを拭いていた女将が部屋に入って来た俺に気がつき、元気な声で迎えてくれる。しっかりとした化粧を顔にほどこし、昨日ご主人に盛大な雷を落とした人とは思えない笑顔を、俺に向ける。今日のエプロンは昨日とは違うキャラクターのエプロン。確かこれは「鉄腕アトム」というやつだ。アニメ好きなのだろうか。
「おはようございます」
「にゃふ」
「ははは!本当にお利口な猫ちゃんね。ちゃんと挨拶が出来るんだもの。名前は?」
「ミヨです」
「ミヨちゃんね。可愛い名前だわ。ミヨちゃんも一緒にご飯食べるでしょ?」
女将は俺にではなくミヨの方に話しかける。
「にゃふ」
ミヨは勿論と言うように短く鳴いた。
「ははは!じゃ、早速用意するから好きな所に座ってください」
食堂は6畳の部屋二つ分の畳敷きの和室で、感覚を開けてテーブルが置かれ、4つの座布団がそれぞれに敷かれている。
俺は窓際の席に座りぐるりと部屋を見渡した。
奥にある床の間に、色とりどりのアジサイが花瓶に活けられている。掛け軸は掛かっていなかったが、アジサイの存在感が大きいので寂しい感じはしない。
床の間の右脇には床脇があり、違い棚には木彫りの梟や鹿、大きく羽を広げ鋭い嘴をこちらに向けている鳥の置物が飾られている。
「はいはい。お待ちどうさまです」
大きなお盆を手に女将が朝食を運んできた。
ご飯に味噌汁、ハムエッグにきんぴらに菜の花のお浸し、鮭の切り身に海苔といたって普通の朝食だ。ミヨには、白身魚をほぐしたものとカリカリを持ってきてくれた。
「今日は何処かお出かけでもするんですか?」
お茶を淹れながら女将が聞いてきた。
「そうですねぇ・・・」
取り合えず、あの神社に行って線香をたき手を合わせに行きたい。それで呪いが収まってくれるのかは分からないが、何もやらないよりはいい。それにあの神社の事を詳しく調べてみたい。
「あの・・昨日御地家の子祭りの話の時に、祭りの終わりの合図を神社にある太鼓で知らせると言ってましたよね?」
「ええ」
「そこへ行ってみようと思ってるんですが」
「そうですか。あそこはとても静かで・・・と言ってもこんな田舎だから、何処に行っても静かなんですけど。特別あそこは静かですよ。厳かな気持ちにもなれるし。ここを出て右に真っ直ぐ行って古里川こりがわ沿いをず~っと北に歩くんです。場所はすぐ分かりますよ。今日は祭りの時に鳴らす太鼓を外に出す日だから、長谷川さんがいると思います。驚きますよ~」
女将は悪戯っぽくニヤリと笑うと、台所の方へ行ってしまった。
「驚く・・・??」
確かにアレだけの数の地蔵には驚いたが・・・古里川沿い?あの川は古里川というのか。それにしても変だ。あの神社は山の上の方にあった。もしかして別の神社という事なのだろうか。
もう一度詳しく女将に聞こうと思ったが、忙しそうに働く様子を見ると声が掛けずらい。
「まぁ行ってみれば分かるか。ミヨも一緒に行くか?」
隣りで餌を食べていたミヨは顔を上げて「にゃふ」と鳴いた。

朝食も食べ終わり、俺は早速女将から教わった神社へと行く事にした。
外に出ると、ご主人が庭に植えられているアジサイに水をやっている所だった。
「おはようございます」
「・・おはようございます」
ご主人はこちらをチラリと見ると、ばつが悪そうにはにかみながら小さな声で挨拶する。きっと、昨日俺の前で女将に叱られたのを気にしているのだろう。
「女将さんに太鼓を用意している神社を教わったので、そちらに行ってきます」
俺はなるべく明るく接する。
「ああそうですか。いってらっしゃい」
何処かホッとしたような表情でご主人は見送ってくれた。
世の中には様々な夫婦がいるが、嫁が強い方が家庭は上手くいくと何かの本で読んだことがある。百目鬼家ではまさにかかあ天下なのかもしれない。好きな酒を客にかこつけて飲む夫を心配して、客の前で旦那を叱り飛ばす嫁。驚きはしたが仲睦まじい限りだと思う。
厚い雲が空を覆っているので、強い日差しは避けられているが湿気を含んだ暑さが体にまとわりつく。背が高くなった稲に挟まれた道を、蛙と蝉の声を聞きながら古里川の方へと歩いて行く。余り車も走らないのか、舗装された道は至る所にヒビが入りその隙間から雑草が生えている。
ミヨは俺から少し離れた後からついて来る。リードもつけずに外に出すのに不安があったが、ミヨなら大丈夫だろうと思った。案の定、道端の草や鳥の声などに反応するもちゃんと俺の後について来る。女将の言う通り、頭のいい猫なのかもしれない。
暫く歩くとT字路に突き当たった。
「確かここを北に真っ直ぐって言ってたな。ミヨ!早く来い。置いてっちゃうぞ」
「にゃふん」
道端に生えているエノコログサ(ねこじゃらし)でじゃれていたミヨは、慌てて俺の元に走り寄って来る。
やはりこの猫は俺の言葉を理解しているんだ。
益々ミヨの事が可愛くなった俺は、古里川の方から時折吹いて来る優しい風を受け気分よく歩く。
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