秘密

玉城真紀

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ルナ

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会社に戻ったのが20時過ぎ。報告書などを書き慌ただしく会社を出た時にはもう21時を回っていた。
歩いて駅に向かう中、俺は不思議な感覚に陥っていた。
いつものように会社に出勤して業務をこなす。ただそれだけの日常。そう。いつもの日常のはずだった・・・どこから非日常になったんだろう。あれは本当に高野だったのか?いや、高野に間違いない。じゃあ高野は何であんなふうになったんだ?何があったんだ?高野は死んだのだろうか。車に撥ねられた後ピクリとも動かなかった。助かるだろうか・・高野が搬送された病院はどこなんだ?ご両親には連絡がいったのだろうか。
現実なのか夢なのか。自分でも判然としない。
何処かふわふわとした中にも焦りや不安、恐怖が入り混じる。
突然車のクラクションが鳴り響いた。
「うわっ!!」
どうやら赤信号で歩道を渡ろうとしていたようだ。
俺は、車の中から迷惑そうに俺を見るドライバーに頭を下げ急いで歩道を渡りきると
「あ・・・俺、会社に高野の事いうの忘れてた」
一番大切な事を忘れていたのに気がついた。

そんな状態の俺でもちゃんとアパートに着く事が出来た。電車に乗り最寄りの駅で降りアパートまで帰ったのだ。帰巣本能というのは混乱した人間でもちゃんと機能するらしい。
身体的には疲れていないのだが、精神的に参っていた。鞄の奥からゴソゴソと鍵を探し鍵穴に入れ開ける。
「にゃふ」
「ん?なんだ?ミヨ。何でこんな所にいるんだ?」
ミヨが玄関のたたきの所にちょこんと座り、俺を見上げ、素早く顔を部屋の方へ向けるとまた俺を見上げ「にゃふ」と鳴く。
部屋?俺は細い廊下の先にある部屋の方を見る。ガラスがはまった引き戸はミヨの為に少し開けてあり、明かりは真っ暗だとミヨが怖がると思い小さなデスクライトだけつけている。ぼんやりとオレンジ色に光る部屋が、ガラス越しに見えている。いつも通りの光景だ。
大抵ミヨは、自分のベッドの上でリラックスしながら俺を待ち、帰って来ると一目散に俺の元に走り寄って来る。なのに今日はどうしたと言うのだろうか。
もしかしたら、この前の出張がミヨにとっては寂しく印象に残っているのだろうか。そう思いながら俺はミヨを優しく抱き上げ、いつものようにただいまの頬ずりをする。手のひらサイズだったミヨもすくすくと成長し今は両手で抱くほどになった。その重さに幸せを感じながら部屋の方へ行き、引き戸を開け部屋の電気を点けた。
「え・・・」
明かりが照らされた部屋の中、食いかけの皿が並ぶ汚いテーブルの前にルナがいた。
正座をし窓を背にしてこちらを向いて座っている。
「君・・どこから入ったの?」
俺は鍵を閉めていたはず・・・
「え?鍵開いてましたよ?不用心だからちゃんと閉めないと」
ルナは首を傾げながら言った。柔らかそうな髪がサラリと揺れる。
鍵?閉めたはずだったが・・・今も鍵を開けて入った・・・入ったか?いつもの行動なので特に気にする事なく流れ作業のように動いたので、記憶が曖昧だ。
「あの・・・なんで俺のアパートが分かったの?」
「ふふ。本当に質問ばかりですね。じゃあお答えします。どうしてここが分かったかという質問に対しては、よんだ。そう言うしかないですね」
「よんだ?」
「はい」
ルナは頷き気持ちのいい返事を返す。サラサラの黒髪が前後に元気よく動く。
「まぁ、少し長い話になりそうなので着替えて話を聞く準備をしてください。待ちますから」
「あ・・はい」
すっかりルナのペースである。
俺はミヨを足元に降ろすとワタワタと動き、着替える準備をする。子供とはいえ相手は女の子だ。女の子の前で着替える訳にもいかないので玄関で着替えを済まし部屋へと戻る。その間、ミヨが俺の側を離れず縋りつくように体を寄せていたのが気になった。
「いいですか?」
「は、はい」

スウェットに着替えた俺は、まるで勉強を教わる生徒のように小さなテーブルを挟みルナの前に座る。食いかけの皿などは、台所のシンクにぶち込んだ。後でやればいい。ルナは姿勢を正し大きな目を真っ直ぐ俺に向ける。その目には光がなく、どうにも不自然に見えてしまう。
「先ず、私の事からご説明しますね。私の家系は代々拝み屋をやっていました。過去形なのは、もう家系が途絶えてしまったからです。拝み屋なんて言うと胡散臭く思われがちですが、私達がいた地域住民の皆様にはとても慕われていました。そう怪訝そうな顔をしないで下さい。そうですね・・・具体的に私達が何をして来たのかをお話ししましょうか。一番にしてきた事は、皆さまに降りかかる災難を失くす事です。そうは言ってもこの世に生きている限りは全ての難を逃れるという事は出来ません。出来ませんが、私達が近くにいる事でその難を最小限にすることが出来るんです。勘違いしないで下さいね。これは、宗教とかそんな類のものではありませんよ。私達には、そんな力が備わっているのです。先程、よんだと私言いましたよね。それも私達に備わっている力の証。私は微力ながらも一人でも多くの人達に安らぎを与えたいため、助けを求めている人に手を差し伸べているんです」
子供とは思えない口調で、ルナは一語一句丁寧に話した。マスクをしているので、聞き取れるよう話してくれているのだろうか。
「貴方は・・いえ、貴方と今回事故に遭われた方はハッキリ言って自業自得です」
「は?自業自得?」
「はい。声が聞こえても行かなきゃ良かったんです。それを興味本位に行ってしまったために良くないモノと繋がってしまった」
「良くないモノ・・・あの日本人形か?」
「人形と言うより、全てです。あの場所に沢山のお地蔵様がいらっしゃいましたよね。本来お地蔵様・・・地蔵菩薩は、六道(餓鬼道、畜生道、地獄道、人道、修羅道、天道)があり、それぞれの苦しみを受ける人々を仏に変わって救うために六道をめぐっていると伝えられています。更に遡れば色々と難しくなりますから、ここでは割愛させていただきます。そんな地蔵菩薩を人々は祀り崇めてきました。建物の脇、道端、霊園などにある地蔵菩薩に花を添え水を置き手を合わせる。ですが、あの土地の地蔵菩薩は少し意味が違うんです」
「意味が違う?」
「ええ・・」
視線を下げ少し悲しげな表情になるが、すぐ顔を上げ俺を見ると
「あそこの地蔵菩薩は他の地域にある地蔵菩薩とは意味が違う。それは・・」
ルナはそこで言葉を切ると、少し考え
「そうですね・・その内分かります」
肝心な所を省かれた。
「すまん。よく分からないけど、要は、地蔵達の呪にかかったという事なのか?」
ガシガシと頭を搔く。
「呪いなんて言わない方がいいですよ。相手はお地蔵様なんですから」
何故かルナの口調は怒ったような感じになった。拝み屋にとって祈りの対象になるものは人に害を成すモノと化しても、それはいつまでも良きモノなのだろうか。それにしても、地蔵の意味が違うとは・・さっぱりだ。
「それに、お地蔵様達は大好きな人間を呪ったりなんかしません」
黒目がちな目の視線が強くなる。
「う、うん。じゃあ、あの日本人形が・・」
「ちゃんとした供養をしていれば、あそこまで感情が増幅する事もなかったのに・・」
ルナは答える事なく、ため息交じりに小さく首を振り言う。幼い子供が大人のような仕草をするのは違和感を感じる。悪く言えば、ふざけているようにさえ見えるのだ。
「だから、そういう場所には誰も近寄っちゃいけないんですよ。人が足を踏み入れていい場所じゃなかったんです」
「俺達は、その踏み入れてはいけない場所に入ったから呪われたという事か?」
「まぁそんなところですね」
顔を上げそう言ったルナは拍子抜けするぐらい軽く言った。感情がコロコロと変わり戸惑ってしまうが、この辺りは子供という事だろうか。
その時俺は、ネットで観た禁足地という言葉を思い出した。
八幡の藪知らずやオソロシドコロに沖ノ島と、多少耳にした事のある名前が並んでいた。そう言ったものを信じない俺は、所詮都市伝説の類だと思い詳しく観なかったのだが。
「でもそんな場所だなんて事全てを把握してる奴なんて少ないんじゃないか?いないに等しいかも知れない。それに高野が言うには「こっち、こっち」って呼ぶ声が聞こえたって言うんだ。なんだろう?って行ってしまうのも仕方がないような気がするけどね」
「まぁそうですよね。普通の人には入っていい場所と駄目な場所の見分けなんてつかないと思います。フェンスで囲まれている訳でもロープが張られている訳でもないんですから。こう言っては何ですが、今回の件は事故だと思ってください」
「事故?」
「はい。偶々貴方達はその場所を通って声を聞いてしまった。人によってはその声は聞こえない人もいます。現に貴方は聞こえなかったでしょ?高野さんはその声を聞く事が出来た。そして、余計な好奇心を出してその声のする方に行ってしまった。普通なら荒れ果てて、暫く人が通った形跡がないような薄気味悪い場所に、足を踏み入れようなんて思う人は少ないと思います。でも貴方達は行ってしまった。好奇心で」
ルナは好奇心という言葉を二回言った。しかも最後の言葉は強調して。
「う・・まぁ、そうだね」
何となくばつが悪かった。確かにあの時の俺は、声を聞いたという高野の言葉に好奇心が無かったとは言えない。つまり、面白がった部分もあるのだ。
「すみません。少し言い過ぎました。最近、心霊スポット巡りとかで勝手に敷地内に入り騒ぎ立てるやからが多いもので。つい・・」
確かに、某動画サイトでもその手のものが多くアップされている。登録者数が多いモノもあるから、それなりに需要はあるのだろう。
「その輩達とルナが何か関係あるのかい?」
「ええ。面白半分、興味半分でその場所に行き騒ぎ立てると、そっと静かにそこにいるモノ達を怒らせてしまうんです。取り憑かれて事故に遭ったり不運な事が続いたりと言う事が起きます」
「ルナはそういう人達を助けているという事なのか?俺が言うのもなんだが、勝手に心霊スポットやら肝試しやらに行って呪われたり憑かれたりするのは、自分達のせいだろ?ルナが言うように自業自得だ」
「そうですそうです。自業自得です。そういう危険があると分かっているのに行くんですから、何があっても自己責任と言う事になると思います。でも、それをやってしまうのが人間なんです。愚かですよね。でもその愚かな人間にも情けは必要なんですよ。私には手に負えない物もありますが、拝み屋の一族として産まれた以上、私はその愚かな人間が平穏に暮らしていけるのを助けたいんです。そうは言っても全ての人達を救えるわけではないんです。神様じゃありませんからね」
「う~ん」
ルナが言っている事は分かるのだが、今一現実離れしすぎていて納得できない。
あの世やら心霊やら都市伝説やらは一種のエンタメとして考えていた。そんな世界はない。人は死んだら「無」何もなくなるのだと思っている。
「にゃふ」
俺の横に身体を寄せるようにして座っていたミヨが、俺を見上げ鳴いた。
「ん?どうした?・・ああ、飯の時間が遅くなっちゃったな。君は?何か食べるかい?と言うか、もう家に帰らなくちゃいけないだろう。親御さんたちが心配してるぞ?」
俺は立ちあがりながら時計を見て言った。23時だ。子供一人で帰らせるわけにはいかないので、送っていくようになるが親御さんに何て話したらいいだろうか。悪い事はしていないが、警察なんて呼ばれたらどうしようか・・・俺は気持ちがずんと沈むのが分かった。
「あ、お構いなく。私には家族はいませんから」
「へ?」
「私の話聞いてましたか?私の家系は途絶えましたと最初に話しましたが?」
「・・ああ、そうだったね。じゃあ君は何処に帰るんだい?」
「だから、途絶えてしまった以上私は帰る場所はないんです。分かってませんね。私も含まれるんですよ」
ルナは、マスクの中の鼻から勢いよく息を吐く。
「ん?私を含め?っていう事は・・」
「そうです」
「ホームレスと言う事か」
「はぁ?」
片方の眉を上げ呆れたように言う。
「本当にのみ込みの悪い人ですね。あ、失礼しました。家が途絶える。それに私も含まれるという事は、私はこの世に存在しないという事なんですよ」
「え?この世に存在しない?だって今ルナは俺の前にいるじゃないか。話しもしている」
俺はまた座り、人差し指を自分とルナを交互に指した。
するとルナは、俯き悲しそうな表情をすると
「そうですね・・・本当なら成仏していてもおかしくないのに、私がまだこの世にこうしてとどまっているという事は、気がかりな事があるからだと思うんです」
「気がかり?」
「実は私・・ずっと探している物があるんです」
「探している物?何?」
「・・・・」
ルナは俯いたまま何も話さなくなってしまった。小さく肩を震わせているところを見ると、深刻な問題を抱えており人には余り話したくないのかもしれない。でも、こんな小さな子供がどんな問題を抱えるというのだ。きっと、探し物というのも縫いぐるみやお気に入りの服とかかもしれないが、それにしても・・
「帽子です」
「え?何?」
マスクでくぐもり、なんて言ったのか聞き取れない。
「帽子です」
「は?帽子?」
やっぱりそうだ。所詮子供の探し物。たいしたものではない。拍子抜けだ。
「とても大切な帽子なんです。お婆ちゃんが作った帽子」
「ふ~ん。何処で失くしたか覚えてる?」
「・・・何となく・・・あの・・帽子を探してくれませんか?」
「え?帽子を?」
「はい。私は貴方を災難から守ります。その代わり貴方は帽子を探してください」
少し潤んだ瞳をこちらに向け懇願するようにルナは言った。
「え・・と、まぁそれはいいけど。でも、何処で失くしたのかも分からないんじゃ探しようがない。大体この辺りとかでも覚えてないの?」
「それは・・」
またルナは悲しそうな表情になり俯く。
「にゃふん」
早く飯を用意しろ!と言わんばかりにミヨが語尾を強めにして鳴く。
「ああ。ごめんごめん」
俯くルナの事が気になったが、俺はまずミヨのご飯の用意をする為キッチンへと急いだ。
「ごめんな。遅くなって」
皿の上に盛られたカリカリ餌を貪るようにして食べるミヨを見下ろしながら言うと、急いで部屋に戻った。
見ると、先程まで悲しそうに俯いていたルナが私の方を見てニコニコと笑っている。
肩を小さく震わせ俯いていたのに、この僅かな時間で気持ちの切り替えが出来たのか。それとも馬鹿にされているのか。それとも子供特有のものなのか。突然の豹変に戸惑った俺は、わざとらしくコホンと咳をすると
「さて、ルナが拝み屋の一族だったという事は分かった。奇特にも、好奇心で立ち入ってはいけない場所に入った俺を守るという事と、ルナの帽子を探すという事もね」
「探してくれるんですね!有難うございます!」
ぺこりと頭を下げ頬をほんのり赤くして言う。
そう。今の話からするとそういう事になる。分かっている。分かっているのだが余りにも現実味がない。だが俺は視た。高野の命を救うために救急隊員が走り回っている中、じっと高野の事を見降ろしていた日本人形の事を。今まで不思議な事も心霊的な怖い事にも一度もあった事がない。だからそんな事信じていなかったのだが・・・
「なぁルナ。本当にお前お化けなのか?」
「はい!」
自信たっぷりの返事だ。この返事なら、学校の先生に100点を貰えそうだ。
「もしかして、そこで引っ掛かってます?」
「あ・・まぁね」
「そうですか。それもしょうがないかもしれませんね。人は理解できないモノに対しては懐疑的になったり恐怖心を持ったり色々です。でも私は嘘は言いません。これからの生活の中で分かっていくと思います。大丈夫です」
「はぁ・・・」
何が大丈夫だというのだ。こんな小さな子供に何が守れるって言うんだ?それとも死ぬと拝み屋としての力が増幅されるとでもいうのか?
「大丈夫ですよ。私は側に必ずいます。そうですね・・・簡単に言うと貴方に取り憑くというところでしょうか。だから、私の姿が見えなくても安心してくださいね」
ルナは可愛らしく小首を傾げ笑いかけた。
「はぁ・・宜しく・・・」
俺はルナにわからないように小さくため息を吐いた。
これが、自称幽霊だというルナとの出会いだった。

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