輪(りん)

玉城真紀

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裏切り

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「旦那様・・・・・・旦那様」

きぬは主人の寝る部屋の襖を少し開け、中で眠っている主人に小声で呼びかける。中から絹連れの音と共に

「きぬか」

座敷の灯りが点く。
灯りの中で見るきぬは髪は乱れ着物の裾が濡れ、裸足の足は泥だらけだった。

「どうしたんだ!何があった!」

主人は慌ててきぬの元に近寄る。きぬは泣きそうな顔をしながら懐からあの般若の面を取り出す。

「これは・・・・・・」

驚いた表情から更に目を向き顔を引きつらせている。

「きぬは約束を守りました。ずっと耐えてきました。ずっと耐えてようやく約束を果たす事が出来ました」

そう言いながら震える手で主人の前に二つの般若の面を差し出す。
目の前に出された般若の面は濡れておりぬらぬらと異様な光を放っている。主人はその般若の面を受け取ることなく後ろへ後ずさりすると

「これは・・・・・・一体どういう事なんだ?あれだけやっても取れなかった面が外れたというのか?・・・・・・それにきぬ。約束と言っているが何の約束だ?私と交わした約束は、お産婆がハルを手にかけた事。しかしそれは母があの時家内に伝えてしまっているはず」

「え?」

きぬは呆然としてしまった。

きぬの家は小此鬼家から小さな土地を借り細々と親子三人暮らしてきた。とても貧乏な暮らしだったが、優しい両親と一緒に慎ましく暮らしてきた。

しかし、土が悪いのか作物が思うように育たない。これでは、土地の借り賃どころか作物さえも小此鬼家に持って行くことが出来ない。義理堅い父はそれでは申し訳ないという事で小さなきぬを小此鬼家に奉公に出したのだ。

きぬは当時十二の女の子。親が恋しくないわけがない。それでもきぬは両親の為我慢をして働いてきた。

そしてあの日。チヨが七つの誕生日を迎えた日。きぬはもう十九歳になっていた。記念すべき日に、面が取れないという不可思議な事が起きた。本当にそんな事が起こる物なのかと不思議だった。

その夜。きぬが夜番を終え女中部屋へ戻ろうとしていた時に祖母に声を掛けられ普段使われていない座敷に連れていかれた。淡い灯りの中二人向かい合って座ると、祖母が

「こちらの言う事を黙って言う通りに聞いてくれるならば、お前の家に貸している土地の借り賃はいらない。土地はやろう。それに、事が済んだら家に帰ってもいい」

初めは、突然何を言い出したのかと思いすぐには理解できなかったが祖母は話をつづける。

「息子も家の者もあの女を疎ましく思っている。皆、理解しているから大丈夫だ。みんなお前の味方だから」

と。そしてその後、おぞましく恐ろしい計画を教えられたのだ。

「この小此鬼家を途絶えさせることは出来ない。あの子には(主人)新しい嫁を迎えるよう話すつもりだ。あの狂った母親は、何かの理由をつけて離縁させる。七つの誕生日を迎えても面が外れないなど、前代未聞の事・・・小此鬼家のご先祖に面目が立たない。
だから・・・・チヨを殺してほしい
それが出来たならば、さっき言ったようにお前は家に帰っていい。土地もやる。
・・・出来ますね」

そして今日。やっとその計画の全てが終わった。

祖母の所へ報告へ行こうと思ったが、心身ともに疲れていたきぬは神経を使う祖母よりも普段優しく声を掛けてくれる主人の方へ先に報告したのだ。それなのにこの反応はどういう事だろう。きぬは何が何だか分からず、足から崩れ座り込んでしまった。

主人は、そんなきぬに声を掛ける事もなく座敷から走り出ると祖父母を起こし連れてきた。
きぬは祖母が来た事で、少しだけ安心し面を差し出す。よくやったとは言われなくても、約束は守ってくれると思ったからだ。

しかしそうはいかなかった。差し出された面を見た祖母は悲鳴を上げ

「きぬ!どうしてあなたがその面を持っているのですか?チヨはどうしたのです?あなた!家の者を皆起こしてください!小屋の中の確認をさせるのです」

きぬは祖母が何を言っているのか、どうして騒いでいるのかが分からなかった。ただ約束を果たしただけである。
自分の家の為に。父ちゃんと母ちゃんの為に。きぬは面を差し出したままま呆然としている間に、家の者達が寝間着姿のまま次々と起きてきた。
きぬを見た皆は口々に

「何故あの面を持っているの?」

「チヨ様はどうしたんだ?」

「きぬが取ったというの?」

と驚きと蔑むような目できぬを見た。

「あ・・・・・・あの・・・・・・皆さん・・・・・・私言う通りに・・・・・・旦那様達の言う通りに」

「な、何を言う!私が何をさせたというのだ!」

主人は心外とばかりにきぬに怒鳴りつけた。きぬは目を飛び出さんばかりに大きく見開きその時全てを悟った。

(騙されたんだ。最初から約束なんてなかったんだ)

絶望で目の前が白くかすんできた。

きぬの心はゆっくりと壊れ始めた。

(今までの事は何だったのか。奥様の側に着くようになってから赤ん坊の死体に生きている人間として笑いかけたり話しかけたり、狂った奥様の話に合わせたり・・・・・・あのチヨ様もおかしかった。普通に話すこともあるが、たまに変な言葉を言ったりしていた。「これこれ」「あれあれ」と。本当に薄気味悪かった。でも誕生日で面が外れる。そうすればまた状況が変わるのではと期待していたが、そうはならなかった。挙句の果てには奥様に毒をもる手伝いまでさせられ・・・・・・知らなかったとはいえ私は人を殺した。そして・・・そして・・・今・・・私は本当に人を・・チヨを殺してきた・・・この手で・・・信じていた・・・母ちゃんと父ちゃんの元に帰れると・・・裏切られた)

警察もないこの村で犯罪を犯してしまった時、待っているのは村八分である。

きぬはその夜、小此鬼家から追い出され家へと連れ戻された。
突然、小此鬼家の使いの者と憔悴しきったきぬが家に帰って来た事に驚いた両親は、理由を尋ね事のあらましをすべて聞くと更に驚いた。

「明日、村の者すべてを集めてお前達に対しての今後の事を相談する」

とだけ言うと使いの者は帰って行った。
きぬの両親は泣きながらきぬに

「本当なのか?」

「何でそんな事を?何かあったのか?」

と、きぬを問いただすが心が壊れたきぬはきちんと説明することが出来ずただ茫然とするだけだった。

次の日。小此鬼家には村の物全ての人が集められた。皆、今度は何だろうと顔を寄せ合いひそひそと話している。一番広い座敷が村人で一杯になった頃、上座に立つ祖母は

「皆様にご報告がございます。昨夜、うちの女中のきぬがチヨとチヨの母親を手にかけてしまいました」

祖母は、母親の死までもきぬのせいにして話し始めたのだ。
初めは何の事やらという顔をしていた村人たちも、事を理解するなり一瞬にしてざわつきだした。

「私も信じられません。きぬを信じていたからこそ側にいてもらったのに。こんなことになるなんて」

と、声を詰まらせる。ざわついていた村人が静まり返る。

「しかし、私共はきぬを責めたりはしません。あの子はあの子なりに一生懸命にやってくれました。ただ、我慢の限界が来てしまったのでしょう。チヨの母親はお面が外れない事を思い悩み心を壊していたことろがありました。チヨもそうです。自分から外れない面を疎ましく思い、心を閉ざしていったのです。その二人を間近で世話するのは並大抵ではなかったでしょう。私ももっと早く気付くべきでした。こんなことになるなら」

とハンカチで目頭を押さえる。大した演技力である。

「今回、この小此鬼家に双子が産まれたという事。七つの誕生日に面が外れなかった事。そして・・・・・・そして今回、こんな報告を皆様にしなくてはいけなくなった事。本当に心苦しく思っています。申し訳ございません。ご迷惑とご心配をおかけしたお詫びと言っては何ですが、皆様にお貸ししている土地の貸し賃をこれまでの半分の金額でお貸ししたいと思います」

そこまで言うと祖母は力尽きたようにその場に崩れ落ちた。すかさず隣にいた祖父が抱え座敷を出ていく。

残ったのは主人である。今自分の母親が言ったのは寝耳に水だ。何も相談されていない。それに、家内が死んだのはきぬのせいなのか?分からない事ばかりだ。
しかしこの場を収拾するには、村人に納得?してもらうには今はそれしかないように思う。

主人は立ち上がり、ざわつきだした村人たちに

「申し訳ありません。母は今、精神状態が不安定でして。皆様。この度は誠に小此鬼家の騒動でお騒がせしてしまい申し訳ありません。私共も昨日の夜の事で頭の整理がつかないでいます。しかし、皆様にはすぐにお伝えすべきだという母の希望からお忙しい中集まっていただきました。きぬがしでかした事は私にも青天の霹靂であります。まだ、どう考えていいのか分かりません。一度に嫁と子供を亡くしこれから・・・・・・」

主人は声を詰まらせた。
これだけで十分だった。村人がきぬを恨み小此鬼家を同情するのには。
そこには自分たちが借りている土地の借り賃が半額になったという事も大いに役立ったのだと思う。

その三か月後・・・・・・

きぬの両親は家の中で首を吊り死んだ。ただ、きぬの姿は忽然と消えてしまった。
村人達は口々に

「きぬは親も殺して逃げた」

と噂するようになった。

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