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13.約束

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「ルルナよ、全てを話そう。我は、原初より存在した古の竜、その最後の生き残りなのだ」

「え、えっと、それって……?」

「……まぁ、超スゴい存在ってことじゃ」

「ん、んん~……?」

 今一つ分かっていない様子のルルナに対し、ファノマはわざとらしく咳払いすると、多少強引に話を続ける。

「ロナが、かつて竜と戦ったということは、知っておるであろう?」

「あ、はい。それで戦いに敗れたロナは、竜の肉を食べて……力を得たっていう話ですよね?」

「そうだ。故に我は、同胞を喰らったロナを許すわけにはいかなかった。しかし、奴は非常に用心深く、それ故に、我に命を狙われていると気づけば、すぐさま姿を眩まし、人間を自らの盾とするだろう。そこで、お前を利用した」

 利用……ルルナは少しだけ戸惑ってはいたが、ファノマの、かつてと変わらぬ真摯な目を見て、その心に曇りは無いと感じ、信じた。

「私を使って、確実にロナを仕止める……それがファノマさんの狙いだったと?」

「そうだ。奴は人間を見下しておるからな。人間が相手なら、必ず油断するだろうと、我は思ったのだ」

 少々冷たさの篭るルルナの言葉にも、ファノマは決して臆さず、はっきりと言い切った。それが、自らの都合で利用してしまった、彼女に対する礼節であると考えたからだ。

「済まなかった、ルルナ。そして……ありがとう。お前達のお陰で、我は目的を果たすことができた」

「ふぅっ! ルルナさま! 私からも謝罪いたします。どうかファノマさまをお許しください!」

「えっ、ワロルさん?」

 ファノマの陰からふと現れたのは、階下に居た筈のワロルである。
 彼は自らの言葉に続けるように、口から何かを吐き出した。それは、なにか小さな骨のような物だ。たがそれが、彼自身の骨ではないということは、ルルナにもすぐわかった。風化し、今にも朽ち果てそうに見えるそれは……尚も力を蓄え、大いなる魔を秘めているようであった。

「それこそが、竜の骸だ。その名の通り、ロナに喰われた、我が同胞の骨よ」

「あれ、竜の骸って、確か……フレオラさんが持ってた筈じゃ……」

「彼女が持っているのは偽物でございます。ファノマさまが製作し、わたくしに持たせておいたのです。いや、本物と見比べた時は、これが余りに精巧だったので、わたくし驚きました」

 彼の言う通り、ファノマと魔王ジェードは結託し、予め骸の贋作をワロルに持たせていた。現代において、ファノマ以上に竜の事を知る者は無い。なればこそ、贋作はとても精巧に作られ、アレスも、ヴェーガも、それに騙されたと言うわけだ。

「じゃあ、初めから奪われるのは想定内だったって言うことですか?」

「その通り! と、言いたいが、まぁ、保険と言った所だな。ワロルが骸を持って無事帰還できる確率は、かなり低いだろうと、我とジェードは考えていたからな」

「ほほほ……このわたくし、情けない限りで……では、ファノマさま」

「うむ」

 ファノマは竜の骸をワロルから受けとる。
 そして、そっと……その手に、全ての力を込めた。

「あっ……」

 骸は役目を終えたように崩れ落ち、砂になって風に乗り、やがて空へと溶けていった。

「これでよい。竜の骸は未だ魔力を宿し、大いなる力を促す。が、その様なこと、あれは望んでおるまい」

「ファノマさん……」

 名も無き同胞に想いを馳せ、ファノマはどこか淋しげな横顔を見せた。しかし、直ぐに何時ものように微笑み、ルルナの方へと振り向いた。

「ルルナ! これで我の、竜としての最後の悪巧みは終わりだ! これより我は、真に大魔王としての活動を始めようと思う」

(あ、よかった……何時ものファノマさんだ)

「ルルナ! 改めて聞きたい。我が臣下になってはくれぬか?」

「駄目……」

 突然、影のように横入りしてきたのは、ケレノだ。彼女はファノマを怪訝な目で見つめている。

「む、何故駄目なのだ?」

「大魔王って悪いことするんでしょ?」

「せぬ! 我は、この世界を真の平和をもたらすため、大魔王として活動するつもりなのだ!」

「でも、ジェードも、おね……ウルも悪いやつだよ?」

「ああ。だが、我は違う! ジェードとは元々今回限りの協力だ。これからは、清廉潔白にやっていこうと思っておるぞ」

「あの……どうしてファノマさんは大魔王になりたいんですか?」

 ルルナの素朴な疑問に、ファノマは、よくぞ聞いてくれたという顔で、興奮ぎみに話始める。

「そこに気づくとは、流石ルルナよ! 先ず、我はロナをこの手で討ち倒したかったということは、話したな」

「はい。あっ、もしかして」

「おっと、先に言うなよ! えー、我はな、ロナを倒したのち、人々が信仰を失い、世界が荒れるのを止めたかったのだ」

「それが……どうして大魔王に繋がるの?」

「答えよう。ロナは確かに邪な存在。しかし、奴のお陰で魔と人の均衡が保たれていたのも、また事実。奴が消えれば、これまで沈黙していた魔王達も動き始めるだろう。事実、ジェードも既になにやら準備を始めておった」

「じゃあ、ウルも……」

「おそらく、動くだろうな。我はロナを滅ぼした者として、後の責任を取る必要がある。だから! 大魔王となって、他の魔王達を圧倒し、人々をも導かねばならんのだ!」

 それは荒唐無稽な考えではあったが、夢を語るファノマの表情は輝きに満ち、決して偽りは無いと思わせる、信頼に足るなにかがあった。或いはそれを、情熱と呼ぶのかも知れない。ルルナはそう感じた。

「ファノマさん。わかりました」

「おっ! ついに、心が決まったか!」

「はい。ですが、臣下にはなりません」

 ファノマは頭から勢いよく転げ落ち、起き上がるなり、物凄く悲しそうな顔を見せた。

「……ぐ、グズっ……ルルナ……そうか、そうだよな。我は、お前の意思を尊重しよう……今までありがとうな、ルルナ……!」

「ま、待ってください! 臣下にはなりませんが、ならないと決めたわけでもありません!」

「な、なんだと!?」

 ルルナは大真面目にそう叫んだ。その熱意に、決して優柔不断ではなく、彼女なりの考えがあるのだろうと察し、ファノマは固唾を飲んで、次の言葉を待った。

「ファノマさん、それなら、あなたの望む世界の片鱗でもいい、形と成ったあなたの理想を、私に見せてください」

「そ、それは……?」

「あなたが、本当に良い世界を望むのなら、その証拠に、私に見せてほしいんです。あなたの夢が世界にもたらすものを」

「よ、要は、結果を出せと?」

「そうです!」

 ルルナは迷い無く、はっきりと笑顔で答える。

「ふっ、メソメソ泣いてた小娘が……生意気になりおって……」

「なっ、泣いてません! ファノマさんは、私を利用したんだから、その罰です!」

「罰か。フフフ! そうだな!」

 言い合って、二人は初めて出会った日の事を思い出し、大いに笑いあった。そして、暫く時を忘れ語り合った後、ファノマは静かに頷くと、ゆっくりと立ち上がる。
 見れば、空は既に明け始め、朝焼けが、その竜翼を赤く照らしだしていた。

「さて、決めたからには、何時までもこうしているわけにはいかんな」

「もう行くの?」

「ああ。そうだ! ルルナには断られてしまったが、なんだっけお前……あっ、ケレノよ。お前、我が臣下にならんか?」

「嫌」

「じゃ、じゃあ、ワロルでいいや」

「大変嬉しいお言葉ですが、わ、わたくし、そろそろジェード様の元へ戻らなければ……」

 立て続けに誘いを断られ、ファノマは少々たじろいだが、持ち直し、ルルナに背を向けたまま言った。

「……では、ルルナ、我はもう行かねば。必ずお前の期待に応えてみせるからな……うむ、なんだか、最初と逆になってしまったな。だがな、何故だか我は、それが嬉しくてたまらんのだ」

「もう、ファノマさん、喜ぶのはまだ早いですよ? やる前に燃え尽きないでくださいね!」

「まったく、お前には敵わんな。いいだろう! 必ずお前に、我の望む世界を見せてやる! その時までの、短い別れだ!」

「はいっ!」

 ファノマは翼を大きく広げ、何処かへ飛び去っていった。その姿を見送りながら、ルルナもまた、決意を新たにした。

「ケレノさん、私達も行こう。師匠の家、案内するよ!」

「……うん! 行こう、ルルナ!」

「ワロルさんも、元気でね!」

「おお、わたくしごときにそのような優しいお言葉をかけて下さるとは……ルルナ様も、どうかお気を付けて!」

 ──そびえる塔の頂から、空へと飛び去っていくその鳥の姿を眺め、また一人の者は静かに呟いた。

「やっぱり、私の思い通りに行ったでしょ?」

「確かに、ロナは滅び、骸も手に入れた。我々の勝利と言えるだろうな」

「……あっ、ごめんねヴェーガ、それ偽物なのよ」

「なに……?」


 ──────


 遡ること数刻、黒衣の男によって地に投げ落とされたフレオラは、落下後、レイシュバルト邸の崩れた瓦礫の底から、事もなく起き上がっていた。因みに、アレスはいつの間にか逃げ出したらしい。

「ふー……まさか、あの大悪魔がふらっとやって来るなんて、反則よね」

「……げっ、もう起きてきやがったか」

 同じく、機能停止状態から起き上がった魔動人形ミロは、その姿を見て、実に嫌そうな声色で吐き捨てる。

「なによ、まだやる気なの?」

「まさか。もう面倒くせぇからやめだ。オレは帰るぜ。引き留めるなよ」

「ふふっ、引き留めるなんて、それこそまさかよ。それじゃ、お気を付けてね」

 フレオラはわざとらしい笑顔で手を降り、振り向きもせず去っていくミロの姿を見送った。
 その後、彼女は突如として姿を消す。転移し、聖人の塔へ向かっていたのだ。


「ヴェーガ、セゼル、どう? 上手くいってるかしら?」

「フレオラか……神出鬼没な奴め」

「はい、フレオラ様。エムハトは確かに死亡しました」

 セゼルの傍らには、化け物に変質したまま倒れる、教皇エムハトの姿があった。
 その様を見下ろし満足げに笑うと、フレオラは次に、壁際で項垂れるスラットレイ枢機卿を見て、二人の従者に問い掛ける。

「で、ワロルは?」

「……これはっ!」

「奴め、いつの間に消えたのだ!?」

 スラットレイの中に、既にワロルは居なかった。悪魔達の戦いに紛れ、体内から逃げていたのだ。しかし、フレオラは特にその行方を気にするでもなく、気を失っているスラットレイの前に立つと、その肩をゆっくりと揺らす。

「起きてください? 倪下」

「ん、んん……? 貴女は……」

「私は、フレオラ・フォン・レイシュバルト。ローレントの貴族でございますわ」

「おお、レイシュバルトの……しかし、なぜここに……?」

 戸惑うスラットレイに、フレオラは何も答えず、代わりに、変わり果てた教皇エムハトの亡骸を指し示す。

「こ、これは……!?」

「教皇エムハト・レカリエラの、その真の姿ですわ。倪下、あなたに全てを教えてあげましょうか?」

 フレオラは、スラットレイに全てを語った。ロナ教の真実、そして、嘘を。
 虚実が巧みに織り混ぜられ、ヴェーガの能力によってさらにねじ曲げられたそれは、スラットレイを彼女にとって都合の良い傀儡と変えるには充分なものであった。

「で、では……貴女、貴女様が、ロナ教の不正を暴きたて、真の救いをもたらすと……?」

「ええ。その通りですわ」

「おお……貴女様こそが、真の英雄……いえ、女神だ」

 特に否定も肯定もせず、フレオラは静かに微笑んでいた。そして、それを一切崩さぬまま、言葉を紡ぎ始める。

「スラットレイ枢機卿、一つ、どうしてもお願いがあるの」

「おお……何なりとお申し付けくださいませ」

「それじゃ、聖地に戻って、あなたが信用に足ると思える人間を、何人か連れてきて頂ける?」

「勿論です。今すぐにでも! 彼らにも、貴女様の、愛ある真実を伝えなくては!」

 その熱意のこもった言葉通り、スラットレイは直ぐに十数人の信徒達を連れてきた。皆、名のある聖職者ばかりであった。

 フレオラと彼らは塔の前に集い、フレオラの指示で、その頂をじっと仰ぎ見た。
 そして、彼らの瞳に映ったのは、白き巨竜。ルルナが作り出した、レストエペアの竜である。

「おお……あれは!」

「なんと、なんと神々しい……!」

 彼らの興奮も冷めやらぬまま、今度は、天より何かが飛来し、地に叩きつけられた。それは不気味な呻き声をあげながら、周囲の人々を睨み付けた。

「ぐ、ぐぅぅううぅ……!」

「こ、これは……」

「まさか、ロナ様!?」

「ご覧なさい。これこそが! 女神ロナ、いえ、邪悪なる悪魔ロナの真の姿なのです!」

「うがぁあああぁあああ!!」

「あひゅっ」

 瞬間、一人の信徒の首から上が消し飛ぶ。最早怪物と化したそれ、悪魔ロナは、引きちぎった信徒の頭を貪りながら、跳躍し、再び塔を駆け登っていった。

「ああっ! ゴート! なんということか! あれがロナ様で……ゴートを、殺してしまうなんて……!」

「……ロナは、聖竜と戦っているのです。もし聖竜が敗れれば、次は我々が狙われるでしょう」

「なんと言うことだ……」

「我々は……今まであのような悪魔を信仰していたというのか……」

「聖竜よ、どうか我々を救ってくれたまえ……」

 彼らの祈りに応えるかのように、竜の放つ光は輝きを増し、天を覆った。そして、暫しの沈黙の後、再び塔の頂から、崩れ落ちたそれは落下してきた。

「おお……! おお……!!」

「祈りが、届いた!」

「聖なる白竜よ、感謝いたします!」

「ふふっ、ふふふふふふ……アハハッ!!! アハハハハハハハハハハハハハ!! アーッハハハハハハハハハ!!!」

 何故フレオラがこんなにも嬉しそうに笑うのか、スラットレイ達には、よくわかっていた。そして、ヴェーガとセゼルもまた、彼女がこうして愉快そうに笑う理由を知っていた。尤も、それらは大きく異なり、どちらも真実ではなかった。

 フレオラはスラットレイ達に、今日のことを広く人々へ伝え、ロナ教の不正を暴いて欲しいと、これまでの出来事を映像として記録した魔導具を手渡した。
 そして実際に後日、スラットレイは、彼女に託された魔導具と、朽ちたロナの残骸、教皇エムハト・レカリエラの骸を以て、ロナ教を断罪した。かくして、聖天神霊教会、通称ロナ教は、人々の信用と信仰を失い、その力を失っていく。
 更にスラットレイは、空中分解しかけたロナ教の組織を再編成し、偽りの神を討ち滅ぼした、聖なる白竜を信仰する教団、聖白竜教会を立ち上げた。そして、フレオラの仲介もあり、スラットレイは新たな教皇として君臨することとなる。悪魔を打ち破った真の英雄達を、人々は暖かく、そして手厚く迎え入れ、ローレント王国も、聖白竜教会を新たな国教として認めるのだった。

 ……後に起こるこれらの出来事は、この時点で、全てフレオラの想定通りである。
 故に、フレオラは笑っていたのだ。その未来は最早、予測ではなく、確定された事実なのである。
 スラットレイ達を見送り、フレオラはとても上機嫌に従者達へ声を掛ける。

「それにしても、ほんとビックリしたわ。竜の骸が偽物だったときはね。可哀想だから、ヴェーガには言わなかったけど」

「……ちっ」

「ま、最初っから想定済みだったってことかしら。狡猾さで知られる、魔王ジェード……看板に偽りはないわねぇ?」

「おそらく魔王達は、これから徐々に台頭し始めるでしょう」

「そうね。なにもかも思い通りすぎて、まったく愉快だわ」

 明け始める空を眺めながら、フレオラは、空を往く巨大な鳥の姿を仰ぎ見る。

「ご苦労様、ケレノ。貴女はホントに良い拾い物だったわ。ルルナさんと仲良くね。それから、お姉ちゃんには気を付けるのよ?」

 聞こえるはずの無い言葉を、しかしフレオラは、はっきりとした口調で、かつての従者へ送った。


 ──────


 そしてルルナ達は、ようやくノドロの家まで戻ってきた。
 ルルナは師匠に早くこれまでのことを伝えたかったが、ノドロは未だ帰ってきていないようだ。しかし、ミロは戻っていて、直ぐに二人を出迎えてくれた。
 その後、二人にどうしても、とせがまれたので、ミロは、フレオラとの戦いの事を、少しばかり誤魔化しながら話す。二人は目を輝かせながらそれを聞き、終わった頃には、気が抜けたように微睡みを感じた。そしてその日は、久方ぶりの穏やかな一日を過ごすのだった。

 次の日、未だ帰ってこないノドロを心配し、ルルナは少々落ち着かない様子でミロに声を掛ける。

「ミロさん、師匠、何かあったんでしょうか?」

「バカ言え。あのジジイの心配なんか必要ねえよ」

「だけど……やっぱり心配ですよ……」

 言いながら、ルルナとケレノは既に身支度を済ませていることに気が付いた。

「……おいおい、もう出掛けるのか? ジジイも、その内帰ってくるだろ。ゆっくりしてけよ」

「うーん、でも、やっぱり私、なんかじっとしていられないんです。師匠のこともあるけど、もっと世界中を回って色んなものを見てみたいから!」

「ぼくも。人間の世界は、魔界よりずっと明るくて、楽しい……」

 交互に言う二人を見て、ミロは余り興味無さげに、寝っころがったまま手を振った。

「そうかそうか。わかったよ。なら、好きなだけどこにでも行ってこい。オレは寝るから」

「はい! 行ってきます!」

 二人は元気よく走り去っていく。その行き先に何が待つのか、それはまだわからない。しかしきっと、今のルルナなら案外上手くやっていけるだろう。そんな風に、ミロは思った。
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