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12.白銀の月

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 ルルナ達が聖地を訪れるより少し前、教皇エムハト・レカリエラは、大神殿にて一人、祈りを捧げていた。それは即ち、神となった主との秘密の対話である。

「ロナ様、魔導師レオとの連絡は今も途切れたままです。どうやら、フレオラの暗殺に失敗したと思われます」

「ふふ、まぁわかっていました。殺されたか、或いは失敗して、主人の元へ逃げ帰ったかでしょう」

「あのフレオラの事です、刺客を生かして帰すことはない筈。恐らくレオは殺されたかと」

「まぁ、何れにしても、気にする事はありません。レオが口を割るまでもなく、フレオラは勘付いているでしょうから」

「念のため、聖地周辺の警戒を強めますか?」

「いいえ、必要ありません。来たとしても、恐らく配下の悪魔でしょうし……フレオラ自らが来たとしても、人の身でこの私に敵う道理など、ないのですから」

「無論にございます。ですが、私めの役目は、あなた様に虫を寄せ付けぬ事。煩わしくない程度に、塔周辺の警備を強化致します」

「そう。まぁ、好きになさい」

 そう言い残し、ロナの声は聞こえなくなった。
 誓い通り、エムハトは配下の者を呼び、塔の警備を強めるよう命じた。

 そして、それは滞りなく聖地の人々に伝えられ、今夜は喩え教徒であっても、塔内部へ入ってはならないとの決定が、聖騎士長ゲラルドより、全衛兵へと下された。

 それから暫くして、ルルナ達は塔へたどり着き、魔物ワロルは小型化して聖地に潜り込んでいた……

「やぁご苦労、今日は良く冷えるねぇ」

「あ、これはスラットレイ枢機卿猊下、私のような者へお声を掛けて頂けるとは、誠、恐悦至極にございます!」

 改まった様子で、衛兵はその男の前にひざまずく。男の名はスラットレイ。ロナ教の司祭枢機卿に当たる人物である。ワロルは、寄生先として、彼に目をつけた。

「しかし、突然塔周辺の警戒を強めるなど、一体どのような経緯なのかね?」

「申し訳ありません、それは、私ごときにはわかりかねます……ですが、エムハト様直々の命であるとのことで……」

(警戒ですと!? こ、こうしてはいられません!)

 スラットレイが言葉を発しようと、口を開いたその瞬間、ワロルは跳び跳ね、彼の体内に侵入した。

「ごぁっ!?」

「猊下?」

「あ、ああ……大丈夫。では、私はこれで……」

 ワロルは無事寄生に成功し、精神の主導権を奪い取った。しかし、衛兵は彼を引き留めようとする。

「あ、猊下、そちらは塔の方角ですが……」

「あ、ああ? そうかね? い、いや、なんだ、塔を少し確認しようかと思ってね……」

「確認……ですか?」

(ま、まずい……)

 ワロルは緊張の余り、思わずスラットレイの口から飛び出しそうになった。しかし、衛兵は爽やかに笑うと、大声でこう言い放つ。

「す、素晴らしい……兵だけに任せず、自ら塔に向かわれるとは……私、感動致しました!」

「あ? あ、ああ……ありがとう」

(た、助かったぁ……!)

 ワロルは衛兵に手を振ると、逃げるように塔へと向かった。
 三人の衛兵は、ワロルが取り憑いているとも知らず、スラットレイの前にひざまずいた。慣れない体験に、少しばかり気大きくしたワロルは、堂々とした態度で言い放った。

「ご苦労。えー、皆のものよ、少し休憩してもよいぞ? その間、わしがここを見ておくから」

「なっ、そ、そのようなこと!? とんでもございません! どうか、我々などお気になさらず!」

「いや、気になるって言うか……好きなのだ。見張るのが」

「見張るのが……ですか?」

「ああ……」

 流石に衛兵は疑念を抱いたのか、いぶかしむようにスラットレイを見詰める。しかし、その時、突然おかしな事を言い始める。

「あっ! そうだ! ではこうしましょう! 中で、皆で休憩しませんか?」

「は……?」

「そうだ! そうしよう! お前らもいいよな?」

「はい! 勿論です!」

「やったー! 休憩だー!」

「ど、どうしたというのだ……?」

 突然子供のように、本能のまま喜び叫ぶ衛兵達に、ワロルは激しい違和感を感じながらも、取り敢えずは塔に入れば衛兵達の目を誤魔化せると思い、彼らを引き連れ塔へ入ることにした。

「よ、よひっ! で、では皆で休もうぞ!」

「おー!」

「うっ!?」

 全員が塔内部へ入ると、突然衛兵達が皆ばたばたと倒れ、そのまま動かなくなってしまった。ワロルが戸惑っていると、彼の目の前に、巨大な影が浮かび上がってくる。

「全く……ジェードは何故貴様のような無能を遣わせたのか……」

 突然現れた山羊頭の怪物、悪魔ヴェーガは、スラットレイを見下ろしながらそう言った。

「あ、あ、あ、あなた、は……!」

「落ち着け。俺は貴様らの味方だ。少なくとも、今はな」

「その通り」

 ヴェーガに続き、魔鎧セゼルも傍らに現れる。彼らは、フレオラの指示で屋敷を後にしたが、ただ待避していた訳ではなかった。彼らに与えられた真の命は、聖人の塔へ向かい、ルルナ達を手助けすること。ヴェーガは、ワロルにその事を説明する。しかし、まだ重大な疑問が、ワロルにはあった。

「で、ですが何故ルルナさまが塔へ向かうと!? それに、何故その手助けを……」

「フレオラは、貴様らの会話を盗み聞きしていたのだ。屋敷に備えられた装置によってな。奴の屋敷で秘密の会議など、俺に言わせれば余りに迂闊だが……まぁ安心しろ。一先ず、奴は貴様らに対し協力的なようだ」

「なるほど……しかし、これはわたくし、後で怒られるでしょうな……」

「そんなことは知らん」

 特に興味も無さそうに、ヴェーガは吐き捨てる。セゼルは天を仰ぎ、上層の様子を気にかけていた。

「ルルナ嬢とケレノは、上に着いたようですね」

「わ、わかるのでございますか?」

「上から二つ、悪魔の気配がするからな。恐らくケレノと、ロナだろう」

「さて、我々は我々の使命を果たしましょう」

 セゼルがそう言うと同時に、凄まじい形相の男が忽然と姿を現した。教皇、エムハト・レカリエラである。

「貴様ら! まさか貴様ら二匹がここまで来るとはな! フレオラは総力戦でも仕掛けるつもりか!?」

「生憎、我らが主は別件に時間を取られておりまして……まぁ、ここで死ぬあなたに言っても意味の無い事ですが」

 エムハトは全身を激しく震わせ、その姿を変質させた。大蛇のような下半身と、巨大な蝙蝠のような翼を携えた怪物へと。

「貴様ら、人間の下僕ごときが……神の御使いである私に敵うと思うな!」

「愚かなことです。フレオラ様を只の人間だとお考えか?」

「くだらん! 人間など、所詮どこまで行っても人間よ!」

「おい、セゼル、主自慢などどうでもいい。さっさと片付けるぞ」

 言いつつ、ヴェーガは巨腕を振り上げる。悪魔同士の戦いは苛烈を極め、周囲にもその轟音が鳴り響いたが、幸か不幸か、エムハトの命により誰も塔周辺には近付こうとしなかったため、その喧騒を知るものは無かった……

 そして塔の最上層では、ルルナが呼び出した白竜と、女神ロナが対峙していた。

「竜……!」

「っ、はあっ! はぁ……!」

 ロナはその姿を仰ぎ見ると、自分でさえ無意識のうちにルルナを解放していた。そして、両の眼を紅く滾らせ、怒り、猛った。その姿は最早女神などではない。在りし日、竜達と戦った悪魔の姿がそこにあった。

「ぁぁぁあっ!!」

 過去を振り払うように、ロナは咆哮し、雷を全身に迸らせる。そして、正に悪魔の形相で跳躍すると、力の全てを眼下の天敵へ向け、解き放つ。

「この雷……これを全部ロナが……! 何て力なの!?」

 ルルナの悲鳴にも似た叫びとは裏腹に、彼女のしもべである巨竜は、力強く羽ばたき、雷を全身に受けながらも、ロナと空中で視線を交差させる。

「グオオオオオオオッ!!」

 嵐のような咆哮と共に、竜は白銀の息吹で雷を打ち払い、その源、ロナさえも飲み込まんと、白き火炎を天に躍らせる。

「竜……! くそっ! こんな紛い物の竜などにっ!」

 ロナは天を激しく飛び交いながら、反撃の隙を伺う。しかし、竜はその瞳にロナを捉え、決して離さない。余りに激しい白炎の波に、夜空は照らされ、夜とは思えぬほどに天空を輝かせた。

「レストエペアの竜……お願い……!」

 或いは、竜はルルナの祈るような声に応えたのかもしれない。全身を目映く輝かせながら、更に上空へ、高く、高く舞い昇って行く。
 追うように仰ぎ見ると、白銀の月が──空に、二つ浮かんでいた。

 ルルナの胸には、あの日の面影が去来する。大魔王ファノマとの初めての出逢いの日、どこか疑いながら、迷いながら、最初の言霊を唱えたあの日──そう、あの天を覆ったあの光が今、再び彼女の往く先を照らし出した。

「……ティレ」

 月光を浴び、呑み込みながら、竜は、瞬間、天の全てを隠した。星も、月も、夜空を流れる大河でさえも、そこには無い。

「あ……!」

 ロナも、ただ呑み込まれていった。そして空で弾け、白く焦げ落ちながら、力なく地に堕ちて往く。

「……ルルナ……!」

 ケレノは瓦礫の中からゆっくりと身体を起こすと、塔の淵から下を覗き込んだ。そこには確かに、ほんの小さくだが、ロナが地上で倒れているのが見えた。

「は、はぁぁ……」

 ルルナは思わず気が抜け、その場にへたりこんだ。そして白竜もまた、役目を終えたように幻となって消えた。

「やった……やったよ、私! ケレノさん!」

「うん……!」

 ケレノの瞳には、涙が浮かんでいた。今なら、自分の頬を流れ落ちるそれが何なのか、彼女にもハッキリとわかる。

「泣かないで、ケレノさん。だって私、あなたに笑って欲しかったから」

 そう言って、ルルナはにっこりと笑う。誘われるように、ケレノも心からの笑顔を見せた。


「何を……終わった、気で……い、る……!」


 ルルナがその声に振り替えると、そこには、見る影もなく焼け焦げたロナが立ち竦んでいた。
 美しかった肉体は最早崩れ落ちかけ、悪魔としての本来の姿……醜く、おぞましい身体で、ふらふらと、おぼつかない歩みを進める。

「ゆ……る、さん……竜……! 竜……め……!」

「もういいだろう。終わりだ、ロナ」

 今、一つの声がロナの呻きを掻き消した。
 そこには、竜翼の少女、ファノマの姿があった。

「ファノマ、さん……?」

「ルルナ……」

「あ、ああ……き、さ、ま……!」

 ファノマはロナの崩れかけた胴を指先で貫くと、俯いたまま、その身体を無慈悲に引き裂いた。
 千切れ、最早ピクリとも動かなくなり、力無く堕ちて往くロナの姿を眺めながら──ファノマは、これまで一度も見せたことの無いような、憂いを帯びた瞳をしていた。

「ルルナ、済まない。我は謝らなければならん。我は黙っていた。そして、お前を騙した」

「ファノマさん……騙したって、どういうことですか……?」

「誰よりも、最もロナを殺したかったのは──この我なのだ。その為に、手段を選べなかった。ジェードと組んで、ワロルを送り込んだのは、この我だ」

「ええっ!? そ、それじゃあ、ワロルさんの言ってた協力者って……」

「そう。他ならぬ、この我だ」

 冷たく、暗い表情でファノマは言う。
 そして、その場に座り込み、真剣な目で、ルルナを見詰める。

「これだけは信じてほしい。ルルナ、我はもう、お前を騙したりはしないと、約束する。そして、全てをお前に話そう」
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