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9.人形

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「いやっ! こ、来ないで!」

「ルルナっ!」

 ルルナは恐怖の余り、その場から走って逃げ出し、心配したケレノが、後を追って行く。
 元凶となったアレスは、キョトンとした顔で二人を見送ると、独りごちた。

「そうだよな……簡単には、許してくれないよな……」

 アレスは改めて、過去の己を顧みた。
 確かに、自分は大いに愚かなことをして来たかも知れない。反省と後悔が一挙に押し寄せ、ようやく、彼はそれを認めた。

「でも、過ぎたことは仕方ないよな」

「そうですわ。そんなことより、今を生きないと!」

 ……幾ら治ったとは言え、明らかに前向きすぎる。それは誰もが思うことだろう。
 しかし、これこそが、先程まで彼を痛め付けていたヴェーガの能力、精神操作によるものなのである。

 それは、僅かに相手の潜在意識をそらし、時に人の感情や認識をも全く別のものに変えてしまう力。
 とはいえ、この能力はそれほど万能な訳ではなく、確固たる意思や強い自我を持つ者、また、特別高い魔力を持つ者や、高位の魔物、悪魔には抵抗されてしまい、ほとんどの場合通用しない。
 また、単純な洗脳ではない為、相手の精神を丸ごと作り替えたり、操作して意のままに操ることなどはできない。

 そのため、まずは相手を懐柔し、ヴェーガにとって都合の良い精神状態を作る必要がある。
 つまり、彼が行った凶行は、全てこの為だったのだ。
 とはいえ、ヴェーガが語った言葉は殆どが事実であり、彼の趣向が非常に嗜虐的であることは間違いない。だからこそ、フレオラとヴェーガは特に波長の合う同士でもあった。

「アレスよ、心を入れ換え、我らの同志として生きるが良い」

「はい! ヴェーガさん、目が覚めました!」

 こうして、Sランク冒険者アレスは、優秀な兵士となった。
 これまで使い潰す側だった者が、使われる側へと移ったのだ。

 フレオラに一つ誤算があったとするのなら、ルルナに逃げられてしまったこと。
 アレスの言葉によって、ルルナは戸惑いつつも、彼と和解するだろう。フレオラは、真剣にそう思っていたのだ。
 その非情さ故に、人の心を今一つ理解できていない部分があるのが、フレオラ自身も気付いてない彼女の欠点である。

「それにしても、おかしいわね……なんでルルナさんは逃げちゃったの? 折角、天敵と和解できたのに」

「だから言っただろう。お前は人間の感情というものを、もう少し真剣に学んだ方がいい。悪魔の俺が言うことではないがな」

 二人は気付いていなかったが、アレスが喋った時に、その口の中から、何かがこぼれ落ちていたのだ。
 ほんの小さなそれは、滑るように地を這い進み、あっという間にどこかへ消えてしまった。
 セゼルは一瞬だけ、それが這うところを見たのだが、余りにも小さく取るに足らない存在だったため、特に気にも掛けなかった。



「はっ……はっ……」

「ルルナ! 待って!」

 恐怖に怯えた目で、ルルナは屋敷内をひたすらに走った。
 彼女を本気で追いかければ、ケレノは簡単に追い付くことができたが、しかし、追い付いて、もし拒絶されたら──
 そんなことを思うと、どうしても足取りが重くなるのだった。

「ルルナ、怖がらないで……!」

「あっ……」

 ルルナはふと我に帰り、その足を止める。
 それを見て、ケレノもまた覚悟を決め、ルルナの傍らに立った。

「ケレノ、さん……」

「ぼくが……いるから。だから……」

 詰まってしまった言葉の代わりに、ケレノはルルナを精一杯抱き締めた。

「あ……私……」

 十分に落ち着いてから、ルルナは己を恥じた。怖くなって逃げ出したこと、ケレノにも背を向けたことに。

「ごめんなさい、ケレノさん」

「謝らないで」

 ケレノはそう言って、ルルナの肩を強く抱き締め続けた。

「おーおー、何やってんだオメーら、昼間っから。噂以上に仲良しこよしじゃねーか」

 突然背後から聞こえてきた聞き覚えのある声に、ルルナはぎょっとした。

「ミロさん!? どうしてここに!? 師匠は!?」

「クソジジイは帰ってくるなり、どうしても外せない用事があるっつって、どっか行っちまったよ。そんで、奴が用意した水晶玉から、仕方なくオレが代わりに監視してたら……なんかとんでもねぇことになってやがるからよ、慌てて来たんだ」

「あなた誰……?」

「よぉ、オレはミロー……って、よく見たら会ったことあるかも知れねーなお前」

 ミロはケレノの顔を見てそう思い、記憶を掘り出そうかとも思ったが、やっぱり面倒なのでやめた。

「あー、あれだ、どうするルルナ?」

「どうするって……?」

「やっぱり、アイツら一発ブン殴っとくか?」

 ミロの言葉は強がりではない。
 できて当然、という顔をしている。
 何故そこまで自信があるのか、ルルナにはわからなかったが、師匠の作った魔動人形だけあって、かなりの戦闘能力があるのではないかとも考えた。

「ミロさんって、強いんですか?」

「オレに聞くか、それ?」

「強いってこと?」

「ったりめーだろ!」

 両拳をガンガンと打ち付けながら、ミロはアピールする。

「うーん……確かに、このままじゃ何も解決してないですよね……ケレノさんの契約を何とかしないといけないし……」

「ひぇひぇひぇ、ルルナさま、その点に関して、お話がございます」

「えっ……? 誰?」

 声のした方、自らの足下を見ると、何か小さなものがうねうねと蠢いている。

「ひゃ、ひゃあっ! 虫!?」

「あ、あ、申し訳ありません! 驚かすつもりはございませんで! 申し訳ない!」

 言うと、小さな虫のような者はその体をパッと消し去った。
 するとそこから、青い肌をした、小鬼のような魔物が姿を現す。

「わたくしめはワロル。さるお方の使いの者でございます」

「ワロルだと? 何なんだテメーは? さるお方って誰だよ」

「それは、申し上げられません。ですが、あなた様方の味方であり、フレオラ様やそれに属する者達ではない、ということだけは誓って言えます」

 どこか怪しげな魔物ワロルは、胡散臭い笑みを浮かべる。そして、ルルナの方を見て言った。

「ルルナさま、そのお方があなたさま対して、ある提案がございまして。それをお伝えするために、わたくしめはこうしてやって来たのでございます」

「提案、ですか……?」

 困惑しながらも、ルルナは話を聞こうとする。
 しかし、ミロとケレノは未だ怪しんでいる様子だ。

「ルルナ、こいつ、なに考えてるかわからない……」

「そうだぜ。関わらん方が良い」

「うう、確かにわたくし醜く矮小な魔物ですが、そこまで拒絶されると悲しいでございます……」

「ワロルさん、お話、聞かせてください」

「おいルルナ!?」

 それでもルルナは、一先ず話を聞いてみることにした。
 その言葉にワロルは感動したように目を潤ませ、顔をくしゃくしゃにしてルルナを見詰める。

「うう、ありがとうございますルルナさま……それも、さん付けで呼んで頂けるなんて……」

「……話してください」

「あ、こ、これは失礼。では、単刀直入に言いますね。あなたさまを、ロナと直接引き合わせること、それが我が主の望みであり、わたくしめにできる唯一のことでございます」

「ロナと!?」

 確かに、それは願ってもない話だ。
 だか本当にそんなことが可能で、彼を遣わしたその者は何者で何を企んでいるのか?
 彼が未だ信用に足らない存在だということも、また事実である。

「その人はどうして、私とロナが会うのを望んでいるんですか?」

「それも、申し上げられません。ですが、先程も申した通り、我々はあなたさまの味方でございます。そして、ロナの敵であります」

「どうしてそれが言える? 証明できんのか?」

「はい。ルルナさま、これを」

 ミロの問いに、ワロルは余裕の表情で答える。
 そして、ルルナに何かを手渡した。

「これは……?」

「わたくしめの心臓にございます」

「しっ、心臓っ!?」

「もし信用できぬ場合は、何時でもそれを握り潰してください。間違いなくわたくしめは死にます」

 確かに心臓は、ドクンドクンと脈を打っている。
 自らの手に持つそれが急に恐ろしくなり、小刻みに震えるルルナ。

「あ痛たたた! お、おやめください!」

「……本物みてーだな」

 ミロは試しに心臓を突っついてみた。
 すると、その度にワロルはその場に転げ回り、苦しみを訴える。

「ひ、酷いことをしなさる……」

「わりぃわりぃ。まぁ、心臓に関しては取り敢えず信じてやるが、お前の主が信用できねえ」

「そ、それは……ど、どうか信じて頂きたい。我らは、決してあなた方の敵ではございません」

「……わかりました、ワロルさん。私を、ロナに会わせてください」

 ルルナは決心し、そう告げる。
 彼女もワロルを信用したわけではなかったが、少なくとも敵ではないと判断した。
 いや、思い込んででもそう考えなければならなかった。
 何れにしても、ロナをなんとかしなければ、ケレノを救うことは出来ない。
 なればこそ、このチャンスを捨てるわけにはいかない。そう考えた。

「おお、なんとお優しい……わたくしめをこれ程信用してくださる方は、ルルナさま以外にはジェードさまくらいでございます」

「ジェード!?」

「あ」

 ワロルは喜びの余り、つい、その名前が口をついて出てしまう。
 ミロは一瞬にして気付いた。彼の主は、ジェード。当代に存在する四人の魔王達の一角、狡猾さで知られる魔王、ジェードだ。

 ケレノはさらに深い事情にまで気付いており、彼女の中で、骸に関するこれまでの全てが繋がった。
 それは、フレオラの計画に一時関わっていたからこそ、気付くことのできた事柄でもある。

「ルルナ、わかった! そいつが、ロナ教から竜の骸を盗んだ魔物だよ!」

「えっ!? じゃあ、つまり、アレスさんが倒した魔物って……」

 そう、魔物ワロルは、魔王ジェードの指示によってロナ教の寺院に忍び込み、竜の骸を盗み出した。
 その後、アレスによってあっさり倒されたかに思えたが、実は彼の体内に逃げ隠れ、期を待ち続けていたのである。

「フレオラは、ヴェーガに言ってた。魔王ジェードのしもべから、骸を奪えって。そいつがその魔物だったんだ」

「ふ、ふふっ、ばれてしまいましたね……で、ですが、今のわたくしは、ジェードさまの指示で動いている訳ではありません!」

「なに!? じゃあ誰だっていうんだよ!」

「ですから、それは申し上げられないのですっ!」

 ワロルは実に申し訳なさそうに、深々と頭を下げる。
 どうやら、嘘をついている訳ではなさそうだ。

「竜の骸はアレスさまに奪われ、その後フレオラさまの手に渡ってしまいましたが、それは、ジェードさまと、あのお方にとっては想定内。できれば骸を持ち帰りたかったのですが、まあ、わたくしごときにそこまで期待されても困りますからねぇ」

「じゃ、ジェードとそのお方とかいう奴の関係は?」

「それは──」

 ワロルは答えようとしたが、その瞬間、部屋の反対側にある壁が吹き飛び、轟音が鳴り響いた。

「ふふっ、見つけたっ♪」

「……フレオラっ!」

 フレオラは、満面の笑みを浮かべながら姿をその現した。
 彼女の背後に、ヴェーガ、セゼル、そして、アレスも続く。

「なんのお話をしていたのかしら?」

「お話も何も……ケレノさんが、私を励ましてくれてたんです!」

 ワロルは瞬時に小型化し、慌てた様子でルルナの荷の中に隠れていた。
 やはり、本当に彼とフレオラの繋がりはないようだ。

「おい、テメーがフレオラだな」

「見ればわかるでしょう? お人形さん」

 予定外の来訪者を見て、フレオラは挑発的に言った。
 だが同時に、目の前の魔動人形がとてつもない力を秘めていることにも、気付いた。

「あーあ、あなたには来てほしくなかったのに。嫌な予感が当たっちゃった」

「けっ、ほざけ」

 ミロはフレオラを真っ直ぐに見据えながら、ゆっくりと歩を進める。
 人形とは思えぬほどに異様な雰囲気を放つその姿に、アレスは思わず駆け出し、叫んだ。

「貴様! フレオラさんになにを──」

「うっせー! 邪魔だ!」

 ミロの鉄拳制裁で、アレスは吹き飛び、激しく壁際に叩きつけられた。

「目ぇ冷ませよボケ。そいつはお前を救っちゃくれねーぞ。ただ使い潰すだけだ」

「う、違う……フレオラさんは」

「黙って見てろ。ルルナも、な。オレがこいつの本性を引きずり出してやる」

 ずけずけと歩きながら、やはりミロはその異様な雰囲気を隠そうともしない。
 そして今度は、ヴェーガとセゼルが立ち塞がる。

「貴様……一体なんなのだ……?」

「この感覚は……!」

「可愛いお人形さんだよ。テメーらの主が言った通りな」

 ヴェーガとセゼルは、全ての力を持って、目の前にいるそれを迎え撃とうとした。
 だが……

「やめなさい、二人とも。あなたたちでは、逆立ちしても勝てないわ」

「なっ……」

「……承知」

 フレオラは真顔で言うと、悪魔達を退け、自らミロの前に立った。

「わかってるじゃねーか。山羊と鎧ヤロー、それからついでにメイドの嬢ちゃんを加えたとしても、オレにとっちゃハナクソみてーなもんだ」

「ケレノさんを加えないでください!」

 フレオラは、一切笑みを浮かべぬまま、目の前の敵を見据えた。

「はぁー……ねぇ、やめにしない? 私、謝るわ。ルルナさんやケレノとも、仲直りするわ?」

「……おいクソガキ、てめー、いっぺんぶっ飛ばされた方がいいぜ?」

 ミロは一切聞こうともせず、とてつもない速さで拳を突きだした。
 それは空を切り、一瞬凄まじい衝撃を放ったのだが、フレオラはいつの間にかミロの背後に回り込んでいた。

「ねぇ、お願いしてるじゃない。ケレノの契約を、解いてもいいのよ?」

「えっ……!?」

「おいルルナ、ああいう奴の対処法、教えてやろうか?」

 思わず心揺さぶられかけたルルナに対し、振り返りもせずミロはそう言った。
 そして一呼吸ほど後、床がひび割れるほどに地を強く踏みつけると、勢いをつけ、凄まじい回し蹴りを背後へと放つ。
 フレオラは高く跳んで身をかわし、空中で翻りながら着地すると、深い深い溜め息を吐き出した。

「あーあ……はぁ、やっぱり私の一番苦手なタイプだったわ……面倒くさ……」

「ああいう奴はな、言ってること全部無視してブン殴んだよ。それが一番だ」

 ミロは激しく拳を撃ち付けながら、再び、敵の姿を真っ直ぐに捉えた。
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