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7.招待状

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「あらセゼル、一人で戻ってきたのね?」

「……返す言葉もございません」

 セゼルは跪き、主に己の失態を認める。
 だがフレオラは特に気にする様子もなく、わざとらしい笑みを浮かべた。

「あら、勘違いしないで。別に怒ってるわけじゃないのよ。ケレノには会えたの?」

「はい」

「ルルナさんは一緒に居たかしら?」

「はい」

 実に無機質な幾つかの問答を経て、フレオラはようやく核心を突く。

「で、貴方は誰にやられたの?」

「それは……」

 セゼルは、自分の知る限り全ての事を伝えた。
 ケレノのこと、ファノマのこと、そして、自らの敗北について。
 全てを聞き終えると、フレオラはとても満足そうな表情を浮かべた。

「そう、あの子がそんなこと言ったの? フフフッ、いいわねぇ……」

 セゼルは、内心穏やかではなかった。
 以前ケレノも言っていた通り、フレオラは笑った時がもっとも恐ろしい。
 満面の笑みを浮かべる彼女が善からぬ事を企んでいるのは、容易に想像できることである。
 しかし、彼女の次の言葉は実に意外なものだった。

「そんなに仲良しなら、ルルナさんにケレノをあげてもいいかしら」

「なっ……」

「意外? 私だって人の子なのよ。愛とか友情だとかに理解はあるわ。それとも、そんな二人を引き裂いてまで、自分の欲望を優先する悪魔だと思った?」

 セゼルは内心肯定しかけたが、不敬であると感じ、止めた。

「それと、大魔王ファノマ、ねぇ。聞いたことないわ」

「はい。奴に関しては全くの未知数です。しかし、私の手には余る相手でした」

 セゼルは素直にそう認める。
 自らの実力にそれほどの拘りがないのは、この主従の共通点の一つだ。
 だが同時に、フレオラは自分が強者であることも良く理解していた。
 だからこその余裕であり、その力さえ過信しないからこその余裕でもあった。

「ま、貴方がそう言うのなら、相当な実力者なのでしょう。今度会ったら、下手に刺激しては駄目よ。余計な敵を作らないのが、目的を効率良く達成する秘訣なの」

「承知いたしました」

 その時、セゼルは自分に近しい気配を感じた。ヴェーガかと思ったが、違う。どうやら、ケレノが戻ってきたようだ。

「お帰りなさい。戻ってきてくれて嬉しいわ」

「……」

 戻ってきた彼女は、何時ものように無口だった。
 だが、その瞳には、明らかに以前には無かったものが宿っている。

「そのマント、ルルナさんに貰ったのね。貴女ったら、すっぽんぽんで飛び出して行っちゃうんだもの。ビックリしたわ」

「ごめんなさい」

 素直に謝るケレノに、フレオラは驚きながらも、嬉しそうに微笑んだ。

「ねぇ、セゼルから話を聞いて、私考えたの。皆が幸せになる方法。そしたらね、とってもいいこと思い付いちゃった」

「……いい、こと?」

「そう! ケレノ、ルルナさんとずっと一緒に居たいでしょう?」

 ケレノは訝しんだ様子で、静かに問いかける。

「変なことする気……?」

「もう! 皆して私のこと悪者だと思ってるのね? 言ったでしょ、皆が幸せになれる方法よ……」

 そう言って、フレオラは心底愉快そうに笑みを浮かべた……


 ──────


「師匠!」

 ドアを乱暴に開け放ち、ルルナは師の家に戻ってきた。
 その様子は明らかに穏やかではない。

「ルルナか? ファノマかと思ったぞい」

「あ、ごめんなさい。あの、師匠! 私どうしても話したいことがあって……」

「ほう、なんじゃ?」

 ルルナは少しだけ考える。しかし、取り繕わずに、全ての事を正直に話した。
 レイシュバルト邸で起きたこと、悪魔のこと、そして、友達のこと。

「ほほう、それはまた難儀な……」

 流石のノドロもその話を聞いて、少しばかり驚いていた。
 だが真摯に語る弟子の姿に、彼もまた応えたくなったようだ。
 大昔の記憶を辿り、自分の知っている限りの知識を掘り起こしてみた。
 すると幾つか、話すべき事柄が見つかった。

「お前さんの友達、ケレノと言ったな?」

「はい、そうです!」

「うーむ、悪魔の、ケレノ……もしかして、黒蜥蜴のケレノか?」

 どうやら、ノドロは彼女と以前に会ったことがあるらしい。
 ルルナは瞳を輝かせ、その時の話を聞かせて欲しいと催促した。

「うむ、確かに一度だけ会ったことがある。確か、百年ちょい前のことじゃ」

「百年!? 師匠って何歳なんですか!?」

「それは忘れたわい。百歳から先は数えてないからのう」

「三百くらいだな」

 二人の会話を聞き付け、部屋の奥からミロが出てきた。
 どうやら言語機能は治ったらしい。

「ミロさん!」

「よぉルルナ。因みに、三百から先は数えてねーぞ」

「なんじゃい、お前もか」

 少し脱線しかけたが、ノドロは話を元に戻す。

「奴と以前に会ったのは魔界でじゃな。かなり無愛想な奴じゃった」

「魔界!?」

 ルルナは当然のように出てきたその単語に驚愕しかけたが、また話が逸れてしまうので追及するのはやめた。
 ノドロの知る限り、ケレノは悪魔たちの故郷、魔界からほとんど出ないでいたという。
 それがどうして今人間界にいるのか、その理由は不明だが、フレオラが関わっているのはほぼ間違いないだろうと、ノドロは推測する。

 そしてもう一つ、もう一人の悪魔、セゼルについてだ。

「奴に関しては良く知っておる。有名人じゃからな。魔鎧まがいセゼル、奴はケレノと違い、ずっと人間界におる。人の夢に現れ、その心を惑わし、自らの糧とする悪魔じゃ」

「所謂、夢魔ですか?」

「左様。魔術師の子供は夜更かしすると、セゼルに魂を取られるよ~、なんて言われて、よく脅かされるものじゃ」

「ジジイも言われてたのか?」

「わしが子供の頃は、まだセゼルはおらんかった。というか、子供の頃なんぞ遥か昔過ぎて覚えとらんがな」

 ケレノとセゼル、ノドロが知る限り、この二人の悪魔に元々の共通点や繋がりは無いらしい。
 事実として明らかになっているのは、共にフレオラによって使役されている悪魔であるということだ。

「フレオラ・フォン・レイシュバルトか……ふーむ、なんか聞き覚えがあるが、思い出せんな」

「使えねージジイだな」

「うるさいわ。お前はいっそ言語機能を取った方が良いかもしれんの!」

 それにしても、ルルナが気になるのは、何故ケレノがフレオラの元へ戻ったかだ。
 彼女は、やらなければならないことがあると言っていた。
 その事についてノドロに問いかけて見ると、一つの推測が浮かび上がった。

「契約を交わしたのかもしれんな」

「契約……ですか?」

「そうじゃ。本来悪魔と人の契約は、対等ではなく、悪魔優位のものが殆どじゃ。しかし、そのフレオラという娘、明らかに只者ではない。不利な契約などは、交わさぬじゃろうな」

「じゃあケレノさんは、契約によって縛られているってことですか?」

「恐らく。推論ではあるがな」

 ルルナは思案する。
 確かに、それなら納得がいく。契約をなんとかしなければ、ケレノはフレオラから離れることができないのだろうか。
 それを踏まえた上で、彼女をどうすれば救えるか、ルルナは考え続けた。

「あなた方の予想は正しい」

 突然、この場に存在しない何者かの声が響いた。
 それと同時に、この場に似合わぬ巨大な鎧姿が現れる。悪魔セゼルだ。
 彼がこの場に現れた理由、それは、フレオラの提案を伝えるためだった。

「お初にお目にかかる。私はセゼル。フレオラ様の使いでございます」

「貴方が……!」

「ふむ、魔鎧セゼルよ、わしを知っておるかね?」

「無論です。ノドロ・グルムゲルゲ様」

「え! グルムゲルゲって、師匠の姓だったんですか!?」

「こんな変な名前、よく笑わねーで言えるなお前」

 セゼルは、主の意思を簡潔に伝えた。
 どうしても伝えたい事柄があるので、ルルナに、レイシュバルト邸まで来て欲しいとのことだ。

「ふむ、それならお嬢さんが自ら来れば良いと思うのじゃが?」

「その事は、主に代わりお詫びいたします。ですが、どうか来ていただきたい。ケレノも既に帰っておりますよ?」

「……!」

 脅しとも取れる言葉で、セゼルは挑発をかける。
 勿論彼自身の悪意によってではない。彼にとって、その全ては主の為であった。

「わかりました……」

「おい、マジかよルルナ! 明らかに怪しいぜ!」

「ご安心ください。決して危害は加えないと約束致します」

 セゼルの言葉に偽りはない。
 ノドロにはそれがわかった。しかし、弟子のことを想うと、一抹の不安は拭いきれない。

「なら、わしも連れて行け」

「師匠!?」

「なりません。それは命じられておりませんので……」

(いいわ、セゼル。お爺さんも連れていらっしゃい。正し、人形の子は駄目よ)

「……はい」

 フレオラはセゼルの思考に直接呼び掛け、意思を伝えた。
 ならば、彼がそれに逆らう理由は無い。ただその通りに語るのみ。

「良いでしょう。ノドロ様、貴方も主の元へお連れ致します」

「それはよかった。乗り込む手間が省けたぞい」

 朗らかに笑いながら、事も無げにノドロは言う。
 やはりこの男も侮ることはできない。そう思い、セゼルは警戒した。

「申し訳ありませんが、そちらの魔動人形の方は……」

「なんだって!? そりゃ差別だ! と、言いたいところだが、オレはいいよ。だるいし、ケレノって奴も知らんしな。ジジイが居ればルルナも大丈夫だろ」

「ご理解いただき感謝致します。では、お二方は、こちらへ」

 セゼルの指示通り、師弟は彼の傍らに近付く。その瞬間、突然ノドロが叫んだ。

「転移!」

 その言葉と共に、三人は一瞬にしてレイシュバルト邸内部、フレオラの居る部屋まで転移した。

「こ、ここは……」

「ほっほ、済まんな、お主の記憶を読み取って、わしの魔術で転移させてもらったぞ。イマイチ信用できんのでな」

「……成程、恐れ入りました」

 心から、セゼルは敬意を表す。
 転移に際して、特に細工をするつもりはなかった彼だが、ノドロの行動は完全に想定外だった。
 その用心深さに加え、悪魔の心を読み、あまつさえ強制的に転移させるなど、最早人外の業に等しい。
 そして同じく、この館の主もまた、ノドロを褒め称えるように拍手を送った。

「素晴らしいわノドロさん。やっぱり貴方を呼んで良かったと思えるわね」

「フレオラさん……」

 ルルナは思わず、フレオラを睨み付ける。
 だが特に怒る様子もなく、フレオラはおどけた調子で言葉を紡ぐ。

「もう、そんな顔しないで。確かに、昨日は私が悪かったわ。少し強引すぎたものね」

「ケレノさんは……どこですか?」

「フフフッ! ホントに仲良しなのね。ちょっと妬いちゃうわ。心配しなくても大丈夫よ」

 そう言うと、フレオラは指をならす。
 それに応えるように、彼女の横にある扉が開き、メイド服に着替えたケレノが、恐る恐る、ゆっくりと現れた。

「ルルナっ……!」

「ケレノさん!」

「フッ、ウフフフフッ!」

 ケレノはルルナの姿を見て、迷わず駆けて行く。
 特に咎めるでもなく、むしろ、とても愉快そうに、フレオラは笑っていた。
 この再開に偽りや罠があるからではない。勿論ケレノは本人だし、ルルナを騙してもいない。
 ただ単に、嬉しそうな顔でお互いを呼び合う二人の姿が、フレオラには実に面白おかしく見えたのだ。
 それは、以前のケレノを知っているからでもあるが、何より、彼女の心をこれ程までに開かせたルルナに強い興味があった。

「全く、囚われのお姫様じゃないんだから……そうそうルルナさん、お姫様はまだ解放されてないのよ?」

「……どういう意味ですか?」

「契約よ。ノドロさんが教えてくれたでしょ?」

 ケレノはルルナの傍らで、静かに目を伏せる。
 確かに、その通りだった。決して無理強いをされて、契約を交わした訳では無い。それはケレノ自身の意思であり、当時はそのことに迷いはなかった。
 しかし、良くも悪くも、彼女は変わってしまった。敵を討つよりも、もっといとおしいものが、彼女にはできてしまった。

「いいこと? あの夜誓ったわよね。あの忌々しい神霊、女神ロナを、フレオラ・フォン・レイシュバルトと共に滅ぼすこと。それが貴女の誓い」

「ロナ……! それって!」

 ルルナの中で、全てが繋がった。
 ケレノはロナを滅ぼす事を、フレオラに誓ったのだ。
 当初それは二人の間で共通の目的であり、だからこそケレノは素直にフレオラに仕えていた。
 しかし今は、それが鎖となって彼女を縛り始めている。

「だから私に、ロナ像を壊させようとしたんですね」

「その通りよ。もうこの際、全部正直に話すわ。ルルナさん、ロナをぶっ殺してくれない? それが、皆幸せになる唯一の道なの」

 フレオラは張り付いていた笑みを消しさり、冷たい表情で言い放つ。
 それは単なる甘言ではなく、確固たる意思の宿った言葉だった。
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