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 結局、私の熱がなかなか引かず、松山さんにも延泊をさせることになってしまった。

 一人で大丈夫なので先に帰ってくださいと伝えたのだけれど、
「大事なヤツが目の前で苦しんでいるのに、置いて帰れるわけないだろ」とキッパリと言われた。あまりにも格好良すぎて、更に熱が上がるかと思った。
 凛香ちゃんを預けているご実家に連絡している松山さんの声を、ぼうっとした頭で聞いていた。色々な方を巻き込んでしまい申し訳なかった。

 私が寝込んでいる間松山さんは、冷感シートやポカリなどの買い出しに行ってくれた他は、ずっと傍で看ていてくれた。座椅子に座って静かに新聞を読んでいる松山さんを横で眺めているだけで、得も言われぬ安心した気持ちでいっぱいだった。


 いつしか私は寝てしまい、目が覚めるともう夕方近かった。

 汗もかいたしお風呂に入りたかったのだけれど、部屋のシャワーを使うのはなんだか気恥ずかしいし、かといってあの大浴場に一人で行くのも怖かった。そんな私の気持ちを察して、松山さんが大浴場まで一緒についてきて待っていてくれることになった。
 私が大浴場から出てきた時も、松山さんは私を見送ってくれた時と同じ場所で腕を組んで待っていた。これはこれで恥ずかしい。それでも、昨日の恐ろしかった廊下が、松山さんが隣にいるだけで全然違う場所に感じられてほっとした。

 会社の皆は帰ってしまっていたので、私と松山さんは旅館の大広間でゆっくりと夕飯を取った。誰も知り合いがいない中で松山さんと一緒に過ごすのは新鮮で、束の間の2人きりの時間を私は大いに楽しんだ。私の体調が大丈夫そうなら明日は早起きして散歩しに行こうかという話になり、デートの約束をしているみたいで思わず少しはしゃいでしまった。
 そんな私を、松山さんはずっと優しい笑顔で見ていた。


 私を一人置いていくことを心配して、松山さんはさっさと部屋のシャワーを浴びに入ってしまった。

 沢山思いやってもらえているのがひりひりと伝わってくる。それがただの「同じ会社の人間」だからではないことにほのかな幸せを感じるのと同時に、昨日からは想像もつかなかった今の状況が現実離れしているみたいに思えた。

 私は、窓際の背の低い籐の椅子に座ったまま膝を抱えて、外を眺めていた。
 窓の傍の空気が、部屋の中ですら少しひんやりとしていて心地良い。私はそっと窓に手をついて外の冷たさを確かめた。ガラス一枚隔てた向こうの世界は、影も見えないほど黒々とした森がずっと続いていて、その上のたくさんの星は静かな夜を祝福しているように輝いてた。

 今朝、松山さんにあんな形で告白をしてしまったことに、正直自分でも驚いている。
 目が覚めた瞬間、部屋を間違えてごめんなさいとか、一晩中付き添わせて申し訳なかったとか、どこからどう謝ったらいいのか混乱してしまった。けれど、松山さんの穏やかな表情を見た瞬間、自分の気持ちを伝えずにはいられなかった。いつもなら自分の気持ちを人前にさらけ出すことなんてしないのに。恋って不思議だ。
 今更ながら、同じ部屋で一晩過ごしたという事実にじわじわと恥ずかしさがこみ上げてきた。

 パタン、と扉の閉まる音がして、シャワーを浴びた松山さんが頭をタオルで拭きながら出てきた。
 浴衣を着崩した風呂上がりの姿があまりにも生々しくて、私の顔が隠しようのないほどかっかと燃えてしまった。本当に、最近の私はどうかしている。
「そんなに赤くなられたら、こっちが照れるな」と松山さんが笑った。
「、、、恋愛初心者なんです、ご配慮ください」と控えめに頼んだ。

 松山さんは頭を拭き終わると布団に片ひじをついて寝っ転がり、空いている手で私においでおいでと手招きした。私は椅子から立ち上がり、おずおずと松山さんの隣の空いている場所へ座った。
「金目は金目のままでいい。俺たちのペースでいこうな」
 浴衣の袖口から松山さんの逞しい腕がゆっくりと伸びて、私の頭を優しくなでてくれた。

 ああ、この腕。この腕に、私はきっと、ずっと憧れていた。自分の恋心に気付く、ずっとずっと前から。
 大きくて温かい松山さんの手のひらがあまりにも心地よくて、思わず目がとろんとなった。

 私の頭をなでていた手が止まり、松山さんの顔がふわりと近づいた。そして、松山さんはそっと私に口づけした。そうなるのが自然だったように。

 松山さんの目は、夏の水族館で見た時よりもずっと、私への優しさに満ちていた。
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