アメジストは夕暮れに神秘に煌めく

十六夜

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第2章 森の民

第1話 きな臭い噂

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 夜。

 木の温もりと歴史を感じさせる一件の古い宿屋では、賑やかな笑い声が溢れていた。
 男達は酒を飲みかわし肩を組んで、まるで以前から友人であったかのごとく親しげに笑い合っている。

 そんな渦中に、一人の青年がいた。酷く不貞腐れた表情の青年を、両隣に座る友人が肩を叩いて励ましている。

 《日記につけるなら、こういう書き出しなんだろうな。若き青年はあろう事か下戸という誤った噂を広められ、酒のつまみのネタにさるる。かの友人達が慰めるも、傷心の心には甲斐なし……。にしても、いつまで笑ってるんだか》


「…ケホン…それで、さっきは何を話してたんですか?」

 いくらか笑いの大洪水が収まってきたあたりで、目じりの涙を拭きながら、そうケビンが切り出した。
 恐らく、俺たちが食堂に来た時に話していた人物のことを言っているのだろう、が。

 《そのニヤついた笑みをいい加減消さないと、タダじゃ置かないからな!》


 そう内心で思っていたのが伝わったのか、はたまた半目になっていたのか、態とらしい咳払いをしたケビンが漸く真顔に戻った。
 まだ口元がヒクついているのには目を瞑るとして。

 ムースは「コホン」と一つ咳ばらいをし、姿勢を正した。机の上に置いた手を組んで、


「ああ。まず、私たちが向かうライレンシア聖霊国だが、途中で大海を渡らないといけない。その港があるのが、このバハルシュ公国の西の街オースティアだ。そこまではいいかな?」


 俺とケビンが頷く。

 ヘルデ王国の隣国バハルシュ公国。それが今俺たちがいる関所のある砦から、西の大陸最大の大海まで広がる国だ。海を越えるとエルフたちの森林都市やドワーフたちの工業都市でもある火山地帯などが広がり、他種族が多く暮らしているという。
 大陸の南は大海といくつかの島々があり、更に南に行くと国土の半分以上が砂に覆われた国が広がる。
 反対に北に行けば大きな山脈や、辺境伯のじっちゃんが警戒していたガラ帝国や、クロード師匠の故郷である竜の民の国がある。

 そういえば。脳裏に浮かんだのは、先程部屋を出た時にぶつかってしまった、赤いモフモフの若い人。

 《今思えば獣人だよな?》


 エルフの森林都市のはずれに、確か獣人たちの多く住む自治区があると何かの書物で読んだような気がする。ヘルデ王国は良くも悪くも大陸の東南の端の国のため、あまり人間以外の種族を見かけない。この関所の街がまだまだヘルデ王国寄りに位置することを思えば、少々物珍しい。

 思考する間にも、ムースの話は続く。


「オースティアに行くまで、まだいくつか街を通らないとならないんだが…。どうも公国中央のキルトン市という街がきな臭いと、一部の商人や冒険者たちの間では噂になっているようなんだ」


 そう言ったムースの顔が曇る。口に出すべきか悩んでいる風だったので、目で続きを促す。ややあって再び話し出したムースからは、かなり不可解な話が出てきた。


「人が消えるらしい」
「人が?」
「原因は解らないのですか?」


 ムースがくだらない冗談や信憑性のない話を軽々しくしないと知っているからこそ、あまり楽観的にはいられない話だった。目の前でゆっくり頷くムースの表情からは、緊張が読み取れた。これはかなり、面倒な話かもしれない。

 《下戸と間違われて笑いものになってる方がまだマシだな…。しかし、人が消えるとは。魔物の仕業……とかじゃ、ないんだろうな》


「一応確認なのですが、魔物の仕業やそれ関連の話ではないのですか?」


 同じような疑問を抱いたらしいケビンが、恐る恐る質問する。
 魔物の仕業ならばそれはそれで厄介極まりないが、きな臭いという形容はされないと思う。


 《魔物が集団で人を攫うとなると、ゴブリンやオーク辺りだろうが……。大体はその周辺に巣がある場合が多いし、冒険者達には御手のものだから、被害届が出される前に討伐隊が編成されるはずなんだけどな?》


 一概に理性はないとは言っても、知性に近いものを有する魔物もいるにはいる。もしくは本能と呼べばいいのか。
 例えば、動物でさえも自分よりも格上の相手や、危険な相手が分かる。それが生き物に備わった知識なのか本能なのかは分からないが、野生の動物が無闇矢鱈と崖に向かって突進したり、食べられない野草を食べたる事はない。

 それと同様、ゴブリンやオークといった種には知性がある。人間を襲うのにかなり姑息な方法を用いてきたり、集団で行動したりするのである。それらの更に上位種に位置するオーガはかなり人間よりだ。
 魔族と魔物の区別が付きにくいのは、こんなことも原因だったりする。

 とある国の魔物の研究者が、知性を有する魔物の種は元人間が何らかの原因で魔物化したのではないかなどと述べている本を出版し、一時世論を騒がせていた。
 尤も、直ぐに出版停止に追い込まれたそうで、その後その研究者がどうなったかは消息不明とされる。
 興味深い話だったので記憶の片隅に残っていたが確かに、気持の良い話ではあるまい。

 案の定、ムースは否定していた。


「始めはその線で調査されていたらしいんだが、魔物の形跡は特別発見されなかったそうだ。けれどもその後も行方不明者が相次ぐものだから、街を通るなら気を付けた方がいいと言われた。まず、滞在はしない方がいいと」
「なるほど。親切だな、そんなこと教えてくれるなんて。知らなかったらどうなってたか分からないよな」


 困ったときはお互い様とはいえ、冒険者とみて態々教えてくれたんだろうか。ちらりと横のテーブルを見るも、先ほどの男性は既に席を立ってしまっていたようで、別の旅人が座っている。
 ケビンが横で腕を組みながら、難しい顔で頷いているのが見えた。


「確かに、親切なことだ。だが、滞在しない方がいいと言われても困る。一泊できないとなると、二日馬を駆け続けることになるわけだし。野宿するといっても……うーむ」


 野宿と聞いて、思わず顔が歪む。
 この旅の面子で野宿が出来ないなどと寝言を言うメンバーはいないけれど、進んで野宿しようという酔狂なメンバーもいない。なんせ、代わる代わる不寝番をしなくてはならないからだ。

 魔物の活性化がみられる現在、不寝番を立てずに野宿なんぞ自殺行為である。常に気配を気にしていなくてはいけないから、必然的に眠りも浅く、何日も続けば睡眠不足になる。身体を壊しても、旅の間は満足に治療も受けられない。旅費が嵩もうが、宿を取りたい心情なのである。

 故郷の村を追われ、領都まで野宿しながら旅した短い日々を思い出す。まだ身体も鍛えていない頃、寝不足と筋肉痛で身体がバッキバキになったのは苦い思い出だ。

 《あれは御免こうむる》

 どうしようかと悩んでいると、視界に華やかな刺繍の入ったスカートが映り込む。顔を上げると、両手に料理の並んだ木のプレートを三つ器用に持ちながら見下ろしてくる、勝気そうな目と視線がかち合った。


「お困りのようね、? 私が相談に乗ってあげないこともなくてよ?」

 相変わらず、口の減らない娘である。


 《その「坊や」とかっての、何とかならないのか? ケビンが皿の中身をぶちまけそうなんだが》


 皿を受け取っている最中に世迷い事を耳にしたせいか、ケビンが素早くかつやや乱暴にプレートを受け取った。そのまま視界の端の方で小刻みに震えながら、バシバシと机をたたいているこの男はどうしたものだろう。
 俺がスルーを決め込んで無言で皿を受け取る様子を見かねて、ムースが苦笑いしながら娘に話しかける。


「失礼、お嬢さんレディー。もしや、何か良い案をご存じだろうか? 私たちは出来るだけ早くオースティアに行きたいのだが、生憎とキルトン市には立ち寄れそうになくてね」


 物腰の丁寧な美丈夫ムースに、お嬢様レディー扱いされたのが嬉しいのだろう。一瞬年相応の可愛らしい喜色が浮かぶが、俺の視線に気が付いたのか直ぐにツンとした澄まし顔に戻ってしまった。
 ムースの前に皿を並べながら娘がもったいぶった感じで切り出す様子を視界の端っこに移し、俺とケビンは目の前のおいしそうな料理をやっつける平らげる平らげることにした。


 《おお……。確かにこの黒ビールはおいしいかもしれないな。キレのある喉越しに、程よい炭酸の発砲具合がまた……》


「ええ、知ってるわよ。数週間前からここいらまで、キルトンに立ち寄るもの好きはいないわね。迂回するにはキルトン市外の森を突っ切っていくしかないし、倍以上時間がかかるの。土地勘のない人だと道に迷ったりするみたいだから、お勧めできないわ」
「では、どうしたほうがいいだろうか?」


 二人の会話が途切れたのと同時に何やら視線を感じたような気がするが、恐らく気のせいだろうと意識の外へ追いやる。


 《おお。このポークステーキ、脂身が少なくてさっぱりした味わいだ。しかし、肉の触感は噛み応えもあって上等。これは……香草を練り合わせたもので下処理してあるのかな? あっさりと塩胡椒で味付けされているのに、噛めば噛むほど旨い……》


「………………」
「……………………」
「……。…………」
「……?…?…!…!!」


 《このキノコスープも絶品だな! 恐らく牛かヤギの乳をブレンドしたものでスープの土台を作ってある。が、臭みが全くない!! ポークステーキとはまた違う種類の香草で匂いが消してあるんだろうな。きのこも歯ごたえを程よく残してあって美味だ。ああ、フィーリにも食わせてやりたい……》


「旨い……」


 あっという間に討伐完了――もとい料理を完食してしまった満足感のまま顔を上げると、引きつり笑いで目の泳ぎまくっているケビンがいた。


 《??》


 首を傾げると、フォークをある方向に向けて何やら必死そうにアピールしている。
 フォークの指す方向に視線を動かしていくと、冷や汗をだらだら流しているムースが目に入った。
 料理には全く手を付けていないらしい。勿体ないことだ。


「なんだムース、食べないのか? 旨いのに。早く食った方がいいぞ」
「キール、それよりも、お嬢さんの話を聞い……」
「なんだ? おお、まだいたのか。他のテーブルの給仕をしなくて良いのか? 給仕って意外と暇なんだな」
「~~~~~~~っ! 私の! 話を! 聞きなさいよっっっ!!!!!!!」


 フルフルと小刻みに震えながら顔を真っ赤にした娘が、地団駄を踏んで叫んだ。
 俺はもう呆れを隠すことも出来なくなる。


 《おいおいおい。給仕が食事中に埃の立つことをするなよ! 本当に精神年齢の低い奴だな!!!》


 これ以上放置していても、面倒そうだ。ムースも食事が出来ないだろうし、ここは大人な自分がこの娘のお守りをするしかあるまい。


「はぁ、悪かったな。で、何の話だったんだ?」
「だから! キルトンの隣町まで買い付けがあるの!」
「はぁ……。それで、俺たちになんか関係があるのか?」
「ふんっ! 本当に察しの悪い坊やねっ! 私なら森を通っていく道を知っているし、近道も分かる。途中で通る街までの安くて安全で良質な宿のことも知ってるわ! だから、あなたたちに護衛させてあげるって言ってるのっ!」


 偉そうに何を言うのかと思ったら、そんなことか。
 ムースを見ると、苦笑いしている。


「オースティアまでなるべく旅費と日数を節約したい。彼女の話は渡りに船かと思う」
「ムース、本気で言ってるのか? 大体、帰りはどうするんだよ。こいつのために往復してる余裕なんか、それこそないじゃないか」


 隣でケビンも頷く。


「確かに、私もキールの言うとおりに思います。単に護衛と言いますが、万が一何かあったとき、護衛対象がいるのでは動きようも変わりますし。馬で二日走った方が良いように思いますが……」
「帰りは良いのよ! 向こうに叔父さんがいるもの。私は馬車でいくし、何にも問題は無いでしょ!」


 いや、それはどうなんだ。
 どうしたものかとケビンと目配せし合っていると、またもや煩い声が耳元で叫ぶ。


「あなたたち、冒険者でしょ? それとも、私一人護衛する自信も無いわけ!」
「お嬢さん、二人の言い分も正しいのですよ。私は道を教えてもらう護衛する事を提案はしましたが、本来、護衛はついででするような簡単な仕事ではありませんからね。キルトン市まではそこそこ距離がありますし、あなたも女性です。本当に我々に護衛を依頼するのか、ご家族とよく話し合ってはいかがですか」


 《………ん?》


 何か、ムースの言っていることで引っかかる事があった。
 しかし、それが何だったのか上手くかたちに出来ない。


「……下心があるような冒険者なら、わざわざ考え直すようには言わないでしょうけど。いいわ、父を呼んでくるから。あなたたちもどうするか、話し合ったら?」


 そう言って、娘は厨房の方へ姿を消した。
 やっと静かになって、漸くムースは料理を口にすることが出来る。少し冷めてしまったように思うが、表情からそれなりに美味しいのだろうと判別する。
 ケビンが真顔になって、ムースに向き直った。


「本気ですか? あの娘、馬車と言いましたが」
「幌馬車ってことだろ? 護衛っていうけどさ……。目立つ真似はしない方が良いんじゃないのか?」
「二人とも、落ち着いて考えてみてくれ。変だと思わないか?」
「俺はムースが変になったのかと思った」


 軽く冗談を飛ばしつつ、食事を続けるムースに続きを促す。
 ムースの事だから、何か考えがあるのだろう。


「一つ目、ここ数週間の間頻繁に起こる、行方不明事件」


 ムースがパンをちぎって口に運んだ。
 俺はムースが言ったことについて考えてみる。


「キルトン市で発生、原因は不明。……そうだろ?」
「そう。これだけじゃ、分からないかな。二つ目、街の様子」
「街の様子ですか? それは、キルトン市……のではありませんね?」
「三つ目、先程のお嬢さんの言葉」
「どういう事なんだ、ムース。さっぱりだよ」


 ムースは微笑むばかりで、黙ったままだ。
 自分で考えてみろと言うことか。
 ムースがスープを口に運ぶ動作を眺めながら、俺はもう一度よく考えてみた。


 《行方不明事件、街の様子。ん? 街の様子? もしかして、今いるこの場所の話か? 何かおかしな所………。あっ》


 そう言われてみれば、違和感がある。
 行方不明事件が起こるのは、キルトン市。だが、キルトン市はバハルシュ公国の中心都市だ。そんな場所で行方不明事件が起きているというのに、街には活気があった。


 《普通はもっと、賑わいがなくなったり、閑散とした雰囲気になりそうなものだろ。現に、魔物の活性化が見られるようになってからは、ヘルデ王国の至る所でピリピリした空気が流れてたし。街の人達の間では噂話が飛び交っていた。でも、ここではそれがない。何でだ?》


 単に別の街で起こっている事だから、関心が無いのか。
 違うような気がする。


 《それに、さっきの看板娘はなんて言ってた? 迂回するには森を通るしかない、馬車で? それなのに、迷う奴がいる? おかしすぎないか》


 未開拓の森で、土地勘のない奴が迷うのは分かる。
 俺たちの通っていく道だって、必ずしも舗装された街中の道とは限らない。森や山を通過してかなきゃならない場所は勿論あるけど、そういう場所は普通に旅人や商人、冒険者達も通行する場所だ。余程鬱蒼とした森でない限り、そうそう迷わないと思う。

 あの娘は馬車で行くつもりのようだったし。
 馬車が通れるほどの森なら、しっかりした道が出来ている筈だ。
 なのに、迷う?


「分かったようだな」


 思考が顔に出ていたらしい。
 ムースがワインを嗜みながら、俺の方を向いて笑みを深めている。
 ケビンは首を捻りながら、うーむと唸った。


「これは俺の予想ですが……。もしや、行方不明の発生場所はキルトン市周辺ではなく、その先……ということですか?」


 同じような結論を出したケビンがそう質問すると、ムースはゆっくりと頷いた。


「少なくとも、私はそんな気がしている。噂を鵜呑みにするなら、キルトンにさえ立ち寄らなければ安全だと考えそうだが。」
「初めにキルトン市の話をしてきた男は、森の話はしてたのか?」


 一応聞いてみると、ムースは首を横に振りながら否定する。


「いいや。彼の口からその話は聞いていないよ。ただ、キルトン市には滞在するなと、そう忠告された」
「キルトンでの事を知っているのに、迂回方法は教えてくれなかったってことだよな?」
「森を通ると道に迷うからじゃないか?」
「おい、ケビン。その話の信憑性は? あの娘が言ってただけだろ。初対面の男三人に買い出しの護衛を頼むような世間知らずなんだぞ」


 ケビンが口をぴったり噤む。だよな?
 正直、考えてみれば噂は噂なのだ。そしてその噂は、中々に限定的な範囲でのみ伝わっているらしい。

 俺はニヤッと笑って、ムースを見た。

「成程! ムースがきな臭いって言う訳だな! どちらにせよ、途中で通るしかないんだ。何が起こってもいいように、心して行こうぜ! んじゃ、明日も早い事だし、俺は先に寝てるから。おやすみ!」


 ケビンとムースに断りをいれて、俺は部屋へと引っ込む事にする。あんまりあれやこれや考えたせいで、脳みそが疲れた。こんな事では、不測の事態にも後れを取るだろう。
 早く寝よう。

 《まぁ、ケビンやムースもいるし。あの二人がいる中ではそうそう事が起こるとも思えないけど、俺もしっかりしなくっちゃな!》


 よしと決意を固め、部屋へと続く階段を駆け上る。
 部屋の中の三つならんだベッドの一番端に陣取り、体を横にすればすぐに眠気が襲ってくる。
 窓の外を見れば、すっかり宵の口。星が遠くで瞬いているのが見えた。けれど宿の夜は始まったばかり。まだまだ賑やかな旅人達の話し声が耳に届く。

 《……。なんか騒がしいような気もするな。ま、良いか寝よう》


 騒がしいで何かが頭を掠める。何か忘れているような。


 《忘れるような事だから、そんなに重要じゃないな、きっと……》


 そんな訳で。
 あっという間に夢の中へと旅立った俺が忘れていた何かを思い出したのは、翌朝頭から湯気を立てて喚いている、看板娘の顔を見てからであった。



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