アメジストは夕暮れに神秘に煌めく

十六夜

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第1章 旅立ち

第9話 掴めなかった手

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───声が聞こえた。


「キール」


フィーリが、こちらを向いて笑っている。
自分のすぐ側にいた事に安堵して、近くへ行こうとしたが、何故か体が動かない。


「……っ?!」


必死に手を伸ばそうとしても、遠ざかっていくフィーリに焦りが募る。
彼女の体が光となって、徐々に消え始めた。
「キール」と名を呼んで、その手が伸ばされ続けているのに──。



「フィーリ、行くな!!!」


そう、叫んだはずだった。
けれど、声は喉の奥に張り付いたままで──。

フィーリが消えて、世界が闇に染る。


喪失感と絶望が胸に広がってゆく。
フィーリが消えた途端、金縛りが解けたように動くようになった体が、地面に崩れ落ちた。


「あああぁぁぁぁア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッッツッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



消えてしまった、世界から。
この世のどこにもいない。

守れなかった。
守ると誓ったのに。

泣いていた。
恐怖で? ────違う。




「オマエガナカセタンダ」




酷く耳障りな声が、耳に木霊する。
お前は、誰だ──────?



顔を上げ目にしたのは、真紅と黄金の、炎────。
深淵を覗き込んだ様な虚の───。

 ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  


「キール!!!!!!!」


 ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  

「……ッッ!!」
「キール! 気が付いたか、良かった!」

ゼイゼイという嫌な呼気が、肺から聞こえている。
耳鳴りが止まず、周囲の状況を理解するのに暫く時間を要した。

落ち着いてくると、何処か室内に横たわっているのが分かる。
そして、心配そうな顔をしてこちらを見つめる、見知った顔。

「……ム……ス……、ハイ……ン……リヒ……」

自分の有り得ないほどガラガラに涸れた声に驚いていると、ムースが安堵のため息を零した。

「本当に良かった。ヘンデルの鎌を免れた様だな」

ヘンデルと言うのは、神話に出てくる死者の魂を刈り取る神の俗名である。

なんと、俺は死の淵をさまよっていたらしい。
道理で、身体が全く動かない訳である。

そもそも、何故そんなことになっているのかと思案し、思い出した。
他人から見ても分かる程血相が変わった俺は、飛び起きる前にハインリッヒによって、寝台に押さえつけられる。
暴れる俺を、ムースも必死の表情で止めようとした。


「フィーリ!!! フィーリが!!!」
「落ち着け、キール! 傷が開いたらどうするんだ!!」
「離せっ! フィーリが攫われたんだ!」
「キールっっ…………いい加減にしろっ!」


ガツンという衝撃と共に、視界が弾けた。
殴られたのだと理解するうち、頭の中が冷えていく。


「っ………痛ってぇ……」
「冷静になったかよぉ、キール」
「……ああ。悪かった、ハインリッヒ……取り乱した。
ムースも……ごめん」
「いや……。気持ちは分かるが、キール。本当に危なかったんだ。
お願いだから、無茶しないでくれ」
「…………ごめん…なさい」

殴らせてしまったことをハインリッヒに謝り、心配をかけたことをムースに詫びた。
ああ、俺は何をやっているんだろう。

情けなくて、痛くて、悔しくて……、涙が零れた。

《フィーリを守れなくて、泣かせて。ハインリッヒやムースにまで心配かけて、俺は何をやってんだ》


最低最悪の気分。
冷静になると、今度は羞恥心で死にたくなった。

《ああ、ホント。何やってんだろ俺。本当に役に立たない……》

自己嫌悪で壁とかに頭をぶつけたくなってくる。
体が動かなくて出来ないけど。

さっきのは火事場の馬鹿力だったのだなと、頭の隅で理解する。



みっともなく泣く俺に、二人は何も言わずにただ、傍に居てくれた。


暫くして落ち着くと、ハインリッヒが濡れたハンカチを差し出してきたので、ありがたく使わせてもらった。
どんな時でも余裕のあるハインリッヒにしては珍しく、心配したような声色で語りかけてくる。

「落ち着いたか」
「…………うん」
「そぉか……。なら、話しても大丈夫か?」

頷く俺に、ハインリッヒは話してくれた。

「村は……壊滅状態。
北西の砦側と、南東の砦の二方向からなだれ込んできやがった。夜明け前になんとか粗方討伐し終えたんだが、逃げたのも多いと確認している。
あの後何度か小さい襲撃があったから、ダンケ達と交替で駆逐しているところだぜ。
南東は囮で、砦に逃げた連中の半数が死んだ。
丘の方……キール達の家がある方も、かなり荒らされてるなぁ…。
騎士団も、半数やられちまった…………」

そこで、ハインリッヒは言葉を切った。
ハインリッヒの顔が、くしゃくしゃに歪められる。
聞きたくないことを言われる気がして、でも、耳を塞ぐことは出来なかった。


「ミドが…………ミドの手が…………」


「喰われた」と、そう、聞こえた。




 ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎  ﹎ 

「ほぉらぁ、そんな顔しないのぉ」

ベッドの上で、上半身をケビンに支えられながら、ミドがそう笑った。


ハインリッヒに教えて貰った後また意識を失って、ミドを見舞うことが出来たのは、三日も後の事だった。初めに目覚めるまでにも四日かかったことを踏まえると、七日ぶりである。

それ以前に医者から、背中と首の傷の出血が多くて、絶対安静と言われた俺が動くのを、ハインリッヒもムースも許さなかったというのもあった。
確かに、位置が少しでもズレていたら、そのまま助からなかったと言われると、少し、恐怖ではあるが。


でも、それだけ。


「キールまでそんな暗い顔、しないでよぅ……。僕なら、大丈夫だからさ、ね?」


笑ってはいるが、絶対、大丈夫なんかじゃないと思う。
俺なら発狂する。

ミドは右手が肩から、左手は肘から下が無くなっていた。上半身をぐるぐる巻きにされた包帯が、小柄なミドを更に小さく見せていた。



子供を、助けようとしたそうだ。
魔物に襲われそうになった子供を三人、助けようとして、背面から襲ってきた魔物に喰われたそうだ。
駆けつけたカイルがミドに群がっていた魔物を倒した時、ミドは子供達に覆い被さるようにして守っていたと聞いた。
ミドは、子供を守り切った。
でも、大切な腕を両方、失った。


あんなに、誰よりも訓練を頑張っていたのに。
もう、剣を振ることが出来ないだなんて、そんなの───。

《あんまりだろ……》

分かってる。ミドが凄く立派だった事なんか。
騎士仲間が、ミドを誇りに思うと言っても、騎士の鏡だと賞賛する事も、正しいことだってわかってる。
でも、───。

《出来る事なら、失いたくなかったはずだろ? 人を助けるのが、騎士の役目なのは分かってるでも──》

って、その事に傷付いているんじゃないのか?


誰よりも優しくて、少し子供っぽい所もあるけど、前向きで……。
女々しいと馬鹿にされても、自分が剣を振るうことで助かる命があるなら救いたいと、そう言って、誰より努力していたミドだから───。


「ね、キール。僕はね、確かにもぅ……剣は振れないかもしれない。でも、後悔は……してないよ」
「……ミド」
「お馬鹿さんだねぇ、キール。忘れたの?」

見上げると、ミドが額に頭突きしてきた。
かなり痛い。

「……ッミド?! 何すんだよ?!」
「わぁぉ! キールまで引っかかるだなんてびっくりだぁ……」
「俺がびっくりだよ?!」

ふふふ、と笑うミドを俺は呆然と見つめた。

「皆引っかかるんだもん。驚いちゃうよぅ、まったく。暗い顔しちゃってさ、もぉぉ」
「……」
「これからは、剣は振れない。騎士はもう、続けられない。それはまぁ、うん。非常に残念だぁ~」
「本当に残念がってるのか?」
「いや、あんまりぃ?」

ズッコケるぞ全く。本当に残念じゃなさそうに見えるから、戸惑いが隠せないし。

「残念だけど、しょうがないよぅ。
でもさ、無いものは無いんだから、ああだこうだ言ってても、どうしようもなくなぁい?」

驚いた。
何に驚いたかと言うと、まるでミドがハインリッヒのような考え方をしているから、とても驚いてしまった。

終わった事をグダグダ考えても、どうしようも無いから気にしないだなんて。

ミドの口から聞くと、まぁ確かに、と思えてくるのがまた不思議で。


「寧ろねぇ、僕なんかが三人も助けられた事に、驚きだよぅ。上出来だよぅ、なんにも悔いはないよぅ?」


両腕を失ったのに?


思いは声に出てしまっていたようで、けれど、それを聞いてもミドはケラケラと笑うだけだった。


「腕がないなら、両足があるよ。
話しかけられる、声もあるよ。
目で見て感じて、聞くことも出来るよ。
僕はまだ、生きてるよ。
まだ、人の為に、出来ることがあるよ。
何を憂う事があるの? ほら、何も無いでしょう?」


《この上更に、まだ人の為に出来ることを探そうと言うのか……ミド。お前…………本当に…………》


「「お人好しすぎだろ……って……」」


俺とケビンの呆れたような声が重なった。
ケビンが泣き笑いのような顔で、優しく従弟を見つめている。
俺は心の底から、このお人好しで優しい騎士の幸せを、願わずにはいられなかった。
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