アメジストは夕暮れに神秘に煌めく

十六夜

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第1章 旅立ち

第7話 精霊

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精霊祭りの醍醐味といえば、【精霊のお告げ】である。そもそも、このお祭り自体が【精霊のお告げ】を聞く為に、精霊が現れるという泉を祀る事から始まった行事である。

この泉は、その昔、辺境の小さな村だった(それは今も同じだが)この地に住む村長の息子に、魔物の大群がやってくるというお告げを授けた精霊が住まう場所とされている。その息子は精霊のお告げ通りやって来た魔物達を退け、村に平穏をもたらした。
以来、数年おきに精霊が泉より現れ、村人を一人選んでは、お告げを残してゆくのだ。

精霊のお告げを聞ける者は、心が清らかでなければならないらしい。
お告げを聞く者が選ばれる度、その者は村の英雄として称される。
今日は一年で最も昼の時間の長い、精霊祭りの日であった。キールもフィーリも、幼い頃に養父と一度見たきりであまり記憶に残っていない。


泉の周りには、既に大勢の見物人が詰めかけていた。
前の方の場所はもう空いていないので、後方にみんなで陣取って、精霊の泉の方を見る。

祭りの日だけは、泉に近い場所では灯りは灯さない。精霊が出てこないからだ。
空が赤く染り、陽が大地に沈んでゆく時間に、それは始まる。

太陽が一筋の光を残して大地に隠れ、夜の帳を降ろすその一瞬の時に、泉の中から光の柱が立ちのぼる。
泉の周りに立てられた特別な灯り取りに精霊の光が宿り、次々と泉より出現する仄かな光が、泉の上をふわりふわりと舞う。
気が付けば、泉の周り以外は夜の気配が漂い、空を見上げると、光が明暗するのと同時に星も輝きを放っていた。

何処からか、リィィィン───という鈴の音が、聴こえては消える。耳のすぐ側で鳴っているようにも聴こえるし、そうではないような気もする。


幻想的な雰囲気に心を奪われていると、泉から一際輝きを放つ光がゆっくりと現れた。
虹色に変化するその光を遠くから見て、俺は直感する。

《精霊だ》

精霊がクルクルと泉の上を回りながら飛び跳ねると、周りの小さな光も一緒になって踊った。
どのくらいそうしていたかは定かではないが、不意に精霊が動きを止めて、群衆の頭上を移動し始めた。

精霊の通った後に、金色の鱗粉が舞い散る。

思わず感嘆してそれを眺めていると、あることに気がついた。

《?…………。いや、なんか、近づいてきてないか?》

何かの間違いかと思って目を擦るが、何度見ても、精霊はこちらに向かって飛んでくる様に見える。
しかも、フィーリの方へ来ようとしているような気がする。

驚いている間に、フィーリの目の前に精霊がふわりと浮かんで静止した。
フィーリも目を白黒させて、それを眺めている。
精霊がフィーリに向かって存在を主張するように、二度三度弾んでみせた。

「え……っと。……私、なのかな?……私に来て欲しいの?」

フィーリは精霊に向かっておずおずと手を差し伸べながら、そう呟く。
恐らく俺と精霊にしか聞こえていないと思うが、フィーリに話しかけてもらった精霊は喜んだ様に(俺にはそう見えた)、フィーリの手のひらで弾んだ。
多分、肯定の意味だと思う。

フィーリも同じように解釈したようで、どうしたものかとこちらを見た。
俺は、頷いてみせる。

フィーリは小さく息を飲むと、意を決したのか、精霊の泉に向かって歩き出した。精霊がフィーリを選んだ事に皆驚いていたが、その手の上で楽しげに弾む精霊の手前何も言えずに道を開けた。

フィーリと精霊が泉の上の祭壇に降り立つと、散らばっていた光がフィーリの周りに集まってきた。それはフィーリを包み込み、見えなくしてしまう。

程なくして、リィィィン─────、ルルルルル──────という不思議な音色が聞こえてきた。
遠い記憶で聞いたことがある、精霊の言葉のようなものだった気がした。
フィーリがお告げを聞いているのだ。

「フィーリちゃん、大丈夫かぁ?」

隣でハインリッヒがボヤいた。俺も心配だったが、精霊がお告げを聞く者に危害を加える例は聞いたことがないので、おそらく大丈夫だろうと思ってはいる。

というか─────、

《よく、この状況で喋れるよな……。流石、ハインリッヒ》

俺でさえ、余りの神秘さに息をするのも忘れそうだと言うのに、ハインリッヒは普通に喋っている。奴には、この人ならざるモノ達が創り出す幻想的な空間も、呑み込まれてしまいそうな程に荘厳でどこか異質な雰囲気も、大した影響ではないらしい。


ハインリッヒの豪胆さに感心していると、周囲がザワザワと騒ぎ始めた。
何事かと思って周囲を見渡すと、皆が泉の方を見ている。視線をやると、いつの間にかフィーリを取り巻いていた光の玉が霧散しており、代わりに一頭の大きな白い毛玉が佇んでいた。

光の玉─精霊達─は、今度はその白い毛玉にまとわりついている。

その白銀の毛並みは泉の幻想的な光を反射し、前見た時よりも更に神秘の生き物の様に感じさせた。
そしてそれは、一心にフィーリを見つめている。
フィーリも真っ直ぐに白い獣を見つめ返していた。
彼らがまるでここではないどこかに居るようにも見え、俺は気付かぬうちに焦りの様な、不安の様な気持ちを抱いていた。

《あいつ……昨日の?!  何でこんな所に……》

「魔物か?!」
「いえ、魔物と呼ぶにはあまりにも……」
「神々しいような──」

ダンケが瞬時に剣を引き寄せ抜こうとするのを、カイルとハインリッヒが押し留める。
しかし二人も、あれが魔物なのか否か分からないようで、珍しく戸惑いをあらわにしていた。

そんな中、ケビンがそっと俺の肩を叩いた。そして、小声で耳打ちをしてくる。

「……なぁ、キール。アレって、昨日キールが見たって言ってたヤツか?  特徴は……一致するよな?」
「ああ」
「カイル様やハインリッヒ様が言ってたけど、アレ。魔物よりむしろ、精霊か神獣の類じゃないのか?」
「神獣?!」

思わず大きな声で反論しそうになった俺の口を、慌ててケビンが塞いだ。
幸い、他の見物人には気取られなかった様だ。

「シッ……!  大声出すなよ!  まだ決まった訳じゃない。でも、今まであんな魔物見たことないんだよ。綺麗すぎる……」
「ケビンの言いたいことは分かるけど……」

《もしそうなら、神獣が現れたのは何故なんだ?  神獣なんて、伝説上の生き物だと思ってた》

「第一、精霊がこんなにうようよしてる場所に、あんな大きさの魔物が出てきて何も起こらないなんて事がある訳が無いだろ。下位の精霊だったら、とっくに捕食されてるはずなんだから。
見ろよ、あの白い神獣を。周りを飛んでる精霊に目もくれやしない!  キールの幼馴染しか眼中に無い様だろ?」

ケビンはもうすっかり、あの白い獣は神獣だと決めつけている様だった。

ただ、ケビンは気になる事を口にした。

《アイツが、フィーリしか眼中に無いって?  確かに、それが一番不可解だ》

先刻からピクリとも動かず、互いを見つめあっているフィーリ達。フィーリに向かって飛んできた精霊といい、フィーリを見つめて離さない神獣(仮)といい、何かが起こっている。
まるで 、そう──────。

「「「《聖女》」」」

俺の心の声と、ムース、ケビン、ミドの声が重なった。


遥昔、エルフと魔族の争いの続いた戦乱の時代に、人族の中から出現したとされる聖女。
精霊達に愛され、神獣を従えて、荒ぶる双方の種族を取り成したとされる、伝説上の乙女。
その後数千年に渡り、3種族の間では停戦と平和条約が結ばれ、世界は安寧を取り戻した。

その乙女の詳細は明らかにされておらず、ただ、かの乙女を慕い守った者達が築いたとされる都が、この大陸の中央部にあるライレンシア聖霊国だと呼ばれているのを聞いたことはあったが……。


そういえば、養父が冒険者時代の話をしていた時、若かりし頃に立ち寄ったと話していたような気がする。
その国は王や帝王がおらず、聖法皇が国の最高位に君臨する体制をとっているらしい。
けれど、噂では聖法皇より更に位の高い者が、その席に坐すともされているらしい。それが、伝説の聖女だとか、そうでないとか。

けれど、その噂の聖女も、数十年前に安否不明になったきり、次代の座は空席のままらしいのだ。
その頃は何やらきな臭い事件が多く、丁度その頃、養父は冒険者を辞めたと聞いた。



《もしかして、フィーリはその、次代の聖女だったりするんじゃないか……?  でも、だとしたらどうして、捨てられたりなんか……》

フィーリは赤子の時に養父に拾われ、キールと共に育てられた。それは、一緒に育ったキールには、疑う余地のない事実である。
だが、国の最高位よりもさらに偉い地位に着けるはずのフィーリが、戦場跡地などで捨てられているという事態が、起こり得るのだろうか?
もしそうならば、フィーリをこの歳になるまでこんな僻地に放置している理由は?


俺は頭の中が混乱し始めるのを感じていた。
そして、胸中に広がる、言い様のない不安と焦燥感を拭い去りたくて、フィーリを必死に見つめた。

《俺の手の届かない所に行くのは構わない。幸せになってくれるなら……。だが、フィーリ。お前は、もしや、とんでもない程大きな陰謀の渦に、巻き込まれているんじゃないか?  そうなら、俺は、お前を…………》



─────送り出したくはないよ。
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