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俺とポエムと彼女と秋と
第15話だ 未来望橋
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今朝、俺は「未来望橋」まで散歩の足を伸ばした。少し遠かったが、大通り沿いの歩道の上を真っ直ぐ南に進むだけだから、難儀はない。天気もよかった。
橋の袂に辿り着くと、そこから下の川原を覗いた。花束がひっそりと手向けてあった。おそらく、「トトさん」の遺体が発見された場所だろう。俺はそこに降りていくと、献花の前で手を合わせた。
川は静かに流れていた。川原から続く土手には、雨に打たれ疲れたススキが項垂れている。俺は、それをかき分けながら土手を登った。
もう一度、橋の袂に行き、欄干の端の橋柱を見た。表面に貼られた様々な色の四角いガラスが朝陽を反射して、虹色の光の幕が柱を覆っている。俺は大通りの向こう側の橋柱にも目を遣った。大通りを渡りたかったが、そこには信号も横断歩道も無いので渡れなかった。だが、俺には分かった。向こうの橋柱も優しく虹色に輝いていた。
俺には分かった。こういう事だったのだ。
俺は黙ってその場を立ち去った。
今日は少し早めに琴平さん宅にお弁当を配達した。お弁当は特別だ。白いご飯に野菜のお煮しめ、酢の物、昆布、栗。肉魚は入っていない。陽子さんは略式の喪服で、俺も黒いベストを着ていた。
美しいステンドグラスのはめられた玄関ドアを開けて呼びかけると、廊下の奥から黒い詰襟のスーツを着た初老の男が歩いてきた。陽子さんはその人に丁寧に挨拶して弁当を渡した。その人は弁当を見て、陽子さんに待つように言うと、リビングへと戻っていった。暫らくして、俺と陽子さんはリビングに通された。
喪服を着た琴平さんは、車椅子の上で肩を丸め、萎れていた。俺と陽子さんが黙礼すると、琴平さんも静かに頭を下げた。俺たちは詰襟スーツの男に促されてソファーに腰を下ろした。レースのカーテンは閉じられていた。
短い沈黙の後、陽子さんが口を開いた。
「昨日、ニュースで知りました。川で亡くなられたそうですね。本当に、お気の毒です。室戸豊栄さん。昨日お話して下さった豊栄先生ですよね、『色の魔術師』と呼ばれた」
老女は小さく肯いた。
そう、室戸の「ト」と豊栄の「ト」で「トトさん」だ。琴平さんに美術を教えてくれた人、琴平さんが尊敬する人、そしてたぶん、琴平さんが愛する人。
陽子さんは小さな声で続けた。
「あの……もう一つお伺いしても……」
老女は目を伏せたまま、首を縦に振った。陽子さんは詰襟の男を一瞥してから琴平さんに尋ねた。
「もしかして、琴平さんは、『アキ・ムロト』さんなのではありませんか」
琴平さんは、かすれた声で答えた。
「ええ、私が『アキ・ムロト』よ」
「先生……」
詰襟の男が制止しようとしたが、琴平さんは逆に彼の発言を制止した。
そう、琴平秋、これが琴平さんの氏名だ。結婚していたのかどうかは知らないが、室戸豊栄さんの姓と自分の名で「室戸秋」、逆にして「アキ・ムロト」。
陽子さんは詰襟の男に顔を向けた。
「失礼ですが、すると、あなたは……」
「私は先生専属の弁護士です。先生の作品の著作権関係を任せられています」
男はそう答えて、名刺を一枚だけテーブルの上に置いた。
なんだ、弁護士さんだったのか。どおりで覆面をしていないわけだ、と俺は納得して黙っていた。陽子さんもそれ以上何も尋ねなかった。
すると、琴平さんは自分から事情を話してくれた。
橋の袂に辿り着くと、そこから下の川原を覗いた。花束がひっそりと手向けてあった。おそらく、「トトさん」の遺体が発見された場所だろう。俺はそこに降りていくと、献花の前で手を合わせた。
川は静かに流れていた。川原から続く土手には、雨に打たれ疲れたススキが項垂れている。俺は、それをかき分けながら土手を登った。
もう一度、橋の袂に行き、欄干の端の橋柱を見た。表面に貼られた様々な色の四角いガラスが朝陽を反射して、虹色の光の幕が柱を覆っている。俺は大通りの向こう側の橋柱にも目を遣った。大通りを渡りたかったが、そこには信号も横断歩道も無いので渡れなかった。だが、俺には分かった。向こうの橋柱も優しく虹色に輝いていた。
俺には分かった。こういう事だったのだ。
俺は黙ってその場を立ち去った。
今日は少し早めに琴平さん宅にお弁当を配達した。お弁当は特別だ。白いご飯に野菜のお煮しめ、酢の物、昆布、栗。肉魚は入っていない。陽子さんは略式の喪服で、俺も黒いベストを着ていた。
美しいステンドグラスのはめられた玄関ドアを開けて呼びかけると、廊下の奥から黒い詰襟のスーツを着た初老の男が歩いてきた。陽子さんはその人に丁寧に挨拶して弁当を渡した。その人は弁当を見て、陽子さんに待つように言うと、リビングへと戻っていった。暫らくして、俺と陽子さんはリビングに通された。
喪服を着た琴平さんは、車椅子の上で肩を丸め、萎れていた。俺と陽子さんが黙礼すると、琴平さんも静かに頭を下げた。俺たちは詰襟スーツの男に促されてソファーに腰を下ろした。レースのカーテンは閉じられていた。
短い沈黙の後、陽子さんが口を開いた。
「昨日、ニュースで知りました。川で亡くなられたそうですね。本当に、お気の毒です。室戸豊栄さん。昨日お話して下さった豊栄先生ですよね、『色の魔術師』と呼ばれた」
老女は小さく肯いた。
そう、室戸の「ト」と豊栄の「ト」で「トトさん」だ。琴平さんに美術を教えてくれた人、琴平さんが尊敬する人、そしてたぶん、琴平さんが愛する人。
陽子さんは小さな声で続けた。
「あの……もう一つお伺いしても……」
老女は目を伏せたまま、首を縦に振った。陽子さんは詰襟の男を一瞥してから琴平さんに尋ねた。
「もしかして、琴平さんは、『アキ・ムロト』さんなのではありませんか」
琴平さんは、かすれた声で答えた。
「ええ、私が『アキ・ムロト』よ」
「先生……」
詰襟の男が制止しようとしたが、琴平さんは逆に彼の発言を制止した。
そう、琴平秋、これが琴平さんの氏名だ。結婚していたのかどうかは知らないが、室戸豊栄さんの姓と自分の名で「室戸秋」、逆にして「アキ・ムロト」。
陽子さんは詰襟の男に顔を向けた。
「失礼ですが、すると、あなたは……」
「私は先生専属の弁護士です。先生の作品の著作権関係を任せられています」
男はそう答えて、名刺を一枚だけテーブルの上に置いた。
なんだ、弁護士さんだったのか。どおりで覆面をしていないわけだ、と俺は納得して黙っていた。陽子さんもそれ以上何も尋ねなかった。
すると、琴平さんは自分から事情を話してくれた。
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