名探偵桃太郎の春夏秋冬

淀川 大

文字の大きさ
上 下
50 / 70
俺とポエムと彼女と秋と

第11話だ  うわさばなし

しおりを挟む
 琴平さんの家からの帰り道、と言っても、すぐそこだが、「フラワーショップ高瀬」を覗いてみた。その日の朝、俺が散歩で訪れた時には、邦夫さんが一人で店の前を掃除していた。公子さんは奥の居間で横になっていた。腰は相当に痛そうだった。陽子さんも心配して、琴平さん宅からの帰りに立ち寄ることにした。

「おはようございます、高瀬さん。腰の具合はいかがですか」

 店の隅にしゃがんで作業していた邦夫さんが、振り返って腰を上げた。

「ああ、外村さん。おはよう。昨日は大変だったね。大丈夫でしたか」

「ええ、ウチは何とか」

「阿南さん所のひさしが割れたんだって? 『北風ラーメン』のお向いの床屋も看板か何かをやられたみたいだね」

「そうみたいですね。桃太郎さんが気付いて飛び出していきました」

 どうだという顔をしている俺に、邦夫さんはからかうように言った。

「なんだ、桃は腰が抜けて伏せていたんじゃなかったのか」

「それはあんたの奥さんだろ。実際に横になっているじゃないか」と俺が言うと「雨の中を萌奈美さんの店の前まで駆けていったんですよ」と陽子さんが擁護してくれた。

「へえ、あの風雨の中をねえ。あ、だから今日は茶色のベストなんだな」

「ずぶ濡れになったんだ、仕方ないだろうが」

 俺は邦夫さんを一にらみした。

「ところで、奥さんのお具合はいかがですか。少しは……」と陽子さんが言いかけると、店の奥から声がした。

「ここ、ここ。ここよ、陽子さん。ごめんなさいね、動けないのよ」

 店に続く居間のテーブルの向うから手が上がっている。邦夫さんは「昨日のカミナリで、また腰が抜けたんだと」と呑気な事を言っていたが、陽子さんは「あらら、大変」と慌てて居間に上がった。

 公子さんは手をパタパタと振る。

「ああ、陽子さん、助かったわ。この人ときたら、何にも出来ないものだから、困ってたのよ」

 俺が背伸びして台所を覗くと、食べ終えて空になったウチの弁当の容器が重ねてシンクの上に置いてあった。洗って捨てるくらいしろよ、邦夫さん。と俺が邦夫さんに顔を向けると、邦夫さんは店の外で土佐山田九州男さんと話していた。二人とも深刻そうな顔つきだった。気になって、俺もそっちに行ってみた。

 すると、九州男さんが、「モナミ美容室」の前でお客さんを見送っていた萌奈美さんを見つけて、「阿南さん、阿南さん」と手招きしながら呼び寄せた。萌奈美さんが来ると、九州男さんは「さっき伺ったら、お仕事中でしたから。今、ちょっといいですか」と断ってから「お宅の被害も、風のせいじゃないかもしれません。聞きましたか」と険しい顔で尋ねた。萌奈美さんは訳が分からず、顔を前に出した。俺にもさっぱり分からなかった。邦夫さんが説明した。

「今朝、『未来望みらいぼう橋』の下で老人の遺体が見つかったそうです。なんでも手倉病院の老人ホームの入所者らしいのですが、あの雨の中を徘徊していたそうで……」

 大通りを南に進んだ先にある「未来望橋」は、隣町との境の川に掛かっている橋で、虹のように美しいいろどりをした橋だ。

 九州男さんが腕組みをして続けた。

「一昨日も徘徊したらしくて、警察に保護されたばかりだったそうですよ。なのに戻ってすぐまた施設から脱走したんだそうです。なんで、あんな暴風雨の中に飛び出していったのか……。増水した川に落ちて、溺死されたようですね」

 間違いない、「トトさん」だ。昨日、大内住職と小林さんが話していた人だ。亡くなっただって? どういう事だ。

 どこかでガラスが割れる音がした。

 九州男さんと邦夫さんは周囲を見回したが、何の音か分からなかった。

 九州男さんが萌奈美さんに言った。

「それでね、その亡くなったお爺さんは布袋を握り締めていたそうでね、その中に入っていたらしいんだよ」

「何がですか」

 要領を得ない顔で尋ねた萌奈美さんに邦夫さんが言った。

「お宅の割れた廂の破片だってさ。本屋の窓ガラスの一部とか、そこの床屋の赤と青のガラスも入ってたって」

「いや、高瀬さん、まだ決まった訳ではないですよ」と邦夫さんをたしなめた九州男さんは、萌奈美さんに言った。

「ただ、鮮やかなオレンジ色のガラス片も入っていたらしくて、たぶん阿南さんの所の廂の一部じゃないかと、さっき警察の方が言っていました。今、大通り沿いの店を一軒ずつ確認して回っているそうです。ウチにも来ましてね。先に阿南さんにも知らせといた方がいいと思ったものですから」

 萌奈美さんは眉を寄せた。

 ほら、言ったとおりだろう、器物損壊事件じゃないか、と俺は言えなかった。何か重たいものが俺の胸を押し付けていた。

 萌奈美さんは、「モナミ美容室」に次のお客さんが来たので、俺たちに一礼して帰っていった。

 そこへ陽子さんがハンドタオルで手を拭きながらやってきた。邦夫さんに「洗い物の方はやっておきました。洗濯物の方は、私が後で干しに伺いますので」と言うと、邦夫さんは驚いた顔で「どうして、公子に頼まれたのかい?」と尋ねてから、厳しい顔を奥の居間に向けた。

 陽子さんは「いえ、気にされていたようですから、私が勝手に」と言って公子さんを庇った。邦夫さんは溜め息を吐いて「まったく。外村さんだって大変なのは知っているはずなのに。すみませんね、ホントに」と言い、陽子さんに頭を下げた。そして顔を上げると、九州男さんに「そう言えば、土佐山田さんの奥さんも腰を痛めていらっしゃるそうですね」と尋ねた。九州男さんは顔の前で手を一振りしてから「いや、あれは仮病ですよ。ほら、例のアキ・ムロト、彼の絵が見たくて、手倉病院に行く口実が欲しかったのでしょ」と笑った。

 俺が「なんだ? 伊勢子さんの腰痛はウソなのか?」と尋ねると、陽子さんが「アキ・ムロトさんって、世界的に有名な画家ですよね。そんな人の絵が、この町にあるんですか」と目を丸くした。

 九州男さんは頷いた。

「信じられないけど、手倉病院のロビーに飾ってあるそうです。何と言っても、あのアキ・ムロトの絵ですから、美術館に高額の入館料を払わないと直に見る事なんて出来ないはずでしょ。それが無料で、間近で見られるって事で、一昨日から手倉病院には診察の予約が殺到しているそうなんです。たぶん、半分以上は絵の鑑賞が目的ですな。ウチのも、湿布を貰って帰ってきましたから。ウチは薬局なのに」

 邦夫さんは振り返った。

「さてはアイツも……」

 透かさず陽子さんが言った。

「いえ、奥さんのは違うと思いますよ。本当にお悪いようですから」

「公子さんは、アキ・ムロトの絵をご覧になっていないのでしょ?」

 九州男さんが尋ねると、邦夫さんは頬を掻きながら答えた。

「まあ、確かにそうですね。昨日はそれどころじゃ無かったようですから」

「だったら、本当に腰を痛めているんですよ。ウチのは……」

 九州男さんはズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。

「こうやって証拠写真まで残していますから。友だちにメールで送信しようとして、間違って私のスマホに送ってきたんですよ。ほら」

 九州男さんは表示した写真画像を邦夫さんと陽子さんに見せた。俺には見せてくれない。

 邦夫さんと陽子さんは顔を近づけて、九州男さんが握っているスマートフォンを覗き込んだ。陽子さんは一瞬、眉を寄せた。邦夫さんが口を尖らせて言う。

「ふーん、丁度この季節の絵ですか。しかし、勝手に撮影とかしていいんですかね」

 すると九州男さんは画面の上で指を滑らせながら頷いた。

「そうなんだよ、ほら、何枚も。著作権もヘッタクレもあったものじゃない。逮捕されたらどうするんだって、昨日、厳しく言ってやったところなんです」

 陽子さんが画面を指差しながら、九州男さんに尋ねた。

「この、横に写っている詰襟スーツの男性、この方がアキ・ムロトさんですか」

 九州男さんはスマートフォンを顔の前に近づけて確認してから答えた。

「ああ、たぶんそうですよ。覆面芸術家だか何だか知らないけど、気取っちゃって、まったく」

 九州男さんの言い方には明らかに嫉妬が込められていた。まあ、無理もない。

 俺は「覆面芸術家って、マスクを被っているのか」と尋ねようとしたが、邦夫さんが「顔写真とか全部NGの画家ですよね。素性も隠していて、よく分からない。俺の作品だけを見ろって事でしょうかね」と言ったので、黙っていた。

 九州男さんはスマートフォンをポケットに仕舞いながら不機嫌そうに答えた。

「知りませんよ。顔を出せない事情でもあるんじゃないですか。ま、伊勢子に言わせれば、そのミステリアスなところが良いらしいのですが、アイツがどれほど芸術を理解しているのやら」

 陽子さんが心配そうな顔で言った。

「そんな人の写真を勝手に撮影して大丈夫だったのですか。どれも承諾なしに撮影した画像に見えましたけど」

 九州男さんは険しい顔で頷いた。

「そうなんですよ。訴えられたらどうするんだって話ですよ、ほんとに。しかも絵の方も近々別の場所に移されるらしいですからね。ネットで調べたんですけどね、アキ・ムロトには専属の弁護士もいて、権利関係は相当にきっちりしているらしいのですよ。絵が移転したのは、撮影が原因だとかいう事で裁判でも起こされるのではないかと、心配で仕方ない」

「絵が移されるのですか」と陽子さんが尋ねると、九州男さんは小声で「ウチも薬局で処方箋なんかを扱うから分かるんですけどね、こういう方法で診療目的ではない患者を募って診察しているとなると、国からチェックが入る可能性があるんですよ。最初は客寄せの狙いがあったのでしょうけど、予想以上に人が押し寄せたので、手倉病院も焦っているんじゃないですか」と言って少し笑った。

 陽子さんと邦夫さんは、「ああ」と頷いた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

鬼の贄姫と鬼界の渡し守 幕間—『金目の童女』—

秋津冴
キャラ文芸
 生まれたときに母が亡くなった悲しい過去を持つ、香月秋奈(あきな)は16歳。  家は太古の昔から現世と幽世をつなぐ「岩戸の扉」を守る破邪師の一族だった。  秋奈は黄金の金目を持ち、それは鬼を招くとされていた。  ある時、厄災を招くくらいなら、鬼に贄として捧げてしまえという上からの命令により、秋奈は拘束されあちらとこちらを自在に行き来できる「渡し守」凌空(りく)の手によって、幽世の一つ、鬼界へと送られてしまう。  しかし、そこは現世並みに発達した文化を持ち、鬼たちにとって人食いはすでに廃れた習慣だった。  鬼の長者、支倉は現世の酒や珍味が大好物だという。  鬼界と現世の間で、さまざなま輸入代行を請け負う会社を営む凌空に、支倉は秋奈を屋敷に常駐する職員として雇うように持ちかけるのだが……?  他の投稿サイトでも掲載しております。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

【完結】王太子妃の初恋

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。 王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。 しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。 そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。 ★ざまぁはありません。 全話予約投稿済。 携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。 報告ありがとうございます。

ニート株式会社

長谷川 ゆう
キャラ文芸
東京の下町の小さなビルに、静かな変わった会社がある。 名前は「ニート株式会社」 その会社に勤める人々は、ニート、引きこもり、うつ病、社会不適合者、さまざまなな人間。月給15万。 会社を仕切る社長、女社長の マリネさんは 約4000人近い社員を雇っている。 マリネの秘書として 入社したばかりの東山は戸惑うばかりだ。 社会から取り残された人々が働く「ニート株式会社」とは...

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

僕と黒騎士(美少女)の気持ちのいい朝 ~のほほんとしたひと時~

小日向ななつ
キャラ文芸
春の朝、起きたら田畑が雪を被っていた。 思いもしないことに驚いていると、突然黒騎士が現れる! 異次元の勇者らしい僕を殺しに来たのだが、どうやら寒さには勝てなかったようだ。 のほほんとコタツでみかんを食べて過ごしているよ。 これは、そんなありえないようでありふれたひと時を切り取った短編である!

処理中です...