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第17話
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シェリーは王都のハーパー侯爵邸を訪れた。
毎月定例のお茶会に参加するためである。
おそらく今日がハーパー侯爵夫人との最後のお茶会になるだろう。
今にも雨が降り出しそうな曇天のもと、侍女を連れずにシェリーはひとり歩む。
ハーパー侯爵夫人と対面することに、もうおそれはなかった。
侯爵邸の美しく手入れされた庭に面した部屋に通される。
ハーパー侯爵夫人はすでに座ってシェリーを待っていた。
デューイと同じ燃えるような赤毛を高く結い上げ、耳には瞳と同じ色の大ぶりなエメラルドのイヤリングをしている。
息子の婚約者とのお茶会をする場には過剰なほどの豪華な衣装を身にまとい、いつも通りの隙のない貴婦人ぶりだった。
部屋に入ってきたシェリーを見ると、夫人の紅い唇が弧を描いた。
「良く来たわね」
シェリーは一瞬ぞっとしたが、顔には何の表情も浮かべずにあいさつする。
「ハーパー侯爵夫人、ご無沙汰しております」
「座ってちょうだい」
シェリーはうながされて、夫人の目の前の席に座ると、香水の強烈なにおいが漂ってくる。
シェリーは夫人から目をそむけなかった。夫人の目には蔑むような笑みが宿っていたが、おそろしいとは思わなかった。
夫人はそんなシェリーに不快感を持ったようで、かすかに眉間をすがめた。
「……デューイが言っていたけれど、あなたは本当に変わってしまったようね」
「そうでしょうか? 自分ではそう思いませんが……」
シェリーが自分の言葉に同意しなかったので、夫人はますます不愉快そうな表情になる。
「デューイに婚約破棄されてふてくされてるのよね? しょうがないわよ。こんなにかわいげがないんだもの、デューイがあなたを好きになるはずがないわ」
夫人がさらに何か言おうと口を開いたとき、ちょうどお茶が運ばれてきて、彼女の注意はそちらに移った。侯爵夫人の口もとにはふたたび笑みが浮かぶ。
シェリーは目の前に運ばれてきたティーセットをながめた。
カヴァデール商会の茶器が並んでいる。見慣れた陶器のスプーンに、二つ用意されたティーポット……。
いつの頃からか、ティーポットは二つ用意されるようになっていた。
ハーパー侯爵夫人はシェリーと茶葉の好みが違うからと言っていたが、シェリーは特に茶葉の好みを告げたことはなかった。
ただ、出されたお茶の感想を問われて、おいしいと答えたその日から、ティーポットが分けられるようになったのだった。
夫人の侍女がそれぞれのティーポットで二人のカップに紅茶をそそぐ。
「さあ、どうぞ」
侯爵夫人は機嫌良くシェリーにお茶をすすめた。
「ありがとうございます。侯爵夫人」
シェリーはお礼を言ったが、カップに手をつけなかった。
夫人はしばらく黙っていたが、みるみるうちに険悪な表情になる。
「なぜ飲まないの? 私の出したお茶が飲めないとでも言うの?」
シェリーは夫人を見つめて言った。
「侯爵夫人、失礼いたします」
自分のポーチに手を伸ばすと、中からハンカチに包まれたものを取り出した。
夫人の前でハンカチを外すと、銀のスプーンが姿をあらわした。
一点の曇りもなく輝いている。
「こちらを使わせていただきます」
シェリーの顔の前にかかげられたそれをみて、ハーパー侯爵夫人は大きく目を見開く。
シェリーは彼女にかまわず、銀のスプーンを紅茶に浸すと、ゆっくりとかき混ぜた。
——やっぱり……。
しばらくしてお茶から引き上げると、シェリーの手のなかで、銀のスプーンはすっかり輝きを失い、鈍い黒色を帯びていた。
「……ずっと私に毒を盛っていたのですね?」
シェリーは夫人を正面から見据えてゆっくりと告げた。
シェリーの眼前で侯爵夫人の顔は歪んでいき、おそろしい形相になっていく。
ふいに腕を振り上げた——
——ガシャーン!!
侯爵夫人はテーブルの上に載っていた食器を勢いよく払い落とした。
シェリーは驚いて椅子から立ちあがり、夫人から距離を取った。
「舐めたまねしてくれるわね……。お前はもう二度と家に帰れないわよ」
夫人は嘲笑いながら言った。
「この屋敷の主人は私なのよ。使用人たちに命じればお前の死体なんて簡単に隠せる。愚かな真似をしたものね」
シェリーは夫人の背後の侍女に目をやると、侍女の顔には何の表情も浮かんでいない。モノを見るような目でシェリーを見ている。
そんな女たちに対して、シェリーはひとりだった。
シェリーは平静な表情のままハーパー侯爵夫人に告げる。
「私が今日ハーパー侯爵邸を訪ねることを、家のものは皆知っています。私に何かあれば侯爵夫人に疑いの目がむくのは間違いないでしょう」
夫人の目に狂気の色が宿る。
「本当にむかつく小娘ね。いつもいつも、すました顔で冷静ぶって……」
つぶやくと、ゆっくり立ち上がる。
「お前のような娘がデューイの婚約者なんて許せないわ」
シェリーはもう婚約者ではないと言いたかったが、内密にする約束をしているため、ぐっと堪えてたずねた。
「なぜですか? 私が似ているからですか? 前のハーパー侯爵夫人……プリシラ様に」
言い終わった瞬間、昼間とは思えないほど薄暗くなった部屋に、するどい光が差し込んだ。
間をおかずに轟音が鳴り響くと、激しい雨が降り始めた。
毎月定例のお茶会に参加するためである。
おそらく今日がハーパー侯爵夫人との最後のお茶会になるだろう。
今にも雨が降り出しそうな曇天のもと、侍女を連れずにシェリーはひとり歩む。
ハーパー侯爵夫人と対面することに、もうおそれはなかった。
侯爵邸の美しく手入れされた庭に面した部屋に通される。
ハーパー侯爵夫人はすでに座ってシェリーを待っていた。
デューイと同じ燃えるような赤毛を高く結い上げ、耳には瞳と同じ色の大ぶりなエメラルドのイヤリングをしている。
息子の婚約者とのお茶会をする場には過剰なほどの豪華な衣装を身にまとい、いつも通りの隙のない貴婦人ぶりだった。
部屋に入ってきたシェリーを見ると、夫人の紅い唇が弧を描いた。
「良く来たわね」
シェリーは一瞬ぞっとしたが、顔には何の表情も浮かべずにあいさつする。
「ハーパー侯爵夫人、ご無沙汰しております」
「座ってちょうだい」
シェリーはうながされて、夫人の目の前の席に座ると、香水の強烈なにおいが漂ってくる。
シェリーは夫人から目をそむけなかった。夫人の目には蔑むような笑みが宿っていたが、おそろしいとは思わなかった。
夫人はそんなシェリーに不快感を持ったようで、かすかに眉間をすがめた。
「……デューイが言っていたけれど、あなたは本当に変わってしまったようね」
「そうでしょうか? 自分ではそう思いませんが……」
シェリーが自分の言葉に同意しなかったので、夫人はますます不愉快そうな表情になる。
「デューイに婚約破棄されてふてくされてるのよね? しょうがないわよ。こんなにかわいげがないんだもの、デューイがあなたを好きになるはずがないわ」
夫人がさらに何か言おうと口を開いたとき、ちょうどお茶が運ばれてきて、彼女の注意はそちらに移った。侯爵夫人の口もとにはふたたび笑みが浮かぶ。
シェリーは目の前に運ばれてきたティーセットをながめた。
カヴァデール商会の茶器が並んでいる。見慣れた陶器のスプーンに、二つ用意されたティーポット……。
いつの頃からか、ティーポットは二つ用意されるようになっていた。
ハーパー侯爵夫人はシェリーと茶葉の好みが違うからと言っていたが、シェリーは特に茶葉の好みを告げたことはなかった。
ただ、出されたお茶の感想を問われて、おいしいと答えたその日から、ティーポットが分けられるようになったのだった。
夫人の侍女がそれぞれのティーポットで二人のカップに紅茶をそそぐ。
「さあ、どうぞ」
侯爵夫人は機嫌良くシェリーにお茶をすすめた。
「ありがとうございます。侯爵夫人」
シェリーはお礼を言ったが、カップに手をつけなかった。
夫人はしばらく黙っていたが、みるみるうちに険悪な表情になる。
「なぜ飲まないの? 私の出したお茶が飲めないとでも言うの?」
シェリーは夫人を見つめて言った。
「侯爵夫人、失礼いたします」
自分のポーチに手を伸ばすと、中からハンカチに包まれたものを取り出した。
夫人の前でハンカチを外すと、銀のスプーンが姿をあらわした。
一点の曇りもなく輝いている。
「こちらを使わせていただきます」
シェリーの顔の前にかかげられたそれをみて、ハーパー侯爵夫人は大きく目を見開く。
シェリーは彼女にかまわず、銀のスプーンを紅茶に浸すと、ゆっくりとかき混ぜた。
——やっぱり……。
しばらくしてお茶から引き上げると、シェリーの手のなかで、銀のスプーンはすっかり輝きを失い、鈍い黒色を帯びていた。
「……ずっと私に毒を盛っていたのですね?」
シェリーは夫人を正面から見据えてゆっくりと告げた。
シェリーの眼前で侯爵夫人の顔は歪んでいき、おそろしい形相になっていく。
ふいに腕を振り上げた——
——ガシャーン!!
侯爵夫人はテーブルの上に載っていた食器を勢いよく払い落とした。
シェリーは驚いて椅子から立ちあがり、夫人から距離を取った。
「舐めたまねしてくれるわね……。お前はもう二度と家に帰れないわよ」
夫人は嘲笑いながら言った。
「この屋敷の主人は私なのよ。使用人たちに命じればお前の死体なんて簡単に隠せる。愚かな真似をしたものね」
シェリーは夫人の背後の侍女に目をやると、侍女の顔には何の表情も浮かんでいない。モノを見るような目でシェリーを見ている。
そんな女たちに対して、シェリーはひとりだった。
シェリーは平静な表情のままハーパー侯爵夫人に告げる。
「私が今日ハーパー侯爵邸を訪ねることを、家のものは皆知っています。私に何かあれば侯爵夫人に疑いの目がむくのは間違いないでしょう」
夫人の目に狂気の色が宿る。
「本当にむかつく小娘ね。いつもいつも、すました顔で冷静ぶって……」
つぶやくと、ゆっくり立ち上がる。
「お前のような娘がデューイの婚約者なんて許せないわ」
シェリーはもう婚約者ではないと言いたかったが、内密にする約束をしているため、ぐっと堪えてたずねた。
「なぜですか? 私が似ているからですか? 前のハーパー侯爵夫人……プリシラ様に」
言い終わった瞬間、昼間とは思えないほど薄暗くなった部屋に、するどい光が差し込んだ。
間をおかずに轟音が鳴り響くと、激しい雨が降り始めた。
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