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極大暗黒十字

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 空を覆うほどの巨体を誇るロキを今もギリギリと締め上げるヨルムンガンド。
あれほどの大きさの魔物がその背をさらし、日常の風景の中に溶け込んでいたなんて。
誰が国のどこからでも見ることのできる山脈が魔物だなんて想像できただろうか。

 ニーズヘッグをヨルムンガンドと勘違いした俺に、ヘルはこんなに矮小わいしょうなはずかないと笑っていたのを思い出した。
山のいただきを思わせたニーズヘッグすら、壮大な山脈そのものだったヨルムンガンドと比較すれば遥かに劣るだろう。

 いつか光の怪鳥を追ってその山肌を飛んだときに見た連なった大きな岩は文字通り大蛇の鱗。
いつもあの山を見たとき、不穏な気配を感じていた原因がようやく分かった。

ヨルムンガンド あの子 にが私の願いに応じて動いてくれました。ですが長くはちません」

 着地した俺の前に現れたのはアンさん──の複製体か。
大きさは俺の知るアンさんと同じだけど、灰色の肌をしたその姿は巨人の時の姿そっくりだ。

 見上げたヨルムンガンドは確かにダメージを負っていて。
あのロキのブレスを身体1つで封じ込めているんだ。
受けるダメージは計り知れない。
今も体表を覆う岩のような鱗群に亀裂が走り、ボロボロと崩れ落ちていた。
強くロキを締め上げるほどにヨルムンガンド自身の身体にも大きな亀裂が走る。

 俺はヨルムンガンドの身体から滴る闇に視線を移した。
液体のように流れ落ちる闇。

 大地を巡る闇の供給源は2つあった。
1つが聖堂都市の地下から。
もう1つが山脈──ヨルムンガンドからだ。

 フェンリル、ヘル、そしてヨルムンガンド。
魔物の将は自ら闇を生み出す能力を備えていた。

「アンさん。ヨルムンガンドに頼んで、俺に闇を供給してもらうことはできますか」

 ロキをほふるのに必要な闇の量は莫大だ。
空間から集めていたんじゃ間に合わない。
だけどヨルムンガンドの闇の供給を受ければ一気に闇の総量と供給速度が上がる。

 アンさんがヨルムンガンドの方へと顔を向けた。
視線をたどると大蛇の頭に人影。
本来の姿と大きさのアンさんの姿があるけど、あれもおそらく複製体だ。
いでヨルムンガンドが俺の方へと視線を向けた。
縦長の瞳が細く鋭くなって俺に焦点を合わせる。

「……こたえてくれました」

 アンさんが言った。

 ドロドロとヨルムンガンドの体から闇が滴り落ち、俺のもとへと流れてくる。

 アンさんが巨人の腕を生み出した。
俺を空高くへと運んでいく。

 そして渦を描いて俺へと集まる闇。
さらに無数の巨人の腕が闇をすくい上げて俺へと差し出す。

 俺はそれらの闇をクレイモアに絡ませて。
頭上で十字剣を旋回させ、闇をまとわせていく。

 時間を稼ぎ、俺に闇を貸してくれたヨルムンガンド。
だけどついにその拘束をロキに破られた。
身体に走る深い亀裂に沿ってその胴がちぎれ、ロキに振り払われる。

 横たわるヨルムンガンドの頭に巨人のアンさんが優しく寄り添っていた。

 闇の供給が、止まる。
俺は集めた闇によって形作られた刃を見上げた。
天へと掲げたその剣は俺の身の丈を大きく超えていて。
剣身けんしんにとどまらない闇が剣の輪郭りんかくをなぞって十字を描き、激しく逆巻さかまいている。

 ロキは再び俺を捉えた。
闇を集めて再びブレスの構え。

 俺は巨人の手を蹴って跳躍。
闇によって飛翔し、ロキへと向かっていく。

 振りかぶる暗黒剣。
対して口腔こうくうから溢れ出す闇の奔流ほんりゅう

 暗黒の斬撃とブレスが衝突した。
俺の闇の方が密度は上。
ロキのブレスは俺の闇の刃に触れた先から幾重にも拡散して闇の流線を描き、後方へと流れていく。

「このまま……押し切る!」

 俺はクレイモアを握る手に力を込めて。
ロキへとまっすぐに向かっていく。

「…………」

 向かっていく。

「…………っ」

 向かっていく。

「……くそ」

 向かって、いく。
だけど。

 俺は徐々に押し負け始めた。
闇の刃はロキをほふれるだけの力がある。
だけどロキのブレスの勢いに抗うだけの勢いが得られていない。
俺は闇を消耗して飛翔している。
周囲の空間から集めた闇だけじゃもう前に進めない。
押しきれない。

「っ……!」

 あとちょっと。
あとちょっと、なのに。

 腕が軋みを上げた。
折れたって構わない。
だからこの刃をあいつに……!

 だけど俺の思いとは裏腹になおも後退。

 その時。

『──────!!』 

 響き渡ったのは低い獣の咆哮ほうこう
いで俺の背中に小さな手が2つ添えられた。

「待たせたわね」

 赤い耳をピコピコと揺らし、勝ち気な瞳で俺を見上げる少女と。

「あ、あの……その…………ふぇーん」

 青い耳をぺたんと垂らし、困ったような泣きそうな目で俺をうかがう少女。

「スコル、何泣いてんのよ」

「だってハティちゃん、わたし、わたし……!」

「ふん。どうせこいつは気にしてないわよ。ね? そうでしょ?」

 ハティがじろりと俺をにらんだ。
だけど俺はその質問の意味が分からない。

「ふぇーん。やっぱり怒ってるよ、ハティちゃん」

 俺の答えがないためにスコルがわんわんと泣き出してしまう。

「はぁ? サイッテー。まだ怒ってんの? あんたはそういうのすぐ水に流すタイプだと思ってた」

「待ってハティ」

「バカアホドジマヌケ」

「いや、だから」

「バカアホドジマヌケ」

「ハティってば」

「バカアホドジマヌケ」

 もはや呪文か何かか。
相変わらず語彙ごいのない罵倒ばとうを連ねるハティは聞く耳を持ってくれない。

「待ってって!」

 俺はロキのブレスに押し負けそうになりながら声を張り上げる。

「質問の意図が分からないんだ。気にしてる? 怒ってるってなに?」

「…………え」

 スコルが顔を上げた。
涙に濡れた瞳で俺を見つめる。

「だ、だだって……わた、し悪い子だった、から。わたし……わたし」

 またぼろぼろと泣き始めてしまうスコル。

 ああ、そういうことか。
俺はようやく意味を察して。
つまりスコルはフェンリルの影に飲まれた事を気にしてるんだ。

「気にしてないよ」

 俺はスコルに言った。

「ほ、ほんとに……?」

「ああ!」

「そっか」

 スコルが再び顔を伏せた。
だけど口許くちもとに小さな笑み。
いで顔を上げると、そこにはもう悲しげな表情はない。

「変態さん──ううん、リヒト。わたし、ハティちゃんと一緒に頑張る!」

 そう言ってハティを横目見たスコル。
ハティが視線に返すと、俺の背中を片手で支えながら2人は握り合っていた手を空にかざした。

「いくよ! スコル」

「うん、ハティちゃん!」

 2人から黒い闇が立ち上ぼり、2つの闇が1つに溶け込む。

 その闇は巨大な狼に。
いで女性の影へと変わった。
肌は深い闇色のまま。
だけどその長い髪と尾は銀色に染まり、闇の中にあってもギラギラと輝いて。
その左右の瞳には赤と青の炎が灯る。

 その影は子供のハティとスコルよりもいくぶん成長した少女の肢体で。
彼女が両腕を広げると、膨大な闇が溢れ出して俺に力を与える。

 ────いわく膨大な闇を作り出し、大地を黒く染めしモノ。

 これは……フェンリルの能力だ!

 凄まじい量の闇を得て。
俺は徐々に。
そして少しずつ勢いを増してロキのブレスを押し込んでいく。

『…………ォォォオオオ』

 だけど遮られた視界の先からは低いうなり。
いで激しい衝撃。

 2つ目のブレスだ。
2つの闇のブレスを受けて再び、そしてかなりの勢いで押し戻されていく。

「まだ、だ! みん────」

 みんな、俺に力を貸して、と。
俺が命令権を使うよりも早く。

「リヒト!」

 俺の背中を支える手がさらに2つ。
激しい闇の蒸気と青の炎を噴き出し、アイゼンが俺の背を押してくれていた。

 さらに足下に硬い感触。
見ると白く染まった魔物の骸が道を作り、ロキへと伸びていた。
ビショップアーキテクトだ。
足場があれば踏ん張りが効く。

 さらにロードナイトがクレイモアを握る俺の手にその小さな手を重ねた。
一歩ロードナイトが踏み出す度に前へ前へと進んでいける。

 いで重くなる刃。
見ると『千剣ソード』による闇の刃が幾重にも束ねられ、クレイモアをさらに巨大なものにしている。

「リヒトん! いっけぇー!!」

 そして彼女の声援が俺に届いた。
確かに聞こえた。
俺を信じてくれるその声がまた、俺に力をくれる。
 
 もう俺の──俺達の歩みを止めることはロキにはできない。

 ついに俺達は暗黒の刃の射程にロキを捉えた。

 俺はロキ目掛けて長大な刃を横に。

「これで────」

 さらに縦に振るう。

 刻まれた十字。
だけどこの2擊は闇を奪う斬擊。

「終わりだっ!!」

 俺はさらに闇の十字が描く交点にその刃を突き立てた。
闇を解き放ち、描かれた十字をなぞって闇が拡散して。
それは極大の闇の斬擊。
地上に現れた暗黒の極星となる。

「『無へと還せ、闇より仰ぎて深淵の星ディセント・アナイアレイション』」
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