松澤

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小さな石を拾った。



口に含んで吐き出す。石は光を反射して虹色の艶が小さく端端に光る。

周りのコンクリがじわりと黒くなって、一緒に吐き出された唾の泡がはっきりと見えた。
舌のざらつきが気になって気持ち悪さを覚えて周りを見渡す。



水は。



ソフトクリーム屋が目に入り、ポケットに入ってた小銭を確認して走る。
店先に日に焼けて白っぽくくすんだプラスチックのソフトクリームがあった。溝にべたついた埃が溜まっていたが無視して、店主にミルクソフト一つと声を掛ける。

年のいったおばさんが、300円、と言ってコーンをビニールから取り出した。口元に糸が引いていたのを見て、いらないです。と声をかけてお金をテーブルに置いて再び外にでた。

やっぱり無性に口の中が気持ち悪くて胃までむかついてきた。指三本、喉の奥まで入れて押す。

胃が大きく跳ねるのを感じてえづき、大量の唾液が出てきて、口の端からこぼれそうなのを指でぬぐい、口に戻す。唾をマンホールの小さな穴目掛けて飛ばした。多くは綺麗に、穴の中に吸い込まれた。目の奥が急速に縮まる感覚がして、慌てて家に戻る。


蛇口から直接、頭に水をかけて、犬のように首を振る。銀色の無機質なシンクに、ビタビタと大げさな音を立てて水が落ちていく。

そのまま、足を窓から漏れる日に当てて寝転ぶ。
冷房はつけなかった。

空気が一瞬停滞して、次に自分と一緒に霧散していった。


遠くのビルが空に溶け込んだと思ったら、やけに立体的な輪郭のはっきりとした雲が1.5倍速で流れていくのがビルの後ろで見えた。
太陽光が直に目を灼く。

目が眩んで、閉じて、再び開けたらビルの縦長の緑がかったシルエットが天井に映し出されたのを見た。起き上がりながら、視界の真ん中にビルのシルエットを認めつつ、机に置いてあった水の半分残った500mlのペットボトル手に取り、水を口に含み音をたてて飲み込んだ。
やっと落ち着いて、さっきまで1センチほどせり上がってた気がしてた全部の臓器が元の場所にストンと落ちた。


急激に眠くなり、今朝起きたままの形になっているベッドのタオルケットを引っ張り、ソファに寝転ぶ。背中を丸め蹲るようにして、うつらうつら眠りに落ちた。

腰のあたりに当たる日が暖かだった。
どうしようもなかった。







夢を見た。
家族で行った海。


鼠色の空に、鈍い黒の海。雲のせいで拡散された光は、うっすら明るいような暗いような光で海全体をぼんやりと照らしていた。空がやけに近く感じた。

足元に影が落ちず、実体感がなかった。

自分をそこに実体として繋ぎ止めてくれたのは、湿った雨のような匂いと、海の匂いと、時折、足の甲を撫でていく水。


風が水平線の向こう側から巻き上がったと思ったら、次の瞬間には正面衝突してきて髪が風の音とともに激しくはためいた。
髪が目に入りそうになって目を細めるが、うっすら開いた口には髪が入り、よだれの糸が引いて、口の周りがベロベロに濡れる。
鼻腔に腐った海藻と魚の匂いがぶわっと広がって、喉まで登ってきた胃液が塩辛く喉を灼く。


母親が歩いてきて、寒いっていたじゃない、と言いながらカーディガンを肩にかけ、手を引かれながら波打ち際から離れる。寒くないってば、と言いながら砂の生温かさと母の手の柔らかさに安心した気がした。

カーディガンに顔を埋め家族の匂いを嗅ぐ。さっきのよだれと鼻水がついて気持ちが沈む。

乾かそうとして袖の端を摘んで腕をブンブン振って、カーディガンを風に踊らせた。

母が振り返って、何やってるの!という。
え、と言った瞬間、手からカーディガンが滑り抜けて飛んで、さっきいた波打ち際に落ちる。
海水に引っ張られながら、砂にくっついて伸びたり縮んだりを繰り返すのが見えた。

遠目から見れば波に打ち上げれたエイの死体に見えた。



母が走っていって重くなったカーディガンを汚い犬の首根っこを掴むようにして拾った。遠くて顔は良く見えなかったが、きっと僕を睨んでいた。


そう思って目を伏せたんも束の間、海に並行になるようにして走り出した。
砂に足がもつれて転ぶ。
戻ってきた母が私を見下ろしてバカ!と言う。風が強いんだからちゃんと持たなきゃ飛ばされるに決まっているでしょう。やると思った。と言う。


母はもうずっと遠くを歩いていた。


脳みそがぎゅうと音を立てて、ひとまわり小さくなる感覚がして涙がでた。

足に当たる冷たい水が心地よかった。







目覚めると、空はもう暗くなり始めていた。

排ガスの匂いを巻き込んだぬるい風が体にまとわりついて、寝汗と一緒になってベタついた。



シャワーを浴びて、汗を流す。シャワーを止めて、髪から足元に点々と滴り落ちる水を見つめる。

親指の爪と皮膚の間に水が落ちたのを見て、首を上げる。背中はもうすっかり乾ききっていた。
鏡の曇りを拭いて自分の顔見つめる。乾いた背中に髪から水が落ちる。


伸びた襟足を見つめて、髪を切らなければ、と思う。



なんのために?なぜ切らなければいけない?



彼女が家から出ていって4ヶ月、仕事を投げ出して一年が経っていた。

もう、貯金も底をつく。

日が沈みかけたのを見届けて濡れた髪のまま眠った。







次の日、朝の4時に目覚める。


髪を切りに行こうと思った。去年彼女が誕生日に買ってくれたハーフパンツと、シワが少ないTシャツを着て、大学の頃、バイトのお金を貯めて買ったこだわりのサンドルを引っ掛ける。
少しまともな人間になれた気がした。


玄関を開けると、隣のビルに反射した太陽が眩しかった。影が真横に伸びていく。光の粒子が、廊下の塀の淵に溜まってさんざめく。

希望の光だ。と擦り倒されて色あせた言葉が脳裏によぎって、すぐに縮んでいった。

失敗してクシャクシャになったプラ板に描かれたピカチュウ。
輪郭と目の黒色がやけにくっきりして不気味だった。
あれから2度とプラバンはやらなかった。
あの時余ってしまったプラバンはまだ、実家の本棚に挟まったまんまだろう。





朝早いというのに、電車には人がそこそこ乗っていた。

サラリーマン、オール明けであろう大学生、ヨレヨレのTシャツを着たおばさん。おばさんはなんで、わざわざこんな時間に電車に乗っているのだろう。とても働きに行く格好と思えなかった。おばさんが俺を睨み返してくる。

こんな時間に、アラサーのニートが電車に乗っているのも大概変だと気づいて笑えてきた。
そうか、俺は横にいるリーマンとは別の人間なのか。
少しの優越感が胃の底にたまる。すぐにそれは劣等感に変わって、全身を圧迫するようにして襲ってくる。目的地まで電車に乗れず、途中駅で降りる。日焼けて白茶けた粉のふくプラスティックのベンチに腰を収める。


ソープの時代遅れのネオンが見えた道を見れば、建物の影から人々が出勤する姿が見えた。
魚の卵が孵化して稚魚が生まれていくようだった。


街が起きたのを実感して、眠りたくなる。







ホームに立つリクルートスーツに身を包んだ、背筋の伸びる女子大生。引っ詰めにした髪の毛先は少し色が落ちて茶色がキンキンと日に光る。眩しかった。
不意に彼女が振り返って目があう。解像度が跳ね上がる。まつ毛も瞳孔も日に透けてるのが見える気がした。
電車がきて、そのまま彼女は満員の中に吸い込まれて、もう誰が誰だかわからなくなってしまった。



いつの間にか、拳に力が入っていたことを自覚して、ゆっくりと広げていく。


指先の白さと手のひらの赤さの激しいコントラストが収まって均一になっていくのを眺める。












あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!












別に声に出しても構わないのだけど。

今更。








清潔なスーツに身を包んだ会社員が綺麗に整列して下っていくエスカレータに乗った時にいつも、突発的に叫びたくなる衝動に駆られていた。

ここで叫んだら、どうなってしまうんだろう。全部投げ出せるような気がして、うっすらと湧いてくる期待感にときめいていた。

そう思い始めるようになって一年半がたったとき、現実と妄想の境界が限りなく曖昧になっていた。





瞬間、駅構内に反響する一切の音が消えた。対向して登って行くエスカレータの人の怯えと侮蔑の表情。やたらリアルな表情だなぁ、と感じてしまうほどには、その状況に現実味はなかった。
駅構内に徐々に音が戻っていく。
ひとつひとつの音が粒立って耳に響く。
一種、秩序やルールさえ感じさせるように丁寧に音が交錯していく中で、どこか不安定な綻びがちらついていた。それを真っ二つに破るように、駅員が何か大声で言いながら走ってくる音を認めた瞬間。

突如押し寄せた現実感に全身の毛穴が一気に開き嫌な汗が出てきた。脇から肘の裏に冷たい汗が一筋伝ったのを感じて、エスカレータを駆け下り、乗り換えるはずだった地下鉄を見送り、逆の出口の階段まで走った。
ロータリーに止まっていたタクシーに飛び乗る。

1 2 3 456789 10

後ろを振り返れば、頭を掻いている駅員が小さくなっていくのが見えた。

深く腰掛け直したもの、むず痒い居心地は治らなくて、心臓の気忙しい音がやたらと耳に響いていた。どうにかなりそうだった。



なぜか、小さい頃に父と入った湯船が少しちらついて泣けた。

そのあとは、よく覚えていない。









やっぱり幻想は幻想にすぎなくて、期待を上回ることもなかった。


想像していたことの予定調和にすらならなかった。
どこからどこまで妄想だったのか。


ただひとつ言えるのは、何も変わらなかったということ。

3日後に会社を辞めた。







毎日、思考がいたちごっこして1日はすぐにすぎていった。
その日々が積み重なるわけでもなく、一年が経っていた。

瞬きの間と一年、きっと大して変わらないと思えるほど。










目を固くつむる。
















だいぶ、時間が過ぎていたらしい。さっきのリクルートスーツの女子大生が、電車から降りてくるのが見えた。線路を挟んで再び目があった。
電車が目の前を通り過ぎる。通り過ぎた頃には、もう彼女はいなくなっていた。


やっと腰を上げる。やっぱり髪を切りに行こう、と思った。
どうせなら金髪にしてみようか、いや緑もいいな、なんて思った。




どうとでもなれ、と思ったし、たぶん、どうとでもなれるだろう、と思った。





少し俯き加減で、踏み潰されて真っ黒になったガムを見ながら、掠れるような小さな音で鼻歌を口ずさんだ。


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