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第5章 祭りの日
祭りの日(2)
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二郎叔父が私の頭に手を置き、
強く前に倒した。
下を向いていなきゃ駄目だ!
といつになく厳しい口調で叱られた。
しばらく馬の蹄と
黒い漆塗りや白足袋や草鞋の足を見ていた。
悪いことをしてしまったと思い、
落ち込んでいた。
二郎叔父が今度は優しい声で、
もういいよ!
と囁く。
顔を上げると皆立ち上がっている。
手を合わせて、
馬のお尻を眺めている。
私も真似して手を合わせて、
馬の尻尾の揺れを目で追う。
私は、
偉い宮司さんが通るからこうしているの?
と尋ねた、
二郎叔父が答えた。
「偉いのはお稚児さんだよ」
人垣の中で浮き上がったような、
端麗な面立ちが目に飛び込んできた。
良子だった。
紺のマント型のコートから
象牙色の顔と手を出している。
両手を揃えて、
上目遣いで、
夢見るような瞳で息子の晴れ姿を仰いでいる。
母が性懲りなく、
めそめそしだした。
二郎叔父が口を開いた。
「十二年祭の稚児は雲が足元に見える山道を下へ、
下へと歩みを進める。
森の中の獣道のような狭い道を下っていく。
本殿も、
拝殿も抜け、
石段を延々と降りていく。
鳥居をくぐり町内を練り歩く。
氏子達に崇め奉られながら、
浜辺へ出る。
朱塗りの極楽船に乗り込み、
沖に出る。
浜辺では爆竹が鳴り、
稚児の出立を祝う。
船の提灯が夜の海を照らし渡す。
島を越えて、
水平線に向かって船は進む。
その後どうなると思いますか?」
「それでお祭りは終わりでしょ?
お稚児さんは、
お着物とお化粧を取って普通の男の子に戻り、
翌朝には、
浜に帰ってくるわ」
「今はそうですけど、
元禄の頃まではこうだったんです。
甲板から見える島が小さくなり、
辺りが白みだしたら、
お付き達は極楽船から降り、
小船に乗って浜辺に戻りました。
極楽船とお稚児さんはそのままで」
「じゃあ、お稚児さんはどうなってしまうの?」
「そのまま海を漂って、
そのうち餓死して、
最後には海鳥の餌になったんじゃないでしょうか?」
母が絶句した。
「そんなのに、
スグル君がならなくて、
かえって良かったじゃないですか!」
父がうん二郎の言うとおりだと、
と深く頷いた。
小虎を乗せた馬は坂の曲がり角で、
私の視界から姿を消した。
行列のお尻の五人囃子のような男達が、
篳篥(ひちりき)や鼓や太鼓を奏でる。
人々はもう手を合わせてはいなかった。
先刻のように、
ガヤガヤワイワイと祭りを楽しんでいる。
半分ぐらいの人は手袋を嵌めている。
二郎叔父がスグル君、
疲れた?
と聞く。
私は首を縦に振った。
二郎叔父はジーパンの足を折り曲げて腰を落とす。
足を彼の肩にかけると、
視線が高くなった。
父がスグル!
いいなあ!
叔父さんが肩車してくれるなんて!
と羨ましがった。
足元に黒や白の髪の毛や、
色とりどりの毛糸の帽子が並んでいる。
私達は浜辺で、
お稚児さんの門出を祝福するために、
稚児行列を追う形で坂道を下った。
坂道の両脇に隙間無く並んだ、
カラフルな屋根の中に、
ひよこという黄色いポップ体が見えた。
私はひよこを欲しがった。
母が、
ママは嫌よ!
きっとすぐ死んじゃって、
スグルちゃん泣くんだから、
と眉をハの字に、
口をヘの字にする。
父がいいじゃないか?
十二年に一度のお祭りなんだから!
鶏になったら皆で鳥鍋しよう!
と笑う。
叔父が、私を肩に乗せたまま、
人ごみを掻き分けて、
ひよこ屋に向かう。
あと少しでたどりつくという時だった。
あたりが尋常でなく、
ざわつきだした。
肩車の上にいた私は、
その場にいたどんな大人よりも、
その光景をよく見ていたのかもしれない。
ガードレールの下、
池を囲うように生えた松並木が黒々と不気味だった。
松並木の合間に、
白い馬がいた。
馬は踊るように暴れ狂っている。
馬が飛び跳ねているのは、
崖の間際だった。
少しでも足を踏み外せば、
下の池に真っ逆さまになるような場所だった。
馬の上には、
古代の貴人の童子のような格好をした小さな人がいた。
小虎と馬の周りには誰もいない。
馬の動きにあわせて、
小虎はまるで紙の人形のように、
びらんびらんと振り回されている。
馬が飛び上がる。
馬が黒い空にほんの一瞬、
月のように浮遊した。
鼓膜を破るほどの水しぶきの音がした。
皆が、
ドミノ倒しのように、
ガードレールの下を見下ろす。
紺碧の水面が
幾万の波紋で埋め尽くされてる。
強く前に倒した。
下を向いていなきゃ駄目だ!
といつになく厳しい口調で叱られた。
しばらく馬の蹄と
黒い漆塗りや白足袋や草鞋の足を見ていた。
悪いことをしてしまったと思い、
落ち込んでいた。
二郎叔父が今度は優しい声で、
もういいよ!
と囁く。
顔を上げると皆立ち上がっている。
手を合わせて、
馬のお尻を眺めている。
私も真似して手を合わせて、
馬の尻尾の揺れを目で追う。
私は、
偉い宮司さんが通るからこうしているの?
と尋ねた、
二郎叔父が答えた。
「偉いのはお稚児さんだよ」
人垣の中で浮き上がったような、
端麗な面立ちが目に飛び込んできた。
良子だった。
紺のマント型のコートから
象牙色の顔と手を出している。
両手を揃えて、
上目遣いで、
夢見るような瞳で息子の晴れ姿を仰いでいる。
母が性懲りなく、
めそめそしだした。
二郎叔父が口を開いた。
「十二年祭の稚児は雲が足元に見える山道を下へ、
下へと歩みを進める。
森の中の獣道のような狭い道を下っていく。
本殿も、
拝殿も抜け、
石段を延々と降りていく。
鳥居をくぐり町内を練り歩く。
氏子達に崇め奉られながら、
浜辺へ出る。
朱塗りの極楽船に乗り込み、
沖に出る。
浜辺では爆竹が鳴り、
稚児の出立を祝う。
船の提灯が夜の海を照らし渡す。
島を越えて、
水平線に向かって船は進む。
その後どうなると思いますか?」
「それでお祭りは終わりでしょ?
お稚児さんは、
お着物とお化粧を取って普通の男の子に戻り、
翌朝には、
浜に帰ってくるわ」
「今はそうですけど、
元禄の頃まではこうだったんです。
甲板から見える島が小さくなり、
辺りが白みだしたら、
お付き達は極楽船から降り、
小船に乗って浜辺に戻りました。
極楽船とお稚児さんはそのままで」
「じゃあ、お稚児さんはどうなってしまうの?」
「そのまま海を漂って、
そのうち餓死して、
最後には海鳥の餌になったんじゃないでしょうか?」
母が絶句した。
「そんなのに、
スグル君がならなくて、
かえって良かったじゃないですか!」
父がうん二郎の言うとおりだと、
と深く頷いた。
小虎を乗せた馬は坂の曲がり角で、
私の視界から姿を消した。
行列のお尻の五人囃子のような男達が、
篳篥(ひちりき)や鼓や太鼓を奏でる。
人々はもう手を合わせてはいなかった。
先刻のように、
ガヤガヤワイワイと祭りを楽しんでいる。
半分ぐらいの人は手袋を嵌めている。
二郎叔父がスグル君、
疲れた?
と聞く。
私は首を縦に振った。
二郎叔父はジーパンの足を折り曲げて腰を落とす。
足を彼の肩にかけると、
視線が高くなった。
父がスグル!
いいなあ!
叔父さんが肩車してくれるなんて!
と羨ましがった。
足元に黒や白の髪の毛や、
色とりどりの毛糸の帽子が並んでいる。
私達は浜辺で、
お稚児さんの門出を祝福するために、
稚児行列を追う形で坂道を下った。
坂道の両脇に隙間無く並んだ、
カラフルな屋根の中に、
ひよこという黄色いポップ体が見えた。
私はひよこを欲しがった。
母が、
ママは嫌よ!
きっとすぐ死んじゃって、
スグルちゃん泣くんだから、
と眉をハの字に、
口をヘの字にする。
父がいいじゃないか?
十二年に一度のお祭りなんだから!
鶏になったら皆で鳥鍋しよう!
と笑う。
叔父が、私を肩に乗せたまま、
人ごみを掻き分けて、
ひよこ屋に向かう。
あと少しでたどりつくという時だった。
あたりが尋常でなく、
ざわつきだした。
肩車の上にいた私は、
その場にいたどんな大人よりも、
その光景をよく見ていたのかもしれない。
ガードレールの下、
池を囲うように生えた松並木が黒々と不気味だった。
松並木の合間に、
白い馬がいた。
馬は踊るように暴れ狂っている。
馬が飛び跳ねているのは、
崖の間際だった。
少しでも足を踏み外せば、
下の池に真っ逆さまになるような場所だった。
馬の上には、
古代の貴人の童子のような格好をした小さな人がいた。
小虎と馬の周りには誰もいない。
馬の動きにあわせて、
小虎はまるで紙の人形のように、
びらんびらんと振り回されている。
馬が飛び上がる。
馬が黒い空にほんの一瞬、
月のように浮遊した。
鼓膜を破るほどの水しぶきの音がした。
皆が、
ドミノ倒しのように、
ガードレールの下を見下ろす。
紺碧の水面が
幾万の波紋で埋め尽くされてる。
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