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第4章

ふたたびクマソタケル邸に行ってみたところ……

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速く引き返せ引き返せ、
と暴れるコウス様を説き伏せて、
一旦拝み屋女の所に戻った。

沸かした湯に布を浸し絞ったもので、
桜色の張りのあるお肌をぬぐった後、
さっぱりとした亜麻のころもに着替えて差し上げた。

髪飾りをはずして、
お下げや髷を崩す。

黒いものがどさりとお背中に流れる。

ご婦人方がうらやみそうな、
あふれんばかりの御髪おぐしくしけずっていると、
目をつむって頭を前に垂れていらっしゃる。

丸い頭とほっそりとした肩を手で支える。

後頭部を丸太の枕に置き、
体を横たえさせる。

上から毛皮をかけて差し上げる。

毛皮から首から上だけだして、
目をつむったコウス様は姫君のような可憐さだった。

暗闇の中では赤い唇もただ黒っぽくしか見えなかったが、
ぬめりけのあるつやだけはよくわかった。

さっきの妄想のようにコウス様が本当は女で、
これがクマソ討伐ではなくて新婚旅行だったらどんなにいいのに!

その後すぐに昼間から働き通しだった、
くたくたの体を毛皮の下にうずめた。

獣皮の隙間からコウス様の白い顔を眺める。

若く美しい妻と一緒に寝ているような気がして、
ちょっと嬉しい。

晴れやかな心持になって目をつぶった。

しかし、
瞼を閉じるやいなや、
コウス様のいびきが始まった。

音が気になってなかなか寝付けない。

土砂降りの雨と、
いかづちのとどろきと、
狼の遠吠えを足して三乗をしたような轟音の中で、
何十遍も寝返りをしていた。

やっとうつらうつらしたところで、
コウス様が

「おい!
朝だぞ!」

戸の隙間から白い光が一筋差しこんでいる。

鶏が鳴いている。

でも昨日はあんなによく働いて遅く帰ってきたのだ。

「もう少し休みましょうよ」
とまた目を閉じると、
ならいい俺一人で行く!
と毛皮を蹴っ飛ばして疾風の如く戸の隙間から外に消えていかれた。

慌てて起き上がり、
コウス様を追いかける。

疾走していくコウス様の後姿を眼前に

「おーまちくださあああああい!」(お待ち下さい)

「まあたぬうう!」(待たぬ!)

コウス様の、
垂らしたままの長く豊かな御髪おぐしが、
宙に舞い上がっている。

「貴方を一人で行かせて何かあったらああ!
私が父上様に叱られまああす!」

私の目の前で、
いい加減に着た白い着物がはためいている。

私は風にあおられる長い髪と、
白い着物を眺めながら、
まあそのうち追いつくだろうと思った。

もともと私は、
コウス様の武術指南役として宮中に上がったのだ。

その頃の私は、
早駆けにおいてもコウス様には決して引けをとらなかった。

コウス様は次第に速度を落としていき、
最後にはよたよたと脚を引きずっていらした。

追いついたときにはコウス様は腰を下げ、
膝に両手を置いて、
肩で息をしておられた。

私は笑って、
「いつも申し上げていることですが、
丈夫ますらおのこたるもの、
もっと計画性を持たないとだめですよ!」
とコウス様のお顔を覗きこんだ。

袴は帯はなさらずに、
腰の辺りで布の両端をしばっているだけで、
かろうじて腰骨の辺りに引っかかっていた。

これが一番締めやすいとかおっしゃって、
五年以上前からご愛用の、
黄茶けたよれよれの下帯が覗いている。

上の着物は、
はおっただけで、
帯も何もしめていらっしゃらない。

まんなかにすっと線の走ったおなかや、
胸の肌が丸見えだった。

「それから、
これもいつも申し上げていることですが、
紳士たるもの、
もっと身だしなみに気をつけないといけませんよ」

コウス様は眉をしかめて、
鳶色の瞳をぎゅっと右上に移動させ、
私を睨んでおられた。

何もおっしゃらない。

ただただ荒い息の音だけが聞こえた。



☆彡★彡☆彡★彡☆彡★彡☆彡★彡



クマソタケルの館に着いた。





昨日とおおいに様子が違う。

門番や護衛たちが一人もいない。

大きな風呂敷包を下げた老若男女が、
門を出入りしている。

中には牛に荷物を背負わせ、
高見台の影から出てくるものもいた。

誰にも咎められずに、
正面から門をくぐる。

中では、
背の高い蔵から、
男達がぽんぽんと下に俵を放り投げている。

それを地面にいる男達が、
かき集めている。

「どうしよう!
どうしよう!」

聞き覚えのある声がして振り向くと、
昨晩私の将来を案じてくれて、
「女らしい杯の持ち方」を教えてくれた親切な女装の芸人がいた。

確か名前はマイヒコとかいったっけ。

今日は白いあっさりとした、
男の格好をしている。

細身で色白、
中性的な顔立ちのマイヒコの隣には、
色黒の厳つい顔立ちの男がいた。

頭からとんかちでうちつけたような体格だ。

その二人の周りには何人か男がいる。

一人だけ20代半ばぐらいの十人並みにはきれいな女がいた。

皆そろって

「どうしよう! どうしよう!」

としきりに言っている。

色黒のごつい男だけは、
何も言わずにひたすら舌打ちを続けている。

耳をそばだてていると

「どうしよう!
どうしよう!
これから俺達どうやって生きていけばよいのか?
1番のパトロンがいちどきに2人も死んでしまった。
門つけ専門のこじき芸人に戻るのか?
しかし一度贅沢の味を覚えた俺達に、
それが耐えられるか!?」

私はマイヒコに声をかけ、
    
あの……
何があったというのでしょうか?
と尋ねると、
マイヒコは

「何があったですって!? 
貴方はそれも知らずに、
ここに来たと言うのですか? 

昨晩クマソタケル様が二人揃って何者かに殺されていて、
それ以来大混乱ですよ! 
兵士達も召使達もまじめに仕事をしなくなって、
屋敷から財宝を盗み出して、
蔵から穀物を略奪しまくっているのです。

外からやってきて、
やりたいほうだいやっている人も多いようだけど、
貴方もその一人なのではないのですか? 
ところで貴方どこかで見た顔のような……」

マイヒコは私を穴の開くほど見つめた後、
最後に

「ま、きっと他人の空似なんでしょうね」

その後、
コウス様を指差して

「あ! 君! 
昨晩、女の格好をして、
クマソタケル様にずっとお酌をしていたでしょう!? 

怪しいと思っていたんだ! 
お米一俵の為に、
わざわざ女装してやってくるとも思えないし、
何が目的だったというのです!? 

まさか君、
昨晩の事件に何か関係あるんじゃ……」

と一騒ぎした所で猛獣の大群のような威圧感のある足音が近づいてきて、
砂埃がたった。

立ち並ぶ米蔵の影から、
黥面げいめんに螺旋状の癖のある髭の、
屈強そうなクマソの武人達が、
さめの大群の如く現れた。



武人達の登場とともに、
さっきまで、

「これも持ってけ!
どうせ皆ただなんだから」
「でも父ちゃんこれ以上背負ったら、
俺の脚が折れちゃうよ!」
とか

「これは俺のだ!」

「なんだ俺が先に見つけたんだぞ!
この泥棒!」

盗人ぬすっとなのはお前だっておんなじじゃないか!」

とかいう言葉が飛び交っていたのが急に静かになった。


あたりの人々は荷物から手を離して、
土下座をした。

中には、
略奪品をほっぽいて、
そろりそろりとカタツムリのように逃げていくものもいる。

クマソの武人達のなかには、
ついこの間、私達と刃を交えたばかりの、
見覚えのある顔もある。

私とコウス様は武人達の行列の後をつけていった。
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