蓮華

釜瑪 秋摩

文字の大きさ
上 下
773 / 780
外伝:長田鴇汰 ~あれから~

第2話 角猪

しおりを挟む
 ガサガサと茂みが揺れるたび、鴇汰はハッと身構えていた。
 ウサギや狸のような小動物も多いようで、走り去っていくのを見送りながら、内心ホッとしていた。

「なあ、出てきたら、一番近い罠に誘導すればいいんだよな?」

 もう一度、確認のために聞いておこうと振り返ると、いつの間にか班のやつらがいなくなっている。

「え……? あいつらみんな、どこ行ったのよ?」

 そんなに長く目を離していたつもりはないのに、見える範囲に誰もいない。
 参ったな、と思いつつ、動き回ると合流できなくなるような気がして、今いる場所から一番近い罠の場所へ移動した。
 角猪と遭遇すれば、声は必ず聞こえてくるから、それから向かえばいいか、と軽く考えていた。

 あちこちで、叫ぶような声も聞こえてくるけれど、どれも遠い。
 ひょっとすると、一番先に遭遇するのは自分なんじゃないかと思い、周囲の気配に集中した。
 ワッと大声が響き、鴇汰の背後で鳥が一斉に羽ばたいていく。

「近い。小坂たち、遭遇したな? どっちだ? 後ろか?」

 周囲を見ても、まだなにもわからない。
 状況が見えないぶん、若干の不安を覚えた。
 声のするほうへ近づきながら、様子を窺っていると、「そっちだ!」「回り込め!」などと聞こえてくる。

「あの感じだと、こっから離れていくか?」

 こんなところで、一人ぼんやりしている場合じゃあないと、急いであとを追って走った。
 どこにいるのやら、声は良く聞こえてくるのに、姿はまったく見えない。

「なんだよ? そう遠くないはずなのに、どこにいやがるんだ?」

 一度、立ち止まって周囲を見渡す。
 大勢の足音と葉擦れの音が大きくなってきて、背後から殺気が漂ってきた。

「殺気!? ってか、なんで後ろ――」

 百メートルほど先の茂みから飛び出してきた角猪が、鴇汰のほうへ向かってきた。
 そのあとを、矢萩と豊浦が追い立てている。

「長田隊長! そっち行きますよ!」

 マジか?
 あまりにも突然すぎて、罠がどうとか、なにも考えられない。
 追い立てられた角猪はもの凄い速さで近づいてくる。

「デカ過ぎるって! こんなのどうしろって……」

 大剣を抜いて構えたものの、思った以上の大きさと速さで逃げようもない。
 額から伸びる角は太くて大きく、鼻の両脇の牙も猪のそれより大きい。

「絶対に逃がさないでくださいね!」

 矢萩が無茶苦茶なことを言う。

「バッカ……勝手なことを……」

 正面に迫った角猪の角に目掛けて、横へ飛びながら大剣を振り下ろした。
 虎吼刀は角より硬かったようで鈍い音を立てて角が折れ、そのまま勢いをつけて、角猪の横腹を下から掬い上げて斬った。
 ドオッと倒れた角猪は、体を痙攣させてひっくり返っている。
 起き上がってこられたら、牙で突かれてしまうかもしれないと、すぐさま首もとへ大剣を突き立てた。

 完全に動かなくなったのを確認してから、改めて角猪を眺めてみる。
 折れた角のほうは先端がわずかに丸みを帯びているけれど、牙は鋭く尖っていた。
 こんなので突かれたら、大怪我どころじゃあ済まないだろう。

「長田隊長!」

 小坂をはじめ、ほかのやつらがあちこちの茂みを出て集まってきた。
 倒れた角猪を見たとたん、顔色を変えて走ってくる。

「罠は!? この先のはずですよね!? いや、それよりお怪我は!?」

「ていうか、長田隊長が一人でコイツを倒しちゃったんですか?」

 小坂と新人たちが集まってきて騒ぎだした。

「まあ……俺しかいなかったし……怪我はしてねーけど、いきなりで心臓に悪かったよ」

 背後で「チッ」と舌打ちが聞こえて振り返ると、後ろにいたのは矢萩と豊浦だった。
 どっちも鴇汰を見るでもなく、あさってのほうを向いている。

(え……? 今、こいつら舌打ちしたよな?)

「なにはともあれ、お怪我がなくて良かった……けど、なんだってこんな無茶を?」

「俺だって驚いたよ。おまえらとはぐれちまったから、探していたら急にこいつが茂みから出てきたのよ」

「それにしたって、罠まで誘導していただければ――」

「だって、すぐそこまで来てたから、誘導どころじゃあなかったんだって。大剣だったから、どうにかできたけどな。おまえらみたいに刀だったら、ヤバかったかも」

 心なしか、班のやつらが呆れたような顔をしているようにみえる。
 一人で倒しちゃあ、マズかったんだろうか?

「まさか、こんなに早く倒せるとは思いませんでした」

「ホントですよ、これきっと、うちの班が一番早かったんじゃあないですか?」

「そうだな。急いで入り口まで運ぼう。こうしているあいだに、ほかの班も上がってくるかもしれない」

 小坂はテキパキと新人たちに指示を出し、角猪の死骸を紐に掛け、農場の入り口へと運んでいく。
 矢萩と豊浦が運ぶのを手伝いに行こうと横を通り過ぎたとき、鴇汰はポツリとつぶやいた。

「おまえら……もしかして、俺を亡きものにしようとしてる……?」

 むくれた顔で振り返った二人は、口を尖らせて言い返してきた。

「なに言ってるんです? んなワケないじゃないですか」

「そうそう。長田隊長が死んだら、うちの隊長の身の回りの面倒を、誰が見るっていうんですか?」

――なんだ。とりあえず、一緒にいる相手としては認めてくれているのか。

「まぁ……かるーく怪我でもしたら、ザマーミロとは思いましたけど」

 ホッとしたのもつかの間、矢萩がとんでもないことを言った。
 こいつら、マジか。
 以前、大陸からの襲撃のときに、古市が矢萩や豊浦、岡山辺りがどうこうと言っていたけれど、どうやらそれは、冗談でもなんでもなかったようだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

主役の聖女は死にました

F.conoe
ファンタジー
聖女と一緒に召喚された私。私は聖女じゃないのに、聖女とされた。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。

Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。 それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。 そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。 しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。 命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

(完)聖女様は頑張らない

青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。 それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。 私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!! もう全力でこの国の為になんか働くもんか! 異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

処理中です...