679 / 780
外伝:藤川麻乃 ~生い立ち~
第4話 矯正
しおりを挟む
初めての子どもは隆紀にとって本当に愛おしい存在だった。
ずっとそばでみていたいけれど、防衛の任務があるからそうもいかない。
今回に限って、なぜか北浜と南浜ばかり割り当てられている。
月に二日、三日程度しか会えずにいたけれど、麻乃が一歳を過ぎたころにようやく西浜の割り当てになった。
久しぶりにみると、急に大きくなったような気がする。
麻美はほかの子に比べると小さいというけれど、そんなに気にすることじゃあないと思う。
食事のとき、ふと麻乃をみると、スプーンを左手に持ってご飯を食べていた。
麻乃は左利きなのかと麻美に聞くと、そうだという。
全身から血の気が引いた気がして、隆紀は食事もそのままに、急いで神殿へと向かった。
「シタラさま! シタラさまはいらっしゃいますか?」
「……隆紀じゃあありませんか。そんなに慌ててどうしたのです?」
神殿の入り口に居合わせたイツキに、急ぎシタラに話しがあるといって呼び出してもらった。
隆紀は亡くなった両親に、自分の血筋について困ったことがあれば、シタラに相談するよう言い含められていたからだ。
隆紀の家系に鬼神が生まれることは、高田も麻美も知ってはいる。
ただ、詳細まで知っているのは隆紀自身と、神殿の巫女たちだけだ。
大陸と別れてからこれまで、隆紀の家系に女の子は生まれていない。
泉翔の伝承として残っている記述はすべて男で、鬼神の力を受け継いでいなくても隆紀自身もそうだ。
麻乃の利き手をみるまで、口伝のことなどすっかり忘れていた。
「一体、なにごとですか?」
イツキにいざなわれて神殿内の客間へと通された。
中ではシタラとカサネが待っていた。
隆紀が話そうとしていることを、わかっているかのような眼差しに、さらに不安が増した。
「娘が……麻乃が……左利きなんです」
三人はそれぞれ視線を交わしてから隆紀をみた。
思ったとおり、三人ともそうじゃあないかと感じていたらしい。
「ですが隆紀、あの口伝は泉翔が大陸と一つであったときのことです」
「今はこの泉翔において大陸へ渡ることは皆無に近いのですから」
「それでも心配であるのなら、いずれ巫女としてこの神殿にあげればよいでしょう」
シタラもカサネも、それでも麻乃がその身一つも守れないようでは困るのだから、十六歳までは鍛錬をさせるようにという。
その後は神殿で巫女として修業を積ませればよいと。
「利き手に関しても、急がずゆっくり矯正してあげれば良いのですよ」
イツキまでもそういうけれど、本当にそれで大丈夫なんだろうか?
万が一にも大陸で伝承のような争いが起こり、泉翔までも襲撃されることになったら?
防衛が間に合わず、突破されて麻乃になにかあったら?
「伝承が……紅き華はみんな、必ず左利きなんです……矯正すれば安全なんですか?」
三人はまたそれぞれ顔を見合わせている。
「安全かどうか、それはなんとも言えません」
「なにせ古い伝承で、なおかつ口伝だけともなれば、比較のしようがありませんから」
「くそっ! どうして……なんで俺じゃあなかったんだ……俺だったらなんの問題もなかったのに……代われるものなら代わってやりたい……」
「あまり思い詰めてはいけませんよ。今夜はもう遅い……明日にでも麻美にも話して、よくよく相談して先のことを決めていきなさい」
この日はいったん帰ったものの、翌日、麻乃がなにかをするたびに左手を使うのをみて、不安に襲われた。
つい厳しい口調で叱ってしまう。
シタラたちは麻美にも話せといったけれど、なにをどう話したらいいのか。
結局、麻美にもなにも言えず、隆紀は不安な思いを抱えたまま、事あるごとにシタラたちへ相談に出かけた。
一日も早く利き手の矯正をしようと急ぐ隆紀は、麻美と衝突ばかりしていた。
高田や寛治たちにも、いろいろと問われたけれど、みんなが鬼神の血筋に対してどんな感情を抱くのかがわからず、話せないままでいた。
麻乃が二歳を迎えるころ、こうも何度も注意しているにも関わらず、また左手を使う麻乃を、とうとう怒鳴りつけてしまった。
すぐに麻美が飛んできて口論になる。
麻美は麻乃が委縮しているという。
そういわれると、しばらく笑った顔をみていない。
心配と不安で押し潰されそうで、良く眠れない日が続いていたせいか、麻美が房枝と買いものに出ているあいだに、つい自分の部屋でウトウトしてしまっていた。
「隆紀!!!」
麻美の大声に驚き、自分が眠っていたと気づいた。
麻美は、初めて麻乃が喋ったという。
思わず喜んでなんと言ったのか聞こうとするも、麻美は強張った顔で隆紀を睨んでいる。
麻乃の初めての言葉は「手って、ないない」だといって、麻美は怒り狂っている。
包丁を持ち出して自分の左手を切ろうとしていたと聞いて、背筋が凍った。
早く利き手を直したくてしたことが、そんなにも麻乃を追い詰めていようとは……。
隆紀は麻美に思いきり平手打ちをされ、離婚を告げられた。
今すぐ麻乃を連れて出ていくという。
「ちょっと待てよ! ちゃんと話す。だから……」
「話しなんてなにもない。これ以上、ここにいたら……麻乃は死んでしまうかもしれないじゃない!」
死んでしまうかもしれないといわれたのは衝撃だった。
部屋を出ていく麻美を追いかけると、麻乃の姿がどこにもない。
「探さなきゃ……早くしないと……」
「待って! 俺も一緒に……」
「あんたは来ないで! 隆紀が来たら麻乃が出てこれなくなっちゃうじゃない! 逃げちゃうかもしれない! もう私たちのことは放っておいて!」
麻美は玄関の扉を閉めるのも忘れて駆けだしていってしまった。
ずっとそばでみていたいけれど、防衛の任務があるからそうもいかない。
今回に限って、なぜか北浜と南浜ばかり割り当てられている。
月に二日、三日程度しか会えずにいたけれど、麻乃が一歳を過ぎたころにようやく西浜の割り当てになった。
久しぶりにみると、急に大きくなったような気がする。
麻美はほかの子に比べると小さいというけれど、そんなに気にすることじゃあないと思う。
食事のとき、ふと麻乃をみると、スプーンを左手に持ってご飯を食べていた。
麻乃は左利きなのかと麻美に聞くと、そうだという。
全身から血の気が引いた気がして、隆紀は食事もそのままに、急いで神殿へと向かった。
「シタラさま! シタラさまはいらっしゃいますか?」
「……隆紀じゃあありませんか。そんなに慌ててどうしたのです?」
神殿の入り口に居合わせたイツキに、急ぎシタラに話しがあるといって呼び出してもらった。
隆紀は亡くなった両親に、自分の血筋について困ったことがあれば、シタラに相談するよう言い含められていたからだ。
隆紀の家系に鬼神が生まれることは、高田も麻美も知ってはいる。
ただ、詳細まで知っているのは隆紀自身と、神殿の巫女たちだけだ。
大陸と別れてからこれまで、隆紀の家系に女の子は生まれていない。
泉翔の伝承として残っている記述はすべて男で、鬼神の力を受け継いでいなくても隆紀自身もそうだ。
麻乃の利き手をみるまで、口伝のことなどすっかり忘れていた。
「一体、なにごとですか?」
イツキにいざなわれて神殿内の客間へと通された。
中ではシタラとカサネが待っていた。
隆紀が話そうとしていることを、わかっているかのような眼差しに、さらに不安が増した。
「娘が……麻乃が……左利きなんです」
三人はそれぞれ視線を交わしてから隆紀をみた。
思ったとおり、三人ともそうじゃあないかと感じていたらしい。
「ですが隆紀、あの口伝は泉翔が大陸と一つであったときのことです」
「今はこの泉翔において大陸へ渡ることは皆無に近いのですから」
「それでも心配であるのなら、いずれ巫女としてこの神殿にあげればよいでしょう」
シタラもカサネも、それでも麻乃がその身一つも守れないようでは困るのだから、十六歳までは鍛錬をさせるようにという。
その後は神殿で巫女として修業を積ませればよいと。
「利き手に関しても、急がずゆっくり矯正してあげれば良いのですよ」
イツキまでもそういうけれど、本当にそれで大丈夫なんだろうか?
万が一にも大陸で伝承のような争いが起こり、泉翔までも襲撃されることになったら?
防衛が間に合わず、突破されて麻乃になにかあったら?
「伝承が……紅き華はみんな、必ず左利きなんです……矯正すれば安全なんですか?」
三人はまたそれぞれ顔を見合わせている。
「安全かどうか、それはなんとも言えません」
「なにせ古い伝承で、なおかつ口伝だけともなれば、比較のしようがありませんから」
「くそっ! どうして……なんで俺じゃあなかったんだ……俺だったらなんの問題もなかったのに……代われるものなら代わってやりたい……」
「あまり思い詰めてはいけませんよ。今夜はもう遅い……明日にでも麻美にも話して、よくよく相談して先のことを決めていきなさい」
この日はいったん帰ったものの、翌日、麻乃がなにかをするたびに左手を使うのをみて、不安に襲われた。
つい厳しい口調で叱ってしまう。
シタラたちは麻美にも話せといったけれど、なにをどう話したらいいのか。
結局、麻美にもなにも言えず、隆紀は不安な思いを抱えたまま、事あるごとにシタラたちへ相談に出かけた。
一日も早く利き手の矯正をしようと急ぐ隆紀は、麻美と衝突ばかりしていた。
高田や寛治たちにも、いろいろと問われたけれど、みんなが鬼神の血筋に対してどんな感情を抱くのかがわからず、話せないままでいた。
麻乃が二歳を迎えるころ、こうも何度も注意しているにも関わらず、また左手を使う麻乃を、とうとう怒鳴りつけてしまった。
すぐに麻美が飛んできて口論になる。
麻美は麻乃が委縮しているという。
そういわれると、しばらく笑った顔をみていない。
心配と不安で押し潰されそうで、良く眠れない日が続いていたせいか、麻美が房枝と買いものに出ているあいだに、つい自分の部屋でウトウトしてしまっていた。
「隆紀!!!」
麻美の大声に驚き、自分が眠っていたと気づいた。
麻美は、初めて麻乃が喋ったという。
思わず喜んでなんと言ったのか聞こうとするも、麻美は強張った顔で隆紀を睨んでいる。
麻乃の初めての言葉は「手って、ないない」だといって、麻美は怒り狂っている。
包丁を持ち出して自分の左手を切ろうとしていたと聞いて、背筋が凍った。
早く利き手を直したくてしたことが、そんなにも麻乃を追い詰めていようとは……。
隆紀は麻美に思いきり平手打ちをされ、離婚を告げられた。
今すぐ麻乃を連れて出ていくという。
「ちょっと待てよ! ちゃんと話す。だから……」
「話しなんてなにもない。これ以上、ここにいたら……麻乃は死んでしまうかもしれないじゃない!」
死んでしまうかもしれないといわれたのは衝撃だった。
部屋を出ていく麻美を追いかけると、麻乃の姿がどこにもない。
「探さなきゃ……早くしないと……」
「待って! 俺も一緒に……」
「あんたは来ないで! 隆紀が来たら麻乃が出てこれなくなっちゃうじゃない! 逃げちゃうかもしれない! もう私たちのことは放っておいて!」
麻美は玄関の扉を閉めるのも忘れて駆けだしていってしまった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。
Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。
それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。
そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。
しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。
命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─?
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
(完)聖女様は頑張らない
青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。
それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。
私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!!
もう全力でこの国の為になんか働くもんか!
異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる