蓮華

釜瑪 秋摩

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外伝:藤川麻乃 ~生い立ち~

第4話 矯正

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 初めての子どもは隆紀にとって本当に愛おしい存在だった。
 ずっとそばでみていたいけれど、防衛の任務があるからそうもいかない。
 今回に限って、なぜか北浜と南浜ばかり割り当てられている。

 月に二日、三日程度しか会えずにいたけれど、麻乃が一歳を過ぎたころにようやく西浜の割り当てになった。
 久しぶりにみると、急に大きくなったような気がする。
 麻美はほかの子に比べると小さいというけれど、そんなに気にすることじゃあないと思う。

 食事のとき、ふと麻乃をみると、スプーンを左手に持ってご飯を食べていた。
 麻乃は左利きなのかと麻美に聞くと、そうだという。
 全身から血の気が引いた気がして、隆紀は食事もそのままに、急いで神殿へと向かった。

「シタラさま! シタラさまはいらっしゃいますか?」

「……隆紀じゃあありませんか。そんなに慌ててどうしたのです?」

 神殿の入り口に居合わせたイツキに、急ぎシタラに話しがあるといって呼び出してもらった。
 隆紀は亡くなった両親に、自分の血筋について困ったことがあれば、シタラに相談するよう言い含められていたからだ。
 隆紀の家系に鬼神が生まれることは、高田も麻美も知ってはいる。
 ただ、詳細まで知っているのは隆紀自身と、神殿の巫女たちだけだ。

 大陸と別れてからこれまで、隆紀の家系に女の子は生まれていない。
 泉翔の伝承として残っている記述はすべて男で、鬼神の力を受け継いでいなくても隆紀自身もそうだ。
 麻乃の利き手をみるまで、口伝のことなどすっかり忘れていた。

「一体、なにごとですか?」

 イツキにいざなわれて神殿内の客間へと通された。
 中ではシタラとカサネが待っていた。
 隆紀が話そうとしていることを、わかっているかのような眼差しに、さらに不安が増した。

「娘が……麻乃が……左利きなんです」

 三人はそれぞれ視線を交わしてから隆紀をみた。
 思ったとおり、三人ともそうじゃあないかと感じていたらしい。

「ですが隆紀、あの口伝は泉翔が大陸と一つであったときのことです」

「今はこの泉翔において大陸へ渡ることは皆無に近いのですから」

「それでも心配であるのなら、いずれ巫女としてこの神殿にあげればよいでしょう」

 シタラもカサネも、それでも麻乃がその身一つも守れないようでは困るのだから、十六歳までは鍛錬をさせるようにという。
 その後は神殿で巫女として修業を積ませればよいと。

「利き手に関しても、急がずゆっくり矯正してあげれば良いのですよ」

 イツキまでもそういうけれど、本当にそれで大丈夫なんだろうか?
 万が一にも大陸で伝承のような争いが起こり、泉翔までも襲撃されることになったら?
 防衛が間に合わず、突破されて麻乃になにかあったら?
 
「伝承が……紅き華はみんな、必ず左利きなんです……矯正すれば安全なんですか?」

 三人はまたそれぞれ顔を見合わせている。

「安全かどうか、それはなんとも言えません」

「なにせ古い伝承で、なおかつ口伝だけともなれば、比較のしようがありませんから」

「くそっ! どうして……なんで俺じゃあなかったんだ……俺だったらなんの問題もなかったのに……代われるものなら代わってやりたい……」

「あまり思い詰めてはいけませんよ。今夜はもう遅い……明日にでも麻美にも話して、よくよく相談して先のことを決めていきなさい」

 この日はいったん帰ったものの、翌日、麻乃がなにかをするたびに左手を使うのをみて、不安に襲われた。
 つい厳しい口調で叱ってしまう。

 シタラたちは麻美にも話せといったけれど、なにをどう話したらいいのか。
 結局、麻美にもなにも言えず、隆紀は不安な思いを抱えたまま、事あるごとにシタラたちへ相談に出かけた。

 一日も早く利き手の矯正をしようと急ぐ隆紀は、麻美と衝突ばかりしていた。
 高田や寛治たちにも、いろいろと問われたけれど、みんなが鬼神の血筋に対してどんな感情を抱くのかがわからず、話せないままでいた。

 麻乃が二歳を迎えるころ、こうも何度も注意しているにも関わらず、また左手を使う麻乃を、とうとう怒鳴りつけてしまった。
 すぐに麻美が飛んできて口論になる。
 麻美は麻乃が委縮しているという。
 そういわれると、しばらく笑った顔をみていない。

 心配と不安で押し潰されそうで、良く眠れない日が続いていたせいか、麻美が房枝と買いものに出ているあいだに、つい自分の部屋でウトウトしてしまっていた。

「隆紀!!!」

 麻美の大声に驚き、自分が眠っていたと気づいた。
 麻美は、初めて麻乃が喋ったという。
 思わず喜んでなんと言ったのか聞こうとするも、麻美は強張った顔で隆紀を睨んでいる。

 麻乃の初めての言葉は「手って、ないない」だといって、麻美は怒り狂っている。
 包丁を持ち出して自分の左手を切ろうとしていたと聞いて、背筋が凍った。

 早く利き手を直したくてしたことが、そんなにも麻乃を追い詰めていようとは……。
 隆紀は麻美に思いきり平手打ちをされ、離婚を告げられた。
 今すぐ麻乃を連れて出ていくという。

「ちょっと待てよ! ちゃんと話す。だから……」

「話しなんてなにもない。これ以上、ここにいたら……麻乃は死んでしまうかもしれないじゃない!」

 死んでしまうかもしれないといわれたのは衝撃だった。
 部屋を出ていく麻美を追いかけると、麻乃の姿がどこにもない。

「探さなきゃ……早くしないと……」

「待って! 俺も一緒に……」

「あんたは来ないで! 隆紀が来たら麻乃が出てこれなくなっちゃうじゃない! 逃げちゃうかもしれない! もう私たちのことは放っておいて!」

 麻美は玄関の扉を閉めるのも忘れて駆けだしていってしまった。
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