660 / 780
大切なもの
第110話 旅立ち ~麻乃 1~
しおりを挟む
麻乃は砦に入り、隠し置いた紅華炎を手にした。
鬼灯の鞘も、腰から外した夜光の鞘と一緒に束ねて紐でしっかりと括った。
馬の背に積み、麻乃は今度は銀杏の枝に登り、海岸を眺めみた。
大陸から戻ってきたときと同じ、夕焼けの景色だ。
あのときは、懐かしさと拒絶される切なさを感じていたけれど、今はこれが見納めになる悲しさを感じていた。
何度となく登ったこの木も、もう触れることはない。
「やっぱりここに来たか」
上から声が降ってきて、見あげると修治の姿だ。
驚きはしなかった。
なんとなく、ここで修治に会うような気がしていた。
「バレてた?」
「まあな」
ガサリと葉の揺れる音とともに、修治は麻乃の隣に立った。
二人で夕焼けを眺めるのも久しぶりで、そしてこれが最後だ。
「……大陸へ……ジャセンベルへ行くそうじゃあないか」
「レイファーから聞いた?」
「ああ」
止めるつもりでここへ来たんだろうか?
そんなふうには見えないけれど……。
仮に止められたとしても、今さら麻乃の気持ちに変わりはない。
「レイファーは、おまえを妻にするつもりでいるようだな」
修治は少し意地悪な目つきで笑いながら麻乃をみた。
さっきのレイファーとのやり取りを思い出して、麻乃は苦笑いをした。
「そんなの、断ったに決まってるでしょ。まったく馬鹿なことを言うよね。それが大陸へ迎え入れる条件だなんていうんだよ」
修治は今度は声をあげて笑った。
「笑いごとじゃあないよ。こっちは真剣に話してたってのにさ」
「レイファーのほうも真剣みたいじゃあないか。俺に宣言をしに来たくらいだからな」
「宣言って……そんな気ないのに。困ったやつだよ」
「住む場所はもう決まっているのか?」
「うん。レイファーが世話をしてくれる。お父さんとお母さんに手紙を書くよ。高田先生にも……」
「そうか。だったら安心できるな。それで心配がまったくなくなるわけじゃあないが」
修治は今までと同じように、麻乃の頭を撫でた。
ひどく懐かしい感触だ。
「これから先、大陸との関わりかたも変わっていくだろう。今までのように行かれない場所じゃあなくなる」
「……そうだね」
「どこへ行こうと、いつでも会いに行ける。無事に子どもが生まれたら、多香子も連れて会いに行く」
「そんなの駄目だよ……戦争が終わったからって、安全なわけじゃあないんだし……多香子姉さんや子どもを危ない目に合わせたら大変じゃない」
「俺がついているんだから心配はいらないさ」
ホロリと涙がこぼれた。
鼻をすすった麻乃に、修治がハンカチを差し出してくれて、それで目もとを拭う。
「もう戻らないつもりか?」
「うん……」
「それがおまえのけじめか?」
今度はとめどなく涙がこぼれる。
後悔に苛まれ、どうしようもない。
もっと早くに麻乃が覚醒を選んでいたら、こんなことは起きなかったんじゃあないかと、そんな考えが何度も浮かんだ。
「違う……そうじゃあない。マドルを倒したのも、最後はレイファーであたしじゃあない。あたしはなんの落とし前もけじめもつけることができなかった……ただ逃げるだけなんだよ。こんなことを仕出かしておきながら、なんの責任も取らずに、大陸に逃げるだけなんだ。ごめんね、修治。こんなに情けないあたしで……あんなに傷つけてしまったことも、本当にごめん……」
ただ泣くしかできない麻乃の肩に、修治は手を回して抱き寄せてくれた。
こんなときでも、修治のぬくもりはやっぱり麻乃に安心感をくれる。
ずっと一緒に育ってきてよかったと、兄であるのが修治でよかったと、心からそう思う。
「鴇汰のことはどうするつもりだ?」
「鴇汰は……あたしがいなくても困ったりしないよ。ほかにいい人はたくさんいるんだもん。幸せになってくれれば、それでいい」
「そうか……」
今日も目を覚まさないままの鴇汰と、このまま離れるのは寂しい。
けれど、目を覚まして顔を合わせてしまったら、今度は離れがたくなるに決まっている。
このままでいい。
いずれ鴇汰も、麻乃を忘れるだろう。
この気持ちを覚えているのは麻乃だけでいい。
日が落ちた空は、水平線にわずかにオレンジ色を残しているだけで、濃い青にそまっていた。
修治はもう一度、麻乃の頭を撫でると立ちあがった。
「朝には出航だろう? もう行け。小坂たち七番には、俺がちゃんと話しをしておく」
「うん……ありがとう。修治、元気でね。体だけは大事にしてね」
銀杏を飛び降り、小走りで馬にまたがると、涙を拭って修治のハンカチをポケットにしまい、振り返ることなくその場を離れた。
鬼灯の鞘も、腰から外した夜光の鞘と一緒に束ねて紐でしっかりと括った。
馬の背に積み、麻乃は今度は銀杏の枝に登り、海岸を眺めみた。
大陸から戻ってきたときと同じ、夕焼けの景色だ。
あのときは、懐かしさと拒絶される切なさを感じていたけれど、今はこれが見納めになる悲しさを感じていた。
何度となく登ったこの木も、もう触れることはない。
「やっぱりここに来たか」
上から声が降ってきて、見あげると修治の姿だ。
驚きはしなかった。
なんとなく、ここで修治に会うような気がしていた。
「バレてた?」
「まあな」
ガサリと葉の揺れる音とともに、修治は麻乃の隣に立った。
二人で夕焼けを眺めるのも久しぶりで、そしてこれが最後だ。
「……大陸へ……ジャセンベルへ行くそうじゃあないか」
「レイファーから聞いた?」
「ああ」
止めるつもりでここへ来たんだろうか?
そんなふうには見えないけれど……。
仮に止められたとしても、今さら麻乃の気持ちに変わりはない。
「レイファーは、おまえを妻にするつもりでいるようだな」
修治は少し意地悪な目つきで笑いながら麻乃をみた。
さっきのレイファーとのやり取りを思い出して、麻乃は苦笑いをした。
「そんなの、断ったに決まってるでしょ。まったく馬鹿なことを言うよね。それが大陸へ迎え入れる条件だなんていうんだよ」
修治は今度は声をあげて笑った。
「笑いごとじゃあないよ。こっちは真剣に話してたってのにさ」
「レイファーのほうも真剣みたいじゃあないか。俺に宣言をしに来たくらいだからな」
「宣言って……そんな気ないのに。困ったやつだよ」
「住む場所はもう決まっているのか?」
「うん。レイファーが世話をしてくれる。お父さんとお母さんに手紙を書くよ。高田先生にも……」
「そうか。だったら安心できるな。それで心配がまったくなくなるわけじゃあないが」
修治は今までと同じように、麻乃の頭を撫でた。
ひどく懐かしい感触だ。
「これから先、大陸との関わりかたも変わっていくだろう。今までのように行かれない場所じゃあなくなる」
「……そうだね」
「どこへ行こうと、いつでも会いに行ける。無事に子どもが生まれたら、多香子も連れて会いに行く」
「そんなの駄目だよ……戦争が終わったからって、安全なわけじゃあないんだし……多香子姉さんや子どもを危ない目に合わせたら大変じゃない」
「俺がついているんだから心配はいらないさ」
ホロリと涙がこぼれた。
鼻をすすった麻乃に、修治がハンカチを差し出してくれて、それで目もとを拭う。
「もう戻らないつもりか?」
「うん……」
「それがおまえのけじめか?」
今度はとめどなく涙がこぼれる。
後悔に苛まれ、どうしようもない。
もっと早くに麻乃が覚醒を選んでいたら、こんなことは起きなかったんじゃあないかと、そんな考えが何度も浮かんだ。
「違う……そうじゃあない。マドルを倒したのも、最後はレイファーであたしじゃあない。あたしはなんの落とし前もけじめもつけることができなかった……ただ逃げるだけなんだよ。こんなことを仕出かしておきながら、なんの責任も取らずに、大陸に逃げるだけなんだ。ごめんね、修治。こんなに情けないあたしで……あんなに傷つけてしまったことも、本当にごめん……」
ただ泣くしかできない麻乃の肩に、修治は手を回して抱き寄せてくれた。
こんなときでも、修治のぬくもりはやっぱり麻乃に安心感をくれる。
ずっと一緒に育ってきてよかったと、兄であるのが修治でよかったと、心からそう思う。
「鴇汰のことはどうするつもりだ?」
「鴇汰は……あたしがいなくても困ったりしないよ。ほかにいい人はたくさんいるんだもん。幸せになってくれれば、それでいい」
「そうか……」
今日も目を覚まさないままの鴇汰と、このまま離れるのは寂しい。
けれど、目を覚まして顔を合わせてしまったら、今度は離れがたくなるに決まっている。
このままでいい。
いずれ鴇汰も、麻乃を忘れるだろう。
この気持ちを覚えているのは麻乃だけでいい。
日が落ちた空は、水平線にわずかにオレンジ色を残しているだけで、濃い青にそまっていた。
修治はもう一度、麻乃の頭を撫でると立ちあがった。
「朝には出航だろう? もう行け。小坂たち七番には、俺がちゃんと話しをしておく」
「うん……ありがとう。修治、元気でね。体だけは大事にしてね」
銀杏を飛び降り、小走りで馬にまたがると、涙を拭って修治のハンカチをポケットにしまい、振り返ることなくその場を離れた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
【完結】妃が毒を盛っている。
井上 佳
ファンタジー
2年前から病床に臥しているハイディルベルクの王には、息子が2人いる。
王妃フリーデの息子で第一王子のジークムント。
側妃ガブリエレの息子で第二王子のハルトヴィヒ。
いま王が崩御するようなことがあれば、第一王子が玉座につくことになるのは間違いないだろう。
貴族が集まって出る一番の話題は、王の後継者を推測することだった――
見舞いに来たエルメンヒルデ・シュティルナー侯爵令嬢。
「エルメンヒルデか……。」
「はい。お側に寄っても?」
「ああ、おいで。」
彼女の行動が、出会いが、全てを解決に導く――。
この優しい王の、原因不明の病気とはいったい……?
※オリジナルファンタジー第1作目カムバックイェイ!!
※妖精王チートですので細かいことは気にしない。
※隣国の王子はテンプレですよね。
※イチオシは護衛たちとの気安いやり取り
※最後のほうにざまぁがあるようなないような
※敬語尊敬語滅茶苦茶御免!(なさい)
※他サイトでは佳(ケイ)+苗字で掲載中
※完結保証……保障と保証がわからない!
2022.11.26 18:30 完結しました。
お付き合いいただきありがとうございました!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。
Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。
それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。
そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。
しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。
命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─?
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる