蓮華

釜瑪 秋摩

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大切なもの

第53話 焦燥 ~鴇汰 1~

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「香織! 里子!」

 矢萩が倒れた二人に駆け寄り、屈み込んで呼びかけているのを呆然と見つめた。
 直前に里子を庇うようにロマジェリカ兵を倒したのも見ていた。

「――斬られていない」

 矢萩の隣に屈み込んだ修治が、そう言って鴇汰を振り返った。
 それを聞いた豊浦が膝から崩れるようにへたり込み、深く大きなため息を漏らした。
 豊浦と矢萩は麻乃の部隊に最初からいる隊員だ。
 誰かが欠けるような事態になってはいけないと、良くわかっているんだろう。

「小坂と同じだな。きっと斬るつもりだったのに、そうしなかったよな? それにロマジェリカ兵から二人を庇ったよな?」

「ああ……どうも麻乃の行動が腑に落ちない。やっぱり暗示のせいなんだろうか……」

「ほかのやつらと出くわしても、同じ対応をすると思うか?」

 鴇汰が尋ねると、修治はいつものポーズで考え込んでから首を振った。

「わからない……斬るつもりでいて直前に思い直すのか、無意識に刀を返しているのかもわからないからな」

「そうか……なあ、このあとどうする? 浜が制圧されたら、当然残っている七番のやつらもあんたの隊員たちも中央へ向かうよな? 途中で麻乃と出くわすようなことになったらヤバいだろ?」

 うなずいた修治は豊浦と矢萩を呼びつけた。

「今、この拠点はおまえたちのほかに誰が残っている?」

「今は俺たちのほかには、予備隊が数人です。残りはつい今しがた、拠点の引き上げと合わせて二つ先へ移動しています」

「そうか。それならおまえたちは、ここで浜から川崎たちが来るのを待て。恐らくジャセンベル軍の車があるだろう。里子と香織を乗せてそのまま中央へ向かうんだ」

「わかりました」

「このあとロマジェリカが進軍してくることはもうないだろう。先へ進んで暗示にかかっていない兵がいたときは、各拠点で対応しろと伝令も回してくれ」

「安部隊長と長田隊長は……」

「俺たちはこのまま麻乃を追う。さっきのように、ルートに麻乃が飛び出してきたときは、速やかに逃げるように。おまえたちに手を出させるわけにはいかない」

「今んトコ、誰も死なせてないんだよ。おまえらのうちの誰かが倒されたらマズい。あと数時間、なんとか凌いでくれよな」

 修治が豊浦と矢萩に指示を出しているあいだに、小坂が茂木と洸を連れて追いついてきた。

「小坂と洸は一緒に連れていく。俺たちになにかあったとき、連絡もできないようじゃあ困るからな」

「茂木、おまえはこのまま豊浦たちと中央へ行って、岱胡に状況を伝えておいてくれ」

 肩の骨折が痛むのか、矢萩に支えられて茂木はうなずいた。
 このあと、麻乃と遭遇しても撃てばきっとまた気づかれてしまうだろう。
 次は怪我では済まないかもしれない。

「鴇汰、いくぞ」

「ああ」

 修治に促され、麻乃が入った森へ向かう。
 遠くへは行かないと言っていたけれど、本当にこんなに近くに潜んでいたとは。

 柄を握りしめた手に力がこもる。
 ほんのりと温かい熱を感じるのと同時に思うようにいかない焦燥感が込みあげてくる。
 今、麻乃と対峙したとして、鬼灯はなにを思うのだろう。
 さっきは『違う』と思っていたようだけれど、鴇汰が倒されて鬼灯を奪われたとしたら、こいつはすんなりと納得して、その手に納まるんだろうか。

 穂高は数時間後に再度、梁瀬の術が放たれるといった。
 その時に麻乃の暗示も解けるだろう、と。
 あれからどのくらい時間が経っただろう。
 あとどれだけ待てばいいんだろう。

 修治の怪我は重い。小坂もやられているし、洸では力不足だ。
 鴇汰がしっかりしなければならない。
 誰かに見られているような気配を感じて足を止めた。
 周囲を見渡しても、誰の姿もない。

「鴇汰? なにをしている。早く来い」

 先を歩く三人の後を追って走った。
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