蓮華

釜瑪 秋摩

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大切なもの

第43話 憂慮 ~クロム 1~

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 争いの続く海岸を突風が吹き抜けた。
 突然の強風に煽られた多くの兵士が倒れ伏し、海岸を覆う船は大きく揺らいでいる。

 北側の浜を少し外れた高台から、クロムは砂浜を見下ろしていた。
 下準備はすべてうまく運んでいたし、梁瀬もサムも、クロムが予測していたよりも力のある術師に育っていた。
 そのせいもあってか、術が思った以上に強い効果を発揮して驚いた。

 ヘイトは暗示にかけられた兵が多かったらしく、それが解けたために一気に喧騒が鎮まっていった。
 所々で反同盟派の兵士と抱き合って、互いの無事を喜んでいる姿も見える。

 フッと深く長い溜息を漏らしてから疲労の度合いを確認してみた。
 軽い目眩を覚えたけれど立っていられないほどではなく、体調は特に問題なさそうだ。

 梁瀬とサムはどうだろうか。
 あと数時間……恐らく四時間以内には中央からの返しがあるだろう。
 戻ってくる術は今よりも威力を増している。
 無事に対応できるのだろうか。

(……いや。心配するまでもないだろう。二人とも疲労していたとしても、なんらかの対処をするに違いない)

 泉翔の巫女たちの対応も、シタラが亡くなってしまったことで、これまで進めてきた準備が無駄になってしまったけれど、新たに対応してくれた巫女のおかげで以前よりも大きな力を得ることができた。

 本来の術の範囲よりも二周り大きく範囲を設けようと言ってくれたのも、神殿側のほうからだった。
 向き合った巫女たちの暖かな眼差しは、色は違えど姉の瞳に似ていて、義兄たちと過ごした幸せな日々を思い出させてくれた。

 鴇汰は面立ちは義兄に似ている。
 けれど瞳は姉ととても良く似ている。
 とても大切だった二人が残してくれた、この世でたった一人の血の繋がりがある甥……。

 二人を亡くしてしまったときは憔悴しきっていた鴇汰が、いつの間にか自分の進む道を見出し、一人で泉翔に暮らしている。
 戦いに身を投じていくのを見るのが辛くて離れて暮らすことを選んだ。
 賢者のもとにいた少年を探す、という事情もあってのことだが……。

 泉翔に置いてきたことを後悔した日も多々あった。
 けれど鴇汰の周囲にはいつでも温かい人々がいた。
 道場の師範や穂高、戦士である仲間たちもそうだ。
 ジャセンベルの森で穂高たちと過ごした日々の中で、決して悪い判断ではなかったんだろうと今では思える。

(あとは鴇汰くん次第なんだけれど、なにがブレーキをかけているのか……)

 巧と梁瀬が上陸してくる少し前から、北浜の様子を窺っていた。
 鴇汰がヘイトを相手に戦っている姿も確認している。
 あっさりと金縛りにかかっているのを見てがっかりしたけれど、かかり具合に変化があったことにホッとした。

 それでも本来であれば、あの薬湯の効果がもっと出てもいいはずだ。
 それがなかなか現れないのはなぜなんだろうか。

「まったく……本当に困った子だ……」

 梁瀬の式神で飛び立っていく姿はなんの問題もなさそうだったけれど、クロムが危惧している事態が起こったとき、鴇汰はきちんと対応できるのだろうか、と心配になる。

 どうにも様子が気になり、思い切って式神を飛ばした。
 西区のどのあたりにいるのかは、いつものように鴇汰の気配をたどればいい。

「どうやら海岸のほうは無事に収拾がついたようですね」

 背後にハンスの気配を感じ、そう問いかけながら振り返った。
 ハンスはたった今クロムが飛ばした式神が消えた方角へ顔を向けたままポツリと呟いた。

「あぁ。ここは恐らく他の浜より鎮圧が早く済むであろう。泉翔の嬢ちゃんには、みんなを率いさせて先へと進ませるつもりだ」

「そうしていただけると助かります。中まで入り込んでしまった兵たちは、今ごろ戸惑っているでしょうから」

「海岸での後処理にはワシが残る。おまえさんは返しが済んだあと、中央へ向かうつもりだろう?」

「ええ……本当はここに残って不測の事態に備えたかったのですが……」

「案ずることはない。この術がうまく行った以上は動きだした流れは止められん。不穏なことが起こるとしたら術を使えんようになったときであろう」

「そうなんです。それが一番の気がかりで……なんの繋がりもなければもっと非情に、気丈に振る舞えたのでしょうが、私もまだまだです」

 なにもかもを突き放して考えることができない自分に対して自嘲しながら答えると、ハンスはそんな思いを吹き飛ばすように大きく笑った。

 昔から、こうやってなにかとクロムを気にかけてくれる。
 二人の賢者を亡くし、立て続けに起こった不幸や不運に途方に暮れていたとき、先々のことを考えて道を示してくれたのもハンスだ。

 すべての事情を話せなくても、思いを汲んで力になってくれたことは、まだ若かったクロムには感謝してもしきれないほどに、ありがたいことだった。
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