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大切なもの
第38話 憂慮 ~麻乃 3~
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侵攻を目論んでいるかどうかなど後回しで構わない。
今はただ、目の前のこいつや、柳堀で不安な思いを感じているだろう人たちを守りたい。そう思った。
「早く行け。これからまだ敵兵が進軍してくるんだ。さっきの様子からして柳堀までたどり着く連中がいるかもしれない。戻ってすぐに対処を……」
「わかったけどよ……それよりおまえ、なんなんだ? その格好は」
「えっ……」
そう問われて、麻乃は自分の容貌が変わっていることを思い出した。
紅い髪に紅い瞳……伝承の鬼神の姿そのままだ。
訝しげに見つめる視線から、逃げるように顔を背けた。
「黄色の軍服……ってあのロマジェリカのやつらと同じ服じゃあねぇか。おまえ、悪趣味だぞ? ちょっとそこで待ってろ!」
「待ってろって……ちょっとあんた!」
姿のことには触れもしなかった。
ただ着ている服を悪趣味だと罵って、麻乃の言葉を聞きもしないで森の奥へと駆け出していってしまった。
こんな場所で立ち往生している暇はないのに、あいつが戻ってきてまた敵兵と遭遇するような事態にでもなったら、と思うと立ち去ることもできない。
十分もすると、地主の息子はなにかを手に駆け戻ってきた。
麻乃の前に差し出されたのは、着替えと脇差だった。
「脇差はこの鞘の代わりに持っていけ。それと、俺が行ったらそいつに着替えろ。そんな格好でウロウロしてたら、いくらおまえでも敵兵だと思われるぞ」
「あたしは……」
「服はデカいかもしれないけど、おまえが小さいんだから仕方ねぇ」
フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた地主の息子に戸惑いながらも、ありがとう、と呟いて脇差と着替えを受け取った。
「あんた、あたしのことが怖くないの?」
「あぁ? おぉ……なんだ? いつもより紅いな」
「……それだけ?」
「こえーよ。怖いに決まってんだろうよ。おまえ、自分が俺になにをしたか忘れたってのか? 柳堀じゃあ散々痛めつけてくれた癖によ!」
「あれは、あんたが悪いんじゃあないか」
「あぁ。もうわかってるよ。まぁ、さっきは俺を助けてくれたしな。今は別に怖かねぇよ」
麻乃が睨み付けると、うんざりしたように手を振って渡した鞘を掲げてみせた。
「こいつも預かったしな。戻ったらちゃんと、クマの店に行く。柳堀のことは俺に任せろ」
胸を張ってそう言うと、さっさと着替えろよ、と言い残して柳堀のほうへと走っていってしまった。
(いつもより紅いな)
驚いてはいたけれど、怯えや恐怖の色はまったく浮かばなかった。
拒絶するような態度も見られなかった。
まるでたった今、気づいたかのように、ただ『紅い』と言っただけだった。
怖いとは言ったけれど、それは前に柳堀でやり合ったときの話しで、今は別に怖くないと言う。
あまりにもいつもと変わらない態度に、胸の奥がざわめく。
(多香子姉さんは怯え、修治は嫌悪の色を目に浮かべていたのに……)
そう思いながら急いで着替えを済ませた。
シャツは大き目でダブつくけれど、パンツは少し緩いだけだ。
脱いだ軍服のベルトを外して身につけ、腰に脇差を差した。
(確かめなければ。なにが本当なのか……)
歩き出そうと視線を上げたその先に、シタラの姿が見えた。
驚いて足を止め、夜光の柄を握ったその手をシタラに抑えられた。
焦りで全身から汗が噴き出す。
「鬼灯を……鴇汰のところへお戻り」
「なんでそんなこと――」
麻乃を見つめるシタラの目はいつも同じだ。
愁いを含んだ視線が拒絶を感じさせ、それが怖くて嫌でたまらなかった。
そう思っていたはずなのに、なぜか今はただ哀しくて仕方がない。
シタラはなにかを呟いているけれど、ノイズが入ったようで聞き取れない。
麻乃に言葉が届かないと気づいたのか、シタラは哀し気な表情で微笑んだ。
こんなにも間近で見つめ合うのは初めてのことかもしれないのに、どこか懐かしいような気がして目を逸らせずにいた。
シタラのもう片方の手が麻乃の頭を撫で、そのまま耳に触れると、静電気が起きたような痛みが走った。
「……っつ!」
思わず目を閉じた瞬間、浜のほうから強い風が吹き抜けた。
木々が大きく揺れ、小枝を落とす。
体の中をなにかが通り抜けたような感覚に、目眩を覚えた。
左腕にまた痺れを感じ、触れられた耳たぶが熱を持って痛む。
そこかしこが痛むように思えて不安がよぎった。
目を閉じたまま乱れた髪を梳いて整える。
ゆっくりと目を開けると、そこにはもうシタラの姿はなかった。
今はただ、目の前のこいつや、柳堀で不安な思いを感じているだろう人たちを守りたい。そう思った。
「早く行け。これからまだ敵兵が進軍してくるんだ。さっきの様子からして柳堀までたどり着く連中がいるかもしれない。戻ってすぐに対処を……」
「わかったけどよ……それよりおまえ、なんなんだ? その格好は」
「えっ……」
そう問われて、麻乃は自分の容貌が変わっていることを思い出した。
紅い髪に紅い瞳……伝承の鬼神の姿そのままだ。
訝しげに見つめる視線から、逃げるように顔を背けた。
「黄色の軍服……ってあのロマジェリカのやつらと同じ服じゃあねぇか。おまえ、悪趣味だぞ? ちょっとそこで待ってろ!」
「待ってろって……ちょっとあんた!」
姿のことには触れもしなかった。
ただ着ている服を悪趣味だと罵って、麻乃の言葉を聞きもしないで森の奥へと駆け出していってしまった。
こんな場所で立ち往生している暇はないのに、あいつが戻ってきてまた敵兵と遭遇するような事態にでもなったら、と思うと立ち去ることもできない。
十分もすると、地主の息子はなにかを手に駆け戻ってきた。
麻乃の前に差し出されたのは、着替えと脇差だった。
「脇差はこの鞘の代わりに持っていけ。それと、俺が行ったらそいつに着替えろ。そんな格好でウロウロしてたら、いくらおまえでも敵兵だと思われるぞ」
「あたしは……」
「服はデカいかもしれないけど、おまえが小さいんだから仕方ねぇ」
フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた地主の息子に戸惑いながらも、ありがとう、と呟いて脇差と着替えを受け取った。
「あんた、あたしのことが怖くないの?」
「あぁ? おぉ……なんだ? いつもより紅いな」
「……それだけ?」
「こえーよ。怖いに決まってんだろうよ。おまえ、自分が俺になにをしたか忘れたってのか? 柳堀じゃあ散々痛めつけてくれた癖によ!」
「あれは、あんたが悪いんじゃあないか」
「あぁ。もうわかってるよ。まぁ、さっきは俺を助けてくれたしな。今は別に怖かねぇよ」
麻乃が睨み付けると、うんざりしたように手を振って渡した鞘を掲げてみせた。
「こいつも預かったしな。戻ったらちゃんと、クマの店に行く。柳堀のことは俺に任せろ」
胸を張ってそう言うと、さっさと着替えろよ、と言い残して柳堀のほうへと走っていってしまった。
(いつもより紅いな)
驚いてはいたけれど、怯えや恐怖の色はまったく浮かばなかった。
拒絶するような態度も見られなかった。
まるでたった今、気づいたかのように、ただ『紅い』と言っただけだった。
怖いとは言ったけれど、それは前に柳堀でやり合ったときの話しで、今は別に怖くないと言う。
あまりにもいつもと変わらない態度に、胸の奥がざわめく。
(多香子姉さんは怯え、修治は嫌悪の色を目に浮かべていたのに……)
そう思いながら急いで着替えを済ませた。
シャツは大き目でダブつくけれど、パンツは少し緩いだけだ。
脱いだ軍服のベルトを外して身につけ、腰に脇差を差した。
(確かめなければ。なにが本当なのか……)
歩き出そうと視線を上げたその先に、シタラの姿が見えた。
驚いて足を止め、夜光の柄を握ったその手をシタラに抑えられた。
焦りで全身から汗が噴き出す。
「鬼灯を……鴇汰のところへお戻り」
「なんでそんなこと――」
麻乃を見つめるシタラの目はいつも同じだ。
愁いを含んだ視線が拒絶を感じさせ、それが怖くて嫌でたまらなかった。
そう思っていたはずなのに、なぜか今はただ哀しくて仕方がない。
シタラはなにかを呟いているけれど、ノイズが入ったようで聞き取れない。
麻乃に言葉が届かないと気づいたのか、シタラは哀し気な表情で微笑んだ。
こんなにも間近で見つめ合うのは初めてのことかもしれないのに、どこか懐かしいような気がして目を逸らせずにいた。
シタラのもう片方の手が麻乃の頭を撫で、そのまま耳に触れると、静電気が起きたような痛みが走った。
「……っつ!」
思わず目を閉じた瞬間、浜のほうから強い風が吹き抜けた。
木々が大きく揺れ、小枝を落とす。
体の中をなにかが通り抜けたような感覚に、目眩を覚えた。
左腕にまた痺れを感じ、触れられた耳たぶが熱を持って痛む。
そこかしこが痛むように思えて不安がよぎった。
目を閉じたまま乱れた髪を梳いて整える。
ゆっくりと目を開けると、そこにはもうシタラの姿はなかった。
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