蓮華

釜瑪 秋摩

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動きだす刻

第116話 覚悟 ~レイファー 1~

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 長い廊下を急ぎ足で歩いた。
 城奥のこの場所まで来るのは何度目だろうか。人けがないせいでやけに静かだ。
 突き当たった角を曲がったところで目指す扉を正面に、レイファーは足を止めた。

 この部屋を出てからのことはすべて指示済みだ。
 長く見積もって一時間、ここを出た瞬間から次の道が拓けると言うのに、今、なぜか不意に奇妙な感覚が胸をよぎった。

 あと数歩――。

 そして扉を開ければ、そこから始まる。

(なのになぜ……)

 今さら、後悔や罪悪感、ためらいなど湧き立ちもしないのに、どうにも足が動かない。
 手にした包みの結び目をギュッと握り締め、扉を睨んだ。

「いつまでそうして突っ立っているつもりだ」

 扉の向こうから低い声が響き、ハッとした。
 気配を消したつもりでいたのに、周囲に人がいないせいでわずかな気配でも目立ったのだろうか。
 気取られていることに驚いた。

(面白いじゃないか)

 緊張で手に汗がにじみ、鼓動が早鐘のように高鳴る。
 重い扉をゆっくりと押し開けた。
 控えの間から奥の間までの扉が開いている。
 レイファーは迷わず奥の間へ足を踏み入れた。

 中央の玉座に腰を下ろした王は、レイファーを一瞥しただけで、すぐに手もとの書類へ視線を移した。
 なんの前触れもなく訪れたのに動揺する様子も見せないのは、恐らくなにもかも知っているからだ。

 いつから気づいていたのだろうか。
 たった今、ということはないだろう。
 早い段階であったのなら、いつでもレイファーの思惑をつぶすことが可能だったはずだ。

(わかっていてなんの手も打たなかったのはなぜだ?)

 自らの許へ誰が来ようが退ける自信があってのことだろうか。
 その相手がレイファーであっても渡り合い、勝ち得る確信があるからだろうか。
 目の前にいるのは血をわけた父であるのに、得体の知れない存在感に気押されて言葉を発せずにいた。

 レイファーの記憶するかぎりでは、王はいつもこんな感じだった。
 無理やりに呼び寄せておきながら、レイファーに対する責任のすべてを放棄したかのように、ろくに見向きもしない。

 幼いころは、それまでの生活のすべてから引き離されて憤りや憎しみを感じたのと同時に、なんの愛情も与えられないことが寂しくも切なくもあった。
 自らの意思で未来をどう切り開いていくかを決めるまでの数年間は、王の存在を苦痛にしか感じなかった。

「用はなんだ?」

 王の言葉に黙ったまま包みの結び目を緩めていると、王は手もとの資料を脇にあった小机の上に放り出した。

「ここまで来たのはなんの用があってのことかと聞いている」

 まったく……。
 気が短いのにもほどがある。
 結び目が緩み、布の四方がはらりと解けたのと同時に、王の足もとへ向かってそれを投げた。

 ゴトッと鈍い音を立てて布から転げ出たのは、持ち帰ってきた長兄の頭だ。
 腰を上げた王はそれをジッと見つめている。
 長兄であるがゆえに感じる思いでもあるのだろうか。
 王の口もとがつり上がった。

(……笑っている)

「他はどうした」

「……えっ」

「まさかこやつだけではあるまい?」

 やはり勘付かれている。
 この城に残っているのはレイファーと王だけであると。
 他の兄たちの首も差し出せということなのか?

「もちろん……ですが、持ち帰ったのはそちらだけで……」

 王がゆっくりと立ち上がる。
 そのとき初めて正装であることに気付き、腰には武器まで帯びているのが目に入った。

 既にやる気はあるか。
 レイファーも腰もとの剣に手を置いた。
 殺気がジワジワと広がってくるのを感じる。
 どちらがいつ動くか、それ次第ではあっても、レイファーは自分の覚悟をハッキリと示さなければならない。

「他の首をご所望でしたら探して持ち帰ってきますが」

「あるというのなら、今、すぐにでも持ち帰ってくるがいい」

 部屋中に強い殺気が満ちた。
 もはやどちらが放ったものなのかもわからないほどに息苦しい。

「ご心配には及びません。それらは後ほど……あなたの横にすべて並べて差し上げましょう」

 レイファーは剣を抜き、王に向かって斬り付けた。
 立ったままで動かない王の姿に、これも楽勝かと思った瞬間、響く鋼の音と腕に強い衝撃を感じた。

 いつの間に抜いたのか、片手で構えた剣の鍔部分で、レイファーの切っ先をしっかりと受けている。
 こんなに間近に寄ったのは初めてだ。
 向き合った視線はそのままレイファーを貫きそうに強く見えた。
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